ブルータリストのレビュー・感想・評価
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「何をしたのか」と「何をしようとしたのか」
何の予備知識もなく観たが、前半は、ざわざわした感じ。カメラが対象に近いためだろう。主人公のユダヤ系ハンガリー人、ラースロー・トートを演じたエイドリアン・ブロディには「戦場のピアニスト」のイメージが染み付いている。ナチの収容所を逃れたラースローがやっとのことで米国に辿り着き、従兄弟の店でチェアをデザインした時、バウハウスゆかりの人間と知れた。彼は、縁あってペンシルベニアの資産家、ハリソン・ヴァン・ビューレンの邸宅の図書室をデザインすることになるが、優れていることはすぐにわかった。案の定、一旦は事情を知らないハリソンに罵倒されるが、その後のストーリーは読めた。多分、映画で使われた空間処理の仕方は、バウハウス出身で米国に渡ったマルセル・ブロイヤーの影響だろう。しかし、彼が設計した図書室の本棚には、パリの「ギュスターヴ・モロー美術館」の窓際の陳列棚の影響が感じられた(これは贔屓の引き倒しか)。
映画の後半では、ハリソンの勧めに従い、彼の邸宅があるドイルスタウンの丘の上に、公的な予算が投入されて、マーガレット・ヴァン・ビューレン・コミュニティセンターと言う名の地域の集会場が建設されることになる。さまざまな制約が課されるが、プロテスタントの礼拝堂を、建物の中心におくことが難関だったと思う。映画に出てきた礼拝堂の天井には十字が刻まれ、我が安藤忠雄の「光の教会」を思わせる(エンドロールで、触発されたことを感謝すべきレベル)。ただ、礼拝堂の室内は、極めて天井が高く、ブダペストやプラハで見たドーム式のシナゴーク(ユダヤ教の教会)を思わせた。実際に、ユダヤ教の信者による集会風景も出てくる。この姿が、設計や建築の段階で想像されたら、地域のプロテスタントの人たちから、どのような非難が寄せられるかは自明である。
映画の最後で、ラースローの姪、ジョーフィアが「旅路より到達地が重要」と訴えて、これまでの経緯ではなく、残った建造物こそが重要とするが、本当にそうなのか。日本の著名な建築家たちは、必ずしもそうは考えていなかったような気がする。中には、自分の設計した建物なんて、100年後には一つも残らないと言う建築家だっていた。世界遺産に指定された建築は、並外れて優れているに違いない。私たちのような一般人には、それが全てだが、おそらく建築家の世界では、「何をしようとしたのか」も負けないくらい大事なのだろう。第一、優れているのに、いつかの競技場みたいに実現しないことだってある。模型や設計図も大事にして欲しい。その精神こそが、次の世代に引き継がれるのだから。
え?フィクションなの?これ。
よく分からない所だらけなのに結構たのしく観れた
4時間が長く感じず、
見ている間は次の展開が読めずとても楽しかった。
でも何か観終わった後は「結局なにがテーマだったの?」という感じで印象がぼやけてしまった。
ユダヤ人の歴史や、建築の歴史、ブルータリズム建築の位置付けなど
より深い知識があるとより深く理解できるのかもしれない。
自分はイラストの仕事をしているので、
いかにも資本主義の塊のような支配者と、
仕事を得るには従属して支援を受けるしかない芸術家
という対比に興味があった。
芸術家でもイラストレーターでも作品を作る立場だと
食っていくためにはパトロンとか企業とかの言う事を
全く無視するのは不可能。
でもその中で自分の出来る表現をする。
主人公はパトロンのためにユダヤ人でありながら
十字架が象徴的な建物をデザインした。
でも建物の中にこっそりと収容所の寸法を潜ませていた事が最後に分かる。
主人公の芸術家としてのプライドみたいなものを感じる
好きなエピソードだった。
映像についてはずっとかっこいい感じで見ごたえがあった。
建築をテーマにしているだけあって
オープニングタイトルとエンドロールがとにかくかっこよくて
好きだった。
特にオープニングはあそこだけ繰り返し流してたいくらい。
金持ちのおっさんの書斎が出来上がったところ、
みんなで丘を登るシーン、
イタリアの大理石の採掘場など
とても美しかった。
1番印象に残ってるのは冒頭の自由の女神。
めちゃくちゃ興奮したとかはないし腑に落ちない所だらけだけど
インターバル初体験とか、
ハリウッド超大作の文法とは少し違う構成とか
色々新しい経験が出来たので観て良かった!
自分らしく生きるには
収容所を経験し、家族と引き裂かれ生きるためにアメリカに渡った、ハンガリー生まれのユダヤ人、バウハウスで学んだ建築家。船でニューヨークに到着するところから始まるストーリーの導入から、既にこの映画はいろいろと分厚い。自分らしく生きるためにもがき続ける主人公の苦悩を表現し、また彼と関わる多くの人についても丁寧に描かれている。新転地での彼の芸術の象徴のような建築物は、自身の人生のように完成まで困難を極める。この脚本、監督のセンスと力量の凄さは、ヨーロッパの人かと思いきや、なんと子役出身のアメリカ人。ヨーロッパ人監督の作品に複数出演した経験があるそうで独特の感性は経験から磨かれてきたのか、凄い作品を撮ったものだ。飽きさせず、疲れさせず、観客にとにかくスクリーン上の濃いドラマを見守りたいと思わせる、そこには自分らしく生きるためにもがく人々の姿が、しっかりと描かれている。ユダヤ人が設計したカトリックのための教会、だがその建物のデザイン思想は収容所での経験から来ているとは、なんとも強烈、そしてそれが真の芸術家なのだろう。
性的シーンが多く、ダイレクトに映し出されているシーンがいくつもあってちょっと驚き。芸術作品だから?そこだけ謎、必然性がわからないから。そして日本の映倫基準はいつも謎。
ホロコーストが後の人生の全てに直接の影響を及ぼしている
前編と後編に分かれていて15分の休憩が入るけれど、とても長い。
特に前半は退屈だった。
でも、話としては平易な分かりやすい映画。
後半はドラマチック。
建築家ラースロー・トートの半生の勉強みたいなフィクション映画。
全体として、あまり面白い映画だったとは言えなくて、今の時点では、もう一度観たいとは思わないかな。
ホロコーストが、後の人生の全てに直接の影響を及ぼしている、という物語でした。
また無音エンドロール
長丁場なので面白くなかったら地獄だなと不安に思いながら鑑賞笑
結果は作品に飲まれてました笑
休憩時間を除けば200分あっという間に感じました。
内容に関しては最初はサクセスストーリーなのかなと思いきや後半からそう言うわけでもなく、、、
最初と最後の結びがしっかりしてるので、受け手が誰の視点で見るかで内容が変わってくる感じが面白かったです。
ただ、テンポ感が一定のリズムな感じがしたのでハマらない人は最後までハマらない気がします笑
建築家の話なので知識ないと難しいかなとは思っていたがそんなことはなく、富裕層のエゴイズムをすごく感じられる映画でした。
言葉だけで偏見の元にこういうものだと作り上げてしまっている部分は自分にもあるため、それを受け入れられる人間力を身に付けようと感じさせてくれる映画でした。
天才と対峙する凡人の葛藤
アメリカンドリーム、移民、宗教、人種差別、音楽、麻薬、芸術家の業、
など様々な要素が200分超で描かれるが、
趣向を凝らした美しい映像表現も多く、
退屈さを感じることは全くなく、最後まで楽しく観ることができた。
一方で、これだけの密度、ボリューム感ある大作にも関わらず、
ガツンという重量感、鋭く突きつけられる感じ、
呆然とさせられるような圧倒的な余韻の少ないのが不思議。
それは、主人公トートの建築家という独りでは完結しない職業柄と、
そこに付きまとう現実のあれこれの描写によって、
天才的な芸術家にありがちな超人的な存在感や傲慢さが少ないこと、
一方で、トートに羨望の眼差しを向けつつ、
大富豪でありながらも人間としての器が卑小で、
破滅的に複雑な自己矛盾を抱え込んだ対峙するハンソンが、
あまりにキャラクターとして魅力的で際立っているのが要因かと思った。
とはいえ、当時のアメリカの主に影の部分の歴史の一端を垣間見られる貴重な機会でした。
難しいが、巧みな映画だ。
世界戦争の終結とモダニズムの終焉による20世紀半ばの建築。その後のポスト・モダニズムとの間にあって、ある種の自由と技術による新しい建築が欧米では模索された。ブルータリズムだ。この映画では題名通りそのイズムがあらゆる場面で展開される。映画化は難しいだろうが、様々な映像、音楽、人物、そして彼らの会話と言葉を通してこのイズムが持つブルータルを巧みに表現していた。その後のポストモダニズムは数多く小説や映画になっている、その中間の時代の野獣性を体験する、格好な映画と言えよう。
打ち放しコンクリートの建築様式
アカデミー賞の正統派作品かと思いきや、いささか期待外れか。
長い上映時間のどこに重きを置いたのか、今ひとつ希薄だった。
悲しみも感動も表現が弱い気がする。
アイデンティティを一番大切にするヨーロッパ人の個性に疲れる。
終着点が重要であり、旅路は問題ではないと。
どうも、共感出来なかった。
Contrast
インターミッション込みとはいえ3時間半は中々にハードだな…と思いつつ、デカめのポップコーン片手にいざ鑑賞。
バターしょうゆ味ってこんなに美味いんですね。
全然余裕で観れました。
あたかも実在の人物のように描いているように見えて架空の登場人物が展開する建築士の話という練り練りされた作品としての面白さがありましたし、章仕立ての良さを活かした驚きの連続だったりと見応えたっぷりで圧巻でした。
建築士であるラースローがアメリカにやってきてからの生活をゆったりと描いていく作品で、時間軸が飛び飛びではなく、しっかりその時代その時代を見せてから緩やかに進行してくれるのでたくさん整理しながら観れますし、自分自身のこだわりを貫き通す姿勢が一度も崩れずに建築をやってのけますし、それに都度入る邪魔によって心も体も蝕まれていく様子は中々に歯痒かったです。
どうしても弱った心と体には薬が必要なようで、それにも苦しまされますし、人間関係も音を立てて崩れていきますしでモヤがかかりながらの鑑賞でした。
前半はゆったりと上り調子になっていき、後半は怒涛の展開と緩急が激しい感じでしたが、徐々に明かされる真実だったりに何度も心揺さぶられ、それでいて救いのような場面があるとパーッと明るくなったりとで考え甲斐がありました。
芸術性ゴリ押しでは全くなく、戦後直後から経済が発展していく世の中だからこそ描かれる差別的なものからちょっとした変化まで余白なくやってくれているのでメッセージ性もしっかりと伝わってくるというのもとても良かったです。
喋れない事情があるんだろうなーと思っていた姪が急に喋り出したところは驚きましたが、あそこら辺の事情も少し補足が欲しかったところです。
役者陣はもう最高です。
エイドリアン・ブロディのラースローのやつれ具合や自暴自棄な様子、ファリシティ・ジョーンズのエルジェーベトの献身っぷりと特攻っぷり、ガイ・ピアースのハリソンのアメリカ的なお偉いさんだったりと隙が無さすぎる布陣でやられっぱなしでした。
オープニングとエンディングもとても洒落ていて、それでいてくどくない良さが展開されるので思わずうっとりしてしまいました。
全体的に映像もスタイリッシュでかっこいいですし、劇伴もおどろおどろしさを兼ね備えつつ、耳馴染みの良い曲もあったりととても贅沢でした。
映画館という密室空間だからこそ感じられる極限の集中から得られるものが多くて楽しかったです。
アカデミー賞2025のレベルが総じて高いっす…!
鑑賞日 3/12
鑑賞時間 14:25〜18:15
座席 C-11
3時間半も付き合った後に…
大河ドラマ
全部中途半端で散漫、しかも長い。
光がつなぐ半生
ラースローを迎えるアメリカの颯爽とした青い空。
どれだけ待ち望んでいた瞬間か。
しかしそんな明るい幕開けにいる彼の背景には簡単には拭えない彫り物のように深い影が染み付いているような気がしてその眉尻を余計に下げてみせる。
それはホロコーストからの生還者としてのイメージが私のなかにあるからだけではなく、さらに〝移民〟として1から生きていくことを課せられた日。
彼の人生をこの別世界はどう塗り替えていくのだろう。
そのすぐあと、駅で再会した従兄弟との抱擁は体中をほぐすような安堵がラースローにのしかかっていた重圧を和らげ、ついで耳にする〝大切な人のこと〟は、流れる時間を一瞬とめてしまう程の幸福感だったようだ。
あの表情からそれがどんなに奇跡的な事だったかを知り、そこまでの苦悩に胸が締め付けられる。
あぁ、ようやく刷新の時を知らせる空気が流れ〝希望〟という粒子を彼のまわりにきらめかせた。
しかしそれはそこまでだった。
立たない〝不自由〟の女神の不穏さと緊張の糸で奏でる劇伴の響きで、一転して傾き始めるこの先の予感にたじろぎながら、まだそれを知らない彼をみつめる。
この序盤の展開に緊張感の手綱をぐいっと絞められ、始めのさわやかさはその辺りに置き去りになった。
物語はラースローが羽振りの良い実業家のハリソンに出会い気に入られたことで次のステージへと進む。
それは確かにラッキーなことに思えた。
この地で強力なパトロンを得ることは再び建築家として生きる舞台を与えられ昔の自信を取り戻すチャンスを得ることでもあり、離散した家族との暮らしを再構築する夢を具体的にしてつながるから。
けれど、次第に感じるいとこの様子の変わり方や実業家のハリソンがみせつけてくる移民の立場の脆弱さが彼の不安を深めるのだ。
生きる為に抗えないでいるラースローの曇りがちな目が何度も何度もスクリーン越しにもどかしさを訴えてくる。
一方で権力をふりかざして弱者を食いものにすることに何のためらいのないハリソンの不敵な笑み。
その息子もまた父譲りの弱肉強食的な思想、利己主義がまかり通る環境でつくりあげられていく怪物の継承者だという恐ろしさがみえるシーンが増えていく。
排他、抑圧、更なる搾取がラースローを追い込む。
そんな時、夫の厳しい状況についてはやくから気づいていた妻がついに口にする〝狂気に呑み込まれないで〟という言葉と対するラースローの〝約束する〟という返答の会話がとても印象的だ。
これは今の揺らぐ世界を比喩しながら発する作者のメッセージ〝警告とそうあってほしい一人一人への切実な願い〟そのもののようだった。
後半のラースローの衰弱からその約束は果たせなかったのだろうと悲観していた私は、時を過ぎラースロー、妻、姪の堂々とした姿がみれるラストに目を見張った。
張り巡らされた油断できない険しい道のりを越えてきた3人に深い敬意でいっぱいになり、物語の根底にあった戦争が遺し続ける傷、人が人を支配する哀しみと罪深さ、まやかしの自由や悪意のからくりに翻弄され苦難におかれようとも、希望という光を心に持ち続けた日々が彼らにあったことを思い返す。
その光とは静かにそして脈々と湧き続ける源泉のように前を向くことを止めなかった彼らが手放さなかった生きる力、愛、信念の強さそのものなのだろう。
光でつながれる数奇な半生の物語はあたかも215分かけて巡る美術展のように、語られぬ部分にこそおもいを馳せていくという大切なものに満ち、心の奥深くを揺らしている。
訂正済み
タイトルなし(ネタバレ)
第二次大戦のホロコーストを生き延びたハンガリー系ユダヤ人建築家ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)。
強制移住の新天地・米国の新しい暮らしは、ペンシルベニアで家具屋を営む従兄弟のもと。
妻をめとった従兄弟はカトリックに改宗し、名前も米国風に改めていた。
ある時、新進の実業家ヴァン・ビューレン(ガイ・ピアース)の息子から邸宅の書斎の改修を依頼されるも、無断改修に激怒したヴァン・ビューレンから追い出されてしまう。
が、改修した書斎のモダニズムが雑誌に取り上げられたことに気をよくしたハリソンは、ラースローが欧州で著名な建築家だったことを知り、亡き母の名を冠したコミュニティセンターの建築をラースローに依頼する・・・
といった物語で、以降、ラースローとヴァン・ビューレンの確執が描かれていきます。
下手に時間軸操作などせずに、持つ者と持ったざる者の確執が丹念にかつ執拗に描かれ、説明不足の部分(こちらが理解できないだけかも)があり、やや理解が難しいところもあるが、濃厚なドラマを観た満足感がありました。
ということで感想は十分。
さて問題なのはタイトルの「ブルータリスト」が誰を指しているか。
ブルータリズムと呼ばれる建築の設計者である主人公ラースローを指しているというのが一般的な解だろうが、「ブルータル」=「暴力的」「野蛮で」「荒々しく」「粗暴な」というもともとの意味から察すると、他者を蹂躙する人=ヴァン・ビューレンに代表される側ではないかと思われます。
ヴァン・ビューレンに代表される側は、キリスト教側。
物語ではラースローの改宗した従兄弟が登場しますが、映像的には十字架が印象的に使われています。
巻頭のラースローの姪ジョーフィア(ラフィー・キャシディ)の背後に重なる窓枠の十字架のモチーフ。
終盤に登場するラースローが設計したコミュニティセンターの礼拝堂に差す光の十字架。
なお、このセンターの設計そのものが、ナチスにおけるユダヤ人収容所を模していると語られるエピローグには驚かされます。
(中盤、妻エルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)が図面を見て、モチーフを読み取り、設計に納得するエピソードが伏線として描かれていますね)
礼拝堂の十字架については、前半終了の際、模型に懐中電灯で光の十字架を示すシーン、ここは模型の光の十字架は必要だった、と思いました。
模型の中の光の十字架が、現実になって、さらに救われない・・・という意味で。
喧伝されている、「野心的なカメラワーク」については、あまり感じませんでした。
センシティブなシーンや序盤の40年代米国などセット組むのに予算がかかりそうなシーンで「極力写さないように工夫してるなぁ」とは思いましたが。
もしかすると、主人公のラースローは収容所で去勢されているのかも・・・。
ならば、センシティブシーンを極力写さないカメラワークも意味があるように感じます。
音楽は、ややうるさく感じました。
とはいえ、弩級の力作。
多層的な世界
久しぶりに映画らしい映画を観たな、というのが正直な感想。もちろん、映画は観まくっているのだけれど、大衆的ではなく、深みのある、特権的な映画、という意味で。
もちろん、大好きなマーベルシリーズも最近見たウィキッドもアンダーニンジャもどれもが映画だし、それらなりにメッセージ性はある。まぁ、根本的にジャンルが違うので映画論はさておき。。。
今のトランプ政権の状況とイスラエルの問題を見ていると、メタファーが効かないというか、そのまんま、と言ってしまってもいいものなのか悩ましい。
圧倒的な力で侮辱されても、媚びへつらい服従すべきなのか、それとも自由を求めるのか。強制収容所を生還した彼が見たアメリカは、強制収容所よりかは生存できるが、さぞかし生きづらいところだったんだろうな…。
強制収容所を明確に表現せずに、ただただ、生き延びた人たちを描くリアリズムを体感できた。
(ただし、彼らが本当に体験した語り得ない悲劇は、我々の想像を絶するものでそれについては何も言える事はないであろう。)
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