ブルータリストのレビュー・感想・評価
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逆さまにそびえる女神像に見守られし神話
それはありきりの形状に囚われず、どこまでも大胆で、かつ怪物的だ。そしてこの国(アメリカ)をめぐる怪物的な映画は、誰もがすっかり忘れた頃に時折姿を現す。以前同じ感覚を憶えたのは『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』か。アメリカンドリームと人は言う。確かに主人公もまた欧州の地獄から逃れ、一縷の望みをこの国に託した人物だ。ある意味で彼はその微かなチャンスを掴み、またある意味では、自分こそ真の理解者だとのたまう横暴なパトロンに振り回され、その人物に愛されては嫉妬され、資本主義の歯車の中で徹底して蹂躙されていく。いわゆる渡米したユダヤ人の半生を重厚感たっぷりに描きつつ、と同時に、さながら現米政権を司る人たちともよく似た一部の米国人たちの王様気取りの姿をも鏡面的に描き出し、全ては建築という緻密で謎めいた構築物へと託されていく。かくも巨匠ですら不可能な城を築き上げた30代の鬼才コーベット、心底恐るべしである。
An Intricately Designed Picture
Every bit as a labyrinthine, audacious, colossal, and dedicated a piece of artwork as the facility Brody's fictional architect toils at great expense. The story of a practiced tradesman and Holocaust survivor who rises from rags to supporting the rich, this layered and oversized story might have one believe it is a true tale. It's grand cinema that arguably succeeds to be this era's Citizen Kane.
私にはいまいち
Destination
ユダヤ民族がテーマとなっているので、そこは避けて通れない。ただ、当時生き延びたユダヤ人と現在のイスラエルのあり方を同一線上に置くことは正当ではない。坂の上の雲の先にインパールがあったとしても、双方の評価は別でしかない。現在のイスラエルは現在の行いにより評価されるべきであって、過去のユダヤ人の労苦や凄まじい建国への道のりを踏まえて論じるべきではない。
グロピウス・ミース・プロイヤーも終戦前にすでにアメリカで成功をおさめており、既に実績がある建築家でバウハウス出身であれば、最初の路頭に迷う展開は首を傾げる。また哲学的で協調性がない主人公の姿は、一方的な建築家イメージのようで好感は持てなかった。
カメラワークや絵作りには感心するところも多数。父を探す息子を追いかけるカメラワーク。石切場の美しさ。ただし、いくらなんでも長過ぎる。
2時間半超の映画にはインターミッションを!
今のイスラエルとは違うな
良い作品だとは思うが テーマはどこに…
本作の重苦しそうな雰囲気にあまり興味が湧かず劇場では観逃してしまったが、第97回アカデミー賞10部門ノミネートで主演男優賞・撮影賞・作曲賞を受賞ということと、推しであるフェリシティ・ジョーンズ出演作ということで無料配信開始早々に鑑賞。
かなり評価の高い作品だけに映像や音楽等々とても凝っていたため上映時間200分もさほど長くは感じなかったのだが、個人的には特別感動するほどではなかったのが正直なところ。
終始様々な問題が入り乱れていて、結局何を伝えたかったのかテーマがぼやけた印象に。クレジットや音楽も本作の雰囲気に合っているのか。軽快に横へ斜めへ、その趣旨は?
そして何より、やはり重いというか暗すぎて萎える。
推しであるフェリシティ・ジョーンズも、今まで観た出演作の中では一番役に合っていなかったようにも思う。
良い作品だとは思うが、何度も観たくなる感じではないかな。好みはそうとう分かれるだろう。
われわれは無だ 無にも満たない
大事なのは到達地ではない
旅路なのだ
最後のテロップで流れる言葉。
だが、この「旅路」という言葉があまりにも重い。
ホロコーストを生きながらえた、ハンガリー系ユダヤ人の建築家ラースロー・トート。
彼にとっては、このアメリカ文化、アメリカ人気質、偏見・差別への抵抗の「旅路」。
陰謀論はびこるアメリカの裏切りと、味合わせられる屈辱。
淀んだ映像は、時に観るに堪えない感情で充たされる。
ホロコーストを逃れた自分とホロコーストで迫害を受けた妻の再会。
それは、ホロコーストに蹂躙された二人の運命の第二章だった。
トートは絶叫する。「われわれは無だ。無にも満たない」と
収容所を連想しながら、天井には光が。彼の旅路の果てにふさわしいモニュメント。
そこに、ホロコーストを超えるために、一生を捧げた建築家の強い執念を感じた。
2025/9/25 11:43
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消化不良
長い...!
そしてテーマを詰め込みすぎて主題が掴みきれず消化不良感が否めない。
制作側の自己満的な演出も多いので若干のしらけ感もあるけれど、
それでもアメリカにおけるユダヤ教徒の歩みを学べる作品として素晴らしいと思う。
アメリカと移民の関係性やユダヤ教の思想を学ぶ良い機会になった。
大事なのは旅路ではなく到達点。
他の作品だと逆のことを言うものもありそうだけど、本作はこの言葉がしっくりくる。
旅路がどんなに辛くても、惨めでも到達点が重要なんだと自分に言い聞かせてこれまでをどうにか生きてきた主人公の人生がとても切ない。
きっと何度も見返して、その度に少しずつ消化できる作品なのかなと思う。
演技が素晴らしい映画です
満足感
才能にあふれるハンガリー系ユダヤ⼈建築家のラースロー・トートがホロコーストから⽣き延び、アメリカに到達するところから始まる。
あっという間の3時間半でした。エイドリアンの演技に魅了されると同時に、彼の建築した図書室は見事で美しい。
ホロコーストがら逃げ出し正気でいられる方が、難しい。ヤクに走るのも無理はない。天才建築家の心は徐々に蝕まれて行く姿はノンフィクションを見ている様。妻と共に母国へ帰国を決心する苦悩はエイドリアンルーツも考えてしまう。
エイドリアン、ガイピアースいい味出してだなぁ、歳とっても映画にでて欲しい俳優、フェリシテはいつも確実な演技で三人が揃えば豪華な映画となり、充分堪能しました。
ハリソンの最後はきっと自決なんだろね。
最近のアカデミー賞作品はとてもつまらない
カタチから入った空疎な映画
ビスタビジョンによるフィルム撮影、
インターミッションを挟んだ100分×2の伝記風、
というカタチを先に決めたんじゃないか。
いずれも「ふるきよき時代」の映画を意識したんだろう。
エピソードは、
どこかで見たような話の
よく言えばコラージュ、
気を遣わずに言えばツギハギ。
ユダヤ人に対するホロコーストは特に描かれないが、
薬物中毒、
手の裏を返す親類、
アメリカでの偏見、
成金のコンプレックス、
事故による頓挫、
イスラエルへの移住、
等々が散りばめられていて。
それなりに飽きずに観られるんだが、
ブツ切れで心に残らない。
必然性が感じられない。
ただ、妙に執拗に描いていたのは、性への衝動。
主人公ラースローがアメリカに上陸して最初にしたのは
娼婦を買うこと。
妻のエルジェーベトがアメリカに上陸して最初にしたのは
夫と致すこと。
最後の方で、成金を非難する言葉が、
「**魔」
この辺、監督・脚本家の性質(あるいは主張?)が表れている気がする。
総じて、
一見、重厚さを漂わせた大作のように見えるが、
内容の空疎さを感じざるを得ず。
長編小説を読み終えたような重厚な満足感
才能ある建築家の生きる様
…エイドリアン.プロディ
の巧みな演技に引き込まれていく
先日、戦場のピアニストを観ても感じた
悲哀を帯びた演技が最高に惹かれる
筋としてはどちらも戦争下と戦後の話
ピアニスト今作は設計建築家の違いが
あるがユダヤ人の役柄は同じです
この二つの作品どこか被ってみえた
ブダペスト生まれのラースロー
自由を求め
戦後1947年のアメリカ
ペンシルベニア高度発展に沸く街
に移り住む
配給を貰いながら暮らす生活
ほどなく従兄弟の元で働くことになったが…
時間にして三時間以上の大作
時代背景のおもしろさと音楽も
おしゃれで映像を引き立てている
そして主人公ラースローを演じた
エイドリアンが総べての作品だと思った
ハリソンに振り回されながら
屈辱を浴びながらも完成を目指す
内面の苦しさ辛さ哀しさの表情
を見事に演じている
建築家として決して曲げない意思と
(こだわり)…ユダヤ人としての苦悩
気持ちの弱さも露に描いて
人間味を感じる
最後は妻によって救われる
一人の才能ある建築家の半生
完成された建物はシンプルで美しい
配信で観ましたが映画館でみたかった作品
「何をしたのか」と「何をしようとしたのか」
何の予備知識もなく観たが、前半は、ざわざわした感じ。カメラが対象に近いためだろう。主人公のユダヤ系ハンガリー人、ラースロー・トートを演じたエイドリアン・ブロディには「戦場のピアニスト」のイメージが染み付いている。ナチの収容所を逃れたラースローがやっとのことで米国に辿り着き、従兄弟の店でチェアをデザインした時、バウハウスゆかりの人間と知れた。彼は、縁あってペンシルベニアの資産家、ハリソン・ヴァン・ビューレンの邸宅の図書室をデザインすることになるが、優れていることはすぐにわかった。案の定、一旦は事情を知らないハリソンに罵倒されるが、その後のストーリーは読めた。多分、映画で使われた空間処理の仕方は、バウハウス出身で米国に渡ったマルセル・ブロイヤーの影響だろう。しかし、彼が設計した図書室の本棚には、パリの「ギュスターヴ・モロー美術館」の窓際の陳列棚の影響が感じられた(これは贔屓の引き倒しか)。
映画の後半では、ハリソンの勧めに従い、彼の邸宅があるドイルスタウンの丘の上に、公的な予算が投入されて、マーガレット・ヴァン・ビューレン・コミュニティセンターと言う名の地域の集会場が建設されることになる。さまざまな制約が課されるが、プロテスタントの礼拝堂を、建物の中心におくことが難関だったと思う。映画に出てきた礼拝堂の天井には十字が刻まれ、我が安藤忠雄の「光の教会」を思わせる(エンドロールで、触発されたことを感謝すべきレベル)。ただ、礼拝堂の室内は、極めて天井が高く、ブダペストやプラハで見たドーム式のシナゴーク(ユダヤ教の教会)を思わせた。実際に、ユダヤ教の信者による集会風景も出てくる。この姿が、設計や建築の段階で想像されたら、地域のプロテスタントの人たちから、どのような非難が寄せられるかは自明である。
映画の最後で、ラースローの姪、ジョーフィアが「旅路より到達地が重要」と訴えて、これまでの経緯ではなく、残った建造物こそが重要とするが、本当にそうなのか。日本の著名な建築家たちは、必ずしもそうは考えていなかったような気がする。中には、自分の設計した建物なんて、100年後には一つも残らないと言う建築家だっていた。世界遺産に指定された建築は、並外れて優れているに違いない。私たちのような一般人には、それが全てだが、おそらく建築家の世界では、「何をしようとしたのか」も負けないくらい大事なのだろう。第一、優れているのに、いつかの競技場みたいに実現しないことだってある。模型や設計図も大事にして欲しい。その精神こそが、次の世代に引き継がれるのだから。
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