誰よりもつよく抱きしめてのレビュー・感想・評価
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個人的には色々気になる点があり、合わない作品でした‥
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
(レビューが遅くなりました、スミマセン‥)
結論から言うと、今作の映画『誰よりもつよく抱きしめて』は、個人的には色々気になる点があり合わない作品になりました‥本当に申し訳ありません‥
ところで今作には2種類の絵本が出て来ます。
1つ目は、水島良城(三山凌輝さん)が描いている「モジャ」の絵本です。(「空をしらないモジャ」「モジャの冒険」)
2つ目は、桐本月菜(久保史緒里さん)が薦め、イ・ジェホン(ファン・チャンソンさん)の人生を変えたという「まいにちがプレゼント」(いもとようこ さん 作・絵)です。
この「空をしらないモジャ」と「まいにちがプレゼント」の2種類の絵本をそれぞれ読んで、桐本月菜もイ・ジェホンも、2人とも評価、あるいは感銘を受けています。
ところが、「空をしらないモジャ」は変われない(飛ぶことが出来ない)モジャのお話であり、一方で「まいにちがプレゼント」は変わることが出来る(と励ます)お話であると、それぞれ実は扱われている題材で真逆の内容の絵本だと思われるのです。
もちろん、変わることが出来ないことと、変わりたいと願うことは両立するので、(話の根幹が真逆と思える)「空をしらないモジャ」と「まいにちがプレゼント」の、どちらも一般の読者が感銘を受けるのは全然あり得ると思われます。
しかし作者の側や、それを根底から愛する話になると、究極的には両立は困難だと思われるのです。
仮に、水島良城が、強迫性障害での潔癖症から変わることが出来ないと苦しんでいる時に、”変わることが出来る”と訴える「まいにちがプレゼント」を読んで、根底で受け入れる事は不可能だっただろうと思われます。
すると次に、(「空をしらないモジャ」と「まいにちがプレゼント」を同時に評価していた)桐本月菜は、なぜ水島良城を好きになり愛していたのだろうとの疑問が湧いて来ます。
もし、桐本月菜も(水島良城の強迫性障害での潔癖症のように)変われない何かを抱えていたのであれば、水島良城の描いた「空をしらないモジャ」に共感し、共感的に水島良城を愛して行くことになるのは自然だと思われます。
しかしながら、桐本月菜の、変われない何かは映画の中で、明確には描かれないままなのです。
すると、(変わることが出来る(と励ます)お話である「まいにちがプレゼント」をイ・ジェホンに薦めることが出来る)”変わることが出来る”桐本月菜ならば、(ひどい表現をすれば)かわいそうと【同情的に】水島良城を好きになっていたのではないか?との疑念が、この映画では払しょくされないままなのです。
一方で、水島良城の方にも個人的には疑問がありました。
水島良城の描く「空をしらないモジャ」には、自分とは違い羽の生えているヒナを助ける場面があります。
この場面は、自分とは違う存在の他者を認識した上で、それでもちゃんと救う感銘があったと思われます。
ところで、水島良城が、桐本月菜と一緒に食べる為に(といってもそれぞれの鍋での)鍋を用意をする場面があります。
水島良城はこの時、自身の潔癖症から、ネギやゴボウを(私の見間違いでなければ)洗剤を使って何度も洗っています。
そして、(こちらも見間違いでなければ)桐本月菜が食べるネギやゴボウも洗剤を使って何度も洗っていたと見えたのです。
もちろん現在の洗剤は、通常の使用の仕方で直ちに人体に影響を及ぼすほど毒性は高くないのかもしれませんが、食品に洗剤を使うのはやはり問題に思われます。
(というより今作は問題だと観客に思わせるような描写だった)
それを、(強迫性障害での潔癖症でない)桐本月菜が食べる野菜まで洗剤を使うのは、自分とは違う他者への思いやり配慮が希薄化している、絵本のモジャが自分とは違うヒナを他者として尊厳を持って接した姿勢とは真逆で違っていると、残念ながら思われました。
この、水島良城が、自分とは(強迫性障害の点で)違う桐本月菜へ思いやりの希薄さの鈍感さは、自分と同じ強迫性障害での潔癖症の村山千春(穂志もえかさん)を、桐本月菜と暮らしている部屋に桐本月菜に無断で招待するところで頂点に達していたように思われました。
強迫性障害での潔癖症の苦しさと、それとは違う相手への思いやりは(飛べない変われないモジャが、自分とは違うヒナと接したやり方のように)両立可能だったはずです。
一方で、桐本月菜のことを愛していると繰り返し言うイ・ジェホンにも違和感がありました。
映画の最終盤になってようやく、イ・ジェホンが桐本月菜のことを愛している理由が判明するのですが、それが理由ならイ・ジェホンは桐本月菜に対してこの映画のような振る舞いを初めからしますか?との疑問がありました。
つまり、イ・ジェホンの桐本月菜に対する言動は、映画を劇的にするために都合良く描かれていたように不自然に見えたのです。
そして映画の終盤、水島良城が、桐本月菜と別れた後で、強迫性障害での潔癖症で愛する人にも触れられない自分たちは何なんだと、村山千春と互いに涙する場面があります。
しかし、桐本月菜と水島良城とが別れた後、月日が流れて、今は自分を変えることが出来てアフリカでボランティアをしている桐本月菜は、強迫性障害を克服した水島良城と再会し、ついに2人は互いに抱きしめ合うことが出来て映画は終了します。
もちろん、互いに変わることが出来てついに2人が触れ合うことが出来たラストシーンは感動的な面はありました。
しかし一方で、今も変わることが出来ない(かつての水島良城や、村山千春のような)強迫性障害の人に対して、そして羽が元々無いモジャに対して、この作品はどう着地させているのだろうと、残念ながら疑問も思わざるを得ませんでした。
強迫性障害の人達を、変わることが出来ない人達を、”自分たちは何なんだ”と涙をさせるように置いてきぼりにする着地にしてないだろうかと、残念ながらラストシーンを観て思われました。
私は僭越、この映画は、(病気に苦しむ人たちの孤独を描いているのではなく)それぞれの孤独を描くために病気を利用してはしまいか?との、疑義を感じてしまいました。
その点でこの映画は誠実だっただろうかと、僭越疑問に思われました。
よって、個人的には今作に対して評価が低くならざるを得ないと僭越、今回の点数となりました。
ただ、それぞれの俳優の皆さんの演技は、観るべき点も多いと思われ、特に桐本月菜を演じた久保史緒里さんの憂いに満ちた表情の演技は心に響く素晴らしさがあったと思われました。
錘
しんどい映画だった。
たぶん久保さんよりで映画を観ていたんだと思う。書き始めた今も「うん…」っていうタイトルにしようか迷ってる。
皆様、熱演だった。
特に主演2人は絶品だった。
後天性の潔癖症みたいな病故、ある時期から彼女に触れられなくなった彼氏。
その彼とずっと一緒にいる普通の感覚の彼女。
彼氏は自分以外の物を汚く感じていて、それには愛した彼女も含まれる。
自分が彼氏から汚いと思われている彼女の心理ってどんなもんなんだろうか…?病とはいえ、その境遇を毎日毎分、否定して生きていくのは相当な労力も精神力もいると思われる。彼の仕草一つに精神を擦り減らされるようにも思う。
沈痛な面持ちで彼氏を思いやる彼女を見ながら「思い出だけで愛は継続できるものなのだろうか?」と考える。
かつて、幸せだった時間。
この病が完治すれば、元に戻る時間。
一過性のものだ。もう少しの辛抱だ。
…そんな事を彼女はずっと唱えていたように思う。
まるで錘のようだと感じる。
どう考えても割に合わない。でも、一度抱え込んだソレを放すと、それまでの感情を自ら否定してしまうようにも思うのだろう。
その錘を抱え続ける事が証明にもなるかのようで「愛」ってなホントに厄介だ。
薬にも毒にも、麻薬にもなりやがる。
彼氏の気持ちもよく分かる。
自分じゃどうしようもない事ではあって、ソレに1番腹が立っているのは自分だ。
彼は言う「僕は精神病じゃない」…厄介なのは自己肯定感を失えば深みにハマっていく傾向があるって事で…明らかに異常だけど、それでも自分を諦めてしまえば沈んでいくだけなのだ。
そんな首の皮一枚でギリギリ生きている人間に思えた。
物語の中盤で、彼と同じような症状の女性が登場し、2人は共感し合う。
楽しそうに見える。
お互いが持つ悩みを分かち合える存在から得られるものは多々あるのだろう。
でも、お互いがお互いに触れられない。
このもどかしい指先に込められる想いたるや…それだけで自分を呪い殺しそうである。
この女優さんも、素朴でいい感じだったなぁ。
そんな2人を見つめる久保史緒里。
やるせないわなぁ…。
あんなに献身的に一生懸命耐えて、ずっと彼のそばにいるのに、あんな笑顔もあんなテンションも、自分に向けられるものじゃない。
彼を1番笑顔にしてあげたいのは自分なのに、自分には出来ない。彼の無神経さへの憤りもあるだろう。彼の治療にもなるって思っているとは思う。
でも許容できない。
だって、1番彼に触れたいのは自分なのだから。
そんな叫び声が聞こえてきそうな表情だった。
韓国人のイケメンの存在もワザありだった。
久保さんが揺れまくるのだ。
こっちは気が気じゃないのよ!
なんかチャラそうな男に引っかかっちまうのだろうかとヒヤヒヤする。絶妙に信用が置けない顔立ちなのだ、この男は。なのだが不慣れな日本語のせいで誠実な感じも受けてしまう。
そしてフと思う。
俺がこんなにハラハラしてるのは、画面上で久保さんが揺れまくって内面を余すとこなく表現しているからなんだ、と。
恐るべき久保史緒里…。
難しい役所だと思うけど、彼女の立ち姿も声のトーンも、切り替えも眼差しも完璧だったように思う。
アイドルが持つ儚さと線の細さが、ここまで際立つような役でもあったのだろう。
いつの間に、こんな情感を纏える役者さんになったんであろうか…感服した。
それを演出した内田監督も見事としか言いようがない。
タイトルの候補にした「うん…」だけど…。
時折、彼女は彼からの発言に「うん…」と頷く。
受け身にならざるを得ないのだ。
大学時代の彼女は、おそらく能動的で海外支援にも参加するような人だったのだろう。
そんな彼女の変化を思うと「錘」ってタイトルになったし、その変遷が「うん…」に集約されてるようで、ホントにやるせない。
土砂降りの雨の中、彼の方に傘を差している久保さんが痛々しくて…本来ならば女性が濡れないようにしてあげるのがベターだと思う。そんな普通の事もしてもらえない自分だし、それをしてあげられない彼だしなんて事を思うと、可哀想やら腹立たしいやらで訳わからん。彼女が彼に渡した傘には「もう守ってあげられない」って意味合いもあったんだと思う。
彼も頑張ったよ!
下水溝に手を突っ込んで靴を取り出してあげたんだから!でもそれ以上が出来ない自分では彼女を幸せにしてあげられないって確信してしまったんだよね。
こんな引き裂かれ方って…あんまりだよっ。
けど、今までの言動から彼女も病んでいたのだろうと思う。依存症というか、庇護欲というか…「一緒にいるだけで幸せなんだよ」とか「1人でどうしたらいいの?」」とかっていじらしい言葉の裏側には、そんな感情もあったんじゃなかろうかと思う。
…なんてしんどい関係性だろうか。
それから数年後、病から回復した彼と再会する。
コレがラストシークエンスなんだけど、彼女はまたしても受け身だ。
やっと抱きしめてもらえたのに、その表情はどこか暗い。最後の彼女の表情で、このレビューのタイトルが「錘」になった。
難解なラストではあるのだけれど、彼女はまた彼のために自分の時間を使う選択をしたようだった。
しんどい作品だったけど、構成の妙というか、ストリーディングの巧さというか…ずっと焦点がブレずにいた作品だったように思う。
何につけても久保史緒里さんが抜群だった。
久保さん、よかったです
久保史緒里さんと三山凌輝さんの演技が素晴らしかった
演技力が素晴らしかったからか久保史緒里さんが演じる月菜に感情移入しすぎてしまって、ずっと胸が締め付けられて苦しい映画でしたが、最後にその苦しさが安堵に変わって自然に涙が流れました。
主演の2人の演技は素晴らしかったのですが、絵本の内容やファン・チャンソンの役どころの設定、ラストの唐突な感じなどもう少し深くつめて制作してくれていたらもっと素晴らしい映画になったと思います。ただ、映画鑑賞中は役者の演技力がそのあたりの粗さをあまり気にさせずに中身に没頭させるくらいのものだったので、主演2人の演技力の高さから5つ星評価をつけさせていただきました。
映画を見て涙を流した経験はなかったので、見る価値はある映画だったと思います。
スマホで撮影した映画でも、題名だけは素晴らしい
映画.COMの評価が良く、文学テイストの作品を期待して、観たのだが。。。 とてもアレな作品でした。
第1シーンで、店員が座布団をハンカチと言う 謎のミスがあった段階で、嫌な予感がしたが、それを覆す事はなく、始終テキトーマインドな映画作りには、脱帽でした。
特にアレなのは、撮影・照明。
街灯や月明かりとは関係ない方向に、影をだしてしまったり、照明の非存在感はハンパない。
撮影では、顔の表情が観たい重要なシーンなのに"逆光撮影"だったり、三脚を使わず、ブレたパンを行ったり、演出ではない手振れが有ったりピントの深度も理解できていないありさま <💩撮影賞>
編集でも、カットが繋げず、無理な絵を強引に入れたり。。。
撮影の多くは、午前中ぽい日差しばかりで、単調
更には、映画自体の時間間隔があいまいなので、
シーン・カットの繋ぎ間が、数十分なのか、数時間なのか、数日なのかもファジーに流されてしまっており、背景・空の明るさが輪をかけて混乱を誘発させました。
本作は原作がある作品とは思えない アレなシナリオ構成でした。
ご都合主義的な展開は、非常に稚拙なもので、並みの高校生でもこのレベルのシナリオは描けないでしょう。〈💩シナリオ賞〉
まさに お金がかかった"自主製作映画"でした。
また、舞台が西鎌倉である必然性もなく、鎌倉を表現するカットもない。
声や音も同時録音であったり、アフレコだったり。。。
この映画を観たら、先日観たばかりの「366日」と見比べて、どっちがアレなのか 比べたくなりました。
美しく哀しい
美しく哀しい
青く澄み切った空、流れる雲、夕日、海岸、雨の音
主題歌、そして久保史緒里。
主人公は強迫性障害・潔癖症だったけど、その他の病気や障害、例えば耳や目が不自由、歩けない、介護が必要な人たちでも、つきちゃんのように我慢しながら支えるしかない人、よしきのようにいってらっしゃいしか言えない人たちってたくさんいると思う。
寄り添ってくれる人、空を一緒に飛べる人がいるのはしあわせなこと。
一緒に空は飛べなかったけれど、どうやって克服したのかは分からなかったけれど、ラブストーリーのラストはこれがいい。
穂志もえか。出てきた時に「おぉ、ハリウッド女優がゲスト出演してくれている」て思った自分はなんと小市民。
登場人物全員空気読めない。
お互いが「運命の人」かどうかを確かめるために、別れてみるというのもアリかもしれない
客が忘れたスマホにかかってきた電話に出た挙げ句に、自分が誰かを名乗らなかったり、持ち主にスマホを返す時に、自分が電話に出てしまったことを告げなかったりと、ヒロインの非常識さに、まず、違和感を感じてしまう。
自分で勧めた合同カウンセリングに参加した彼が、同じ症状を抱える女性と親しげに話をしているのを見ただけで、2人に対して敵意をむき出しにするヒロインの態度も、いかがなものかと思ってしまう。彼の病気の回復よりも、自分の嫉妬の方を優先させるかのような彼女の心が、余りにも偏狭に感じられてしまうのである。
しかも、ヒロインが、「触れたくても触れられないことを、こんなに我慢しているのに」と彼を責めるのは、完全にNGだろう。そこには、どこか、「病気の人間に、無理して付き合ってやっている」といった「上からの目線」が感じられて、彼女が、本当に彼のことを愛しているのかが疑問に思えてしまう。
彼と同じ病気の女性が、自分の留守中に部屋に上がり込んでいたことに、彼女が怒りを爆発させ、彼女が他の男に抱きしめられているところを、彼が目撃したところで、2人は別れを決意するのだが、観ているこっちも「それがいい」と思ってしまう。彼の病気が治らない限りは、2人が一緒にいても、お互いに辛い思いをするだけだろうし、それで、2人が幸せになれるとは、とても思えない。
本来であれば、若い2人が、障害を乗り越えて結ばれることを願うような映画なのだろうが、2人の恋愛を、まったく応援することができないどころか、逆に「別れた方がいい」と思えてしまうところは、ラブストーリーとして、致命的だと言わざるを得ないだろう。
その一方で、その「数年後」を描いたエンディングには、素直に納得することができた。
お互いに別れたことによって、彼女は、彼から解放されて、自分が本当にやりたいことをできるようになり、彼は、彼女に遠慮せずに、同じ境遇の女性とともに、病気を克服することができたのだろう。
彼については、お互いの境遇を理解し、共感し合うことと、それが恋愛に発展することとは別問題であるということも、さりげなく示されていて好感が持てる。
そして、自分が本当に愛しているは誰なのかが分かり、障害を乗り越えて結ばれることになる2人を、ここで、初めて祝福したい気持ちになるのである。
やみくもにヒロインを口説いてきて、「あなたは、僕が愛した唯一の女性です」みたいなことを平気で言う、軽薄で、信用の置けなかった韓国人男性にしても、そうした言動の理由が明らかになって、何となく同情してしまった。
ただし、ヒロインが、そこのところのやり取りを完全に忘れてしまっているのは、店員としても、人間としても、少し問題があるように思えるのだが・・・。
良かったけれど「観たかったのはそこじゃない。」 描かれていない二人で協力して特別な関係を築く過程が無いから、他人にはわからない二人の特別な絆に説得力が無い。
評価の高さに、また、「ミッドナイトスワン」の監督と知って、不安を抱きながら鑑賞。
良かったのですが、「観たかったのはそこじゃない。」
健常者と障がい者の二人が(この表現は嫌ですが他に浮かばなかった)、互いを愛するが故に数々の苦難を乗り越えて同居して、他人にはわからない絆を結んでいくところが観たかった。
他人にはわからない、二人だけの日常の幸せを共有したかった。
本作では、告白してOK、いきなり現在の倦怠期になってしまう。
それを抜きにしては、まさに突然現れた赤の他人のイケメン外国人に、良城と二人で築いてきた生活のすべてを、一般論の世間の価値観だけでことごとく否定された月菜の気持ちは表現できない。
自分が好きになった相手と共に過ごした大切な時間を全く尊重せずに、その相手がいる前で否定するような男に素直についていくわけがない。
「ミッドナイトスワン」でいったら、あの二人が生活を始めて大切な関係を築く過程を描いていないようなもの。
新たな恋敵がイケメンで外国人でしかも海外に一緒に行かないかと誘うという、一昔前のトレンディドラマかというベタすぎる展開には引いた。
あまりにおとぎ話すぎる。
多分、そこに要点を置かず、ラブストーリーだけ欲しかったのだろうけれど、単なる背景の一部として障がいが使われているように見えてしまう。
だったら障害を描かず別の話にすればいい。
内田英治監督にしては普通……でもないかw
重度の潔癖症でデビュー作以来、2作目を描けなくなった絵本作家と絵本専門の書店員の二人のラブストーリー、ということではあるんでしょうね。
ただし、二人とも相手に対する気遣いが欠けていて同時期公開のヒット作を少し思い出してしまいましたが、気遣いの出来なさっぷりはこっちの方が上ですかね。
個人的には、ヒロインを誘惑してくる韓国人男性に嫌悪感がほとんどなかったため、鑑賞中はずっとヒロインはとっとと彼を選んで新しい世界に出ていくべきと思ってました。
ラストに関しては、なんか急にいい話に落ち着いたんですが、ヒロインが昔から願っていた夢を掴みかけてたはずなのに、その終わり方でいいんですかね? と思うことしきり。
途中まではちょっと特殊なラブストーリー的な展開だったので、内田英治監督のこれまでの作品群ような超強引な展開は本作にはないな、と思っていたら最後の最後にやられました。
これだからラブストは堪らん❣️
落ち着いた雰囲気の映画
騒々しい映画になりそうな展開なんだけど、終始落ち着いた感じで、雰囲気の良い映画でした。
特に凄いと思ったのが、ファン・チャンソンさんが演じたジェホンなの。
もし、ラブコメだったならチャラい陽キャになりそうな役どころなんだけど、この映画の落ち着いた雰囲気を壊さずかっこいいんですよね。
そして、ラストの種明かしで、前の彼女を好きになれず月菜を追い掛けた理由も明かされて、誠実な印象も受けるんです。
もっと早く種明かしをされていたら、ジェホンをもっと応援したくなっていたかも。
それから、この映画は月菜の成長物語なのかなって印象も受けたの。
なぜならば、良城が乗り越えた過程がいまいち分からなかったから。
なので、二人で乗り越えて迎えたハッピーエンドって印象を受けなかったんですよね。
結果として、二人との恋愛というより、二人から影響受けた月菜の成長を観た感じかな。
もっとも、恋愛映画と成長物語の線引きなんて無いし、恋愛は成長に欠かせないものなのですが。
(と、言いつつこの映画を恋愛映画として語りますが)
このところ三本立て続けに恋愛映画を観たんだけど、相手の事を思うほどすれ違って、わりと自分を出せてた『大きな玉ねぎの下で』の二人が、結果としてぶつかってもすれ違いが少なく感じたのは、そんなもんなんだろうなと思う。
恋愛映画で恋愛を語るなって言われそうですが。
強迫性障害
俳優陣の演技力か素晴らしい
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