ブルータリストのレビュー・感想・評価
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難しいが、巧みな映画だ。
世界戦争の終結とモダニズムの終焉による20世紀半ばの建築。その後のポスト・モダニズムとの間にあって、ある種の自由と技術による新しい建築が欧米では模索された。ブルータリズムだ。この映画では題名通りそのイズムがあらゆる場面で展開される。映画化は難しいだろうが、様々な映像、音楽、人物、そして彼らの会話と言葉を通してこのイズムが持つブルータルを巧みに表現していた。その後のポストモダニズムは数多く小説や映画になっている、その中間の時代の野獣性を体験する、格好な映画と言えよう。
打ち放しコンクリートの建築様式
アカデミー賞の正統派作品かと思いきや、いささか期待外れか。
長い上映時間のどこに重きを置いたのか、今ひとつ希薄だった。
悲しみも感動も表現が弱い気がする。
アイデンティティを一番大切にするヨーロッパ人の個性に疲れる。
終着点が重要であり、旅路は問題ではないと。
どうも、共感出来なかった。
Contrast
インターミッション込みとはいえ3時間半は中々にハードだな…と思いつつ、デカめのポップコーン片手にいざ鑑賞。
バターしょうゆ味ってこんなに美味いんですね。
全然余裕で観れました。
あたかも実在の人物のように描いているように見えて架空の登場人物が展開する建築士の話という練り練りされた作品としての面白さがありましたし、章仕立ての良さを活かした驚きの連続だったりと見応えたっぷりで圧巻でした。
建築士であるラースローがアメリカにやってきてからの生活をゆったりと描いていく作品で、時間軸が飛び飛びではなく、しっかりその時代その時代を見せてから緩やかに進行してくれるのでたくさん整理しながら観れますし、自分自身のこだわりを貫き通す姿勢が一度も崩れずに建築をやってのけますし、それに都度入る邪魔によって心も体も蝕まれていく様子は中々に歯痒かったです。
どうしても弱った心と体には薬が必要なようで、それにも苦しまされますし、人間関係も音を立てて崩れていきますしでモヤがかかりながらの鑑賞でした。
前半はゆったりと上り調子になっていき、後半は怒涛の展開と緩急が激しい感じでしたが、徐々に明かされる真実だったりに何度も心揺さぶられ、それでいて救いのような場面があるとパーッと明るくなったりとで考え甲斐がありました。
芸術性ゴリ押しでは全くなく、戦後直後から経済が発展していく世の中だからこそ描かれる差別的なものからちょっとした変化まで余白なくやってくれているのでメッセージ性もしっかりと伝わってくるというのもとても良かったです。
喋れない事情があるんだろうなーと思っていた姪が急に喋り出したところは驚きましたが、あそこら辺の事情も少し補足が欲しかったところです。
役者陣はもう最高です。
エイドリアン・ブロディのラースローのやつれ具合や自暴自棄な様子、ファリシティ・ジョーンズのエルジェーベトの献身っぷりと特攻っぷり、ガイ・ピアースのハリソンのアメリカ的なお偉いさんだったりと隙が無さすぎる布陣でやられっぱなしでした。
オープニングとエンディングもとても洒落ていて、それでいてくどくない良さが展開されるので思わずうっとりしてしまいました。
全体的に映像もスタイリッシュでかっこいいですし、劇伴もおどろおどろしさを兼ね備えつつ、耳馴染みの良い曲もあったりととても贅沢でした。
映画館という密室空間だからこそ感じられる極限の集中から得られるものが多くて楽しかったです。
アカデミー賞2025のレベルが総じて高いっす…!
鑑賞日 3/12
鑑賞時間 14:25〜18:15
座席 C-11
3時間半も付き合った後に…
大河ドラマ
全部中途半端で散漫、しかも長い。
光がつなぐ半生
ラースローを迎えるアメリカの颯爽とした青い空。
どれだけ待ち望んでいた瞬間か。
しかしそんな明るい幕開けにいる彼の背景には簡単には拭えない彫り物のように深い影が染み付いているような気がしてその眉尻を余計に下げてみせる。
それはホロコーストからの生還者としてのイメージが私のなかにあるからだけではなく、さらに〝移民〟として1から生きていくことを課せられた日。
彼の人生をこの別世界はどう塗り替えていくのだろう。
そのすぐあと、駅で再会した従兄弟との抱擁は体中をほぐすような安堵がラースローにのしかかっていた重圧を和らげ、ついで耳にする〝大切な人のこと〟は、流れる時間を一瞬とめてしまう程の幸福感だったようだ。
あの表情からそれがどんなに奇跡的な事だったかを知り、そこまでの苦悩に胸が締め付けられる。
あぁ、ようやく刷新の時を知らせる空気が流れ〝希望〟という粒子を彼のまわりにきらめかせた。
しかしそれはそこまでだった。
立たない〝不自由〟の女神の不穏さと緊張の糸で奏でる劇伴の響きで、一転して傾き始めるこの先の予感にたじろぎながら、まだそれを知らない彼をみつめる。
この序盤の展開に緊張感の手綱をぐいっと絞められ、始めのさわやかさはその辺りに置き去りになった。
物語はラースローが羽振りの良い実業家のハリソンに出会い気に入られたことで次のステージへと進む。
それは確かにラッキーなことに思えた。
この地で強力なパトロンを得ることは再び建築家として生きる舞台を与えられ昔の自信を取り戻すチャンスを得ることでもあり、離散した家族との暮らしを再構築する夢を具体的にしてにつながるから。
けれど、次第に感じるいとこの様子の変わり方や実業家のハリソンがみせつけてくる移民の立場の脆弱さが彼の不安を深めるのだ。
生きる為に抗えないでいるラースローの曇りがちな目が何度も何度もスクリーン越しにもどかしさを訴えてくる。
一方で権力をふりかざして弱者を食いものにすることに何のためらいのないハリソンの不敵な笑み。
その息子もまた父譲りの弱肉強食的な思想、利己主義がまかり通る環境でつくりあげられていく怪物の継承者だという恐ろしさがみえるシーンが増えていく。
排他、抑圧、更なる搾取がラースローを追い込む。
そんな時、夫の厳しい状況についてはやくから気づいていた妻がついに口にする〝狂気に呑み込まれないで〟という言葉と対するラースローの〝約束する〟という返答の会話がとても印象的だ。
これは今の揺らぐ世界を比喩しながら発する作者のメッセージ〝警告とそうあってほしい一人一人への切実な願い〟そのもののようだった。
後半のラースローの衰弱からその約束は果たせなかったのだろうと悲観していた私は、時を過ぎラースロー、妻、姪の堂々とした姿がみれるラストに目を見張った。
張り巡らされた油断できない険しい道のりを越えてきた3人に深い敬意でいっぱいになり、物語の根底にあった戦争が遺し続ける傷、人が人を支配する哀しみと罪深さ、まやかしの自由や悪意のからくりに翻弄され苦難におかれようとも、希望という光を心に持ち続けた日々が彼らにあったことを思い返す。
その光とは静かにそして脈々と湧き続ける源泉のように前を向くことを止めなかった彼らが手放さなかった生きる力、愛、信念の強さそのものなのだろう。
光でつながれる数奇な半生の物語はあたかも215分かけて巡る美術展のように、語られぬ部分にこそおもいを馳せていくという大切なものに満ち、心の奥深くを揺らしている。
訂正済み
タイトルなし(ネタバレ)
第二次大戦のホロコーストを生き延びたハンガリー系ユダヤ人建築家ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)。
強制移住の新天地・米国の新しい暮らしは、ペンシルベニアで家具屋を営む従兄弟のもと。
妻をめとった従兄弟はカトリックに改宗し、名前も米国風に改めていた。
ある時、新進の実業家ヴァン・ビューレン(ガイ・ピアース)の息子から邸宅の書斎の改修を依頼されるも、無断改修に激怒したヴァン・ビューレンから追い出されてしまう。
が、改修した書斎のモダニズムが雑誌に取り上げられたことに気をよくしたハリソンは、ラースローが欧州で著名な建築家だったことを知り、亡き母の名を冠したコミュニティセンターの建築をラースローに依頼する・・・
といった物語で、以降、ラースローとヴァン・ビューレンの確執が描かれていきます。
下手に時間軸操作などせずに、持つ者と持ったざる者の確執が丹念にかつ執拗に描かれ、説明不足の部分(こちらが理解できないだけかも)があり、やや理解が難しいところもあるが、濃厚なドラマを観た満足感がありました。
ということで感想は十分。
さて問題なのはタイトルの「ブルータリスト」が誰を指しているか。
ブルータリズムと呼ばれる建築の設計者である主人公ラースローを指しているというのが一般的な解だろうが、「ブルータル」=「暴力的」「野蛮で」「荒々しく」「粗暴な」というもともとの意味から察すると、他者を蹂躙する人=ヴァン・ビューレンに代表される側ではないかと思われます。
ヴァン・ビューレンに代表される側は、キリスト教側。
物語ではラースローの改宗した従兄弟が登場しますが、映像的には十字架が印象的に使われています。
巻頭のラースローの姪ジョーフィア(ラフィー・キャシディ)の背後に重なる窓枠の十字架のモチーフ。
終盤に登場するラースローが設計したコミュニティセンターの礼拝堂に差す光の十字架。
なお、このセンターの設計そのものが、ナチスにおけるユダヤ人収容所を模していると語られるエピローグには驚かされます。
(中盤、妻エルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)が図面を見て、モチーフを読み取り、設計に納得するエピソードが伏線として描かれていますね)
礼拝堂の十字架については、前半終了の際、模型に懐中電灯で光の十字架を示すシーン、ここは模型の光の十字架は必要だった、と思いました。
模型の中の光の十字架が、現実になって、さらに救われない・・・という意味で。
喧伝されている、「野心的なカメラワーク」については、あまり感じませんでした。
センシティブなシーンや序盤の40年代米国などセット組むのに予算がかかりそうなシーンで「極力写さないように工夫してるなぁ」とは思いましたが。
もしかすると、主人公のラースローは収容所で去勢されているのかも・・・。
ならば、センシティブシーンを極力写さないカメラワークも意味があるように感じます。
音楽は、ややうるさく感じました。
とはいえ、弩級の力作。
多層的な世界
久しぶりに映画らしい映画を観たな、というのが正直な感想。もちろん、映画は観まくっているのだけれど、大衆的ではなく、深みのある、特権的な映画、という意味で。
もちろん、大好きなマーベルシリーズも最近見たウィキッドもアンダーニンジャもどれもが映画だし、それらなりにメッセージ性はある。まぁ、根本的にジャンルが違うので映画論はさておき。。。
今のトランプ政権の状況とイスラエルの問題を見ていると、メタファーが効かないというか、そのまんま、と言ってしまってもいいものなのか悩ましい。
圧倒的な力で侮辱されても、媚びへつらい服従すべきなのか、それとも自由を求めるのか。強制収容所を生還した彼が見たアメリカは、強制収容所よりかは生存できるが、さぞかし生きづらいところだったんだろうな…。
強制収容所を明確に表現せずに、ただただ、生き延びた人たちを描くリアリズムを体感できた。
(ただし、彼らが本当に体験した語り得ない悲劇は、我々の想像を絶するものでそれについては何も言える事はないであろう。)
才気溢れる監督の前衛的手法が満載です
ユダヤ系ハンガリー人がドイツのバウハウスで建築を学び、ナチスの迫害を生き抜いた後でアメリカに移住して建築家として生きる大河ドラマです。70㎜フィルムでの撮影、短期編集などによるローコスト化、スタイリッシュなアングル、独創的なエンディング、視聴者に委ねるその後等、監督の挑戦が続きます。苦難するユダヤ人と傲慢なアメリカ人の対比が大きなテーマで、精神的障害や性的虐待、宗教問題、麻薬中毒、人種差別、移民の困難さ等を絡めて進み、4時間があっという間に過ぎました。監督のデビュー作もヒトラーを描いているので、ユダヤ系、ハンガリー、ハプスブルク家のルーツを持つように思います。ハンガリーから来た知人は映画の登場人物と同じ名前で、「ハンガリー人は放浪癖が有る」と言っていました。欧米人の持つ複雑な民族、宗教、歴史を考えさせる作品でした。
監督の次作はロバートキャパ、ゲオルグショルティ、ジョージソロスを予想します。
面白いけど、長さに見合うかどうかは不明
疲れていて後半気を失いそうになった。つまらないということではなく、暖房効きすぎでこの長さでレイトショーは落ちやすい。でも面白い。
思ってたのと全然違うなんかオシャレな映画だった。建築家の話でもあるけど、クレジット関係がまずオシャレ。オシャレとか言うと失礼かもだけど、音楽含めて全体的にハッタリ勝負の映画なんだな、というのが割に早い段階でわかり、なぜかマカベイエフの映画を思い出していた。ポルノグラフィティ的な目配せもありながら、なかなか出てこない嫁が出てきたと思ったところから嫁たちもかなり怪しいキャラクター。
描かれる世界がアメリカの野蛮なパトロンとブタペストからやってきたアーチストとアメリカの田舎社会がひとつになってアートなホールを建てようということになるが、そうは簡単にはいきません、という話。
この長さはまったく退屈しないのだけど、この長さなりの圧倒的な何かを持ち帰れるのかというとそうでもない。後半もう少し各キャラクターの過去の壮絶な何かがあるのかと思っていると、そっちではなかった。
偶然連続して、『アノーラ』『名もなき者』『ブルータリスト』観たけど、『アノーラ』が抜けてるのはよくわかる。それと、アメリカ映画というよりとても世界映画的なインディペンデントスピリッツのものが多くなった気がする。これもA24効果かな。というか、真っ当な大衆娯楽大作が少なくなったな。個人的にはアカデミー賞ってもっと大衆に向けた作品でいいと思うし、逆にそういうものをアメリカ映画には期待する
「コンクリか大理石か」
翻訳ものの長い小説を読んだ気分
翻訳ものの長い小説を読んだ気分。
海外文学をありがたがる気持ちで、最後まで、あきることなく鑑賞できたけど、よく理解できないのが正直なところ。
15分の休憩までトイレが我慢できなくて席をたってしまったし…
一度の鑑賞で、ちゃんと理解できる人がいるのだろうかと思ってしまう。小説なら読み返しはできるし、じっくり考えることもできるけど、どんどん物語は進んで置いてけぼりになっちゃうから、分かったふりをするしか手立てがなくて、戸惑ってしまうのですよ。
ホロコーストの体験をもとにした建築が後々再評価されるという結末で、大団円というところだろうけど、ホロコーストの描写はないし、アメリカに渡ってからの苦労というのも、特にひどいというところはなくて、十分アメリカに受け入れられていたように感じたけど、どこか見落としたのだろうか?
天才建築家の不遇感と苦悩は、凡人にはなかなか理解できないというところのだろう。
あの富豪が、主人公をゴーカンしたというくだりもよく理解できなかったなぁ…
もう一度鑑賞する気力はないので、youtubeに転がっている解説動画を捜してみ、このもやもやに決着をつけるしかないのかなと思う。
不完全燃焼です。
それは真の解放を求めた人間の切なる思いを反映した建物なのかあるいは忌まわしき資本主義の墓標なのか
ブルータリズムを名指しで否定したトランプによる大統領令が一期目に続いて今回再び発令されることとなった。
連邦政府が建設する建物は伝統を重んじた古典主義的建築でなくてはならないという「美しい連邦公共建築」という名の大統領令。確かに公金が使われる建物が住民の感性で受け入れがたいようないわば芸術家たちにだけ称賛されるものであってはならないというのはエリート主義を叩いてのし上がってきたトランプにしてみれば必然的とも思える。
ブルータリズムが第二次大戦後台頭してきたのは安価な材料であるコンクリートにより工期も短く済むため戦後復興にとっても役立ったからだ。それと同時にその柔軟な工法が設計する者の作家性を反映させやすくもあった。このブルータリズム建築が美しいか美しくないか、それは確かに賛否が分かれるところではある。
その無骨で殺風景とも思えるシンプルな外観は実際に多くの住民に嫌悪感を抱かせるものもある。それを意図した設計でもあるのだが。
本作ではトートの設計による礼拝堂が景観にそぐわないという住民に対して住民説明を行う場面がある。彼の設計がいかに優れているかをプレゼンして住民に納得してもらうシーンだ。
美しいか美しくないかは見る者の感性にゆだねられる。それを判断するのはその人次第だが大統領令はそれを一概に美しくないとして一切を否定をしてしまう。これは価値観の押し付けでしかない。美的感覚は人によりさまざまで時代によっても移り変わるもの。そのような感性を画一的に一方的に否定する大統領令は彼の多様性否定の姿勢そのものでもある。
地域住民の納得の上でトートの建築は受け入れられる。これが大統領令に対するアンサーである。一見受け入れがたいデザインの建築物でもそのコンセプトを説明して理解してもらい地域住民に受け入れてもらえればなんら問題はない。一様に否定する大統領令がどれだけ愚かなのかを本作は訴えている。
自分とは異なる感性を否定する、他者を受け入れないという多様性の否定がかつてのホロコーストを生み出した。ホロコースト生存者を主人公にした本作がこの大統領令に端を発して製作されたのがよくわかる。
歴史は繰り返される。本作は他者を排斥し多くの異なる民族を悲劇に追いやった現代のホロコーストの再来を危惧して警告を発するための作品であると思える。
ホロコースト生存者の建築家トートはアメリカに渡りそこで大富豪のハリソンから支援を受け彼の依頼で礼拝堂を兼ねた複合公共施設の設計を手掛ける。
ハリソンはトートの才能にほれ込み、彼への支援を惜しまなかった。しかしトートは自分の思う通りの建設がなかなか進まないことに苛立ちを覚えていた。そんな時ハリソンが経営する運輸会社の列車事故により事業は中止されトートは一方的に解雇されてしまう。
事故処理が事なきを得ると途端にトートはハリソンに引き戻される。ハリソンによる気まぐれでトートが翻弄されるのはこの時だけではなかった。出会いのきっかけもトートが彼の書斎のリフォームを行なったことに対して激怒した彼がトートを追い出したことにあった。
ハリソンは一代で事業を成功させた富豪であるが、芸術的才能には恵まれなかった。トートの才能にほれ込んでいるようで実際彼の才能はもとより彼の人格についても理解などしてはいなかった。ただトートが有名芸術学校出身で業界で注目された建築家であることに目をつけたに過ぎない。彼を訪ねたのも書斎が雑誌に取り上げられたからだった。
彼にとってトートは彼の邸宅の数々の贅を尽くした装飾や調度品と同じくお飾りでしかなかった。トートは彼の権威をさらに箔づけするためのペットでしかなかったのだ。それは彼を糾弾するトートの妻に対して彼自身の口からも語られる。
かつて建築の分野で名声を手にしたトートはナチスの迫害によりすべてを奪われ、このアメリカではただの日雇い労働にしかつけなかった。ハリソンのような富豪のパトロンに頼るしか彼の才能を生かす道はなかった。たとえペットの身に甘んじても。
自由の国アメリカ。ホロコーストから逃れて自由を手に入れられると思っていた芸術家にとってそこはナチスの収容所と同様、囚われの身であることに変わりなかった。資本主義という名の牢獄の。
アメリカは彼に自由を与えてはくれず彼に与えたのはアヘンだけだった。薬物中毒になってしまった彼は妻の言う通り祖国イスラエルに渡る決心をする。
終始芸術家である主人公が実業家である大富豪に翻弄される姿はまさにトランプ政権下で翻弄される現在のアメリカの芸術家たちを見ているようだ。
今回の第二次トランプ政権によりアート界は危機感を抱いている。第一期でも文化芸術への支援が削減されたり、ムスリムの国々への渡航が禁じられたりと芸術家同士の交流が阻害される政策が次々とおこなわれた。
今回の政権でもさっそくトランスジェンダー否定をはじめとする多様性を尊重するDEI(多様性、公平性、包括性)事業の廃止を掲げている。
多様性こそがイノベーションを生む、それは芸術の分野に限らない。経済においてもアメリカの大手IT企業の創始者の六割が移民または移民二世だったりする。そもそもトランプの祖父自体がドイツからの移民であるし、イーロン・マスクも移民の子孫だ。
多くの移民を受け入れてきたからこその現在のアメリカの繁栄がある。それは多様性から生まれた。それを否定するトランプは自らのルーツを否定するようなものだ。
トートがアメリカで手掛けた礼拝堂はやがて完成する。建物の外観は収容所をモチーフにしながらも高い天窓から空を見上げる設計。それはトートの抱き続けた真の解放への思いが反映された建物であると同時に富豪が自ら命を絶った資本主義の墓標でもあったのかもしれない。
トランプの大統領令がいう古典主義的建築なるものは古代ローマやギリシア建築の要素を取り入れた建築様式を言うが、それは時の権力者たちが自分の権威を象徴するためにその多くが作られた。
外観に装飾を施した伝統的な建造物は歴代の為政者たちがその権威を表すために贅を尽くした装飾をまとわせた虚像でしかない。簡素で装飾をまとわないブルータリズム建築はそれとは真っ向対立する。まさに機能性だけを重視し、そこに権威が入り込む余地はないのだ。
権威主義に溺れるハリソンの下でトートがこだわり続けたのがまさにこれだった。反権威主義、彼は自分を支配しようとするハリソンの下で真の解放を目指していたのだろう。
資本主義の象徴ともいえるハリソンはトランプの姿と被る。そんな彼がトートを凌辱したことを糾弾されて建築途中の施設で自害をする。
トートの建物は資本主義の終焉を表した資本主義の墓標でもあり、権威と戦う芸術家たちの解放を象徴したものでもあったのかもしれない。
本作はまさにトランプ政権下で多様性や自由な思想がないがしろにされてることへのカウンター的な作品と言えるだろう。
ちなみにブルータリズムを否定するトランプだが、彼の成功者としての証でもあり象徴でもあるトランプタワーはまさにこのブルータリズム建築そのものであった。
トランプタワー設計に携わったバーバラ・レスによると当時建設を急いだために不完全な図面をもとに工事を始めたので、建築途中での変更にも柔軟に対応できるようにほとんど鉄骨を使わず大部分をコンクリートで建設した。
ブルータリズムを否定するトランプがブルータリズムの恩恵を受けていたという皮肉。また伝統を重んじた古典主義的建築などという彼だが、トランプタワーの敷地として購入した場所には歴史的価値ある装飾が外壁に施されたボンウィットテラーデパートの建物があり、外壁に施されたレリーフは当時の五番街の象徴でもあった。街のシンボルでもあるその装飾をメトロポリタン美術館に寄贈することを条件に取り壊し許可を得たにもかかわらず工事を急ぐあまりその約束を破り装飾ごと解体してしまったのだ。伝統的建造物を重んじるなどと聞いてあきれる。
ちなみにトランプの会社が当時この解体工事で雇い入れたのはすべて不法移民であり低賃金労働させて経費を削減したという。
ガイ・ピアースは良かったけど
ユダヤ人被害者問題
リベラルかつスタイリッシュなものが好きな人向け
第二次大戦後混乱期のユダヤ人建築家の話なので、政治色、リベラル性が強く、今の保守に寄ったアメリカに警鐘を鳴らしているような作品でした。
そして、映像がかなりスタイリッシュ。
要は「通の好む」作品で、こういうのが賞を獲るんですよね。かなり長い(途中で休憩あり)のと娯楽性の少ないものでした。
僕はこういう「雰囲気」も嫌いではないので、楽しめましたが娯楽作品が好きな人は避けた方が良いでしょうね。
3時間半の長さを感じない隙のない大作ですが、唯一の隙と言えば、主人公の光と影、トラウマを描きたかったのか、女性の扱いがぞんざいというか、性的なオマージュにしか使ってない印象で、そこが残念でした。
時代がそうだったのかも知れませんが、わざわざこのシーンいるかなぁ?というのがいくつかありました。
全193件中、21~40件目を表示