劇場公開日 2025年2月21日

「「何をしたのか」と「何をしようとしたのか」」ブルータリスト 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5「何をしたのか」と「何をしようとしたのか」

2025年3月29日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

何の予備知識もなく観たが、前半は、ざわざわした感じ。カメラが対象に近いためだろう。主人公のユダヤ系ハンガリー人、ラースロー・トートを演じたエイドリアン・ブロディには「戦場のピアニスト」のイメージが染み付いている。ナチの収容所を逃れたラースローがやっとのことで米国に辿り着き、従兄弟の店でチェアをデザインした時、バウハウスゆかりの人間と知れた。彼は、縁あってペンシルベニアの資産家、ハリソン・ヴァン・ビューレンの邸宅の図書室をデザインすることになるが、優れていることはすぐにわかった。案の定、一旦は事情を知らないハリソンに罵倒されるが、その後のストーリーは読めた。多分、映画で使われた空間処理の仕方は、バウハウス出身で米国に渡ったマルセル・ブロイヤーの影響だろう。しかし、彼が設計した図書室の本棚には、パリの「ギュスターヴ・モロー美術館」の窓際の陳列棚の影響が感じられた(これは贔屓の引き倒しか)。

映画の後半では、ハリソンの勧めに従い、彼の邸宅があるドイルスタウンの丘の上に、公的な予算が投入されて、マーガレット・ヴァン・ビューレン・コミュニティセンターと言う名の地域の集会場が建設されることになる。さまざまな制約が課されるが、プロテスタントの礼拝堂を、建物の中心におくことが難関だったと思う。映画に出てきた礼拝堂の天井には十字が刻まれ、我が安藤忠雄の「光の教会」を思わせる(エンドロールで、触発されたことを感謝すべきレベル)。ただ、礼拝堂の室内は、極めて天井が高く、ブダペストやプラハで見たドーム式のシナゴーク(ユダヤ教の教会)を思わせた。実際に、ユダヤ教の信者による集会風景も出てくる。この姿が、設計や建築の段階で想像されたら、地域のプロテスタントの人たちから、どのような非難が寄せられるかは自明である。

映画の最後で、ラースローの姪、ジョーフィアが「旅路より到達地が重要」と訴えて、これまでの経緯ではなく、残った建造物こそが重要とするが、本当にそうなのか。日本の著名な建築家たちは、必ずしもそうは考えていなかったような気がする。中には、自分の設計した建物なんて、100年後には一つも残らないと言う建築家だっていた。世界遺産に指定された建築は、並外れて優れているに違いない。私たちのような一般人には、それが全てだが、おそらく建築家の世界では、「何をしようとしたのか」も負けないくらい大事なのだろう。第一、優れているのに、いつかの競技場みたいに実現しないことだってある。模型や設計図も大事にして欲しい。その精神こそが、次の世代に引き継がれるのだから。

詠み人知らず