「到達点」ブルータリスト 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
到達点
『国宝』175分、『宝島』191分。
公開はこちらが先だが、横綱級の215分!
今年は長尺映画が話題だが、200分超えはなかなか。近年でもそうそう無い。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』以来かな。こちらもまた見たい…。
しかし、それに見合った壮大な叙事詩。
聞き慣れないタイトルの“ブルータリスト”。
1950年代以降多く見られた、素材や構造を露出させて質感を強調した建築様式“ブルータリズム”の建築家の意。
戦後ホロコーストを生き延びたハンガリー系ユダヤ人建築家のラースロー。ホロコーストで妻エルジェーベトと姪ジョーフィアと生き別れ。
新天地アメリカへ。従兄弟の計らいで再び建築の仕事を始める。
ある実業家の息子から父の書斎をサプライズ改装の依頼。が、それを知った実業家ハリソンは激怒。お払い箱の上に無報酬…。
しかしその後、ラースローが有名な建築家であり、彼が手掛けた建造物の素晴らしさに魅せられたハリソンから思わぬビッグプロジェクトの依頼。
あらゆる設備を備えた礼拝堂の設計と建築であった…!
エイドリアン・ブロディ主演なので、ユダヤ人ピアニストを演じたかの名作のように実話ベースかと思いきや、フィクション。
まるで実話や実在の人物のような真実味とリアリティー。
冒頭、逆さまに捉えた自由の女神像が印象的。
従兄弟と再会し熱い抱擁を交わすエイドリアン・ブロディの迫真の演技に早々と引き込まれた。
民族や時代背景などなかなかに分かり難い部分もあるが、分かり易く言えば、“巨大礼拝堂を作れ! プロジェクトX!”…みたいな話。
一見穏やかそうなラースローだが、建築家としてはこだわりとプライドを持っている。
ハリソンやスタッフたちと幾度もディスカッション。費用や資材、ラースローが創造するものが出来るか。
あちらにも譲れないものあるが、こちらにも譲れないものはある。
ラースローはただの設計者/建築家ではなく、稀代のアーティストのよう。
歴史上の偉大な建築家が創造した建築物はもはや芸術品。
全て緻密に構成し、メッセージも込めたガウディのサグラダ・ファミリアの素晴らしさと言ったら…!
果たして“芸術品”は完成するのか…?
幾多の困難と難題。着工が始まる…。
…と言うのが、前半パート=第1章。
序曲から始まり、第1章約100分。
後半パート=第2章も約100分で、エピローグで締め。
総じて215分。その構成すら計算された様式美のよう。
第1章は“プロジェクトX”のようだったが、第2章はより複雑交錯な濃密人間ドラマに。
妻エルジェーベトと姪ジョーフィアもアメリカへ。念願の再会を果たす。
エルジェーベトは苦境から車椅子になっていた。
それでも気品や芯の強さを失わないエルジェーベト。終盤のあるシーンではハリソンに食って掛かる。
ジョーフィアはラースローたち以外とは話そうとしない。内向的…という感じではない。民族や移民として引っ掛かるものが…。
その偏見の色も濃くなっていく。
妻と姪と再会してラースローの仕事に精が…いや、周囲との確執や苦悩が表面化していく。
思うように進まず、周りに当たり散らす。こだわればこだわるほど、溝が深くなっていく。
信頼を得ていたハリソンとも対立。
そこには、認めたくないが、受け入れたくないが、移民=アメリカ人との民族性の違いが…?
あのホロコーストという迫害を生き延びた…筈だった。
自由と新たな人生を求めた新天地で受ける別の迫害…。
我々に自由は無いのか…? 生きる場所は無いのか…? 辿り着く地は無いのか…?
ヤクや性欲にも溺れる。高尚ではない人間の生々しさ。
エイドリアン・ブロディ、ガイ・ピアース、フェリシティ・ジョーンズらの名演。
映像から美術から音楽からスケールや作風に至るまで、後世にまで残る芸術品のような格調高さ。
OPやEDクレジットの斬新さ、劇中曲はオーケストラ風だが、ED曲は現代的テクノポップ。そのセンス。
それを創造した“建築家”ブラディ・コーベットこそ、アカデミー監督賞に相応しかった。
どんなに困難に直面しても、どんなに偏見に晒されても。
築き上げていかなければならない。辿り着いたこの地で。
エピローグ。名建築物を称える式典。
成長したジョーフィアに連れられ出席した老いたラースロー。エルジェーベトはすでに亡く…。
ラースローを語るジョーフィア。
“大切なのは到達点。旅路ではない”
別の作品だったらその逆もあるだろう。が、本作に関してはしっくり来る。
建築家として到達点は、完成した時。
移民として到達点は、そこに根付いた時。
辿り着いたのだ。
