劇場公開日 2025年8月8日

「見て聞いて確認が取れている内容をもとに誠実に客観的に淡々と描く ある家族の肖像とブラジル軍事政権の闇」アイム・スティル・ヒア Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 見て聞いて確認が取れている内容をもとに誠実に客観的に淡々と描く ある家族の肖像とブラジル軍事政権の闇

2025年8月13日
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鑑賞方法:映画館

物語は1970年12月のブラジル•リオデジャネイロの浜辺から始まります(南半球なので12月は夏なんですね)。浜辺でビーチバレーやサッカーに興じている若者たちの様子等のシーンを通して、この作品で描かれることになる家族のメンバーが紹介されてゆきます。

ビーチから道路を隔てて徒歩1-2分といったところに住んでいるパイヴァ家。両親と上から女、女、女、男、女の5人きょうだい、お手伝いさん ひとり、映画冒頭で飼い始めることになる犬1匹。お父さんは土木建築関係のコンサルティングみたいな仕事をしています。序盤はブラジルの子だくさんの裕福な家庭を描くホームドラマみたいな感じで進んでゆきます。長女がロンドンに留学することになり、送別パーティーをしたり、とか。ここらあたりは’70年代始め頃のテイスト満載です。やはり、音楽とか映画とかのサブカルチャーというのは世界の共通言語なんですね。その頃、中学生だったはずの私は、自分がここの家の次女と三女の間ぐらいの年齢なんだろなとあたりをつけました。

でも、幸せな日々は、以前国会議員をしていたという父親がある日突然 数人の正体不明の男たちに連れ去られたことにより、終わることになります。この出来事の影には当時のブラジルの軍事政権がいるみたいで、彼の妻であり、5人の子の母であるエウニセ(演: フェルナンダ•トーレス)も次女とともにしばらくの間、拘束され、当局からの尋問を受けます。で、ここからはほぼ、このエウニセの視点でこの映画は進んでゆきます。

この作品はパイヴァ家の男の子マルセロが長じてから母親のエウニセに取材して著したノンフィクションもとに作られたようで、ウォルター•サレス監督は少年時代、パイヴァ家に出入りしていたみたいです。ちなみにサレス監督は私と同い年なので先述の私の推測が正しければ次女と三女の間ぐらいの年齢でノンフィクションの著者マルセロより3-4歳年長だと思います。この作品の ‘70年代初頭のサブカルチャーの描き方に私が郷愁を感じたのは監督と同い年だからかもしれません。長女がロンドン留学して最初に買ったレコードがT•レックスのものだったり(グラム•ロック! ヴォーカル兼ギタリストのマーク•ボランは事故で早逝したはず)、長女が「ビートルズ」ではなく「ジョン・レノン」にいつも言及しているとかは、その時代っぽいかな。

何はともあれ、ノンフィクション由来で自分も知っている家庭ということで、サレス監督はこの家族の日常を見て聞いて確認が取れている内容をもとに誠実に客観的に淡々と描きます。これがエウニセ役のフェルナンダ•トーレスの好演(お見事!)と相まってとても効果的でした。エンドロールに出てくる実際の家族の写真も本当によくて、この作品を実話をもとにした ある家族に訪れた悲劇以上のものにしています。

この映画はブラジルで大ヒットしたそうですが、たぶんブラジル人にしかわからないような内容を多く含んでいるのではないかと推測できます。映画内のポルトガル語で歌われている ’70年前後のヒット曲は、彼らにとっては、ああ、あれか、みたいな感じになるのでしょうね(日本人がピンキーとキラーズの『恋の季節』が映画内で流れているのを聞いたときみたいな。例えが古くて申し訳ありませんが)。もう一つは政治的な意味です。ブラジルでは2018年の大統領選挙で軍人出身のジャイール•ボルソナーロ氏が当選し、「ブラジルのトランプ」と呼ばれた氏の政権が誕生します。2022年の大統領選挙で彼は敗れますが、選挙の無効を主張し、彼の支持者が議事堂に侵入したりします(その2年前に起きた話に酷似していて、当時ニュースを見た私は不謹慎ながら笑ってしまったのですが)。で、ボルソナーロさん、軍を動かしてクーデターを画策したみたいなのですが、軍は動かなかったそうです。まあ、やれやれといった感じです。軍事政権の何が怖いかって、自国の国民の中に彼らにとっての「非国民」を見つけてそれを排除しようとするんですよね。ということで、この映画には50年ちょっと前にこんなことがありましたという警鐘の意味があったのかもしれません。

《おまけ》
映画内の音楽がなかなかご機嫌なナンバー揃いだったので、Spotify で『アイム•スティル•ヒア』のプレイリストを探し出して何度も聴いています。その中に “Fora Da Ordem” という曲があります。ブラジルの国民的シンガーソングライター カエターノ•ヴェローゾの曲でポルトガル語で歌われています(と思います)。この曲の後半に女性ヴォーカルがフィーチャーされているのですが、そこで日本語で「新世界の無秩序」と歌われているように聞こえてちょっとビックリ!! さらに聴くと、英語で “It is like something has gone out of order” みたいに聞こえる箇所もありますが、小生、英語のリスニングにそれほど自信がありませんので、まあ、たぶん “out of order” とは歌っているだろうな、あたりにとどめておます。「無秩序」と “out of order” ということで、これ、ポルトガル語の歌に外国語を忍ばせて、軍事政権を批判しているのかもと思いますし、別の外国語も忍ばせてあるかもしれません。検索したら、カエターノ•ヴェローゾは当時、政府批判で国外追放されてロンドンにいた、とありました。誰か詳しい方、ポルトガル語等の外国語に堪能な方等、曲を聴いてコメント下されば幸いです。

Freddie3v
Mさんのコメント
2025年8月30日

解説ありがとうございました。抑制された演出がとてもよかったです。
監督がその家族を実際に知っていたというのはとても大きいのでしょうね。
個人的にはその後のことは描かず、エンドロールの実際の写真とともに、簡単な文字でのエピローグくらいの方が好きでした。

M
talismanさんのコメント
2025年8月17日

音楽に疎いので「おまけ」が参考になり楽しく読みました。ありがとうございます!この映画とても好きです

talisman