クィア QUEERのレビュー・感想・評価
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なんじゃこりゃ?
ダニエル・クレイグ演じる初老のゲイのおじさんが、若いお兄さんをナンパして、そこから色々な問題が起こるシリアスな話かと思いきや、途中からどんどん変な方向に進みだして、最後は「なんじゃこりゃ?」という展開に。
実はおじさんはゲイだけでなく、かなり重度なジャンキーで、最後の方はジャンキーの頭の中を見せられているような前衛的な映画に変わっていました。
しかしながら、ダニエル・クレイグはなんでこの映画に出たのだろう?ある意味黒歴史になりかねない映画かもしれないのに。
とはいえダニエル・クレイグ、007の面影など微塵も感じさせない、若い子大好きな草臥れたゲイのおじさんになり切っていたのは、さすがだと思いました。
みっともないほど君に触れたい
バロウズの原作『クィア』(旧邦題『おかま』)の映画化といいつつ、『...
バロウズの原作『クィア』(旧邦題『おかま』)の映画化といいつつ、『ジャンキー』や『麻薬書簡』も折り込んできて三部構成の第3章はトリップシーンとか楽しかったけど、同じルカ・グァダニーノの『君の名前で僕を呼んで』みたいなのを期待していった人は面食らうかもらしれません(日本だけか知りませんがビジュアルイメージとかそれっぽいですしね)。最後"William.S.Burroughs' Queer"て大きくタイトルが出たので邦題も『バロウズのおかま』とかにしてバロウズを強調しとけばよかったのでは(今の御時世許されるとは思いませんが)。
エピローグが感傷的過ぎないかというのと、正直南米旅行が始まるまでは退屈かもという感もありますが、バロウズに青春を捧げた者としては点数は甘くなります。
デカダン満載の白昼夢
「007」シリーズのジェームズ・ボンドがハマり役だったダニエル・クレイグが、クィア役で登場する異色作でした。原作は1950年代のアメリカ文学界において異彩を放ったビートニク文学の代表格であるウィリアム・バロウズの同名小説。同小説は、バロウズの自叙伝的小説とのことで、本作の前半はバロウズが実際に過ごしたメキシコシティを舞台に、主人公・リーの放蕩というか異常な好色を描く展開となり、後半は南米に未知の植物・ヤヘを探しに行く冒険物語となっていました。
とにかく衝撃的だったのは、あの”ジェームズ・ボンド”が男色とドラッグに溺れる様。別に男色だろうと女色だろうと構わないのだけど、昼間からバーに出掛けて好みの男子を物色し、直ぐにベッドインしようとするリーの行動には、唖然とせざるを得ませんでした。
そんな衝撃はさて置いて、各種調査によると、地域により差はあるようですが、概ね全人口の1割くらいがLGBTQ+なんだそうです。昨今LGBTQ+の人達の人権にスポットが当てられ、それをテーマにした映画も陸続と創られていますが、本作の原作は70年も前の話であり、実は普遍的なテーマでもあるんだということを再認識させられました。
また、本作の描き方から察するに、1950年代のメキシコシティというのは、恐らくはアメリカのあぶれ者や放蕩者が押しかけて、好き放題やってたんだろうと想像されるところが非常に興味深いところでした。
話を本作に戻すと、運命の人ユージーン(ドリュー・スターキー)に出会うリー。彼はいつも年上の女性とチェスをしており、一見クィアではないようでいて、リーの色目に呼応したりもする。で、そういう関係になる2人でしたが、ここで気付いたのがリーの好色の動機らしきもの。それはユージーンの見た目がスラっとしている2枚目であり、恐らくは若い頃のリーの姿にソックリだったのではないかと想像できることから、リーの好色は実は自己愛の発露だったんじゃないかということです。物語が後半になり、ドラッグにもハマっていることが判明したリーですが、これなども自己愛から来る自己防衛のためにクスリから離れられなくなったんじゃないかと解釈した次第ですが、勿論本当かどうかは定かではありません。
テレパシーの能力が手に入れられるという植物・ヤヘを、エクアドルのジャングルまで探しに行くというのも、自分と他人の壁を乗り越えることで、他人から攻撃されないことを目指したんじゃないかと思ったところです。ただヤヘ自体は、他人との壁を乗り越えるのではなく、自分の真の姿を鏡に映す効果があるものだったので、リーの夢は実現せず、同一化しようとしたユージーンも自ら抹殺してしまうことになるのは皮肉でした。
因みにバロウズ本人も、メキシコシティで誤って”女性”の妻(変な言葉やな)を射殺してしまったそうで、ユージーンを射殺するシーンはまさにこの体験を写したもののようですね。
以上、好色にドラッグにとデカダン満載の白昼夢のような作品でしたが、ダニエル・クレイグの全力の演技は観るべきものがありました。
そんな訳で、本作の評価は★3.6とします。
永遠の孤独を抱えつつも、その先にある連帯を求める
ウィリアム・S・バロウズ
ダニクレが出てる、原作がビート作家のバロウズである、舞台が50年代のメキシコである、ニルヴァーナが使われてる、以上の理由から観ました。
ホント同性愛の映画が増えましたね…ホント多くなった…
この映画に関しては、バロウズの自伝的小説の映画化で、バロウズが同性愛者だったからだけど、男同士のラブストーリーは、やはり苦手だな…
ダニクレといえば、ジェームズ・ボンド!
007は全て観たけど1番好きな作品は『ノー・タイム・トゥ・ダイ』
最高のボンドだと思ってます。
そんな自分にとってはゲイ役はショック…ボカシが入るようなラブシーンもあるし…
途中で純粋なラブストーリーから展開が変わるけど、ダレてきて時間が長く感じ眠くなってきて、はよ終わらんかな…と惰性鑑賞。
良かったトコは、50年代のメキシコが凄く洒落ててビートニクと聞いて思い浮かべるイメージどおりの町並みだった。
あと、まあ、最後も良かったのかな…
それはそうと、このタイトルを知って真っ先に思い浮かべたのは、パンクバンドQUEERS。
QUEERSのSが1つ足りないだけ、QUEER。
QUEERには、不思議な、風変わりな、奇妙な、の意味もあるらしいから、バンドの方はコッチの意味だと思う。
パンク好きは、みんな思い浮かべたよね?
バンドの方は好きだけど、映画の方は好きじゃないな…(笑)
起承転結がつかめない
ビートニクスの旗手ウイリアム・バロウズの自叙伝小説
前日にウィリアム・バロウズのドキュメンタリー映画「バロウズ」を観たばかりなので、多少のバロウズリテラシーをもって鑑賞に臨めた。
まず最初に主演のダニエル・クレイグとバロウズのイメージが真逆すぎて驚かされる。
バロウズは見るからに知的でガリガリの米国紳士で、狼狽えたり興奮したりせず、常におっとりしたタイプ。
まあ自叙伝と言えど脚色を交えた小説なので全く同じである必要はないが、自分のイメージではキリアン・マーフィかエドワード・ノートンだった。
監督は10代からこの小説の大ファンで映画化をずっと望んでいたというルカ・グァダニーノで、満を持しての映画化だが「チャレンジャー」に引き続き男同士のねちゃねちゃしたディープキスを撮るのが大好きのよう。
クレイグが少女のように恋してはしゃぐ中年オヤジを嬉々として演じているが、なるほど確かにユージーン役のドリュー・スターキーは超美青年で均整の取れた身体も国宝級に美しい。(実際はメキシコ人だったみたいですが)
クレイグのツンデレに振り回される中年おじさんぶりが滑稽で面白い。
後半の南米旅行はまさにトリップ目的w
後先考えず快楽を求め続ける姿勢がまさにビートジェネレーションの象徴的行動。
脳内の映像もぐにゃぐにゃしてたり、身体から何か出てきたり、色鮮やかな爬虫類などバリエーション豊か。
ウイリアムテルごっこで奥さんを射殺したという有名な逸話もユージーンに置き換え映像化。
やっぱどうしても「ベニスに死す」を思い出してしまうが、あれほど惨めじゃなく次に進めそうな感じを残していたので少し救われる。
精神のレイヤーで繋がることの困難さ
1950年代のメキシコシティ、酒とドラッグで退屈な日々を過ごしていたアメリカ人駐在員リーは、若く美しい青年ユージーンと出会う。退屈だったリーの日常は色めき立ち、より刺激を求めユージーンを南米への旅へと誘いだす。原作は「裸のランチ」のウィリアム・S・バロウズ、数奇に満ちた彼の自伝的小説「クィア」の映画化。
特筆すべきは、小さい穴の開いたシャツを着た若き美青年ユージーン役ドリュー・スターキー。若き日のガイ・ピアーズを彷彿させる男前で、今後彼の時代の到来を予見させた。
スタイリッシュで幻想的な世界観、各シーン各アイテムの隠語・隠喩は明確、オープニングから本作の方向性と結末予測はしやすい。
全編に漂うのは、圧倒的な孤独感。刹那的な高揚観は孤独の裏返し。まるで呪いが掛かっているかのように、愛する人へ気持ちを伝えることや精神のレイヤーで繋がることの困難さが随所に伝わり、リーの複雑さは観る者に嘆息をつかせる。
本作はテーマで観る者を選ぶかもですが、わりとわかりやすく飽きずに鑑賞出来ました。
鑑賞後有料パンフを買ってしまいましたが、これを機に原作も読んでみようと思った作品です。
前半と後半でややテーマが異なる点が気になるか
今年122本目(合計1,663本目/今月(2025年5月度)7本目)。
※ 時間調整のため「歌のプリンスさま」を見てからになりますが、憲法論的な解釈が存在しない映画は観てもレビュー対象外です。
他の方も書かれていますが、前半後半と内容が大きく違い(映画としては1作品なので、前半でも後半の話題は出るし、逆も同じ)、前半は映画のタイトル通り、いわゆるLGBTQのQの話ですが、後半はいわゆる違法薬物の話で、前半はまだしも後半は日本ではなじみがほとんどない上に、その摂取を前提として「よくわからない展開」が続くので、そこ、特に後半の理解がかなり難しいのでは(フランス映画のように考えさせる映画に近いといえば近いが、日本では当然違法薬物の所持や使用は禁止なので、追体験も「予習」もしようがない)といったところです。前半のLGBTQの「Q」の部分もモザイクがあったりなかったりと本国(原作)の基準は謎ですが、一応レーティング相当で、そこまで気になるところはありませんでした。
他のレビューでも触れられている通り、本作品は作家のウィリアム・S・バロウズや、その小説(の映画化が、本作品)、特にウィリアム・S・バロウズのことを知らないと詰む部分が多々あり、そこが判断が分かれるかなといったところです。
ただ、人を不愉快にするような発言はほぼないですし、多少社会的にどうかと思われる部分はありますが、レーティング相当ではあるし、不愉快にさせるようなシーンがないというのは減点対象においてファクターをしめますがそれがほぼないこと、また、前半のLGBTQの「Qの部分」の問題提起も理解しなくもない(日本ではそういった作品はどうしてもミニシアター等に回りやすい)ことも考えてフルスコアにしました。
ただ、映画館に「娯楽」を求めていく立場ならちょっとどうかな、といったところです。
ただ君が好きで
ウィリアム・バロウズについて予習必須
中年おじさんと美青年の切ない恋物語…ではなかったです。
「君の名前で僕を呼んで」のようなピュアな物語を期待していくと200%裏切られます。
チラシに騙された!と思って鑑賞後によく見たら、ウィリアム・バロウズの自伝的小説を映画化とあり、そこを完全に読み飛ばしていました。
バロウズについては後述しますが、ここを読んでバロウズって誰?と思った方は名前だけでもググッてから観たほうがよいかと思います。
作品の理解度に大いに関わってくるので。
(ここまで読んで欲しかったので公開していますが以下、ネタバレしています。)
序盤から主人公2人の物言わぬ会話と、暗示的な映像が続きます。
ダニエル・クレイグの役はみっともない中年男性だとはわかっていましたが、リーはメキシコで自堕落な生活を送っているという設定で、見た目も汚らしくてスクリーンを観ていてどんより。
ユージーンの美しさが救いでしたが、こちらはこちらで台詞がなさすぎて何を考えているのかわからない。
舞台が第二次大戦後のようなので、リーは恐らく戦争のトラウマからの薬物中毒なのかな?と推察しましたが、確信は持てず。(後で見当外れだとわかりました)
前半は頭の中に?マークが浮かびながらもなんとかついていきましたが、後半のダウナー系おくすりキメパートは完全に置いていかれました。
結局、純愛とはなんぞや…と頭が??マークでいっぱいのまま、劇場を後にしました。
原作者のバロウズは著作では「裸のランチ」が有名。(D.クローネンバーグが映画化していますが、グロ映画だった記憶)
ゲイ(またはバイ)でジャンキーで、自分の妻の頭にショットグラスを乗せて誤って射殺したという曰く付きの人物。
映画の中の数々の悪夢のような描写にやっと納得がいきました。
インテリ気取りの白人で薬物中毒者って、ほとんどクズ…にしか思えませんが、いちおうカリスマ的作家なんですよね。
映画を作る側、演じる側にしてみれば魅力があるのでしょう。
薬物中毒者の心象風景の映像化がメインで、クイア要素はおまけ、なので、そこを間違わないように。
俳優さんはセックスシーンを頑張っていましたが、モザイクありとなしの基準が謎でした。
グァダニーノ版「ベニスに死す」
映像と音楽がGOOD❗️美術セットがとにかく良くて、南米の街の店の前の二人の立ち姿はそのまま美しい絵。切り取って持ち帰りたいほどだった。何気なく繰り返される様々なアイテム:ベッドマットレス、しわくちゃのベッドリネン、CAMELの煙草、ライター、マッチ、灰皿、チェス、グラス、拳銃、靴、小瓶から直接飲むビール、眼鏡。二人の手と指、形が異なるそれぞれの爪、そして衣装。リーは前半はずっと白ベージュの麻スーツ、よれて汚れもついている。ユージーンはシャワーを浴びたばかりのような清潔と若さと美を纏っている。とりわけヘアスタイルとうなじの美しさに目を奪われる。リーだけでなく観客の心も掴んだ(と思う)。演じるドリュー・スターキー適役!情けないリー、ラストのリーを演じきったダニエル・クレイグ、もともと心理描写に長けていた演技力がさらに磨かれより高みへ。最高のキャスティングだった。
リーはジーンに一目惚れ(その瞬間のダニエルの表情といったら!)、思春期の少年のように彼の姿を目で追う。相手はつれない。こっちを向いてくれたと思ったらあっちへ行ってしまう。リーは妄想の中でジーンに触れる。
後半は二人で南米へ。リーの目的はエクアドルにあるという「ヤヘ」探し。リーはヤヘからテレパシーの力を得たい。そんな力があれば、いつもその場限りの関係の繰り返しも、相手がクィアかどうか悩むことも、自分がクィアであることの複雑な思いと孤独からも解放されるかも知れない。ヤヘは植物学のコッター博士(レスリー・マンビルだと全然分からなかった!彼女の演技の幅はとてつもなく広くて上手い!)によれば「鏡」。前半でリーとジーンが映画館で見るのがコクトーの「オルフェ」。ジャン・マレー演じるオルフェがまさに鏡の中へ手を入れるシーンが映った。(時代は1950年代、「オルフェ」は1950年公開の映画だから、当時の「今」の映画を二人は見ていたのか!と後で気がついた)
前半と後半では色合いがかなり異なる。メキシコシティが舞台の前半部には二人の出会いと駆け引きがあり、音楽・音響、光と影、ホテルの長い廊下、乾いている街の感じが好みだった。
老いた男の心と体をかき乱すユージーン、恋するリー、リーの最期はトーマス・マン原作、ヴィスコンティによる映画『ベニスに死す』を彷彿とさせた。
おまけ
「ベニスに死す」のアッシェンバッハ役のダーク・ボガードは当時51才前後。「クィア」のダニエル・クレイグは56才前後。恋に落ちたリー=ダニエルを「老いた」と上記に書いて少し気になってしまい調べた。二人ともイギリス人で二人とも3月生まれなんだ~と本筋とは関係ない道に迷い込んだ。
禁断のテレパシー
2025年上半期公開作で本作とトム・クルーズの新作が待ち遠しくてたまらなかった。
ルカ・グァダニーノ監督や原作ウィリアム・S・バロウズは嫌悪感しかないが、
ダニエル・グレイグが主演し、ウィリアム・S・バロウズを演じるというのが不思議でしかなかったのでその理由を確かめたかった。
なぜダニエル・グレイグは007の後、ゲイの役を続けるのか。
(僕は007ジェームス・ボンドはダニエル・グレイグが1番で、007は彼の作品しか認められないほどである。)
ダニエル・グレイグは素敵でダニエル・グレイグだけを見ていたかった。
ドリュー・スターキーもバランスよくダニエル・グレイグに完璧マッチしていた。
ルカ・グァダニーノ監督の映画を観ると映像や音楽のセンスはいいなとは思えるが、
また観たい、
とはならない。本作もしかり。
本作はゲイの老害や死に際を見ているようで、1番身につまされているのは監督自身なのではないだろうかと思った。
酒や薬で誤魔化すだけではなく、テレパシーでも交わりたいとは、ただの錯覚でしかなく、誤解かもしれない。
(僕が現実主義者なだけかもしれないが。)
息絶える時、背中を庇ってくれるのはテレパシーか夢か。
願望か。
背中に、その体温はあるのだろうか。
(違う違うと思いつつ工藤静香の『禁断のテレパシー』が止まらない。)
独特な世界観
第一章はクィアのダークなラブストーリー。
よくある同性の官能的な映画で面白かった。
若手の俳優が超絶イケメンでした。
憧れた。→ドリュースターキーていう名前か。覚えておこっと。
最初全裸がモザイクなしは驚いた。
メインの彼は全く映さなかったから、俳優で見せる見せないの忖度が出たのかな。
年配者と需要高い若手の恋愛は、若手が冷めた時の素っ気なさと年配者の求める様がなんとも惨めで哀れだった。
主人公の彼も同年代の中ではかなりイケてるだろうし、若い頃はモテただろうが、若手現役との恋愛となると完敗。ここまでよく頑張ったと思う。
そもそも男性同士のエロティック映画は好き嫌いが分かれるだろう。
第二章は不思議な世界観で最初は理解できたが途中から意味不明な薬物からの精神世界の話へ。
オカルトにもファンタジーにも取れる、会話もなく非現実的な映画だった。
好きな方にはハマる映画ならではの内容かと。
私は第一章が良かったから大満足です。
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