「奪われてはじめてわかる人権の尊さ」アイム・スティル・ヒア レントさんの映画レビュー(感想・評価)
奪われてはじめてわかる人権の尊さ
一見、民主主義国で憲法により人権が保障されている自由な国、今の日本で暮らしていて自分の人権が保障されていると日々実感しながら暮らしてる人は少ないと思う。
大半の人が自分の生きたいように生きることができる、自分の意思が権力により抑圧されてると感じてる人間は比較的少ないのではないか。
でもマイノリティの人々となると話は変わってくる。例えばLGBTの人々などは生きていくうえで様々な不自由を感じているだろう。
人は自分の人権が侵害されて初めて人権がいかに尊いかがわかる。たいていはマイノリティの人権が侵害されるため、人権侵害は他人事のようで社会ではなかなか問題視されにくい。
民主国家でない独裁国家でも国家に従っていれば安泰な生活を送れる。しかしそんな国家に逆らえば途端に人権は蹂躙され幸せな暮らしは奪われてしまう。
ブラジルの軍事独裁政権下、韓国の朴正煕軍事独裁政権下にも似た開発独裁の下で飛躍的な経済発展を遂げてブラジル国民の生活は潤った。
そんな経済発展に酔いしれる国民の中で民主主義を否定する軍事独裁政権に立ち向かう人々もいた。
これはかつてブラジルでリベラル派の政治家として活動していた人間とその家族の物語。
彼は軍事独裁政権に逆らう活動家を支援していたがために秘密警察に連行され帰らぬ人となる。そして事情を知らなかったその妻も長きにわたり拘留される。彼女は自分の幸せな家族の生活が奪われ、夫を奪われたことから人権の尊さに目覚めて法科に進み弁護士となり独裁政権と戦う。
長きにわたる戦いの末に夫の死亡証明を取り付けることができた。行方知れずで生死不明の夫、少なくともこの故郷のどこかの地に眠っていることだけは明らかとなった。
このリオの海岸沿いのどこかに眠る夫の亡骸は末娘の抜けた乳歯のようにいずれその在りかがわかるだろう。
夫を奪われたことから、幸せな家庭を破壊されたことから人生をかけて残された家族を守り国家権力と戦った主人公の女性の物語は現代にも通ずる物語だ。
本作の企画を監督が進めていたのがまさにブラジルのトランプとの異名を持つボルソナロ大統領就任の時期であり、彼はかつての軍事独裁政権を賛辞していた。
民主主義で自由の国であるはずのアメリカが独裁者トランプにより独裁国家に陥る危機になるのと同様、このブラジルもかつての独裁国家に成り下がると懸念しての本作の公開となった。
欧州でもいま極右政党の台頭により民主主義の後退が懸念される事態に。この日本もまた例外ではなく先の参院選では人権を否定する極右政党が躍進した。
日本もかつては百年前に制定された治安維持法の下での軍事独裁政権により多くの国民が拷問されて殺された。その被害者たちにはいまだ何ら補償もされておらず加害者が処罰されていないのもこのブラジルの独裁政権下の状況と同じである。
本作が世界的評価を得たのは、いま世界中で同様のことが起きようとしていることへの不安から、かつての過ちを振り返る必要性に迫られてのことであろう。
日本のかつての悪法、治安維持法を賛辞したカルト政党が今回の選挙で躍進した事実。まさに再び我々の人権が脅かされる事態に陥るかもしれない。
普通に人権を享受できていることが当たり前であると思えない時代が再び到来するかもしれない。
今現在平和と思われる生活が所詮かりそめのものであり、何かのきっかけで民主主義から独裁国家へとカードが裏返るようにたやすく転覆する危うさを感じる。そうでなくとも民主主義のこの国では信じられないような冤罪事件で人権が蹂躙される事態も起きている。
だからこそどんな時代であろうともつねに権力に対して訴えねばならない、「私はここにいる」と。けして権力の横暴により我々の人権がなきものにされてはならない。
