ブルータリストのレビュー・感想・評価
全186件中、21~40件目を表示
全部中途半端で散漫、しかも長い。
タイトルなし(ネタバレ)
第二次大戦のホロコーストを生き延びたハンガリー系ユダヤ人建築家ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)。
強制移住の新天地・米国の新しい暮らしは、ペンシルベニアで家具屋を営む従兄弟のもと。
妻をめとった従兄弟はカトリックに改宗し、名前も米国風に改めていた。
ある時、新進の実業家ヴァン・ビューレン(ガイ・ピアース)の息子から邸宅の書斎の改修を依頼されるも、無断改修に激怒したヴァン・ビューレンから追い出されてしまう。
が、改修した書斎のモダニズムが雑誌に取り上げられたことに気をよくしたハリソンは、ラースローが欧州で著名な建築家だったことを知り、亡き母の名を冠したコミュニティセンターの建築をラースローに依頼する・・・
といった物語で、以降、ラースローとヴァン・ビューレンの確執が描かれていきます。
下手に時間軸操作などせずに、持つ者と持ったざる者の確執が丹念にかつ執拗に描かれ、説明不足の部分(こちらが理解できないだけかも)があり、やや理解が難しいところもあるが、濃厚なドラマを観た満足感がありました。
ということで感想は十分。
さて問題なのはタイトルの「ブルータリスト」が誰を指しているか。
ブルータリズムと呼ばれる建築の設計者である主人公ラースローを指しているというのが一般的な解だろうが、「ブルータル」=「暴力的」「野蛮で」「荒々しく」「粗暴な」というもともとの意味から察すると、他者を蹂躙する人=ヴァン・ビューレンに代表される側ではないかと思われます。
ヴァン・ビューレンに代表される側は、キリスト教側。
物語ではラースローの改宗した従兄弟が登場しますが、映像的には十字架が印象的に使われています。
巻頭のラースローの姪ジョーフィア(ラフィー・キャシディ)の背後に重なる窓枠の十字架のモチーフ。
終盤に登場するラースローが設計したコミュニティセンターの礼拝堂に差す光の十字架。
なお、このセンターの設計そのものが、ナチスにおけるユダヤ人収容所を模していると語られるエピローグには驚かされます。
(中盤、妻エルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)が図面を見て、モチーフを読み取り、設計に納得するエピソードが伏線として描かれていますね)
礼拝堂の十字架については、前半終了の際、模型に懐中電灯で光の十字架を示すシーン、ここは模型の光の十字架は必要だった、と思いました。
模型の中の光の十字架が、現実になって、さらに救われない・・・という意味で。
喧伝されている、「野心的なカメラワーク」については、あまり感じませんでした。
センシティブなシーンや序盤の40年代米国などセット組むのに予算がかかりそうなシーンで「極力写さないように工夫してるなぁ」とは思いましたが。
もしかすると、主人公のラースローは収容所で去勢されているのかも・・・。
ならば、センシティブシーンを極力写さないカメラワークも意味があるように感じます。
音楽は、ややうるさく感じました。
とはいえ、弩級の力作。
多層的な世界
久しぶりに映画らしい映画を観たな、というのが正直な感想。もちろん、映画は観まくっているのだけれど、大衆的ではなく、深みのある、特権的な映画、という意味で。
もちろん、大好きなマーベルシリーズも最近見たウィキッドもアンダーニンジャもどれもが映画だし、それらなりにメッセージ性はある。まぁ、根本的にジャンルが違うので映画論はさておき。。。
今のトランプ政権の状況とイスラエルの問題を見ていると、メタファーが効かないというか、そのまんま、と言ってしまってもいいものなのか悩ましい。
圧倒的な力で侮辱されても、媚びへつらい服従すべきなのか、それとも自由を求めるのか。強制収容所を生還した彼が見たアメリカは、強制収容所よりかは生存できるが、さぞかし生きづらいところだったんだろうな…。
強制収容所を明確に表現せずに、ただただ、生き延びた人たちを描くリアリズムを体感できた。
(ただし、彼らが本当に体験した語り得ない悲劇は、我々の想像を絶するものでそれについては何も言える事はないであろう。)
才気溢れる監督の前衛的手法が満載です
ユダヤ系ハンガリー人がドイツのバウハウスで建築を学び、ナチスの迫害を生き抜いた後でアメリカに移住して建築家として生きる大河ドラマです。70㎜フィルムでの撮影、短期編集などによるローコスト化、スタイリッシュなアングル、独創的なエンディング、視聴者に委ねるその後等、監督の挑戦が続きます。苦難するユダヤ人と傲慢なアメリカ人の対比が大きなテーマで、精神的障害や性的虐待、宗教問題、麻薬中毒、人種差別、移民の困難さ等を絡めて進み、4時間があっという間に過ぎました。監督のデビュー作もヒトラーを描いているので、ユダヤ系、ハンガリー、ハプスブルク家のルーツを持つように思います。ハンガリーから来た知人は映画の登場人物と同じ名前で、「ハンガリー人は放浪癖が有る」と言っていました。欧米人の持つ複雑な民族、宗教、歴史を考えさせる作品でした。
監督の次作はロバートキャパ、ゲオルグショルティ、ジョージソロスを予想します。
面白いけど、長さに見合うかどうかは不明
疲れていて後半気を失いそうになった。つまらないということではなく、暖房効きすぎでこの長さでレイトショーは落ちやすい。でも面白い。
思ってたのと全然違うなんかオシャレな映画だった。建築家の話でもあるけど、クレジット関係がまずオシャレ。オシャレとか言うと失礼かもだけど、音楽含めて全体的にハッタリ勝負の映画なんだな、というのが割に早い段階でわかり、なぜかマカベイエフの映画を思い出していた。ポルノグラフィティ的な目配せもありながら、なかなか出てこない嫁が出てきたと思ったところから嫁たちもかなり怪しいキャラクター。
描かれる世界がアメリカの野蛮なパトロンとブタペストからやってきたアーチストとアメリカの田舎社会がひとつになってアートなホールを建てようということになるが、そうは簡単にはいきません、という話。
この長さはまったく退屈しないのだけど、この長さなりの圧倒的な何かを持ち帰れるのかというとそうでもない。後半もう少し各キャラクターの過去の壮絶な何かがあるのかと思っていると、そっちではなかった。
偶然連続して、『アノーラ』『名もなき者』『ブルータリスト』観たけど、『アノーラ』が抜けてるのはよくわかる。それと、アメリカ映画というよりとても世界映画的なインディペンデントスピリッツのものが多くなった気がする。これもA24効果かな。というか、真っ当な大衆娯楽大作が少なくなったな。個人的にはアカデミー賞ってもっと大衆に向けた作品でいいと思うし、逆にそういうものをアメリカ映画には期待する
「コンクリか大理石か」
翻訳ものの長い小説を読んだ気分
翻訳ものの長い小説を読んだ気分。
海外文学をありがたがる気持ちで、最後まで、あきることなく鑑賞できたけど、よく理解できないのが正直なところ。
15分の休憩までトイレが我慢できなくて席をたってしまったし…
一度の鑑賞で、ちゃんと理解できる人がいるのだろうかと思ってしまう。小説なら読み返しはできるし、じっくり考えることもできるけど、どんどん物語は進んで置いてけぼりになっちゃうから、分かったふりをするしか手立てがなくて、戸惑ってしまうのですよ。
ホロコーストの体験をもとにした建築が後々再評価されるという結末で、大団円というところだろうけど、ホロコーストの描写はないし、アメリカに渡ってからの苦労というのも、特にひどいというところはなくて、十分アメリカに受け入れられていたように感じたけど、どこか見落としたのだろうか?
天才建築家の不遇感と苦悩は、凡人にはなかなか理解できないというところのだろう。
あの富豪が、主人公をゴーカンしたというくだりもよく理解できなかったなぁ…
もう一度鑑賞する気力はないので、youtubeに転がっている解説動画を捜してみ、このもやもやに決着をつけるしかないのかなと思う。
不完全燃焼です。
それは真の解放を求めた人間の切なる思いを反映した建物なのかあるいは忌まわしき資本主義の墓標なのか
ブルータリズムを名指しで否定したトランプによる大統領令が一期目に続いて今回再び発令されることとなった。
連邦政府が建設する建物は伝統を重んじた古典主義的建築でなくてはならないという「美しい連邦公共建築」という名の大統領令。確かに公金が使われる建物が住民の感性で受け入れがたいようないわば芸術家たちにだけ称賛されるものであってはならないというのはエリート主義を叩いてのし上がってきたトランプにしてみれば必然的とも思える。
ブルータリズムが第二次大戦後台頭してきたのは安価な材料であるコンクリートにより工期も短く済むため戦後復興にとっても役立ったからだ。それと同時にその柔軟な工法が設計する者の作家性を反映させやすくもあった。このブルータリズム建築が美しいか美しくないか、それは確かに賛否が分かれるところではある。
その無骨で殺風景とも思えるシンプルな外観は実際に多くの住民に嫌悪感を抱かせるものもある。それを意図した設計でもあるのだが。
本作ではトートの設計による礼拝堂が景観にそぐわないという住民に対して住民説明を行う場面がある。彼の設計がいかに優れているかをプレゼンして住民に納得してもらうシーンだ。
美しいか美しくないかは見る者の感性にゆだねられる。それを判断するのはその人次第だが大統領令はそれを一概に美しくないとして一切を否定をしてしまう。これは価値観の押し付けでしかない。美的感覚は人によりさまざまで時代によっても移り変わるもの。そのような感性を画一的に一方的に否定する大統領令は彼の多様性否定の姿勢そのものでもある。
地域住民の納得の上でトートの建築は受け入れられる。これが大統領令に対するアンサーである。一見受け入れがたいデザインの建築物でもそのコンセプトを説明して理解してもらい地域住民に受け入れてもらえればなんら問題はない。一様に否定する大統領令がどれだけ愚かなのかを本作は訴えている。
自分とは異なる感性を否定する、他者を受け入れないという多様性の否定がかつてのホロコーストを生み出した。ホロコースト生存者を主人公にした本作がこの大統領令に端を発して製作されたのがよくわかる。
歴史は繰り返される。本作は他者を排斥し多くの異なる民族を悲劇に追いやった現代のホロコーストの再来を危惧して警告を発するための作品であると思える。
ホロコースト生存者の建築家トートはアメリカに渡りそこで大富豪のハリソンから支援を受け彼の依頼で礼拝堂を兼ねた複合公共施設の設計を手掛ける。
ハリソンはトートの才能にほれ込み、彼への支援を惜しまなかった。しかしトートは自分の思う通りの建設がなかなか進まないことに苛立ちを覚えていた。そんな時ハリソンが経営する運輸会社の列車事故により事業は中止されトートは一方的に解雇されてしまう。
事故処理が事なきを得ると途端にトートはハリソンに引き戻される。ハリソンによる気まぐれでトートが翻弄されるのはこの時だけではなかった。出会いのきっかけもトートが彼の書斎のリフォームを行なったことに対して激怒した彼がトートを追い出したことにあった。
ハリソンは一代で事業を成功させた富豪であるが、芸術的才能には恵まれなかった。トートの才能にほれ込んでいるようで実際彼の才能はもとより彼の人格についても理解などしてはいなかった。ただトートが有名芸術学校出身で業界で注目された建築家であることに目をつけたに過ぎない。彼を訪ねたのも書斎が雑誌に取り上げられたからだった。
彼にとってトートは彼の邸宅の数々の贅を尽くした装飾や調度品と同じくお飾りでしかなかった。トートは彼の権威をさらに箔づけするためのペットでしかなかったのだ。それは彼を糾弾するトートの妻に対して彼自身の口からも語られる。
かつて建築の分野で名声を手にしたトートはナチスの迫害によりすべてを奪われ、このアメリカではただの日雇い労働にしかつけなかった。ハリソンのような富豪のパトロンに頼るしか彼の才能を生かす道はなかった。たとえペットの身に甘んじても。
自由の国アメリカ。ホロコーストから逃れて自由を手に入れられると思っていた芸術家にとってそこはナチスの収容所と同様、囚われの身であることに変わりなかった。資本主義という名の牢獄の。
アメリカは彼に自由を与えてはくれず彼に与えたのはアヘンだけだった。薬物中毒になってしまった彼は妻の言う通り祖国イスラエルに渡る決心をする。
終始芸術家である主人公が実業家である大富豪に翻弄される姿はまさにトランプ政権下で翻弄される現在のアメリカの芸術家たちを見ているようだ。
今回の第二次トランプ政権によりアート界は危機感を抱いている。第一期でも文化芸術への支援が削減されたり、ムスリムの国々への渡航が禁じられたりと芸術家同士の交流が阻害される政策が次々とおこなわれた。
今回の政権でもさっそくトランスジェンダー否定をはじめとする多様性を尊重するDEI(多様性、公平性、包括性)事業の廃止を掲げている。
多様性こそがイノベーションを生む、それは芸術の分野に限らない。経済においてもアメリカの大手IT企業の創始者の六割が移民または移民二世だったりする。そもそもトランプの祖父自体がドイツからの移民であるし、イーロン・マスクも移民の子孫だ。
多くの移民を受け入れてきたからこその現在のアメリカの繁栄がある。それは多様性から生まれた。それを否定するトランプは自らのルーツを否定するようなものだ。
トートがアメリカで手掛けた礼拝堂はやがて完成する。建物の外観は収容所をモチーフにしながらも高い天窓から空を見上げる設計。それはトートの抱き続けた真の解放への思いが反映された建物であると同時に富豪が自ら命を絶った資本主義の墓標でもあったのかもしれない。
トランプの大統領令がいう古典主義的建築なるものは古代ローマやギリシア建築の要素を取り入れた建築様式を言うが、それは時の権力者たちが自分の権威を象徴するためにその多くが作られた。
外観に装飾を施した伝統的な建造物は歴代の為政者たちがその権威を表すために贅を尽くした装飾をまとわせた虚像でしかない。簡素で装飾をまとわないブルータリズム建築はそれとは真っ向対立する。まさに機能性だけを重視し、そこに権威が入り込む余地はないのだ。
権威主義に溺れるハリソンの下でトートがこだわり続けたのがまさにこれだった。反権威主義、彼は自分を支配しようとするハリソンの下で真の解放を目指していたのだろう。
資本主義の象徴ともいえるハリソンはトランプの姿と被る。そんな彼がトートを凌辱したことを糾弾されて建築途中の施設で自害をする。
トートの建物は資本主義の終焉を表した資本主義の墓標でもあり、権威と戦う芸術家たちの解放を象徴したものでもあったのかもしれない。
本作はまさにトランプ政権下で多様性や自由な思想がないがしろにされてることへのカウンター的な作品と言えるだろう。
ちなみにブルータリズムを否定するトランプだが、彼の成功者としての証でもあり象徴でもあるトランプタワーはまさにこのブルータリズム建築そのものであった。
トランプタワー設計に携わったバーバラ・レスによると当時建設を急いだために不完全な図面をもとに工事を始めたので、建築途中での変更にも柔軟に対応できるようにほとんど鉄骨を使わず大部分をコンクリートで建設した。
ブルータリズムを否定するトランプがブルータリズムの恩恵を受けていたという皮肉。また伝統を重んじた古典主義的建築などという彼だが、トランプタワーの敷地として購入した場所には歴史的価値ある装飾が外壁に施されたボンウィットテラーデパートの建物があり、外壁に施されたレリーフは当時の五番街の象徴でもあった。街のシンボルでもあるその装飾をメトロポリタン美術館に寄贈することを条件に取り壊し許可を得たにもかかわらず工事を急ぐあまりその約束を破り装飾ごと解体してしまったのだ。伝統的建造物を重んじるなどと聞いてあきれる。
ちなみにトランプの会社が当時この解体工事で雇い入れたのはすべて不法移民であり低賃金労働させて経費を削減したという。
ガイ・ピアースは良かったけど
ユダヤ人被害者問題
リベラルかつスタイリッシュなものが好きな人向け
第二次大戦後混乱期のユダヤ人建築家の話なので、政治色、リベラル性が強く、今の保守に寄ったアメリカに警鐘を鳴らしているような作品でした。
そして、映像がかなりスタイリッシュ。
要は「通の好む」作品で、こういうのが賞を獲るんですよね。かなり長い(途中で休憩あり)のと娯楽性の少ないものでした。
僕はこういう「雰囲気」も嫌いではないので、楽しめましたが娯楽作品が好きな人は避けた方が良いでしょうね。
3時間半の長さを感じない隙のない大作ですが、唯一の隙と言えば、主人公の光と影、トラウマを描きたかったのか、女性の扱いがぞんざいというか、性的なオマージュにしか使ってない印象で、そこが残念でした。
時代がそうだったのかも知れませんが、わざわざこのシーンいるかなぁ?というのがいくつかありました。
皆さまのレビューで本作の価値観が大きく変わりました。ありがとうございました!!
あくまでも個人の見解ですが、映画は大衆娯楽ですから、あまり難しく考えるのは苦手です。
それでも、この作品に限っては最低限の予備知識を持ち、漠然とでよいので、主人公の出自、生き様、感情に思いを馳せるとより楽しめると思います。
よって、知識吸収のため、これまで以上にレビュアーの方の感想を丹念に拝読いたしました。
本作鑑賞の際にたいへん参考になりました。深謝いたします!!
【私の最低限の予備知識】
・本作はユダヤ人ラースロー・トートが主人公
・演じたエイドリアン・ブロディもユダヤ系(ハンガリーの血も流れている)
・ホロコースト(ユダヤ人迫害および大量虐殺)とシオニズム(イスラエル建国)
・ユダヤ教と基督教(プロテスタントとカトリック)。シナゴークと基督教教会
・戦後のハンガリーから逃避した米国(ペンシルベニア州、フィラデルフィア)が舞台
・R15+の制限。暴力、性描写、麻薬摂取などのシーンがあるので中学生以下NG
・日本語コピーは「荒ぶる、たぎる」。主人公の感情の起伏を表現したものでしょう
・建築家の「半生」を描いたヒューマンドラマ。215分長尺映画。覚悟が必要(笑)
・皆さまの素晴らしいレビューの数々
で、鑑賞後は、エイドリアン・ブロディの演技力に驚嘆しました。
ゴールデングローブ、オスカーの受賞、当然の結果ではないでしょうか。
以下、ラースロー・トートの出自、生き様、感情について。
真珠湾以外に攻撃を受けなかった米国は建設需要は少ないはずで、ラースローは、建築家としての勲章は捨てたのだなと。それでも米国を目指したのは、ホロコーストから生き残ったことで、何よりも自分自身や家族の命と精神的な自由を求めることを優先したのかなと。
生きているだけで儲けものと思っていたところ、わらしべ長者的なラッキーが重なり、当然、人間としての欲が出てきます。芸術家としてのプライドやそれによる葛藤が生まれ、それまでは穏やかな性格で他人との衝突は無縁であったのが、時として無碍にエキサイトするシーンがインサートされます。
米国上陸直後の娼館を出たときに、タバコを燻らす娼婦から掛けられた言葉で彼の性癖は〇〇かも?と。その後、性的なシーンがいくつかありますが、ラースローの苦悩を表現するような表情のカットが印象に残っています。♂としてダメなのでしょうね。妻エルジェーベトとの関係性にも大きく影響しているように思います。
芸術家気質ゆえの繊細さでしょうか? アル中(?)、ヤク中(?)も加わります。
このバックグラウンドと誰にもわかってもらえない孤独を演じるブロディの姿は、私の素人眼に強烈なパンチを喰らわせましたね。
半生ですから、老後もあるのですが、自由発想で。私は、家族仲良く穏やかな時の流れをイメージしました。
以下、作品と撮影、音楽について。
やはり、同じ時代設定のゴッドファーザーを思い出さずにはいられませんでした。
コッポラもラースローのセリフと同じようなことを言ってましたよね。
コルレオーネ・ファミリーがニューヨークで暗躍した同じ時代に、やや西側に位置するフィラデルフィアとペンシルベニア州の田舎町(ロケ地はハンガリーか?)を舞台にストーリーは展開します。
ただし、超有名なフィラデルフィアのロケ地(ロッキーステップ)は、残念ながら登場しません。
シークエンスの切り替え時に車載カメラが捉える道、空、道沿いの緑が印象的です。
おそらく、ラストメッセージの伏線でしょう。
驚いたことに15分間のIntermissionがあります。歌舞伎じゃあるまいし・・・。
たぶん、配慮に見せつつ演出ですね。
なぜなら、休憩時間にスクリーンに投影されるポートレートが意味を持っているからです。多くの方がトイレに席を立つでしょうが、よく観ておくことお勧めします。
撮影班、ロケ地の素晴らしい景観も奏功してとてもよいです。AI画像も自然に思えました。
カット割りと音楽のシンクロ、カッコイイと思います。時代に合わせた選曲もグッドです。
ただし、スタッフロールだけは面食らいました。何があったの???
プリプロ(脚本、コンテなど)もポスプロ(編集など)も観客心理を考え抜いた結果の大作でしょうから、製作側にとっては、一欠けらのミスもないのでしょう。恐れ入りました。
おまけ。
ガイ・ピアース、いいなあ。L.A.コンフィデンシャルの頃から好きだなあ。
オスカー取らせたかったなあ。
ストーリー➕壮大な景色が見応えあり
ホロコーストを生き延びたというコメントからそういう要素の映画を想像していたが,これは全然違った。
1人の芸術家の半生が描かれていた。もちろん人種差別的要素も多分にあるけれど、1番の見応えは自分の求める芸術を実現しようとする彼と,それをお金と権力の力で押さえつけてくる者たちとの戦いであり、薬に頼って壊れていく彼の苦悩だ。妻の言う,彼にとっては台所を作り直すくらいのこと、とても刺さった。聡明な妻だ。
そして,特筆したいのは,壮大な景色。映画館で観る価値のある映像だった。
アメリカでのユダヤ人 リアルすぎるフィクション
映像が素晴らしくどのカットも見応えがある、誰かが言ってたどのカットをTシャツにしてもいい映画とはこのこと。
音楽も素晴らしく、作品の憂鬱感と壮大さを反映していた。
休憩時間に入ってもらったパンフレットを読むまで実話に基づく伝記映画の類だと思っていたので、完全なるフィクションだとわかった時はすごいびっくりした。第2篇からフィクションだということを意識すると、映画のリアリティのあまり、気持ち悪ささえ感じた。何年かけて構想したんだ!?
アメリカの白人富豪達はどんな人種でも実力は十分に認めてくれ、仕事させてくれるが、やはり人として下に見てくるんだなと感じた。
にしても、この映画は決して差別される側に甘い訳じゃなく。アメリカにいるユダヤ人達の被差別意識をやんわり批判し、シオニズム運動という名の幻の居場所探しもネガティブに表現されていたと思う。
この映画はとてもデザイン性、アート性に優れていて、好きな人はとことんすきになる映画だと思う。私はまあまあ好き、でももう1回最初からは観たくない。
有識者に教えて欲しいのだが、人々がぞろぞろ丘に登るシーンはなにかのオマージュなのでしょうか、バビロンでも観たことがある構図だったので気になった。
もしかして一番最初らへんのゴジラ?
映画館で観る長尺映画が大好きです。 家とかスマホでは味わえない良さ...
斬新で独創性が凄い。ドラマ的にも濃くて人間の郷の深さを炙り出す。
野心家が考え抜いた奇抜さが光る。
その点は大いに認めます。
この映画は比較的に低予算で作られたと言う。
それにしては凝ったカメラワークだ。
《優れてる点》
①タイトルロールのカッコ良さ。
まるで書籍のレイアウトみたいな凝った文字が横に流れる所、
グラフィックデザインとして面白い。
②音楽・・・場面、場面を盛り上げ、先導して驚きを誘う。
正にラストのヴェネツィアで行われる現代建築のビエンナーレ展・・・
そのオーケストレーションの華やかさ、
そしてエンディング曲ははガラリと現代的なテクノポップで
ガンガン鳴らして盛り上げる。
実に見事なものだ。
《否定的な気持ちになる点》
①虐げられてきた民族の持つ被害者意識は当然だと思う。
②著名な建築家ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)の、
その建築家としての凄さが見えてこない。
★トートが架空の人物であり、映画はフィクションであることから、
『TAR』と比較されがちだが、ター(ケイト・ブランシェット)は、
トートの数倍、天才肌で、実際天才に見えた。
エイドリアン・ブロディのどこに天才のカリスマ性があっただろう?
★☆予算の関係で勿論実際に建築することは叶わず、殆どがVFX。
一番肝心の後半の殆どを費やす、恩人の大富豪のハリソン・ヴァン・ビューレン
(ガイ・ピアース)が母親を記念して建築する
コミュニティセンター。
ネタバレになるがその完成した姿は、ナチスの強制収容所を模した建築物・・・
と言うのだが、31メートルの高さの吹き抜けにで天窓もあり光も差し込む。
そこが強制収容所だと聞かされても、とてもそうは見えないのだ。
ブルータリズム様式建築の素晴らしさが、浮かんでこないのだ。
❷何より驚いた点。
妻のエルジェーベト(フェリシィ・ジョーンズ)が、10数年ぶりの再会で、
いきなり車椅子に乗って現れたのにも驚いたが、
もっと驚いたのは、恩人のヴァン・ビューレンの家に乗り込んできて、
「お父さんは“レイプ魔“」と喚き散らす所。
1911年生まれなら、トートは30歳を大きく超えていて、自由恋愛であり、
どちらが誘ったかも、ゲイだとか?恋愛感情があったか?とか、
レイプシーンなんてまるでないし、これは夫からの情報なのか?
それにしても伏線となるシーンがほしい。
あまりにも唐突で恩人に失礼で、“恩を仇で返す“そのものではないのか?
これが顕著な欠点です。
❸アカデミー賞主演男優賞を受賞したブロディの
スピーチの長さと内容のなさ。
好きな点や嫌いな点を挙げできましたが、
映画館で観て良かった事は確かです。
3時間半の上映時間と、間にあるインターミッション。
後半は甘いコーヒーとポップコーンを食べながら、
リラックスして観れました。
思ったより難解な映画ではなかったです。
ただ勿体ぶった、ハリソン・ヴァン・ビューレンとか、
(貴族と書いてあるのもあって、アメリカに貴族吐いないですし、
東欧から亡命でもしたのだろうか?
トートの妻のエルジェーベト。エリザベスでダメなの?
全てにおいて、気取り過ぎてるよ。
でもガイ・ピアースはとても素敵だったし、
フェリシィ・ジョーンズの頑張りにも目を見張った。
作曲賞と撮影賞は、おめでとうと言いたいです。
余韻ブレイカー
真実の重みを感じたかった
ハンガリー出身のユダヤ人建築家、ラースロー・トートは大戦中のホロコーストを生き抜き、戦後アメリカに渡った。彼は生き別れた妻を苦労の末に呼び寄せ、困難と闘いながら米国で再び建築家として成功する―。
本作は、そう描いているがトートなる建築家は実在せず、まったくのフィクション、作り話である。しかし、その「事実=物語は事実あった話を基にしたものではない」を知らないまま映画を見ると、よくできた話に引き込まれ、なかなかによくできた映画だ、と思った。
鑑賞後、調べてみるとそんな建築家はいないということを知り、なんだか白けた感じ、だまされたような気分になった。
映画は「お話」でしかない、それを味わえばいいとうのであれば、これはこれでいいとも思えるのだが、事実を基にしたフィクション、登場人物は本当に存在した人であれば物語にもっと重みと手触りを感じたと思う。
つまり、監督、脚本家―作り手―の都合に合わせたホロコーストをサバイブしたユダヤ人というある意味で類型的なドラマになっただけ、という点にどうにも軽さを感じた。
オスカーを獲得した主演のブロディの芝居は過不足なく登場人物になりきった名演なのだろうが、それがきれいにはまりすぎている点に飽き足りなさを感じた。
オスカー3部門を獲得した作品だけに、それをチェックしたい人は見ればいい。だが、そういうこだわりを持たないのであればわざわざ休憩時間まで設定された長尺作品を見るほどではない。
東京都心のシネコン、平日昼間の入りは3割ほどか。あまり観客からも熱を感じなかったのは、ぼくと同様な印象を持ったからではないか、と勝手に思っている。
にしても、戦後80年の今年、日本映画でそれをテーマにしたようなものはないのだろうか。
昭和のはじめから戦中戦後をはさんだ30年くらいには、現代人には想像できない数多のドラマがあったはずだ。もちろん、昭和50年代以前にはそうした作品もあっただろうが、21世紀の今、再びそういうものを撮ろうとする映画人はいないのだろうか。
全186件中、21~40件目を表示