ブルータリストのレビュー・感想・評価
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賞レースが楽しみだ(違う意味で)
ブラディ・コーベット
過去作「シークレット・オブ・モンスター」(’16)ではラストに大仕掛けを打って、史実のある人物を想起させる、「指導者」の誕生という、ドッキリ映画(ホントにドッキリする)を放ち、一躍注目を浴びた。
続く「ポップスター」(’20)でも、学校内銃乱射事件という、センセーショナルなオープニングから、ナタリー・ポートマンの異常なまでの熱演、過剰スレスレの、でも最後のライブは(本人であるならば)キレッキレのダンスと、画的には、細かいワンショットと早送りを実験的に駆使して、割と娯楽作に近づけた一本。(楽曲提供等にsiaが参加していることも注目。)
まあ、いずれも見ごたえはあるが、共通するのは、「トラウマ」。そして、史実を絡めて、深みをもたらせようとした点。そして、エピソードをバッサリ省略するところも似ており、ちょっとバッサリすぎるんじゃないか、と思うほど、切り捨てる。観客に不親切なほど切り捨てる。これを技巧ととるか、描きたくないのか、描けないのかは、観る側の判断。
個人的には、前者は上手くいった(それでも唐突)が、後者は銃乱射事件と無差別テロを絡めなくてもいいんじゃないか、と思えるほど、話は普遍的なもので、いささか、いやらしさを感じたりもして、評価は割れる。
そして、本作。あっという間にアカデミー賞の本命の一つにまで上り詰めたが、果たして。
ブルータリスト
・
・
・
解説からわかるように、ユダヤ人、ブルータリズム建築、そしてこのタイミングの作品、ということで、観る前から、本命と言われる点で、「政治色」が濃いことは観る前から想定される。
音楽や撮影、クレジットや、建造物、風景のワンショット、走行する道路で、場面展開などにについては、過去作2作を観ている者にとっては、これまでと同じ手法で、章立ても、「トリアー組」なままでおなじみのものだが、初見の人は目を見張ることは間違いない。
そして、トラウマ、エピソードの省略のスタイルも健在で、案の定、政治色がより濃くでている。
オレは建築は詳しくなく、「ブルータリズム建築」と言っても、丹下健三氏の立てた「広島平和記念資料館」ぐらいしか肌に触れていない。そのイメージしかないため、装飾を廃止、機能性を重視、と言っても、見た目は平和の象徴だったり、その裏返しで「刑務所」だったり「収容所」だったりが想像されるだけである。(裏返しという意味では逆か)
本作で「ブルータリズム建築」とは何ぞやとは、理解することはできないが、ストーリーに至っては、極めてシンプルである。ユダヤ人の歴史もこの映画だけでは到底理解できないが、ハリウッドで成功したユダヤ人、シオニスト運動で、イスラエルに「帰った」ユダヤ人と、歴史的背景からすると、ハリウッド好み、ということは分かるが、後半の端折り方の問題のせいで、余計に偏った観え方になってしまっている。
前半は、歴史を追うという意味で、日本人のオレでもわかりやすく進行してくれているが、後半は、センセーショナルな出来事を無駄に挿入し、省略も深みを与えることなく、バランスは崩壊。過去作から通じる手法ゆえ、手癖、ということなのかもしれないが、悪い方に出てしまった。
brutalism。その呼び名をよしとしない建築家もいるので、The Brutalistとは、ここでは富豪や主人公といった特定の人物ではなく、「『悪の道へ流れる』世界」のことを指していると考えるほうが、過去作から考えるとしっくりくる。
だが、どうしてもここでは「アメリカ」を指すような見え方になっているので、改宗せず、「アメリカ」に嫌悪し、「アメリカ」から逃れ、イスラエルへ「帰った」ところだけ切り取って見えるので、本当にそこだけは残念。
「結果」を出し、成功した「ハリウッド」はそうしたユダヤ人を描く若手の技巧派を賛美するのは、理解はするが、オレには関係にないアカデミー賞。
そういう意味では、ブルータリズム建築を否定したトランプが再選された今、こうした映画にやや過剰に注目が浴びることも、「今見るべき映画」であることは間違いない。
追記
トリアー組からコーベット組、のステイシー・マーティンが今回もうって変わっての役どころだが、ちょっと出番が少なく、役も小さく寂しい。
一方、前作「ポップスター」から続いての新コーベット組のラフィー・キャシディが、その美しくも、深い悲しみを抱えている表情がとても素晴らしい。(少し特殊メイクをいれたのかな)
追記2
主人公夫婦について。後半でようやく姿を現す妻。主人公にとっては、再会を待ちわびた愛しき存在であっても「自分が経験した悲劇」が彼女からも見えるわけだ。彼女との夜は「戦争の悲劇」がもたらしたもの、ということになるのかもしれないが、男と女の関係は「戦争」でなくとも、自分のことを棚にあげ、汚されたと考えてしまうのは、それに限った話ではない。
ただ、この監督、「シークレット・」のステイシーの透けブラウスのねちっこい描写を含め、ちょっと歪んでいる。
一方、富豪のほうはキャラクターに深みがなさ過ぎ。
追記3
これだけ才気あふれるのだから、もう少しストーリーを丁寧に積み上げていって、お得意のバッサリ省略は一旦やめて、娯楽作にチャレンジしてほしいなあ、と切に願う。トリアー組とはオレの勝手なくくりだが、トリアーの「真面目でおちゃめな偏屈」とは違うほうにチャレンジしてほしいかな。
アメリカンドリーム体現者のbrutalな側面
当初3時間35分という長尺におののいていたのだが、インターミッションがあるという事前情報を得て一安心。疲労感少なく作品世界に浸ることができたのは、「私自身、3時間半じっと座っているのが苦手」というコーベット監督による、観客の体に優しい決断のおかげだ。ビスタビジョンのロゴとアスペクト比も、物語の時代に入っていくことを助けてくれた。
ホロコーストを経験した建築家(架空の人物)ラースローの話だが、彼の当時の苛烈な体験が直接的に語られることはない。
ユダヤ人難民としてアメリカに入国した船上の彼の目に最初に映った「アメリカ」は、逆さになって揺れる自由の女神だ。それはまさに彼が手に入れた自由の象徴であると同時に、やがて払うことになる代償の暗示でもあった。
前半のパートでは、ラースローがハリソンと出会い、彼からコミュニティセンターの建設を依頼されるまでが描かれる。
このハリソン・ヴァン・ビューレン、本作の中でもっとも多面的というか闇が深いキャラクターだという気がする。
息子のサプライズ失敗で初対面のラースローを怒鳴りつけたりしたものの、彼の建築の価値を理解すると真摯に無礼を詫びに来て相手の知性を賞賛するところなどは、一見いかにも成功したアメリカ人らしく屈託がないように見える。
だが後半のパートで、そんな表の顔とはあまりに裏腹な彼の腹の中が見えてくる。ラースローの才能に嫉妬し、彼の神経質な態度を高慢と受け止め、終いにはユダヤ人への差別意識を口にしながら彼をレイプした。陵辱に及んだ彼の心情はさっぱり理解できないが、あえて想像するなら、相手に屈辱を与え屈服させたという実感を得るための行動だったのだろうか。
後半では、渡米が叶った妻エルジェーベトとラースローの関係も物語の軸となる。彼女の健康は、ホロコースト以来の生活によってすっかり蝕まれていた。
それでも知性的なエルジェーベトはハリソンの家族と友好的に交流し、以前していた記者の仕事を世話してもらったりしつつ、ラースローに寄り添って生きる。
そんな彼女にラースローが鎮痛剤代わりにヘロインを注射し、顔を布で覆ってセックスするシーンは見ていてかなりきつかった。いくら薬を切らしているとはいえ病人にドラッグ、その上顔を隠して致すのは見ていて腹が立った、というのが正直な気持ちだ。2人が再会した夜に、セックスに関するすれ違い(加えてエルジェーベトは夫が商売女と寝たことも察し、それを許していた)が描かれた上での流れなので尚更だった。案の定エルジェーベトは死にかける。
幸い彼女は一命を取り留め、ハリソンを糾弾するため単身ビューレン家に乗り込む時には、歩行器を使って歩く姿さえ見せる。これは病状が改善したというより、ビューレン家の人間に車椅子を押して助けてもらいたくない、車椅子に座ることで彼らから見下ろされたくないという矜持が彼女の体を動かしていたのではないだろうか。
激動の体験を経る中で時に行き違いがありながらも、毅然として権力者に対峙し夫を守る彼女の姿に、夫婦愛の強さ、彼女の気高さを感じた。
ラースローの夫としてのあり方には個人的に受け入れ難い部分もあるが、エルジェーベトは自分が納得しなければ夫から離れることのできる自立した人間だ。彼女が受け入れているなら、余人による道徳的な論評など意味がない。そう思ってしまうほど、スクリーンの中でエルジェーベトは強く生きていた。
ブルータリズム建築の特徴は、コンクリートを多用する、簡素で重厚、角張ったフォルムの大型構造物、といったものだそうだ。
brutalという言葉は「残酷な、野蛮な、激しい」といった意味を持つ。また、文脈によっては「率直、歯に衣着せない」といった意味で褒め言葉として用いられることもあり、スラングでは「キツい、ヤバい」というニュアンスが込められる。
この物語における「ブルータリスト」は2人いるように思える。それはもちろんハリソンとラースローであり、ハリソンがbrutalである理由は見ての通りだ。
ラースローに関しては、物語後半で彼が見せた芸術家的な神経質さ……ではなく、エピローグの種明かしにその理由が集約されている。ハリソンの母を偲ぶためのコミュニティセンターを、収容所に模したデザインで建てたという彼の「ヤバい」行動だ。
出会い頭の誤解はあったものの、少なくともセンターのデザイン段階では、ハリソンはラースローの才能を見出してパトロンになり、住む場所を手当し知人に妻の渡米の手助けもさせる、傍目には恩人としか言いようのない相手だった。
そんな彼からオファーされた仕事の成果が、忌々しい収容所の記憶を刻みつけたものだということを最後に知って、ずっとラースローの視点で物語を追ってきたつもりが、実は彼のことを何も理解していなかったことに気付かされた。
このエピローグによって様々なものが見えてくる。ホロコーストのトラウマの根深さ、サバイバーで移民であるラースローの伺い知れない心。彼は最初からハリソンの本質を見通したから、いわば悪意を持って裏で彼の意向を裏切るような設計をしたのだろうか。それとも、もっと底知れない、彼の立場にならないとわからないような心の動きがあったのだろうか。
「他人が何を言おうとも大切なのは到達地だ。旅路ではない」というラースローの言葉には、綺麗事を拒否する響きがある。
エンドロールに流れる物語には不似合いな80年代風の明るい劇伴は、目指す作品を生み出し建築として世に残したラースローの、人生における勝利を祝福しているようにも聞こえた。
どのシーンも面白いんだけどちょっとズルい?
ひとつのシークエンスにじっくり時間を取ってみせる堂々とした演出っぷりに、監督としての底力や自作への確信めいたものを感じ、ほぼどのシーンも面白く観た。ただ、エピローグで明かされる「そうだったのか!」な主人公の真意の部分が、パズルのピースが合うようにそれまでに観てきたものとリンクするわけではなく、後出しに感じしてしまった。そもそもあえて観客を戸惑わせる作りなだけに監督思う壺なのかも知れないが、正直、ちょっとズルくないですか?とは思ってしまった。
インターミッションがちゃんと映像で表示されて、再開までの時間を親切に数字でカウントダウンしてくれるオールドスタイルを久しぶりに観た気がするが、やはりこの形式はいい。インターミッションを削除しがちなインド映画の日本公開もぜひ見習ってほしい。そして従兄弟役のアレッサンドロ・ニボラは、どんな映画に出てきてもなんだか嫌な気分にさせてくれる。名優だなあ。
よく分からない所だらけなのに結構たのしく観れた
4時間が長く感じず、
見ている間は次の展開が読めずとても楽しかった。
でも何か観終わった後は「結局なにがテーマだったの?」という感じで印象がぼやけてしまった。
ユダヤ人の歴史や、建築の歴史、ブルータリズム建築の位置付けなど
より深い知識があるとより深く理解できるのかもしれない。
自分はイラストの仕事をしているので、
いかにも資本主義の塊のような支配者と、
仕事を得るには従属して支援を受けるしかない芸術家
という対比に興味があった。
芸術家でもイラストレーターでも作品を作る立場だと
食っていくためにはパトロンとか企業とかの言う事を
全く無視するのは不可能。
でもその中で自分の出来る表現をする。
主人公はパトロンのためにユダヤ人でありながら
十字架が象徴的な建物をデザインした。
でも建物の中にこっそりと収容所の寸法を潜ませていた事が最後に分かる。
主人公の芸術家としてのプライドみたいなものを感じる
好きなエピソードだった。
映像についてはずっとかっこいい感じで見ごたえがあった。
建築をテーマにしているだけあって
オープニングタイトルとエンドロールがとにかくかっこよくて
好きだった。
特にオープニングはあそこだけ繰り返し流してたいくらい。
金持ちのおっさんの書斎が出来上がったところ、
みんなで丘を登るシーン、
イタリアの大理石の採掘場など
とても美しかった。
1番印象に残ってるのは冒頭の自由の女神。
めちゃくちゃ興奮したとかはないし腑に落ちない所だらけだけど
インターバル初体験とか、
ハリウッド超大作の文法とは少し違う構成とか
色々新しい経験が出来たので観て良かった!
ホロコーストが後の人生の全てに直接の影響を及ぼしている
前編と後編に分かれていて15分の休憩が入るけれど、とても長い。
特に前半は退屈だった。
でも、話としては平易な分かりやすい映画。
後半はドラマチック。
建築家ラースロー・トートの半生の勉強みたいなフィクション映画。
全体として、あまり面白い映画だったとは言えなくて、今の時点では、もう一度観たいとは思わないかな。
ホロコーストが、後の人生の全てに直接の影響を及ぼしている、という物語でした。
難しいが、巧みな映画だ。
世界戦争の終結とモダニズムの終焉による20世紀半ばの建築。その後のポスト・モダニズムとの間にあって、ある種の自由と技術による新しい建築が欧米では模索された。ブルータリズムだ。この映画では題名通りそのイズムがあらゆる場面で展開される。映画化は難しいだろうが、様々な映像、音楽、人物、そして彼らの会話と言葉を通してこのイズムが持つブルータルを巧みに表現していた。その後のポストモダニズムは数多く小説や映画になっている、その中間の時代の野獣性を体験する、格好な映画と言えよう。
Contrast
インターミッション込みとはいえ3時間半は中々にハードだな…と思いつつ、デカめのポップコーン片手にいざ鑑賞。
バターしょうゆ味ってこんなに美味いんですね。
全然余裕で観れました。
あたかも実在の人物のように描いているように見えて架空の登場人物が展開する建築士の話という練り練りされた作品としての面白さがありましたし、章仕立ての良さを活かした驚きの連続だったりと見応えたっぷりで圧巻でした。
建築士であるラースローがアメリカにやってきてからの生活をゆったりと描いていく作品で、時間軸が飛び飛びではなく、しっかりその時代その時代を見せてから緩やかに進行してくれるのでたくさん整理しながら観れますし、自分自身のこだわりを貫き通す姿勢が一度も崩れずに建築をやってのけますし、それに都度入る邪魔によって心も体も蝕まれていく様子は中々に歯痒かったです。
どうしても弱った心と体には薬が必要なようで、それにも苦しまされますし、人間関係も音を立てて崩れていきますしでモヤがかかりながらの鑑賞でした。
前半はゆったりと上り調子になっていき、後半は怒涛の展開と緩急が激しい感じでしたが、徐々に明かされる真実だったりに何度も心揺さぶられ、それでいて救いのような場面があるとパーッと明るくなったりとで考え甲斐がありました。
芸術性ゴリ押しでは全くなく、戦後直後から経済が発展していく世の中だからこそ描かれる差別的なものからちょっとした変化まで余白なくやってくれているのでメッセージ性もしっかりと伝わってくるというのもとても良かったです。
喋れない事情があるんだろうなーと思っていた姪が急に喋り出したところは驚きましたが、あそこら辺の事情も少し補足が欲しかったところです。
役者陣はもう最高です。
エイドリアン・ブロディのラースローのやつれ具合や自暴自棄な様子、ファリシティ・ジョーンズのエルジェーベトの献身っぷりと特攻っぷり、ガイ・ピアースのハリソンのアメリカ的なお偉いさんだったりと隙が無さすぎる布陣でやられっぱなしでした。
オープニングとエンディングもとても洒落ていて、それでいてくどくない良さが展開されるので思わずうっとりしてしまいました。
全体的に映像もスタイリッシュでかっこいいですし、劇伴もおどろおどろしさを兼ね備えつつ、耳馴染みの良い曲もあったりととても贅沢でした。
映画館という密室空間だからこそ感じられる極限の集中から得られるものが多くて楽しかったです。
アカデミー賞2025のレベルが総じて高いっす…!
鑑賞日 3/12
鑑賞時間 14:25〜18:15
座席 C-11
タイトルなし(ネタバレ)
第二次大戦のホロコーストを生き延びたハンガリー系ユダヤ人建築家ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)。
強制移住の新天地・米国の新しい暮らしは、ペンシルベニアで家具屋を営む従兄弟のもと。
妻をめとった従兄弟はカトリックに改宗し、名前も米国風に改めていた。
ある時、新進の実業家ヴァン・ビューレン(ガイ・ピアース)の息子から邸宅の書斎の改修を依頼されるも、無断改修に激怒したヴァン・ビューレンから追い出されてしまう。
が、改修した書斎のモダニズムが雑誌に取り上げられたことに気をよくしたハリソンは、ラースローが欧州で著名な建築家だったことを知り、亡き母の名を冠したコミュニティセンターの建築をラースローに依頼する・・・
といった物語で、以降、ラースローとヴァン・ビューレンの確執が描かれていきます。
下手に時間軸操作などせずに、持つ者と持ったざる者の確執が丹念にかつ執拗に描かれ、説明不足の部分(こちらが理解できないだけかも)があり、やや理解が難しいところもあるが、濃厚なドラマを観た満足感がありました。
ということで感想は十分。
さて問題なのはタイトルの「ブルータリスト」が誰を指しているか。
ブルータリズムと呼ばれる建築の設計者である主人公ラースローを指しているというのが一般的な解だろうが、「ブルータル」=「暴力的」「野蛮で」「荒々しく」「粗暴な」というもともとの意味から察すると、他者を蹂躙する人=ヴァン・ビューレンに代表される側ではないかと思われます。
ヴァン・ビューレンに代表される側は、キリスト教側。
物語ではラースローの改宗した従兄弟が登場しますが、映像的には十字架が印象的に使われています。
巻頭のラースローの姪ジョーフィア(ラフィー・キャシディ)の背後に重なる窓枠の十字架のモチーフ。
終盤に登場するラースローが設計したコミュニティセンターの礼拝堂に差す光の十字架。
なお、このセンターの設計そのものが、ナチスにおけるユダヤ人収容所を模していると語られるエピローグには驚かされます。
(中盤、妻エルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)が図面を見て、モチーフを読み取り、設計に納得するエピソードが伏線として描かれていますね)
礼拝堂の十字架については、前半終了の際、模型に懐中電灯で光の十字架を示すシーン、ここは模型の光の十字架は必要だった、と思いました。
模型の中の光の十字架が、現実になって、さらに救われない・・・という意味で。
喧伝されている、「野心的なカメラワーク」については、あまり感じませんでした。
センシティブなシーンや序盤の40年代米国などセット組むのに予算がかかりそうなシーンで「極力写さないように工夫してるなぁ」とは思いましたが。
もしかすると、主人公のラースローは収容所で去勢されているのかも・・・。
ならば、センシティブシーンを極力写さないカメラワークも意味があるように感じます。
音楽は、ややうるさく感じました。
とはいえ、弩級の力作。
それは真の解放を求めた人間の切なる思いを反映した建物なのかあるいは忌まわしき資本主義の墓標なのか
ブルータリズムを名指しで否定したトランプによる大統領令が一期目に続いて今回再び発令されることとなった。
連邦政府が建設する建物は伝統を重んじた古典主義的建築でなくてはならないという「美しい連邦公共建築」という名の大統領令。確かに公金が使われる建物が住民の感性で受け入れがたいようないわば芸術家たちにだけ称賛されるものであってはならないというのはエリート主義を叩いてのし上がってきたトランプにしてみれば必然的とも思える。
ブルータリズムが第二次大戦後台頭してきたのは安価な材料であるコンクリートにより工期も短く済むため戦後復興にとっても役立ったからだ。それと同時にその柔軟な工法が設計する者の作家性を反映させやすくもあった。このブルータリズム建築が美しいか美しくないか、それは確かに賛否が分かれるところではある。
その無骨で殺風景とも思えるシンプルな外観は実際に多くの住民に嫌悪感を抱かせるものもある。それを意図した設計でもあるのだが。
本作ではトートの設計による礼拝堂が景観にそぐわないという住民に対して住民説明を行う場面がある。彼の設計がいかに優れているかをプレゼンして住民に納得してもらうシーンだ。
美しいか美しくないかは見る者の感性にゆだねられる。それを判断するのはその人次第だが大統領令はそれを一概に美しくないとして一切を否定をしてしまう。これは価値観の押し付けでしかない。美的感覚は人によりさまざまで時代によっても移り変わるもの。そのような感性を画一的に一方的に否定する大統領令は彼の多様性否定の姿勢そのものでもある。
地域住民の納得の上でトートの建築は受け入れられる。これが大統領令に対するアンサーである。一見受け入れがたいデザインの建築物でもそのコンセプトを説明して理解してもらい地域住民に受け入れてもらえればなんら問題はない。一様に否定する大統領令がどれだけ愚かなのかを本作は訴えている。
自分とは異なる感性を否定する、他者を受け入れないという多様性の否定がかつてのホロコーストを生み出した。ホロコースト生存者を主人公にした本作がこの大統領令に端を発して製作されたのがよくわかる。
歴史は繰り返される。本作は他者を排斥し多くの異なる民族を悲劇に追いやった現代のホロコーストの再来を危惧して警告を発するための作品であると思える。
ホロコースト生存者の建築家トートはアメリカに渡りそこで大富豪のハリソンから支援を受け彼の依頼で礼拝堂を兼ねた複合公共施設の設計を手掛ける。
ハリソンはトートの才能にほれ込み、彼への支援を惜しまなかった。しかしトートは自分の思う通りの建設がなかなか進まないことに苛立ちを覚えていた。そんな時ハリソンが経営する運輸会社の列車事故により事業は中止されトートは一方的に解雇されてしまう。
事故処理が事なきを得ると途端にトートはハリソンに引き戻される。ハリソンによる気まぐれでトートが翻弄されるのはこの時だけではなかった。出会いのきっかけもトートが彼の書斎のリフォームを行なったことに対して激怒した彼がトートを追い出したことにあった。
ハリソンは一代で事業を成功させた富豪であるが、芸術的才能には恵まれなかった。トートの才能にほれ込んでいるようで実際彼の才能はもとより彼の人格についても理解などしてはいなかった。ただトートが有名芸術学校出身で業界で注目された建築家であることに目をつけたに過ぎない。彼を訪ねたのも書斎が雑誌に取り上げられたからだった。
彼にとってトートは彼の邸宅の数々の贅を尽くした装飾や調度品と同じくお飾りでしかなかった。トートは彼の権威をさらに箔づけするためのペットでしかなかったのだ。それは彼を糾弾するトートの妻に対して彼自身の口からも語られる。
かつて建築の分野で名声を手にしたトートはナチスの迫害によりすべてを奪われ、このアメリカではただの日雇い労働にしかつけなかった。ハリソンのような富豪のパトロンに頼るしか彼の才能を生かす道はなかった。たとえペットの身に甘んじても。
自由の国アメリカ。ホロコーストから逃れて自由を手に入れられると思っていた芸術家にとってそこはナチスの収容所と同様、囚われの身であることに変わりなかった。資本主義という名の牢獄の。
アメリカは彼に自由を与えてはくれず彼に与えたのはアヘンだけだった。薬物中毒になってしまった彼は妻の言う通り祖国イスラエルに渡る決心をする。
終始芸術家である主人公が実業家である大富豪に翻弄される姿はまさにトランプ政権下で翻弄される現在のアメリカの芸術家たちを見ているようだ。
今回の第二次トランプ政権によりアート界は危機感を抱いている。第一期でも文化芸術への支援が削減されたり、ムスリムの国々への渡航が禁じられたりと芸術家同士の交流が阻害される政策が次々とおこなわれた。
今回の政権でもさっそくトランスジェンダー否定をはじめとする多様性を尊重するDEI(多様性、公平性、包括性)事業の廃止を掲げている。
多様性こそがイノベーションを生む、それは芸術の分野に限らない。経済においてもアメリカの大手IT企業の創始者の六割が移民または移民二世だったりする。そもそもトランプの祖父自体がドイツからの移民であるし、イーロン・マスクも移民の子孫だ。
多くの移民を受け入れてきたからこその現在のアメリカの繁栄がある。それは多様性から生まれた。それを否定するトランプは自らのルーツを否定するようなものだ。
トートがアメリカで手掛けた礼拝堂はやがて完成する。建物の外観は収容所をモチーフにしながらも高い天窓から空を見上げる設計。それはトートの抱き続けた真の解放への思いが反映された建物であると同時に富豪が自ら命を絶った資本主義の墓標でもあったのかもしれない。
トランプの大統領令がいう古典主義的建築なるものは古代ローマやギリシア建築の要素を取り入れた建築様式を言うが、それは時の権力者たちが自分の権威を象徴するためにその多くが作られた。
外観に装飾を施した伝統的な建造物は歴代の為政者たちがその権威を表すために贅を尽くした装飾をまとわせた虚像でしかない。簡素で装飾をまとわないブルータリズム建築はそれとは真っ向対立する。まさに機能性だけを重視し、そこに権威が入り込む余地はないのだ。
権威主義に溺れるハリソンの下でトートがこだわり続けたのがまさにこれだった。反権威主義、彼は自分を支配しようとするハリソンの下で真の解放を目指していたのだろう。
資本主義の象徴ともいえるハリソンはトランプの姿と被る。そんな彼がトートを凌辱したことを糾弾されて建築途中の施設で自害をする。
トートの建物は資本主義の終焉を表した資本主義の墓標でもあり、権威と戦う芸術家たちの解放を象徴したものでもあったのかもしれない。
本作はまさにトランプ政権下で多様性や自由な思想がないがしろにされてることへのカウンター的な作品と言えるだろう。
ちなみにブルータリズムを否定するトランプだが、彼の成功者としての証でもあり象徴でもあるトランプタワーはまさにこのブルータリズム建築そのものであった。
トランプタワー設計に携わったバーバラ・レスによると当時建設を急いだために不完全な図面をもとに工事を始めたので、建築途中での変更にも柔軟に対応できるようにほとんど鉄骨を使わず大部分をコンクリートで建設した。
ブルータリズムを否定するトランプがブルータリズムの恩恵を受けていたという皮肉。また伝統を重んじた古典主義的建築などという彼だが、トランプタワーの敷地として購入した場所には歴史的価値ある装飾が外壁に施されたボンウィットテラーデパートの建物があり、外壁に施されたレリーフは当時の五番街の象徴でもあった。街のシンボルでもあるその装飾をメトロポリタン美術館に寄贈することを条件に取り壊し許可を得たにもかかわらず工事を急ぐあまりその約束を破り装飾ごと解体してしまったのだ。伝統的建造物を重んじるなどと聞いてあきれる。
ちなみにトランプの会社が当時この解体工事で雇い入れたのはすべて不法移民であり低賃金労働させて経費を削減したという。
ストーリー➕壮大な景色が見応えあり
ホロコーストを生き延びたというコメントからそういう要素の映画を想像していたが,これは全然違った。
1人の芸術家の半生が描かれていた。もちろん人種差別的要素も多分にあるけれど、1番の見応えは自分の求める芸術を実現しようとする彼と,それをお金と権力の力で押さえつけてくる者たちとの戦いであり、薬に頼って壊れていく彼の苦悩だ。妻の言う,彼にとっては台所を作り直すくらいのこと、とても刺さった。聡明な妻だ。
そして,特筆したいのは,壮大な景色。映画館で観る価値のある映像だった。
斬新で独創性が凄い。ドラマ的にも濃くて人間の郷の深さを炙り出す。
野心家が考え抜いた奇抜さが光る。
その点は大いに認めます。
この映画は比較的に低予算で作られたと言う。
それにしては凝ったカメラワークだ。
《優れてる点》
①タイトルロールのカッコ良さ。
まるで書籍のレイアウトみたいな凝った文字が横に流れる所、
グラフィックデザインとして面白い。
②音楽・・・場面、場面を盛り上げ、先導して驚きを誘う。
正にラストのヴェネツィアで行われる現代建築のビエンナーレ展・・・
そのオーケストレーションの華やかさ、
そしてエンディング曲ははガラリと現代的なテクノポップで
ガンガン鳴らして盛り上げる。
実に見事なものだ。
《否定的な気持ちになる点》
①虐げられてきた民族の持つ被害者意識は当然だと思う。
②著名な建築家ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)の、
その建築家としての凄さが見えてこない。
★トートが架空の人物であり、映画はフィクションであることから、
『TAR』と比較されがちだが、ター(ケイト・ブランシェット)は、
トートの数倍、天才肌で、実際天才に見えた。
エイドリアン・ブロディのどこに天才のカリスマ性があっただろう?
★☆予算の関係で勿論実際に建築することは叶わず、殆どがVFX。
一番肝心の後半の殆どを費やす、恩人の大富豪のハリソン・ヴァン・ビューレン
(ガイ・ピアース)が母親を記念して建築する
コミュニティセンター。
ネタバレになるがその完成した姿は、ナチスの強制収容所を模した建築物・・・
と言うのだが、31メートルの高さの吹き抜けにで天窓もあり光も差し込む。
そこが強制収容所だと聞かされても、とてもそうは見えないのだ。
ブルータリズム様式建築の素晴らしさが、浮かんでこないのだ。
❷何より驚いた点。
妻のエルジェーベト(フェリシィ・ジョーンズ)が、10数年ぶりの再会で、
いきなり車椅子に乗って現れたのにも驚いたが、
もっと驚いたのは、恩人のヴァン・ビューレンの家に乗り込んできて、
「お父さんは“レイプ魔“」と喚き散らす所。
1911年生まれなら、トートは30歳を大きく超えていて、自由恋愛であり、
どちらが誘ったかも、ゲイだとか?恋愛感情があったか?とか、
レイプシーンなんてまるでないし、これは夫からの情報なのか?
それにしても伏線となるシーンがほしい。
あまりにも唐突で恩人に失礼で、“恩を仇で返す“そのものではないのか?
これが顕著な欠点です。
❸アカデミー賞主演男優賞を受賞したブロディの
スピーチの長さと内容のなさ。
好きな点や嫌いな点を挙げできましたが、
映画館で観て良かった事は確かです。
3時間半の上映時間と、間にあるインターミッション。
後半は甘いコーヒーとポップコーンを食べながら、
リラックスして観れました。
思ったより難解な映画ではなかったです。
ただ勿体ぶった、ハリソン・ヴァン・ビューレンとか、
(貴族と書いてあるのもあって、アメリカに貴族吐いないですし、
東欧から亡命でもしたのだろうか?
トートの妻のエルジェーベト。エリザベスでダメなの?
全てにおいて、気取り過ぎてるよ。
でもガイ・ピアースはとても素敵だったし、
フェリシィ・ジョーンズの頑張りにも目を見張った。
作曲賞と撮影賞は、おめでとうと言いたいです。
無にも満たない
こないだ鑑賞してきました🎬
建築家ラースローの数奇な運命を描く、200分超えの壮大なストーリー。
ラースローを演じるのはエイドリアン・ブロディ🙂
建築家としての腕は確かで、彼なりの美学も持っています。
一方、煙草の本数はかなり多く、ドラッグもやっており、破滅的な面も。
時限爆弾にも似た刹那的とも言える演技、アカデミー主演男優賞に輝いただけあります。
ラースローの妻エルジェーベトにはフェリシティ・ジョーンズ🙂
彼女は初めて観ましたが、知的な印象を受けますね。
夫との手紙のやり取りもスマートな感じで😀
時折みせる鋭い表情と、数回ある痛みを訴えるシーンではまさに迫真の演技でした。
ハリソンにはガイ・ピアース🙂
初登場時は怒鳴り散らし、かんしゃく親父にもみえますね。
しかしラースローの経歴を知ってからは、彼を雇い入れますが…。
ただの富豪では終わらない、抜け目なさが見え隠れする演技でした🤔
途中15分の休憩をはさみ、約3時間半の上映時間の本作。
覚悟して臨みましたが、それでも長かったです😅
しかしホロコーストを生き延びた男の壮大なヒューマンドラマは見応え充分👍
アカデミー主演男優賞も受賞しているので、ぜひ映画ファンには観ていただきたい🎬
そして、一日をこの映画に費やすつもりでいくのがベストです🖐️
アメリカの差別と偏見の現実
戦後数十年に渡って建築家の人生を追いかける物語となると、アメリカンドリームを掴んだ成功譚が描かれると思いがちだが、さにあらず。むしろ真逆で、自由を夢見てやって来たアメリカで差別と偏見にさらされ、札束で人の頬を引っ叩いて服従させるような資本家に理想を蹴散らされる移民たちの現実を、ラースローとその家族たちを通して描かれている。それは(すでに何人かの批評でも言及されているが)エリス島に到着して船底から這い上がってきたラースローの目に自由の女神が逆さまに映っていることに象徴されている。
もちろん、当然のようにイスラエル建国とシオニズム運動についても触れられるが、自分の信念を貫き通す姿勢と、商売のためなら信仰も何もすべて擲(なげう)つ従兄弟のアティラなどの姿勢との対比を通じて描かれている。とはいえ、信念を貫き通す鉄の心を持っている訳でもなく、欲望にも負ける人間らしい弱さも同時に描かれる。
どの国においても、明るい面だけが存在する訳ではなく、弱い者同士が手を携え合って行かねば生きていくことすら難しい負の側面も必ずある。
図らずも、移民の苦労の上に成り立っているにも関わらず移民を排斥しようとする人物が大統領の座につき、金の力で好き勝手に振る舞う大富豪が側近として重用されている目の前の現実を、ここに描かれている何十年も前の出来事と重ねずにはいられない人々も少なくないのではなかろうか?
しかも、トランプは2020年当時にブルータリズム建築を槍玉に上げて、連邦政府の建物は美しい建築でなければならないという大統領令を出したそうで、本作が紛れもなく現代批評になっていることが分かる。
ちなみに、芸術家を描く作品だからだろうが、映像にもそのセンスが発揮されているらしく、デジタルではなく、あえてワイドスクリーンのビスタビジョン方式でフィルムを使って撮影されているそうだ(故の、オスカー撮影賞?)。しかも、冒頭と最後のクレジットを表示するテロップも、こんなの見たことない!というフォーマットになっている。
「到達地」より「旅路」を愉しむ映画
「大事なのは到達地で、旅路ではない」という台詞とは反対に、「到達地」より「旅路」を愉しめる映画だった。自分は、建築家でも移民でもユダヤ人でもないので、ラースロー(Adrien Brody)の気持ちを分かった気になりたくない。それでも3時間長、居場所なき建築家の流浪から目を離せなかった。終盤に妻が投下する爆弾や姪が語る種明かしが「到達地」であったとしても、ラースローが苦闘する「旅路」こそ愉しめる快作だった。
⛪️
1. 居場所なきユダヤ人
序盤で印象的だったのは、娼館で投げつけられる言葉。ラースローの娼婦への美的評価への買い言葉ではあるが、お前の顔こそ醜いとう返答は強烈だった。ユダヤ人は、鼻の大きさや形を何かと揶揄されガチ。ホロコーストを何とか生き延びたラースローに、USAでも投げつけられる分かりやすい差別。新大陸での生活にも暗雲が漂う滑り出し。
とは言え、本作の終盤でも語られる通り、ユダヤ人はシオニズム運動の結果、イスラエルという「到達地」を得る。何世紀にも亘る迫害を考えれば、「祖国」の新設は悲願だったろう。ただその為に追い出されたアラブの民(パレスチナ人)はどうなるのだろう。幾度の戦争で領土を拡大し、パレスチナ人を虐げてきたイスラエルは、ヒトラーと何処が違うのだろう? 「結果が大事で過程はどうてもいい」だって? イスラエルの安穏という結果の為に、ガザを殲滅しまくるユダヤ人がどんどん嫌いになっているのが、現在の偽らざる感情。
🏡
2. 椅子を照らし出す図書室に感銘
本作にグッと引き込まれたのが、ラースローがビューレン家に造った図書室。本棚を壁に埋め込み、雑多な家具は排除し、余白を贅沢に堪能する空間。天井から差し込む光に浮かび上がるチェアが何とも言えず美しかった。アカデミー音楽賞を獲った劇伴も素晴らしい。場面によって局長は千変万化するが、アートを表現する場面の音楽が、得も言われぬ心地よさ。
NHKドラマ『ノースライト』(2020)を想起した。横山秀夫・原作で、建築家が主役のミステリ。ブルーノ・タウトのチェアが重要な鍵となる。映像作品はやはり総合芸術。造形美の表現に、椅子と光とモダンな音楽の相性はいいらしい。
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3. レイプはあったのか?
終盤で妻エルジェーベト(Felicity Jones)が富豪ハリソン(Guy Pearce)に投げつける「強姦魔」。被害者はラースローらしい。映像的な匂わせは、大理石を求め訪ねたカッラーラ(イタリア)の夜。ヘロインに溺れたラースローを富豪はホテルのベッドで襲ったのか? エルジェーベトの伝聞以外根拠はないものの、直後にハリソンは疾走。1960年代前後、男色をアウティングされただけで自死してもおかしくない。ハリソンの生死は不明だが、ラースロー夫妻の告発が妄言でない印象だけが遺る。
敵地に単身乗り込んできたエルジェーベトの怒りは、再雇用後のラースローの様子のおかしさが、強姦に起因すると確信していたからだろう。ハリソンの息子に倒され引きずられても、毅然としたエルジェーベトに夫への愛の強さを感じた。
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4. 高い天井への拘り
1980年の場面で、ラースローが何故高い天井と、地下の通路に拘ったのか種明かしされる。部屋の狭さはナチの強制収容所を模したもの。天井の高さは自由の象徴。部屋を繋ぐ通路は夫婦の永遠の繋がり。
終盤の仕掛けに「へー」ボタンこそ押したが、伏線回収の心地よさはなかった。それ以上に、ラースローの人生の歩み一つ一つを堪能できた。
🏨
László told his niece, "No matter what the others try and sell you, it is the destination, not the journey." However, I enjoyed the journey of László, but not his destination.
アメリカンドリームって到着点が大事
まずは、本作品はフィクションです。
勘違いさせそうな展開は評価します。
序曲、主人公の姪が尋問をされています。その後、主人公が逃げるシーン、バックでは妻の手紙が読まれています。
この始まりと上映時間215分に不安を抱えながら観賞。
第1章
主人公がアメリカに到着したところからの始まりです。
注目すべきは高らかなファンファーレと逆さまに映した自由の女神。
新たなスタートに対する皮肉のようなシーンです。アメリカで成功した親戚をたより家具屋で世話になる主人公。ここからサクセスストーリーの始まりと思ったら、まさかの裏切りで宿無しになります。すると新たな光が届きます。主人公が著名な建築家とわかり、住まいどころか、妻と姪までアメリカに移住できることになります。
第2章
実業家から多目的なコミュニティーセンターの建築を任されます。しかしここでも様々な困難が発生し、遂には中止にまでいたりますが、完成することになります。
1947年から1980年を描いていますが、この長さの割には物足りないむしろカットしたな?と思う事があります。いきなり年数がとんだり、肝心の建築の様子も柱が立っていたと思ったら次は完成間近となっています。
異国の芸術性は憧れるが合理性にかけると金は出さない。
ユダヤ教よりキリスト教。
新参者はしゃしゃりでない。
屈辱されても受け入れろ。
アメリカドリームを求めたけど散々な旅路でした。
エピローグで、「大切なのは旅路ではなく到達点が大事」と語られます。
主人公の人生は救われたと思わせるラストだったのではと思いました。
215分 動画配信やDVDで鑑賞するにはかなりの体力が必要です。劇場で監禁されて観ることをお薦めします。
ユダヤ人建築家の半生
3時間超えと聞くと、毎回、躊躇。しかも皆さんの評価が結構割れている…でもそれで逆に興味が湧きました。
インターミッションのある映画は、2年前にリバイバル上映で見た「ゴッドファーザーpart II 」以来。
それに昔は休憩挟んで二本立てが普通だった。その時間感覚と同じ気分で行くかーと映画館へGO!
*****
やはり休憩があるせいか、そんなに長いと感じなかった。ぶっ続けにすると長く感じたかもしれない。
ホロコーストを生き延び、アメリカへやってくるハンガリー系ユダヤ人の建築家ラースローの半生を描いた物語。
妻と姪と離ればなれの前半と、2人に再会してからの後半。私は後半の方が良かったかな。
冒頭の自由の女神が印象的だったが、そのアメリカが彼らの新天地として相応しいものだったのかどうか。
とりあえず苦難と共に過ごすユダヤ人の彼らが幸せに見えなかったし、イスラエルに移住する あまり話さない姪が、ラストでラースローの道のりをスピーチ。そんなところにもユダヤ人の意思が表れてるんではないかと思った。
面白かったかというと微妙。
原題:THE BRUETALIST
長さを感じさせない
インド映画顔負けの尺の長さ。
や、これは水分取らないでおこ、と。
でもインド映画にはないインターミッションがあった!
しかもたっぷり15分。
実話かと思ったが、創作?
渡された特典パンフを見てうっかり騙されそうになったわ。
実在の建築家かと。
しかしハンガリーからアメリカへ。
必死の思いで船に乗って来たユダヤ人は実在しただろうな。
アメリカ人には理解出来ない薬に頼ざるを得ない彼らの苦悩。
幸せになるかと思いきや…
ちょっとわからなかったのは最後の奥さん殴り?込み。
薬漬けなのは旦那さんだったのでは?
そしてキャラ変した姪っ子。
鑑賞動機:賞レース10割
上映時間に恐れをなしていたが、インターミッションありということで、鑑賞に踏み切った。
美しい建築が必ずしも利用や管理がしやすいものではないというのを、毎日嫌というほど味合わされているので、光の十字以外は正直ピンとこない。
時間も長い上に余白も多い。その上、終盤やエピローグで明かされることを額面通りに受け取るのは危険に思えた。当然意図はあるのだろうが、単純に割り切れない部分も多いように感じた。
追記
主演男優/撮影/作曲
撮影は序盤の長回しからの自由の女神差し込んできたり、逆に建造物は短いカットで切り替えたり、編集含め色々やってるなとは思った。
作曲も合間合間で妙に耳に残る…耳につく曲が流れてて、意識させられたけど。
難解な事なく、意外と力作♪ が、後半に問題あり。 ★3.7
「TAR/ター」ほど難解でなく、「哀れなるものたち」ほどグロくなく、「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」ほど冗長ではない。 意外にじっくり見せる力作だった。
タイトルは、ブルータリズム建築と、
Brutal(粗野な、厳しい、冷酷な)ist(~な人)を掛けた意味かと。
さすがに長いと評している方もいるが、私はそう感じなかった。
迫害を感情のベースとした物語に、建築家としての腕の見せどころが相反する進展にオリジナリティーを感じ、ゆったりペースだがかなり引き込む。
ブロディーは喜怒哀楽全ての表情を見せた。 が「TAR/ター」のブランシェット同様で熱演には間違いないが、唸るような名演技に見てる方も同調した・・ほどには感じなかったのも事実。 (でもアカデミー主演男優は獲りそうな予感)
↓序盤展開含む
ただ冒頭のみ私には酷く感じた。
夢の国への船内は暗く、到着時になにがどう動いているか分からぬ描写で、いきなりマイナスポイントに。
そして明るく現れたニューヨークのシンボルは 逆さま?
何意味するのか思考中に、今度は横向き!(予告で流れるが私は初見)
「何だこの演出?」
このシーンは建築物を多方向からの観察、と評価している方もいるが、
私的にはビデオカメラを初めて購入した者が、遊んでいる様なとても稚拙な演出に感じた。
日中でも暗いシーンが続き、娼館でのリアル性描写もこの作品には不向きで、掴み映像としているなら、それは悪手。
ラジオナレーションがホロコースト状況を伝えながら映像も動き、両方の解釈に神経を使う為、作品そのものが入って来ない・・。
これは楽しめるというより、我慢する3時間になりそうだと、序盤からため息が出る・・。
が、その後家具店に赴くシーンからようやく物語が動き出し、引き込む。
一度は憤怒した資産家が、謝罪の為合うシーンは、前半一番の起伏ポイントで見所♪ 自身の過去建築写真を「もらってもいいか?」との台詞が、
グッと来て一番感情が傾いた。
それは自身の輝かしい履歴書であるから。
こういう描写が随所で存在すれば、文句なしの作品賞候補になっただろうと・・。
前半だけなら★3.9~に評価。
が、問題は後半でそれにより★減点
↓後半ネタバレ含む
「暗」に展開するのは致し方ないとしても、急転する様なシーンが増え始める。
談笑から、作業員に憤慨・・。
大理石断崖の美しく素晴らしい絶景をじっくり描写せず、作業所でのダンスパーティー?
採掘決定の祝宴にしては、娼婦の様な女性との唐突な絡み。
その後の暗シーンで、はっきり分からぬ描写が、LGBTとは!
序盤の家具店主との妙にベタベタした動作や、
娼館での性描写・ダンス女性を相手のしなかったのは、その伏線?!
にしては唐突過ぎるし、実業家ピアースにはそんな素振りが全くなかった様に思う。
そして結末は私が他作レビューでもよく批判している「逃げ脚本」・・。
(主要人物の死を持って作品に重厚感を増す、安易な脚本)
後半まで視聴者を引きつけるアイデアが持続せず、
アカデミー作品賞必須項目の "マイノリティ要素" を無理矢理挿入したイメージで、急に冷めてしまった。
エピローグでも建物実物の全体像を見せず、小さな大理石に十時が差すだけの描写。
実在の名建築家「安藤忠雄」設計 ”光の教会” を知っている者なら、
十時光サイズを小さくしたパクリじゃないかとすぐ分かる。
結局、圧倒する"物"は見せずに終わった後半に、★評価が下がるのも止むなしに。
ただ、この人物と物語は非情に独創性があり、
脚本を少し手直しして脇役にも魅力ある者を登場させ。
もっと年期の入った監督が撮れば、
映画史に残るような傑作になった予感もするので、非情に惜しい作品だとも感じた。 (コーベット監督はまだ若干36歳)
もしコーベットが作品賞の対象となる事を意識してこの脚本を書いたなら、もうアカデミー作品賞必須マイノリティ項目はハリウッドの為にも排除した方がいい。
トランプさんが米大統領に返り咲いて、この世に性は「男と女の2つしかない!」と明言して、
トランスジェンダーの女性競技参加を廃止したのを機に、
アカデミーも不要なLGBT推進の波が静まればよいのだが・・。
PS
劇伴がよいと評価している方も多数いて、
確かにそのシーンの雰囲気にインスト曲が合っている場合も多かったが、
音楽好きな私には違和感を感じた場面も複数。
まず家具店内。
高額品を売る店では、早いテンポの曲はほとんど流さない。
(会話の邪魔をしてノイジーに聞こえた)
落ち着いて品定めするには、スローな曲が必須。
丘の上からピアースが夢の提案を語っているのに、
不協和音の様な不安を醸し出すBGM。
ここは聞いてた者に拍手させ、メジャーコードの盛り上げる曲を流す方が、
見る者は感動するのでは?
後に出る資金面等の不安要素を暗示しているのかもしれないが、
初めて見る者には、まず違和感が湧き、使うのが早すぎたイメージが。
エピローグ開始時点での、シンセサイザー音の様なエレクトロポップはいくら何でも今作には不向き。
エンドロールがまだ終わらないうちに、曲がストップ。
その後もそこそこ長く文字は続く。
やはり違和感が。
斜めの文字列と共に、若い監督が安直に奇をてらってる様に感じた。
たしか「TAR」もエンドロールに凝っていた様な・・。
もし私がエンドロールに凝るなら、
文字列を全て、個別の "四角い長方形の塊" にして、文字で建造物を表すだろう♪
ユダヤ人で、移民で、差別されて、無駄に長いという、いかにもアカデミー会員が好きそうな、小癪な映画だ!
3時間35分!途中に休憩が15分入るが、ケツが痛いったらありゃしない。俺は、109シネマズの会員なので、プレミアムシートは追加料金無しで鑑賞できるから( 宣伝です) 何とか、持ち堪えたが、普通の椅子なら耐えられなかったかもしれませぬ。危うくケツが四つに割れるとこだった。
ビルヌーブのブレードランナーをありがたがる層なら平気なのでしょうか。
アカデミー賞10部門ノミネートで、A24作品と聞いて見に行かない映画ファンはいない筈。
入場者特典として、主人公の制作した建築物を紹介した冊子を貰えるが、お察しの通り、この建築家は存在しない人物だ。日本限定の特典かもしれないが、A24は手間をかけすぎ。どうかしていると思う。嫌いじゃないけど。
主人公の建築家に、博多にわかせんぺい顔のエイドリアン・ブロディ。劇中で、いつピアノを弾くんだ?と楽しみにしていたが、今回はピアノは弾かない。
でー、ユダヤ人だから差別されるワケだ?大金持ちの我儘に振り回されてね?この嫌味な金持ちにガイ・ピアーズ。演技力があるから、チョー、ムカつきます。
金持ちが、指示して作っていた教会の建設途中で、資材を運ぶ列車が、固縛を適当にしたせいで、
↑ 固縛って、聞き慣れない言葉かもしれないけど、重量物を積む時に、落ちないように、しっかりと固定する作業の事です。俺は川崎から撤退してしまった川崎JFEで重量物の積みつけをしていたけど、荷を固定するには資格を取らないといけないのです。それでも、事故は起きてしまうんだけどね。
荷が落下して、重大事故となり工事がストップして、建築家はあっさりクビになる。まぁ、それで終わったら、お話しにならないので、何やかんやあって、教会は完成する。
ところが、ぎっちょん。同居している姪っ子がイスラエルに入植するから、にわかせんぺい叔父さんも来て!と説得される。ほらな?こういうエピソードを入れたら、ユダヤ人が多いアカデミー会員は喜ぶワケだ。
でだ?この長い物語にもようやく終わりが来て、字幕が流れるのだが、
エピソード1と表示されて、
↑ うろ覚えだが
げ!これって、エピソードが三つくらいあるのか?もう、俺の膀胱のLIFEはゼロよ?
と、泣きそうになったが、エピソード1だけで終わってくれて安心しました。
EDロールが斜めに流れるのだが、ED曲のカッチョいい音楽とあいまって良いのだ。我慢して、最後まで見た観客サービスなのだろうか。
結論までが、たらたら長いのは、俺の個性だから、ごめんなさいだけど、
で?この映画は面白いの?
と、思う方もいると思うので、怪傑ズバット言うと、
アカデミー賞を取る為のハウツー映画だYO!!
とでも言っておこう。
どうせ、受賞しまくるんだから、スピーチの内容を確認する為に見ればいいんじゃない?受賞結果を見て、この映画を見て、
何?この無駄に長い映画?こんなんが、アカデミー賞最多ノミネート?意味わかんねー?デストローイ!!
と、叫ぶ人達の顔が目に浮かびます。面白い映画を求めている人には絶対にお勧めできない映画です。
でも、俺はA24映画を見続けるのだ!次回作は傑作だと妄信しているから。
えーと、次回作は「 ベイビー・ガール」3月28日公開は、ニコール・キッドマン主演のエロチックサスペンス?
一部の好事家にだけ刺さった、カルト映画 「 氷の微笑2 」みたいなヤツか? 何か、不安になってきたぞ?まぁ、見るけどなw
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