ブルータリストのレビュー・感想・評価
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ユダヤ人で、移民で、差別されて、無駄に長いという、いかにもアカデミー会員が好きそうな、小癪な映画だ!
3時間35分!途中に休憩が15分入るが、ケツが痛いったらありゃしない。俺は、109シネマズの会員なので、プレミアムシートは追加料金無しで鑑賞できるから( 宣伝です) 何とか、持ち堪えたが、普通の椅子なら耐えられなかったかもしれませぬ。危うくケツが四つに割れるとこだった。
ビルヌーブのブレードランナーをありがたがる層なら平気なのでしょうか。
アカデミー賞10部門ノミネートで、A24作品と聞いて見に行かない映画ファンはいない筈。
入場者特典として、主人公の制作した建築物を紹介した冊子を貰えるが、お察しの通り、この建築家は存在しない人物だ。日本限定の特典かもしれないが、A24は手間をかけすぎ。どうかしていると思う。嫌いじゃないけど。
主人公の建築家に、博多にわかせんぺい顔のエイドリアン・ブロディ。劇中で、いつピアノを弾くんだ?と楽しみにしていたが、今回はピアノは弾かない。
でー、ユダヤ人だから差別されるワケだ?大金持ちの我儘に振り回されてね?この嫌味な金持ちにガイ・ピアーズ。演技力があるから、チョー、ムカつきます。
金持ちが、指示して作っていた教会の建設途中で、資材を運ぶ列車が、固縛を適当にしたせいで、
↑ 固縛って、聞き慣れない言葉かもしれないけど、重量物を積む時に、落ちないように、しっかりと固定する作業の事です。俺は川崎から撤退してしまった川崎JFEで重量物の積みつけをしていたけど、荷を固定するには資格を取らないといけないのです。それでも、事故は起きてしまうんだけどね。
荷が落下して、重大事故となり工事がストップして、建築家はあっさりクビになる。まぁ、それで終わったら、お話しにならないので、何やかんやあって、教会は完成する。
ところが、ぎっちょん。同居している姪っ子がイスラエルに入植するから、にわかせんぺい叔父さんも来て!と説得される。ほらな?こういうエピソードを入れたら、ユダヤ人が多いアカデミー会員は喜ぶワケだ。
でだ?この長い物語にもようやく終わりが来て、字幕が流れるのだが、
エピソード1と表示されて、
↑ うろ覚えだが
げ!これって、エピソードが三つくらいあるのか?もう、俺の膀胱のLIFEはゼロよ?
と、泣きそうになったが、エピソード1だけで終わってくれて安心しました。
EDロールが斜めに流れるのだが、ED曲のカッチョいい音楽とあいまって良いのだ。我慢して、最後まで見た観客サービスなのだろうか。
結論までが、たらたら長いのは、俺の個性だから、ごめんなさいだけど、
で?この映画は面白いの?
と、思う方もいると思うので、怪傑ズバット言うと、
アカデミー賞を取る為のハウツー映画だYO!!
とでも言っておこう。
どうせ、受賞しまくるんだから、スピーチの内容を確認する為に見ればいいんじゃない?受賞結果を見て、この映画を見て、
何?この無駄に長い映画?こんなんが、アカデミー賞最多ノミネート?意味わかんねー?デストローイ!!
と、叫ぶ人達の顔が目に浮かびます。面白い映画を求めている人には絶対にお勧めできない映画です。
でも、俺はA24映画を見続けるのだ!次回作は傑作だと妄信しているから。
えーと、次回作は「 ベイビー・ガール」3月28日公開は、ニコール・キッドマン主演のエロチックサスペンス?
一部の好事家にだけ刺さった、カルト映画 「 氷の微笑2 」みたいなヤツか? 何か、不安になってきたぞ?まぁ、見るけどなw
ダチョウ倶楽部かよ
ブラディ・コーベット『ブルータリスト』をシネ・リーブル神戸にて。
『ブルータリスト』における「ブルータル」とはバウハウス様式から派生したコンクリートやガラスが剥き出しになった「ブルータリズム建築」の「ブルータル」さ(荒々しさ)であり、また剥き出しになったことから生まれる荒々しさは、アガンベン的な「剥き出しの生」を生き、まるで人権などないかのような、すなわち「ブルータル(獣のような)」な難民のあり方にも繋がるだろう。
ホロコーストを生き延びてアメリカに渡ったブダペスト出身ユダヤ人建築家の半生。
主演のエイドリアン・ブロディだけでなくフェリシティ・ジョーンズもガイ・ピアースも良かった。
バーでジャズ?の演奏に合わせて激しく踊るシーンは素晴しいとしか言いようがなく、バウハウス風のチェアを製作するために鉄パイプを加工するシーンで飛び散る火花(宣材写真に使われている)は美しいのひとことに尽きる。
ガイ・ピアースが邸宅に招いた客人たちを丘の上に連れていくロングショット、プレキャストコンクリートの建材を満載した列車が事故を起こす俯瞰ショット、イタリアで切り出される大理石を捉えたいくつかのショットなど、ともすれば審美的に過ぎると言われかねない映像が続く。
…いやはや、正直に申し上げれば退屈でした。
しかし、物語の重苦しさと緊張感に満ちた(しかし退屈な)この3時間35分の映画のなかで、ほとんど唯一笑ってしまったのは、絶対に落とすわけにはいかないと念には念を入れてクレーンで吊り上げた天井?屋根?の部材を、しっかりと地面に落としてしまうシーンだった。
ダチョウ倶楽部かよ、と。こういうの好き。
同じ回に観に来ていた知人と、少なくともあと1時間は削れたんじゃね?という意見で一致した。
タイトルなし(ネタバレ)
最近の映画でインターミッションがあるのは珍しい。建築やデザインに興味がある身としては、会話や展開が面白く、長さがあまり感じられなかった。バウハウス出身のユダヤ人エリート建築家が、祖国を追いやられ辿り着いたアメリカ。そこで直面する屈辱的な生活、実業家との出会い、妻への愛と苦悩、成功と挫折。ブルータリズムで有名なマルセル・ブロイヤーがモデルらしいが、途中から安藤忠雄の光の教会や、ダニエル・リベスキンドのユダヤ博物館が思い出されていたので、ラストの姪による建築の解説にはあまり驚かなかった。リベスキンドも本作を称賛したらしい。終盤の展開には驚いたというか、呆気にとられた。アカデミー賞作品賞、監督賞(ブラディ・コーベット)、主演男優賞(エイドリアン・ブロディ)、助演男優賞(ガイ・ピアース)、助演女優賞(フェリシティ・ジョーンズ)、脚本賞、撮影賞、編集賞、作曲賞、美術賞の10部門ノミネート。ブロディは2度目ありそう。個人的には『プリシラ』から好きなピアースにそろそろ獲ってもらいたいが『リアル・ペイン』のカルキンかなぁ…。さて、いかに。*追記:主演男優賞、撮影賞、作曲賞の3部門受賞!
1976年に建てられた改革派シナゴーグはサラッとしているけど意味は大きい
2025.2.26 字幕 イオンシネマ久御山
2024年のアメリカ&イギリス&ハンガリー合作の映画(215分、R15+)
ホロコーストを生き延びたユダヤ人建築家の半生を描いたヒューマンドラマ
監督はブラディ・コーベット
脚本はブラディ・コーベット&モナ・ファストヴォールド
原題の『The Brutalist』は「荒々しい建築を行う建築家」という意味
物語は、とある国境地帯にて、尋問を受けるユダヤ人女性ジョーフィア(ラフィー・キャシディ、成人期:Ariane Lebed)が描かれて始まる
彼女は叔父の建築家ラースロー(エイドリアン・ブロディ)についての質問をされていたが、訳がわからないまま精神的な圧迫を受けることになった
ラースローは強制収容所を生き延びたユダヤ人で、いとこのアティラ(アレッサンドロ・ニボラ)を頼って海を渡った
彼はアティラの経営する家具店で働くことになり、クライアントの要望に応えるために部屋の改築などを行なっていた
依頼主は資産家ハリソン(ガイ・ピアーズ)の息子ハリー(ジョー・アルウィン)で、ラースローは「ブルータリズム式の図書室」を完成させた
だが、そのことを知らされていないハリソンは激怒し、ラースローとアティラを追い出してしまう
さらにハリーは金を払えないと言い出し、この件にて、アティラはラースローを追い出してしまうのである
その後ラースローは路上生活を強いられ、炊き出しにてゴードン(イザック・ド・バンゴレ)と出会う
彼の息子ウィリアム(Charile Esoko、少年期:Zephan Hanson Amissah)らと過ごす日々が続き、期間労働として土木工事に従事するようになった
だが、そこにハリソンが訪れ、これまでの無礼を許してほしいと言う
彼は、ラースローが手がけた部屋の価値を知り、そして数々の功績を知った
そこでハリソンは、彼に自分のアイデアを話し、そのプロジェクトを引き受けてくれないかと打診するのである
映画は200分+インターバル15分の構成で、「序曲」「第1章:到達の謎」「第2章:美の核芯」「エピローグ:第1回 建築ビエンナーレ」という流れになっている
そして、「序曲」にてどこかの国境警備隊に尋問されるジョーフィアは、ラストでも登場するのだが、あのラストショットの意味は「ジョーフィアの到達点における出発点の想起」ということになるのだろう
ラースローとエルジェーベトから伝えられた「旅路ではなく到達点が大事」という言葉の意味を捉えると、叔父や叔母に感謝できる人生を歩んだことことがジョーフィアにとっての到達点だった、ということになるのだろう
映画は、前半でプロジェクトを任されるまで、後半でプロジェクトのトラブルを描き、ハリソンから強姦されるラースローが描かれていく
それに激怒した妻のエルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)がハリソンに夫から聞いたことを突きつけるのだが、その後ハリソンがどうなったのかは描かれない
だが、この事件を機に、施設の存在意義がハリソンの母のためのものから、エルジェーベトやユダヤ人たちのためのものに変わっていて、それを告白するのが回顧展(1980年)となっている
俯瞰すれば、アメリカ人に金を出させて、ユダヤ人が考案して、奴隷が建設するという構図を暴露しているので、なかなか風刺が効いているように思える
ある意味、アメリカに来たユダヤ人のためのエルサレムをあの場所に建てたというようにも思える
行き場を失ったユダヤ人が権利を主張できるという文言が前半にあり、それによってイスラエルが建国されたという背景があるので、それをアメリカでも行なったとことになるのだろうか
劇中でも、エルサレムに帰ることが正義のように語るジョーフィアと対立するラースローがいるのだが、それに対するアンサーのようにも思えた
いずれにせよ、宗教に対する知識が必要な作品で、ユダヤ教徒のラースローやエルジェーベト、カトリックに改宗したアッテラ、プロテスタントであるハリソンなどの立ち位置というものがベースにある
ユダヤ人の迫害の歴史があり、アメリカに来るしかなかったという戦中戦後の状況があり、イスラエルの建国にまつわる話も登場する
このあたりに興味がないと苦痛の200分なので、観る人を選ぶ映画のように思えた
ちゃんとインターバルがあって、15分間用意されているので、生理的な苦痛は緩和できると思うが、精神的な部分はどうしようもないので、そのあたりの覚悟を持って臨んだ方が良い案件なのかな、と感じた
ユダヤ人以外はどうみればいいのか?
数あるユダヤ人映画でも、これはホロコースト後の移民建築家を描くものであるが、架空の人物であるし長すぎる。観客にフレンドリーな語り手とはいえない。インターミッションを挟む映画体験は珍しいし、秀逸で斬新なカットや役に命を吹き込む俳優陣は讃えたいものの、脚本は頭が堅くて私の心にはなにも届かなかった。
移民の数々の苦難としてみてもどれも味があるようなないような演出で多くの場合であまり情も理も感じない。それどころかおそらく意図から離れるだろうが、それって民族差別だから、移民だからと言えるものなの?ってすら感じてしまうくらい描写が弱い。
が、ここは一旦折れて、彼らの苦しみを正面から受け止めてみる。彼らの希望までの苦難は狭く長い道のりなのだろう。建築物の哲学が自身の存在を物語るためには、あらゆる工程にこだわりを強くするのは理解できるし、妻や石工との衝突もわからなくない。しかし、ユダヤでないアメリカ人や日本人にとってその閉じた空想的構造物の物語から何を見出せばよいのか?我々の民族が同じ受難に見舞われることがあれば、きっと映画の外でも同じ気持ちになれるのかもしれないが。
詳しい解説はほかのレビューを参考にして気がつかないポイントを発見すれば評価も変わるかもしれない。しかし、この物語のいう「時代を定義した上で時を超えるもの」に普遍性を見出すまで縁もゆかりも感じない人々にとってはこの映画はどう扱えばいいのか戸惑いを隠せない。これが賞候補に上るのはなぜだろう。
そればかりか、多少厳しい言い方をするなら、この映画を体験してこの物語の構造を見抜いたり、思いを馳せたりしても畢竟、架空の人物物語で成り立っているのだし、下手に同情をするような観客にもユダヤ人は無だとしてるとメッセージを投げつけるようでは、非ユダヤ観客のユダヤについての映画を体験することを否定につながることにならないか。だったらこの映画を見ることもナンセンスになる。戦争や世界の悲劇を描いた作品が観客にそう言う映画ばかりならもうあまり関心を持つのも諦めたくなる。
さらに忌憚なく言うなら今のところアンチ反ユダヤの目線を多分に含んだスノビズムの民族高揚映画だと受け取っています。
新しい映画!長さを感じさせない!
面白かった!3時間超えの映画なのに、観終わった後に、すぐまた観たい!と思った映画は始めてです。
まず、映像・音楽が、ものすごく良かった。それぞれの役者も、ものすごく良かった。私は、美術館とか好きなんですが、好きな絵って、ぼーっと長い間見てても飽きないですよね。そんな感じの映画でした。
映画は、ラースロー・トートというヨーロッパで将来を期待されていた建築家が、ホロコーストを生き延び、アメリカに渡って建築家として再出発するという話しなのですが、これがこのあらすじからは想像出来ないような映画になってて、良い意味で裏切られました。
まずは、ラースロー・トートという建築家は、実在しない建築家ですが、『この映画は、実話を元に…』的な感じを観る者にイメージさせているところが、凄いなと思いました。まぁ、まず最近のこういうあらすじの映画って、観る前とか観た後に、『この映画は…』ってテロップ出がちなので、勝手にイメージしちゃいます。きっと主人公は、「ホロコーストを生き延び、何かのメッセージを込めた作品を創った偉大な建築家」なんだろうと。
劇中に出てくる、ラースローの作品は、どれも素晴しいし、良いやん!と思うのですが、これからアメリカで偉大な建築家になっていく人が、作ったと思うから、良いやん!と思うのか、本当に良いのか、分からなくなってきます。
序盤で、ハリソンが、自分の書斎を勝手に改装したのが、実はヨーロッパで名の売れていた建築家と知って、掌返しするシーンがありますが、最初は「こういう奴いるよな〜」と思って観てたのに、映画を観終わった後、「良いやん!」と思ってたラースロー作品も、ラースローを偉大な建築家やと勝手に思って観てたからなだけで、本当はそれっぽく似せて作られてるだけのものを良いと思ってたのか?それなら、ハリソンと変わらんやん、建築とか家具とか絵とか、そういう物の芸術的価値への評価って、結局なんなんやろ?と考えさせられました。
これがもし、本当に実在した偉大な建築家なら、「おー!凄い!」で、観る側は終われてたのに。でも、そう思ってしまうぐらい、ラースローの作ったものは良くて、それをちゃんと鑑賞させてくれる映像のつくりも、凄く良かったんですよね。
次に、『ホロコーストを生き延びたユダヤ人の描き方』。ラースローが、アメリカで直面するのは、ハンガリーでナチスから受けて来た、分かりやすい差別や迫害では無くて、なんか薄い膜に包まれたような差別。
黒人には、「出ていけ!ニグロ!」みたいな分かりやすい差別をするけど、ラースロー達には訛ってるから英語を習った方が良いとか、表面上は紳士的に振る舞って取り繕ってるけど、明らかに下に見ているみたいなところで、結局差別してるなと、感じます。
最たるシーンは、ラースローがハリソンにレイプされるところ。たぶん、天井の高さは、映画の中でラースローにとって自由を表していて、天井の高い洞窟?でパーティーを、自由に楽しむラースローを見て、なんでもコレクションしたいハリソンは、言葉もわからない異国で自分を放置して自由にしてるのが許せなかったのかな?と思いました。私は、その支配欲が、レイプに繋がったと解釈しています。
とにかく、ハリソンは性的に興奮してレイプしたのでは無いと思います。支配したくてレイプしてると感じさせるところに、WASPの表面的ではない、膜に包まれたような差別を感じ、これはむしろ今の世界に蔓延している差別なんだろなと思いました。
最後は、エピローグ。姪っ子のジョーフィアが式典で、ラースローの作品をシオニズムと絡めて語っています。
長い間に、ラースローの考えが変わったのならそうなのかもしれませんが、劇中でラースローはそんな事は一言も言ってません。締めのエピローグで、大団円風にしながら、スピーチがちぐはぐなところが非常に面白かったです。
それっぽく素晴しい作品を登場させ、ラースロー・トートという実在しない人間を描いたように、ジョーフィアの中で勝手に新しいラースローが出来上がっていたのかもしれません。もしかしたら、シオニストのアピールのために、そう語ったのかも。
長くなりましたが、ラースローを通して何かを学ばせるようで学ばせない。受け手にこの映画を含めた、全ての芸術的な美の解釈を放り投げたまま、放置してしまうという、めちゃくちゃ面白い映画だったと思います。
よく、圧倒的な没入感とか映画の予告で良いますが、そういう意味で、この映画の没入感は凄かった!
だから、癖になるというか、また観たいと思ったのかもしれません。
絶誘惑。
第二次世界大戦下のホロコーストを生き延びた建築家でヤクがやめられないラースロー・トートの話。
ハリソン家の息子に頼まれた1室、読書部屋(図書館)の改装を頼まれ…、改装当時は文句をつけられるが後に評価され、ハリソン家父から新たな依頼が…。
転機が訪れるも思った様に事は運ばず…、急なデザイン変更、事故、そこを経ての少し人に対してピリついちゃったり…。
唯一、主人公に共感出来たのは設計した天井を3メートル低くされ怒る、ここは色々計算されてのその高さでしょうしね。
上映時間215分ビビってましたがちゃんと15分休憩があるのは親切、…ごめんなさいどの作品でも賛否あるけど全然私には合いませんでした!時間の長さはそこまで感じないけどストーリーに全く面白さを感じず、始まって早々眠いし、数年ぶりに途中退席しようかなって思ったくらい…、ただこういった話も楽しめる様になれればとも思う。
建築をちゃんと表現している秀作
かなりユニークなスタイルで引き込まれた。
●静物をちゃんと表現として捉えている絵が素晴らしい。
●物語も下手に急がず、独特のテンポがある。そのうえで行間や感情表現を微妙に抜いていて想像力を掻き立てる。
●とにかく音楽がいい。場面場面でスタイルを変え、ゴダールのソニマージュを意識したような感覚。
イイ映画だな。
これがオスカー大本命?、、、
面白くなくはなく、3時間最後まで見れましたがこれだけの尺は要らないな、と感じた薄口の作品でした。なんでこれがノミネートされたのか??
役者、音楽は悪くないけど、やはり脚本と演出がイマイチなのか。なんか全てのエピソードが中途半端な感じで3時間も見たのにほぼ心に響かなかった。渡米する前、ホロコースト、アメリカでの最初の生活の違和感、祖国での家族との生活、従兄弟夫婦との関係、姪ジョーフィアが殆ど喋らない事などなど全て中途半端にしか描かれないので、?と思いながら最後まで観て終了。
あの最後の明るい音楽と、静寂はなんだったのか?そして休憩15分は長い。
偽りの自由
第二次世界大戦下、ホロコーストを何とか生き延び渡米した、才能あるユダヤ人建築家ラースロー・トートをエイドリアン・ブロディが熱演。
妻エルジェーベトをフェシリティ・ジョーンズが、実業家ハリソンをガイ・ピアースが演じる。
辛い記憶、やり場のない怒り、理不尽な扱い … 。やむを得ず移民として生きる事の過酷さ、苦悩をリアルに描く。
映画館での鑑賞
ありそうで、あったら困るフィクション
※モデルとなった人物はいるようですが、完全にフィクションでした。
ホロコーストを生き延びた建築家が移民としてアメリカに渡り、丘の上に思想つよつよなコミュニティセンターを建てる話です。
移民としては、これ以上望めないぐらいのサクセスストーリーに思えるのですが、それでも破滅に近いところまで落ちます。特に、主人公が家族を連れてきてからは、酷いものでした。
そんな彼らの苦悩に三時間半付き合って思ったのは、『それをアメリカでやるから揉めるんじゃない?』という一点に尽きます。
アメリカに建てるコミュニティセンターは、アメリカ人が交流するためのものです。
仕事として請けた以上、そこに反映させる思想はあくまでクライアントのもので、光が差し込む設計にされた十字架の形を『ごめん、KKKも来たいって言ってるから、やっぱハーケンクロイツにして』と言われたら、その形のものを建てるしかないわけで。
主人公が完全に私財で建てたり、クライアントと思想面でがっつり手を組んだというのなら、分かりますが。
そういう深い交流はなく、クライアントが色々聞いても主人公がはぐらかすので、建築の真の目的が語られるのは1980年です。
本編で描かれるすったもんだから20年が経過して初めて、高さを削るところでやたら揉めた理由が分かるわけです。当時の現場にいた様々な立場の人達ですら、知らなかったことです。
理由を正直に伝えたら実現しない。そのことが分かっているから、思想を隠し通して、こっそりと押し込む。コミュニティセンターが完成した1973年から1980年まで、そこを訪れた人々は、知らない内にその思想に加担したことになるのです。
実は『わー綺麗』では済まない何かを、知らない内にくぐらされる。
この押しつけがましさと傲慢さが、高さ云々の下りで理由を説明しなかったり、揉める原因を作ってきたのではないかと。
ーー
あと、今のイスラエルの国際的な立ち位置を見ていると、彼らがどれだけ苦悩しようが体を張ったギャグにしか見えませんでした。
※私はどっち側のシンパでもなく、双方地球から消えてくれないかなと思っているタイプです。
光を当てる角度/悪魔のいけにえ的な
トートの建築同様、光を当てる角度によって見え方が全く変わる作品だと思った。最後、結局みなイスラエルを目指すというところを取れば、シオニズム翼賛みたいにも見えるが(それは設計に隠された意図が明かされる場面でピークに達する)、全員何かに怯え、征服したいと思っている、という意味ではもう少し普遍的なメッセージを読み取ることもできるように思う。フィラデルフィアという、“アメリカ”始まりの地が舞台になっている点もわかりやすく、見下していた“身体障害者”の“ユダヤ”“女”がオックスフォードで教育を受けていたりして、イギリスという抑圧者に対して腕一本の叩き上げでやってきた人(たち)がコンプレックスを刺激されるには十分だろう。/ところどころ、『悪魔のいけにえ』を想起する場面がちらほらあった(これは極めて個人的な連想のような気もするが)。腹に一物(という名のむき出しの欲望もしくは攻撃性・暴力性)を抱えながら生きることが象徴的に示されるという意味では晩餐・パーティというのはそうだろうし、なんだか薄暗く抑圧的な雰囲気のコミュニティセンターの内部のシーンもそうである。/イタリアが映画的仕掛けとして巻き込まれていくところにも意図が張り巡らされているような気がするし、とすると、日本はどう?/要は人間みな後ろ暗さとの戦いなのである。/知的に組み上げられた映画でエモーショナルなところはあまりないので、そこは賛否が分かれるところかもしれない。
何かありそうで何もない
本作で1番良かったのはインターミッションでした。
215分の大作。途中休憩のインターミッション15分付きという往年の格調高い映画のような風貌で、とてもワクワクしながら観賞。
デザイン性の高いオープニング、逆さまに画面に映り込む自由の女神("不自由"な国アメリカへようこそ!の意味か)、建築の力強さを体現するようなチェロとピアノのミニマルで極太の音楽、これまたデザイン性の高い斜めに進んでいくエンドロール。カッコいい!!
しかしそれだけの映画だった。
私も建築士として仕事をしており、この映画は色んな意味で楽しみにしていました。
主人公は架空の建築家だが、ナチスによって閉鎖された世界初の建築専門の学校「バウハウス」出身ということで、同じくワルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエの歴代校長2人がドイツからアメリカに亡命し、アメリカの建築史に多大な影響を及ぼしたことを思い出した。
そんな実在の建築家の半生を追っていく伝記映画風なのだが、実在の人物ではないのこの映画がどこに向かっているのか全くわからない。
移民問題の描き方にも新鮮味はない。イスラエル、パレスチナ問題に踏み込むなら名作になったかもしれないがそうではなかった。
また、肝心の建築や家具描写も薄味で残念だった。ラストのネタばらしも蛇足に感じた。言葉だけで説明するとは。
資材搬入中の事故で取り乱す実業家やそれが理由で計画自体がなくなってしまうというのもあまりリアリティがない。アメリカの超高層ビルの建設で一体幾つの事故があっただろうか。極めて現代的なコンプライアンスをもった実業家だった。
しかし、そこをエイドリアン・ブロディ、フェリシティ・ジョーンズ、ガイ・ピアーズの好演で中身のないキャラクターに何とか説得力を持たせていて流石だと思った。ここは素晴らしかった。70㎜フィルムで撮られた映像も綺麗だった。長回しの演技の見せ場もあり、こういった映画はやはり残っていって欲しいと思う。1.5倍速でなんて観られてたまるか!
監督のブラディ・コーベットさんは俳優でもあり人気ドラマシリーズ「24 -TWENTY FOUR-」のジャック・バウアーの娘キムの恋人役。
こんな立派な映画を撮るお方になってしまうとは。
タイトルなし(ネタバレ)
215分の上映時間で前半100分インターミッション15分後半100分でちょうど間を空けて映画2本観る感じで思っていたよりは観やすいかなという感じでした。
前半の王道的な作りからとっ散らかった後半はホント違う映画みたいでしたが。
ラストの旅路より到達点が大事という姪のセリフは、ハンガリー訛りのアクセントの修正にAI使ったのが問題になってるけど出来たのが傑作ならいいんでしょ、というこの映画の関係者の今の本音を予言してるみたいで面白いですね。
凝ったデザイン
実在の人物を基にした作品かと思ったが、架空の人物なんですね。
最初のキャスト紹介が横にスクロールする。最後のエンドロールは斜めにスクロールする。
タイトルの文字も凝ったデザイン。主人公が素晴らしい才能の建築家だからでしょうか。
途中休憩を除くと200分の長尺だが、ストーリー面白いので長いと感じることはなかった。
最後は何かあっけなく終わった感じ。
【”大切なのは到達地。旅路ではない。”今作は架空のハンガリー系ユダヤ人の建築家、ラースロー・トートの激動の半生を彼が作ったコミュニティセンター建設過程を軸に、アーティスティックに描いた作品である。】
■今作品の構成を最初に敢えて記す。
1.序曲・・ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)が妻を含めた家族と引き裂かれる様を描く。
2.第一部”到着の謎”・・ラースロー・トートがアメリカ・ペンシルベニアに単身渡り、富豪の実業家、ハリソン・ヴァン・ビューレン(ガイ・ピアース)と出会い、建築家としての才能を認められるまでを描く。
- ここまでで、キッチリ100分である。
そして、15分間のインターミッションが入る。
結構長いので、お客さんの半分くらいはゆっくりと席を立つ。
スクリーンでは15分から徐々に残り分数がカウントダウンされて行く。
そして、お客さんはゆっくりと自席に戻り、場内は徐々に暗くなるのである。-
3.第二部”美の核芯”・・ラースロー・トートの妻、エルジェーベト(フェシリティ・ジョーンズ)と姪ショーフィア(ラフィー・キャシディ)が漸くアメリカに辿り着き、ハリソン・ヴァン・ビューレンの依頼により、ラースロー・トートが彼の邸宅の近くの丘の上に、礼拝堂が併設されたコミュニティセンターを作る過程が描かれる。
4.エピローグ・・舞台は、1980年のヴェネツィア・ピエンナーレで開催された”第一回国際建築展”にイキナリ、移る。ラースロー・トートの数々の建築物が展示され、”過去の存在”と銘打たれている。シニカルだなあ・・。
で、ここまで再びキッチリ100分である。ストレスなく映画を堪能出来る構成である。今作では、構成自体も作品なのである。
◆感想
・今作では、ラースロー・トートが苦労して、アメリカに渡り、その後も様々な障壁に会いながらも、”マーガレット・ヴァン・ビューレン・コミュニティセンター”建設に挑む姿が描かれる。
・だが、そこでは観客が望むような気持のよい展開は、余りない。逆に1950年代のアメリカ社会における、人種や宗教の壁などが暗喩的に描かれる。ラースロー・トートも、資材搬送列車の度重なる事故により、一度はハリソン・ヴァン・ビューレンに理不尽に解雇されている。
・第二部の再後半は、会食するハリソン・ヴァン・ビューレン宅にエルジェーベトが乗り込み、激しく彼を罵倒するシーンまである。
ラースロー・トートが自分の夢を果たせなかったのかな、と勝手に解釈する。
今作は、作品に明快な解を求める人には戸惑う所が幾つかあると思う。だが、私はそれは気にならない。映画館で観る【力のある映画】は、大体面白いと思ってしまうからである。
<今作ではラスト、”マーガレット・ヴァン・ビューレン・コミュニティセンター”の円形の教会の天井の十字の形をした窓から、太陽光が差し込み十字架を映し出すのである。
そして、”ブルータリズム”の定義である”1950年代、”トートが設計したコンクリート打ちっぱなしの礼拝堂の様に、”素材を生かした建築様式”という言葉を思い出すのである。
今作は架空のハンガリー系ユダヤ人の建築家、ラースロー・トートの激動の半生を彼が作ったコミュニティセンター建設過程を軸に、アーティスティックに描いた作品なのである。>
無駄のない機械のような傑作‼️
まず画面いっぱいに映し出される「VISTAVISION」の文字‼️あぁ、デジタルじゃなくフィルムで撮影されたんだなぁと嬉しくなる‼️そして「序曲」があり「第1部 到着の謎1947-1952」「インターミッション」を挟んで「第2部 美の核芯 1953-1960」、そして「エピローグ 第1回建築ビエンナーレ1980」で締めるその構成‼️まるでハリウッド黄金時代の超大作みたい‼️3時間35分の長尺がアッという間の「無駄のない機械」のような傑作ですね‼️ホロコーストを生き延びたユダヤ人建築家ラースロー・トートは、富豪の実業家ハリソンから仕事の依頼を受ける。アメリカでの夢の実現に燃えるラースローのもう一つの願いは、ヨーロッパに置いてきた愛する妻エルジェーベトと姪をアメリカに呼ぶことだった・・・‼️ラースローが潜む真っ暗な船室から、青空を背景に反転した画面で自由の女神を捉えたショットは、ラースローのアメリカへ抱く希望と不安を同時に表現した秀逸なカットで、「ゴッドファーザーPARTⅡ」の自由の女神を思い出しました‼️そして駅で従兄弟と再会、彼の自宅へ向かう車道のカットの素晴らしさ‼️不気味なオーケストラの音楽と共に展開される、このオープニングだけで私的に掴みはOK‼️続く物語ではラースローは従兄弟から「妻に色目を使ってる」と誤解され、仕事を失い、有名建築家だったラースローが作業場で重労働を強いられるという不幸の連続‼️ようやくハリソンに仕事をもらったシーンで第1部はENDなんですが、これがさらなる波乱の第2部の布石となるなんて‼️前述の不気味なオーケストラ音楽が不意に流れたり、エルジェーベト役のフェリシティ・ジョーンズのナレーションが効果的に使われて第2部への期待が高まります‼️第2部でようやく再会したエルジェーベトは骨粗鬆症により車椅子の身となっており、肝心の仕事もヨーロッパとは勝手が違うアメリカでの建築現場に四苦八苦するラースロー‼️そんなラースローの前に立ちはだかるのが、資本主義の巨大国家アメリカを象徴するハリソン‼️この巨大な権力を持つモンスターを演じるガイ・ピアースがハマり役で、まるで「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のダニエル・デイ・ルイスみたい‼️第1部ではイイ人みたいな感じだったのに、第2部でコミュニティセンターの建築が進むにつれてむき出しになる、その欲望と闇‼️まさか代理石の買い付けに行ったイタリアで、ラースローにあんな事してたなんて‼️そんなハリソンを前にしてドラッグとアルコール漬けになっていくラースロー‼️アメリカに希望を抱いたラースローがハリソンに象徴される強欲や愛憎といった感情、そして心の闇に蝕まれていく展開‼️ホントに恐ろしいです‼️そしてエルジェーベトに「強◯魔!!」と糾弾されたハリソンが、行方不明になったところで第2部は終了‼️そしてエピローグではその後もラースロがアメリカに残り、素晴らしい建築物を創造した事が姪のジョーフィアによって紹介される‼️そして締めのセリフ「大事なのは到達地だ。旅路ではない」‼️今作でのラースローの物語を考えると納得のセリフかもしれませんが、過程を顧みず結果だけを追い求める現代の風潮に通じるところがあって、ゾッと震撼させられました‼️ほんとにスンゴい傑作です‼️訛りも含めてユダヤ人になりきったエイドリアン・ブロディとフェリシティ・ジョーンズの素晴らしい演技‼️コミュニティ・センターをはじめとするラースローの建築物の壮厳な佇まい‼️陽に照らされて浮かび上がる十字架の美しさ‼️そしてデザイン性を重視したオープニング・クレジットやタイトル・バック、エンド・クレジットも必見ですね‼️
特典冊子は鑑賞後に
214分とインターミッション込みの長尺とフィルムで撮影された本作はまるでラースローが実在の人物であるかのような錯覚を覚える。
そして特典としてもらえる冊子は映画の結末を象徴するようなものになっていてなかなか粋である。
本作のラストで展覧会があるがそこで配られた冊子のようになっており、「建築家ラースロー・トートの創造」という内容自体は少ないがコミュニティセンターの特徴などが書かれている。
ブルータリストというタイトルには1950年代に見られるブルータリズム建築というコンクリート打ちっぱなしで近代的なデザインの建物のことを言うのだそうだ。
確かにコミュニティセンターのデザインはそうなっているが、それとは別の意味でbrutal-istという意味もあるのではないかと思う。
難民は受け入れるがろくな支援もない政府、資本に物を言わせて母親の名前のついた巨大な建築物を作ってしまうヴァン。その壮大な建築物に過去のトラウマを反映してしまう主人公でさえもその一人である。
また、打ちっぱなし特有の無骨で荒々しく、時に冷たい無機質な感じが本作に登場する人物の感情を表しているようである。
15分というインターミッションは何かをするには少々少ないが前編からの意識が離れない程度の時間であり、また後編が始まる数分前から後編の最初のシーンに繋がる駅の環境音が聞こえ出す。ここから流れるように後編が始まるので絶妙な時間になっている。
主人公の壮絶な半生に心が震えました
主人公のハンガリー系ユダヤ人のラースロー(エイドリアン・ブロディ)が
ホロコーストを生き延びてアメリカに渡る冒頭から、
食い入るように映画内に没入することができました。
映像×音声の見せ方が素晴らしかったです。
特に逆さまにうつった自由の女神🗽
アメリカに渡ってからは不遇な日々を過ごすラースローですが、
建築家の才能が認識されてから、人生が上り調子になっていきます。
それもすんなり行くわけではなく、やはり人種として平等・公平には扱われない
苦しさ、生きづらさ等、ビシビシと感じました。
このあたりの謙虚なラースローは好きでしたね。
※奥さんが生きているとわかって泣きながら喜ぶ
ラースローの表情がすごく良かったです
インターミッション15分をはさんで後半です。
後半は、あらゆる設備を備えた建築物に取りかかるのですが、
これが七難八苦で思うように全然進まないことで、
ラースローがどんどん荒れていくところがリアルで、実に痛々しかったです。
後半の冒頭で、奥さん(フェリシティ・ジョーンズ)と姪も渡米して一緒に
暮らすことになりますが、奥さんが難病を抱えており、
これも痛々しかったです。
と感じると同時に、フェリシティ・ジョーンズの演技は鬼気迫るものがあり
素晴らしかったですね。映画ファンになって以来、大好きな俳優です。
ラースローの雇い主ハリソン(ガイ・ピアーズ)もイイやつかと思いきや、、、
という後半の豹変っぷり、悪辣っぷりが、この作品をより面白いものにしていました。
ラストに大きくなった姪が語った
「他人が何をどう言おうとも大事なのは到達地だ。旅路ではない」は至言だと思います。
エンドロールはまさかのナナメスクロール。
アートだけど、読ませる気はないなと思いましたね(笑)
215分と長尺ながらも、濃密な時間を体感できました。
エイドリアン・ブロディ充できたけど…
15分のインターミッションのお陰で長く感じなかったけど、正直そのシーンいる…?(特にR指定の要因となったもの)というのは多々あったのでもう少し短くできてたらよかったかも。パワポのスライドショーみたいになってるとことかちょっと笑ってしまった。
奥さんに会えてひとつのめでたしを迎えると思いきや、この人に最後まで今ひとつ感情移入できなかった。
エイドリアン・ブロディの繊細な演技には見惚れました。ここのところ主演作がなかったので存分に見られて大満足。
最後に最初のシーンが一瞬映る演出、あれは何だったのだろう。
気になって見返したいんだけど、長いのよ…
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