ブルータリストのレビュー・感想・評価
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名作なのか???
まず、観る前に驚いたのは上映時間の長さ。
「え、4時間近い!?」
最近は映画観ながらウトウトしてしまうことが珍しくなくなったので、それがまず心配に。半分ビビりながら、いざ観始めるとなんと最初に「INTERMISSIONが有ります」の案内画面。INTERMISSIONは俺的には「午前十時の映画祭」で観た“風と共に去りぬ”以来。最近ではほとんどないので驚いた。
結局100分+休憩15分+100分ということが分り、ちょっとホッとした。映画2本続けて観る感じ。これなら俺には珍しくない(笑)
【物語】
ハンガリー系ユダヤ人建築家ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)と妻のエルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)、姪のジョーフィア(ラフィー・キャシディ)は第2次世界大戦下にナチにより引き離され、別々の強制収容所に収容される。3人ともなんとか生き延び、ラースローは別れ際に妻に言われたとおり、アメリカに渡り、従妹を頼りにフィラデルフィアで生活を始める。
アメリカでも建築家としての才能を生かそうと、最初の仕事を独断で仕事を進めるが、オーナーである大実業家・ハリソン(ガイ・ピアース)に罵倒されクビになる。しかし、オースローの建築家としての実績、世間的評価に後になって気付いたハリソンはオースローを呼び戻し、彼の野心的プロジェクトである町の象徴となる巨大建造物の設計・建築をオースローに依頼する。
またとないチャンスとして全身全霊でその仕事に取り組むオースロー、またハリソンの人脈により難航していた妻と姪の渡米も実現する。オースローは人生が好転して来たと喜ぶが、価値観の異なるアメリカ人たちとの仕事や異国での生活は苦難が待ち受けていた。
【感想】
観賞後に知ったことだが、本作はヴェネチア映画祭やゴールデングローブ賞の受賞作品とのことで、映画のプロの間では高く評価されているらしい。が、残念ながら素人の俺には全然響かなかった。俺にはまだまだ映画観賞眼が無いことを突き付けられたようなものだが、良く思えなかったのだから仕方ない。
まず、とにかく重苦しい。特に音響効果が、重々しい曲が多い。また、作品展開的にも、ホロコーストの苦難から始まり、新天地アメリカでの苦労までは重くて仕方ないのだが、ハリソンに見出されて明るい未来が見えて来来たところでINTERMISSION。 なんか気が晴れた感じで休憩を過ごし、後半が楽しみになった。 なのに、後半またまた重苦しい展開に。
作品の長さも有り、最後はすっかり疲れてしまった。
作品の作りから(特にエンディング)、ラースローはてっきり実在の人物だと思ていたが、観賞後に調べたらフィクション。それにもビックリ。実在の人物と思って観ていたので、「最後にもっと作品紹介や偉業の紹介を入れればいいのに」と思ったが、その謎は解消。
しかしフィクションだとすると、終盤に展開されるラースローの妻がハリソン邸に乗り込むシーンも「実際に何かいざこざが有ったのか」と思って観ていたが、フィクションだとすると「あの展開必要だったのか?」と思うし、真相がどうだったのかハッキリさせないボンヤリした描写にも不満。
いずれにしても、万人が楽しめる作品ではないと思うし、3時間以上の長丁場なので、これから観る方は覚悟の上、ご鑑賞下さい!
ケガされた到達点
ブルータリスト
バウハウスと言えば、
カンディンスキー
パウル クレーなどの絵画を浮かべる。
絵画は大した費用を要しないし、
彼等の作品は室内絵画なので安価な費用で済む。
でも建築になるととんでもない費用が必要なので、どんな高名な建築家でも、施主やパトロンが必要となり、彼等から何度も設計変更、意匠変更や素材変更など幾らでもやり直しされ、更に枕営業もあるだろうな。
これは、人種や民族、宗教などの差別ではなく、費用が高額で、施工期間が長いための惨劇が生じるのは当然のこと。
映画程度でも同じような悲劇が常態として生じてそんな裏話をよく耳にする。
そんなことを今更、3時間半も、あることを元ネタにして見せるような話ではないように思う。
知らんけど…
何が言いたいのかわかるけど、
まあ、中東のリビエラ建設だけはやめて欲しい。
でも、ハリウッドはそんな所らしい。
この映画がアカデミー10部門ノミネートなんだから、それこそ怪しいわ。謎です。
(^ω^)
ブルータリスト
「戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディが主演を務め、ホロコーストを生き延びてアメリカへ渡ったハンガリー系ユダヤ人建築家の数奇な半生を描いたヒューマンドラマ。
2024年・第81回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞し、
第97回アカデミー賞でも作品賞ほか計10部門にノミネートされた。
ハンガリー系ユダヤ人の建築家ラースロー・トートは第2次世界大戦下のホロコーストを生き延びるが、妻エルジェーベトや姪ジョーフィアと強制的に引き離されてしまう。
家族と新しい生活を始めるためアメリカのペンシルベニアに移住した彼は、著名な実業家ハリソンと出会う。
建築家ラースローのハンガリーでの輝かしい実績を知ったハリソンは、彼の家族の早期アメリカ移住と引き換えに、あらゆる設備を備えた礼拝堂の設計と建築を依頼。
しかし母国とは文化もルールも異なるアメリカでの設計作業には、多くの困難が立ちはだかる。
「博士と彼女のセオリー」のフェリシティ・ジョーンズが妻エルジェーベト、
「メメント」のガイ・ピアースが実業家ハリソンを演じた。
「ポップスター」のブラディ・コーベット監督がメガホンをとった。
ブルータリスト
劇場公開日:2025年2月21日 215分
タイトルなし(ネタバレ)
215分の上映時間で前半100分インターミッション15分後半100分でちょうど間を空けて映画2本観る感じで思っていたよりは観やすいかなという感じでした。
前半の王道的な作りからとっ散らかった後半はホント違う映画みたいでしたが。
ラストの旅路より到達点が大事という姪のセリフは、ハンガリー訛りのアクセントの修正にAI使ったのが問題になってるけど出来たのが傑作ならいいんでしょ、というこの映画の関係者の今の本音を予言してるみたいで面白いですね。
新美の巨人たち?
建築とホロコーストの組合せはとても斬新
戦後なのにあの書斎はえっ、とてもオシャレですよ?と思ったけど当初は通じなかったようで
ペンシルバニア州の繁栄やその後のユダヤ人の生活なんかも意外だった 信心深いからやっぱり馴染めない人達もいたわけで
夫婦間のことは助長に感じたけど、長い割にはその後のあの人はあらら?
とはいえ丘の上のコミュニティセンターが無機質な理由は成る程と思ったし、建築関係のストーリーは結構好みなのでもうちょっといろいろ建物出てきて欲しかったけど結構興味を引かれて見ることが出来た
追記:かなり濃い、緻密なお話で実在のモデルはいるらしいですが壮大なフィクションですって!
凝ったデザイン
実在の人物を基にした作品かと思ったが、架空の人物なんですね。
最初のキャスト紹介が横にスクロールする。最後のエンドロールは斜めにスクロールする。
タイトルの文字も凝ったデザイン。主人公が素晴らしい才能の建築家だからでしょうか。
途中休憩を除くと200分の長尺だが、ストーリー面白いので長いと感じることはなかった。
最後は何かあっけなく終わった感じ。
とても長い映画でしたが、面白い構図のシーンが連続し、曲のセンスも良...
途中、15分の休憩が有り助かりました。 「シンドラーリフト」も長い...
エロシーン多し、カップルで見に行ったら気まずくなる
ユダヤ人のホロコーストを題材にした映画やドキュメンタリーはよく見ていて、この作品もその系列かと思ったら全く違っていた
(ホロコーストを生き延びた家族の再会までの、感動と涙のストーリーを期待していた)
冒頭、ニューヨークに向かう移民船の中の混乱から、船外に出て港の自由の女神像がアーティスティックに画面に映り込むシーンまでは、カメラアングルや、混乱の映像と台詞に主人公のバックグラウンドが盛り込まれていて斬新な映像でしたが、下船後?となった
新大陸での最初の夜、主人公はあどけない面差しの娼婦を買う。エイドリアン・ブロディの下半身がチラッと映り込む上、仕草もモロで際どいし、初めに身を寄せた従兄弟の家具店の妻も思わせぶり
インターミッション(15分)の映像がいいというレビューもあったし、別にトイレに行きたくもなかったので、そのまま座っていたが、主人公夫妻の結婚式の写真の真ん中に15分のタイマー表示があるだけ
【補足】満席に近いIMAXシアターで鑑賞、八割くらい席を外されたけど、皆さん再開までには戻って来てました。トイレタイム、是非取りましょう☆
後半主人公の妻を呼び寄せることに成功しますが、この二人の夜のシーンが生々しい。カップルで観に行っていたら、気まずいこと請け合い。他にも地上波放送するなら当然カットされそうなシーンがチラホラ、映倫はここはスルーなの…?ラスト間近にも夫婦でそういうシーンがまたあって、ホロコーストの経験者は性に障害が出るんだというテーマの映画なのかと、悶々とする
家族離合の話でもないし、現代建築を構築するアーティストの困難さを描く話でもないし、施主一家の話といってもバリューが割かれてないし、シオニズムがベースにあるけどあくまでもベースで、ストーリーにさほど影響は無し。画面の端をぬたぬた歩くエイドリアン・ブロディが立派な変態にしか見えない映画
ストーリー展開というほどのものも有るような無いようなで、前半ちょいちょい眠くなったことも付加します
「戦場のピアニスト」がとても好きな映画なだけに残念。戦火を生き延びたシュピルマンはボロボロの身なりで、飢えて痩せこけても、深夜ピアノの前でバラードを奏でる姿が誰も寄せつけないほど神々しかったのに…(泣)
補足:IMAXで鑑賞しましたが、「インターステラー」のような音や映像に特別のインパクトがある作品ではないので、追加料金払ってまでIMAXにこだわらなくても良いと思いました
【”大切なのは到達地。旅路ではない。”今作は架空のハンガリー系ユダヤ人の建築家、ラースロー・トートの激動の半生を彼が作ったコミュニティセンター建設過程を軸に、アーティスティックに描いた作品である。】
■今作品の構成を最初に敢えて記す。
1.序曲・・ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)が妻を含めた家族と引き裂かれる様を描く。
2.第一部”到着の謎”・・ラースロー・トートがアメリカ・ペンシルベニアに単身渡り、富豪の実業家、ハリソン・ヴァン・ビューレン(ガイ・ピアース)と出会い、建築家としての才能を認められるまでを描く。
- ここまでで、キッチリ100分である。
そして、15分間のインターミッションが入る。
結構長いので、お客さんの半分くらいはゆっくりと席を立つ。
スクリーンでは15分から徐々に残り分数がカウントダウンされて行く。
そして、お客さんはゆっくりと自席に戻り、場内は徐々に暗くなるのである。-
3.第二部”美の核芯”・・ラースロー・トートの妻、エルジェーベト(フェシリティ・ジョーンズ)と姪ショーフィア(ラフィー・キャシディ)が漸くアメリカに辿り着き、ハリソン・ヴァン・ビューレンの依頼により、ラースロー・トートが彼の邸宅の近くの丘の上に、礼拝堂が併設されたコミュニティセンターを作る過程が描かれる。
4.エピローグ・・舞台は、1980年のヴェネツィア・ピエンナーレで開催された”第一回国際建築展”にイキナリ、移る。ラースロー・トートの数々の建築物が展示され、”過去の存在”と銘打たれている。シニカルだなあ・・。
で、ここまで再びキッチリ100分である。ストレスなく映画を堪能出来る構成である。今作では、構成自体も作品なのである。
◆感想
・今作では、ラースロー・トートが苦労して、アメリカに渡り、その後も様々な障壁に会いながらも、”マーガレット・ヴァン・ビューレン・コミュニティセンター”建設に挑む姿が描かれる。
・だが、そこでは観客が望むような気持のよい展開は、余りない。逆に1950年代のアメリカ社会における、人種や宗教の壁などが暗喩的に描かれる。ラースロー・トートも、資材搬送列車の度重なる事故により、一度はハリソン・ヴァン・ビューレンに理不尽に解雇されている。
・第二部の再後半は、会食するハリソン・ヴァン・ビューレン宅にエルジェーベトが乗り込み、激しく彼を罵倒するシーンまである。
ラースロー・トートが自分の夢を果たせなかったのかな、と勝手に解釈する。
今作は、作品に明快な解を求める人には戸惑う所が幾つかあると思う。だが、私はそれは気にならない。映画館で観る【力のある映画】は、大体面白いと思ってしまうからである。
<今作ではラスト、”マーガレット・ヴァン・ビューレン・コミュニティセンター”の円形の教会の天井の十字の形をした窓から、太陽光が差し込み十字架を映し出すのである。
そして、”ブルータリズム”の定義である”1950年代、”トートが設計したコンクリート打ちっぱなしの礼拝堂の様に、”素材を生かした建築様式”という言葉を思い出すのである。
今作は架空のハンガリー系ユダヤ人の建築家、ラースロー・トートの激動の半生を彼が作ったコミュニティセンター建設過程を軸に、アーティスティックに描いた作品なのである。>
羊頭狗肉じゃね?
傑作2本分の怪作!等身大の夫婦愛に浸る。
ナチスの迫害から自由の国アメリカへ逃げ延びた天才建築家が辿る数奇な運命の話。
ユダヤ人迫害、人種差別、立場や状況によって豹変(悪い意味です)する人の心、薬物含めた快楽依存などなど・・・私の嫌いなアカデミー賞(笑)にも複数部門エントリーされているだけはあり、社会派のお堅いイメージだったんですが、それらは「建築素材」として使われているだけでした。
描かれている・・・いや、いろんな効果を考えて設計され基礎からがっちり組み上げられて「建てられた」のは、「濃厚な人間ドラマ」であり、「夫婦愛」だった訳です。
特に、15分のインターミッションの後に始まった後編は、奥様と姪の登場シーンからして印象的で、感激というよりも互いの異変を気遣い心底心配するような・・・感情をセーブしながらの演技が本当に素晴らしかったです。
車椅子生活の自分より、外見はまともなようでも精神的にぶっ壊れつつある夫のケアに余念がない妻の発言、行動は努めて献身的でした。しかしそれは肉欲にもリンクし同時に自身の快楽にも忠実であることが示されており、等身大で互いに自身の奥まで曝け出す様な愛の形が美しかったです。
あと、敵役?の成金似非インテリオヤジ、その馬鹿息子の配置や演技も見事で、物語に効果的な起伏を与えておりました。
主人公の夫が似非インテリオヤジに、自分の妻の経歴などを一切伝えてなかったのは、彼が無口なの以上に防衛戦略的には最善手(笑)でした。つづくテーブルを挟んだやり取りも夫として最高で、夫婦愛が暗喩された大好きなシーンのひとつです。
長い時間の映画ですが、演出、描写の丁寧さと、しかけのうまさで終始退屈することなく鑑賞できました。
傑作2本分だから星は10個差し上げたいくらいです笑
ぜひぜひご鑑賞ください!
3時間半の没入体験が残した“違和感”
ある種の納得と、説明のつかないモヤモヤした感覚が残る映画だった。3時間半の長尺ながらも、十分に集中して観られる映画だった。
しかし、いざ振り返ってみると、登場人物たちの人間関係の変化や、繰り返されるトラブルの詳細が明確に語られることはなく、どこか霧の中を歩いているような印象が残る。
劇場で配られた「建築家ラースロー・トートの創造」というパンフレットをみると、あたかも実在の人物の伝記映画であるかのようである。
映画の最後には回顧展のシーンがあり、アーカイブ映像のような質感でもあり「この映画は実話を元にしている」と思い込んでしまう。しかし、調べてみるとトートは実在の建築家ではなくフィクションだった。この演出は意図的なものだろう。
『ブルータリスト』は、ホロコーストを生き延び、アメリカに渡ったユダヤ系建築家ラースロー・トートの半生を描く。しかし、映画の中で彼がどのようにブルータリズムの建築家になったのかは明確に語られない。さらに、彼の人生の中で起こる様々な問題——お金のトラブル、友人の妻との関係、浮気やセクハラの疑惑——これらは何度も繰り返されるが、すべてが曖昧なまま進んでいく。
通常の伝記映画であれば、「実際に何が起きたのか」という史実を説明する役割がある。しかし、この映画ではあえて「事実」を描かず、まるでトート本人の記憶の断片を追体験するような構成になっている。
彼の人生の出来事を、明確には理解できないまま眺めることになった。この手法は、実在の人物の伝記映画に見られる「すべてが説明されるわけではない」というリアリズムを再現しようとしたものなのかもしれない。
映画のラストシーン、回顧展の場でトートの姪が彼の言葉を代読する。「プロセスよりも、結果がすべて」というようなメッセージは、一見すると建築家としての合理的な哲学のようにも聞こえる。
しかし、彼の建築は個人的なメッセージ性の強い作品ばかりであり、むしろプロセスの中での思索こそが彼の作品を形作っているように見える。
この言葉は彼の本音なのか、それとも移民として「結果を出さなければ生き残れない」現実を受け入れた末の結論なのか。その答えは、映画の中では明示されない。映画の中で何度も描かれる「語られない出来事」と同じように、トートの哲学もまた、曖昧なまま提示されたように感じた。
本作は3時間35分という長尺だ。しかし、退屈する瞬間はほとんどなかった。視覚的にも魅力的なカメラワーク、テンポよく進む場面転換、そして何よりも「この人物の人生を追いたい」と思わせる不思議な吸引力がある。
この映画を、ストリーミングで観たら、多分、途中で集中力が切れてしまいそうだ。映画館という環境で一気に集中し、この世界に入り込むことこそが、本作を体験する上で最適な方法だと感じた。
こうして感想を書きながら、いろいろと思考を巡らせた。しかし、どうにも切れ味のある考察には至らない。それは、この映画自体が「明確な答えを出さない映画」だからなのか、それとも、僕がきちんと観れていなかったのか…。
実人生では、すべての出来事に明確な因果関係があるわけではなく、物事の真相が分からないまま終わることも多い。『ブルータリスト』は、まさにその「不可解さ」そのものを映画として体験させる作品だったのではないか。
長さは感じないけど
2025年劇場鑑賞60本目。
エンドロール後映像無し。
215分という上映時間に素直になげぇなと思いましたが、インターバルが15分あるそうでマジでインド映画配給する日本の会社に見習って欲しいです。ムトゥが日本に入ってきた頃はちゃんとインターバルそのままにしてたし、黒澤明の七人の侍だってインターバルあるんだからよぉ。
大体半分のところで入ったので実質100分の映画を2本観た感じです。昔あったインド映画3本連続上映の方がキツかった(笑)
長さはこれで解決ですが、内容はといいますと、自分が苦手なオシャレ映画の雰囲気満載で、オープニングクレジットとかエンドロールとか面白いとは思うのですが合わなそう・・・という予感。カメラワークもおしゃれ画角という感じでした。それがいいということなんでしょうけど。ストーリーも運命に翻弄されるというより、主人公の自業自得のところもあるのでは?といまいち共感できませんでした。
人の心の闇を感じる話
感想
本作監督・脚本のブラディ・コーベットのベネチアでの監督賞受賞とアカデミー賞ノミネートを知り鑑賞したいと思い映画館へ向かう。
本作を鑑賞後の感想はユダヤ人とはどのような民族であるのか?という率直な疑問であった。経験値からの個人的印象としては世界の潮流(諸々の歴史、宗教、科学、政治、経済金融システムの創始、そして勿論我々が日頃から楽しんでいる娯楽としての映画産業)に於いて最も多大なる影響を与え続ける民族であり、現在でも世界のあらゆる利権構造の頂点に位置している者が割合的にも多くその中でも遺伝的に優れた知性を持つ者が多い。また親族を含めた家族間の結束が強い。さらに歴史を振り返り理解できることは古の時代から宗教的因果の影響でキリスト教圏では国家という単位を形成する事なく世界に拡散し、各地域にゲットーを形成しながら自分達の文化を守り他民族の文化と一定の距離感を保ちながらその国の各分野に影響と化学変化のような社会的変容を齎している事がわかる。映画内でも描かれているが、シオニズム運動によるイスラエル建国やこの問題に起因する数々の戦争や紛争は今現在も収まる事なく激烈を極めていることは周知の事実である。
本作はユダヤ人特有の民族性や宗教観からくる他民族への悲親和性を生む原因となっている選民思想と歴史的に数々の迫害を受けたという被害者意識と劣等感、世界からの孤立感を自らも感じている一人のユダヤ人建築家の人生経験に基づきアメリカ国内でも独自の建築設計思想を貫徹しブランド成金主義のアメリカ人との生活の為長年に渡り関わっていく話と、第二次世界大戦以降の一時期、世界的な心理喪失感の中て発想された合理機能主義建築の最終形態とも称される華美な装飾等は一切排除したその様式は宗教的原理主義にも通じる一面を持ち合わせている建築思想であったブルータリズムをユダヤ人建築家の思想として設定し掛け合わせた話。さらに本編に登場する全ての人物の心理に根源的な意味を持って存在する性欲性癖を含める風俗的趣向の問題。間接的な弱者への性的虐待を暗示させていると感じる描写。さらには薬物接種による現実逃避行動等の所謂一般的にはタブーとされている人前ではあまり語られる事の無い心の奥底にあるいやらしいまでの欲求心理が織り込まれ心の静と動の表現と人間心理の弱さ強さがしっかりと描写されていた。
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ラースロー・トートはハンガリー系ユダヤ人であり、1938年ナチスドイツによるオーストリア・ハンガリー併合後1939年までワイマールに本当に存在したバウ・ハウス(建築・意匠・工芸家具類において合理機能主義の先駆けとなる思想を積極的に発信しそれまでの既成概念を破壊する程の影響を世界的に与えた知識技巧専門学校でありその画期的思想の影響は現代の建築・意匠・工芸家具類に至るまで濃密に反映されている)出身の建築家でハンガリーでは既に幾つかの建築を手掛けており社会には知られている存在であったが、ナチスの民族抹殺政策に遭いダッハウの収容所に収容される。戦後生き残った妻とその妹の姪とも生き別れるが、命辛々1940年代にアメリカに逃れる。無事にアメリカに辿り着いた時、トートの想いは東ドイツに残されている事がわかった妻と姪をアメリカに呼び一緒に生活することが悲願となっていく。
先にアメリカに渡っていた従兄弟のアティラを訪ねるトート。生命がある事を確認し喜びあう二人。店の一室を借り住まいとして家具販売と内装業を営むアティラの雇われ職人として働きだす。ある日ハリーという常連客の自宅の父親の書斎を図書室の様に改装して欲しいという依頼が舞い込む。
トートは持てる知識と技術を総動員して改装に取り組む。書斎はモダニズム様式の近代的な図書室となるが最終作業中に見知らぬ男性が錯乱した様に部屋に入って来て罵詈雑言を浴びせ掛け部屋の変わり様を辛辣に嘆く。男の名は家の主でハリーの父親であるハリソン・ヴァン・ビューレン。この後長年に渡りトートの人生を蹂躙し続け身も心も破壊してしまう人物との初めての出会いであった。トートは部屋の機能性と合理性が向上したことをハリソンに説明しようとするもハリソンは全く取り合わすハリーからは工事代金支払拒否の連絡が来る。この一件で従兄弟のアティラとは袂を分かち別離する。
無職になったトートは日々の食事にも困る始末であったが、改装した自宅が雑誌にモダニズムの内装事例の代表として紹介された事で有名になったハリソンがトートを調べ上げハンガリーでバウ・ハウス出身の高名な建築家である事が判ると袖を返すように擦り寄りデリカシーの欠片もないアクションと言動を繰り返すも後々の代表作品となる建築物の設計を依頼してくる。
トートは人間関係や仕事で様々なストレスを溜めながら、1950年代には妻と姪をアメリカに呼び寄せる事に成功する。社会状況が刻々と変わっていく中で神経をすり減らしながらも建築に傾注しアメリカでも建築家としての名声を得て世界的建築賞も受賞するが、その間人生の岐路に受けた傷は大きく家族との関係を含めて苦労続きの後半生であった。
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演出・脚本・俳優・音楽◎
監督・共同脚本のブラディ・コーベットは全編フィルム撮影で本作を制作。監督三作目でこの仕上りは目を見張る。本編内の建築構造物や造作の創造などリアルな質感が素晴らしくスタッフの質も高くチームワークが良いと感じる。静と動のカットの使い分けが上手く構図も素晴らしい出来映えで感動。特に道路や線路、トンネルなどを高速で走る映像を間合いに入れ込んだカットは場の転換を意識させ新鮮であった。さらにアメリカ上陸時の自由の女神像を写したシーンは写真としても秀逸の出来映えに感じる。音楽もその時代のヒット曲が使われていたりして心理描写のカットと共に素晴らしい効果を見せている。
エイドリアン・ブロディ
ラースロー・トート
分け隔てのない無政府主義者でありハンガリーではナチスの民族抹殺政策による様々な苦難を受けてきたが頑なに自分の主義主張は曲げない頑固なユダヤ人建築家のイメージに相応しい物静かで貫禄の演技が素晴らしい。殆ど地がトート本人なのではないか思うほどであった。巧みなハンガリー語を操り本物のハンガリー人を演じていた。
フェリシティ・ジョーンズ
ラースロー・エルジェーベト
ハンガリーでは新聞記者であり英国留学も経験しているインテリジェンス溢れる女性であったが、ナチスの民族抹殺政策により人生を破滅させられた。トートを心から愛している。トートとやっと再会出来たエルジェーベトが車椅子で現れ、大変な苦労があったのだと想像させるシーンが胸熱で泣けてしまった。迫害被害者の悩みを素晴らしい演技で表現していた。
ガイ・ピアース
ハリソン・ヴァン・ビューレン
トートの建築家としての才能をアメリカで初めて認めた人物。性格は権威やステイタスばかりを気にして物事の本質を見抜く事は出来ない。また本質を理解していない。人間的良心や本当の人の愛情を享受する事無く成長し大人になっても自分自身の確固たる信念を持ち得る事が出来なかった。見た目上は親の地盤を引き続き社会的地位も高く会社経営者として身なりも立派であるが、生まれた時から心理的な偏愛を受けており本物の愛情に飢えている。エルジェーベトが身内と側近に告白するまで自身が性的マイノリティである事を隠し続けた。ガイ・スピアース自身は大変難しい役所であり苦労があったと思うが役者冥利には尽きていたと感じる。
ジョー・アルウィン
ハリー・ヴァン・ビューレン
男女の双子として生まれ育ち父親の本当の事実を息子のハリーは全て承知しており子供として心に闇を抱えている。本編最後の方で狼狽するように父親を探すシーンではもしかすると子供の頃から性的虐待を受けていたのを隠していたのではないかと想像させる。
⭐️4.0
堂々たる大作
映画の序盤で逆さまに撮られた自由の女神像が画面に映し出される。このショットがとても印象的で、本作のテーマを端的に象徴しているように思った。
ラースローはアメリカへ渡り自由と夢を手にする。しかし、その代わりに多くの大切な物も失ってしまう。愛する妻との関係や宗教、自尊心etc.この逆さまの自由の女神像には、そんな”アメリカン・ドリーム”に対するアイロニーが象徴されているような気がした。
本作は15分間のインターミッションを挟んだ全3時間半強の大作である。少し臆する上映時間だが、実際に観てみるとテンポよく話が進むので、自分は終始退屈することなく観ることが出来た。
物語は前半と後半に区切られている。前半はラースローがハリソンからの寵愛を受けて建築家として大成していく内容。後半は一転して、ある不幸な事故をきっかけに凋落していく内容となっている。人生の浮き沈みを骨太に活写した所に見応えを感じた。
思うに、ラースローは職人というよりも芸術家肌な建築家という感じがした。頑なに自分が思い描く理想像を追い求め苦悩していく。これは芸術家に限らず天才と呼ばれる人に課された宿命とも言える。古今東西語られてきたテーマであり、普遍的な面白さが感じられた。
また、ラースローとハリソンの主従関係には資本家による労働搾取、ラースローの姪の顛末にはユダヤ人移民に対する偏見や差別といったメッセージも読みとれた。
今作はこうした多岐にわたる見方が出来るのも魅力だと思う。
監督、共同脚本はブラディ・コーベット。若干36歳という俊英だが、この年齢でこれだけの大作を撮ったということに驚かされる。
彼は元々は俳優出身で、若い頃から様々な作品に出演した経歴を持っている。映画監督としては「シークレット・オブ・モンスター」で長編デビューを果たし、自分は大分前に鑑賞したことがある。
「シークレット~」は第一次世界大戦後に誕生した独裁者を描く架空のドラマで、どこか悪魔的な雰囲気をまとった一風変わった作品だった。当然そこにはヒトラーが投影されていることは間違いなく、ホロコースト後を描く本作と相通じるものが感じられる。
演出は「シークレット~」の時と同様に時折幻惑的なテイストが見られるのが面白い。
例えば、ラースローが見る悪夢やジャズクラブにおける鏡を使ったシュールな演出等。このあたりにはコーベット監督の独特のセンスが感じられた。
後半の洞窟のパーティーシーンも中々シュールでユニークだった。また、オープニングタイトル、エンドクレジットの挑戦的なデザインも面白い。
ただ、今回の演出は基本的にリアル志向にある。ラースローは実在の人物ではないが、そう思わせるようなリアリティが感じられた。これはリアル志向な作風のおかげであろう。途中で記録映像風な演出も挿入されてくる。
惜しむらくは後半。ラースローの一大プロジェクトが、ある事故によって中断してしまう展開である。ここで盛り上がったドラマが失速してしまった。彼が強引にプロジェクトを推し進めるなどすれば、狂気めいたドラマへと飛躍しただろうが、そうはならない。どうしても観ているこちらのテンションが寸断されてしまうのが残念である。
映像は要所に素晴らしいものが見つかる。
前半はラースローの従兄が住むペンシルバニア州の下町の一角やハリソン邸といった屋内が続き、画面に余りメリハリが感じられない。ところが、中盤で街を一望できる丘のロケーションが登場してから一気にスケール感が出てくる。以降は丘の上の建造が始まり、画面に俄然風格が生まれてくる。
極めつけは、イタリアの採石場のロケーションであろう。この神秘的な空間には見惚れてしまった。
ちなみに、先述の丘の上のシーンだが、個人的にイングマール・ベルイマン監督の「第七の封印」のラストを連想した。登場人物たちが死神に連れられて丘の上を歩いていく映像で、今でも脳裏に焼き付いて離れない。
ある意味で、本作のハリソンもエゴイスティックで傲慢な悪魔のような男だった。彼の身勝手な言動がラースローたちを不幸へと導いたと考えれば、ハリソン=死神という捉え方は案外的外れと言えなくもない。
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