「光がつなぐ半生」ブルータリスト humさんの映画レビュー(感想・評価)
光がつなぐ半生
ラースローを迎えるアメリカの颯爽とした青い空。
どれだけ待ち望んでいた瞬間か。
しかしそんな明るい幕開けにいる彼の背景には簡単には拭えない彫り物のように深い影が染み付いているような気がしてその眉尻を余計に下げてみせる。
それはホロコーストからの生還者としてのイメージが私のなかにあるからだけではなく、さらに〝移民〟として1から生きていくことを課せられた日。
彼の人生をこの別世界はどう塗り替えていくのだろう。
そのすぐあと、駅で再会した従兄弟との抱擁は体中をほぐすような安堵がラースローにのしかかっていた重圧を和らげ、ついで耳にする〝大切な人のこと〟は、流れる時間を一瞬とめてしまう程の幸福感だったようだ。
あの表情からそれがどんなに奇跡的な事だったかを知り、そこまでの苦悩に胸が締め付けられる。
あぁ、ようやく刷新の時を知らせる空気が流れ〝希望〟という粒子を彼のまわりにきらめかせた。
しかしそれはそこまでだった。
立たない〝不自由〟の女神の不穏さと緊張の糸で奏でる劇伴の響きで、一転して傾き始めるこの先の予感にたじろぎながら、まだそれを知らない彼をみつめる。
この序盤の展開に緊張感の手綱をぐいっと絞められ、始めのさわやかさはその辺りに置き去りになった。
物語はラースローが羽振りの良い実業家のハリソンに出会い気に入られたことで次のステージへと進む。
それは確かにラッキーなことに思えた。
この地で強力なパトロンを得ることは再び建築家として生きる舞台を与えられ昔の自信を取り戻すチャンスを得ることでもあり、離散した家族との暮らしを再構築する夢を具体的にしてにつながるから。
けれど、次第に感じるいとこの様子の変わり方や実業家のハリソンがみせつけてくる移民の立場の脆弱さが彼の不安を深めるのだ。
生きる為に抗えないでいるラースローの曇りがちな目が何度も何度もスクリーン越しにもどかしさを訴えてくる。
一方で権力をふりかざして弱者を食いものにすることに何のためらいのないハリソンの不敵な笑み。
その息子もまた父譲りの弱肉強食的な思想、利己主義がまかり通る環境でつくりあげられていく怪物の継承者だという恐ろしさがみえるシーンが増えていく。
排他、抑圧、更なる搾取がラースローを追い込む。
そんな時、夫の厳しい状況についてはやくから気づいていた妻がついに口にする〝狂気に呑み込まれないで〟という言葉と対するラースローの〝約束する〟という返答の会話がとても印象的だ。
これは今の揺らぐ世界を比喩しながら発する作者のメッセージ〝警告とそうあってほしい一人一人への切実な願い〟そのもののようだった。
後半のラースローの衰弱からその約束は果たせなかったのだろうと悲観していた私は、時を過ぎラースロー、妻、姪の堂々とした姿がみれるラストに目を見張った。
張り巡らされた油断できない険しい道のりを越えてきた3人に深い敬意でいっぱいになり、物語の根底にあった戦争が遺し続ける傷、人が人を支配する哀しみと罪深さ、まやかしの自由や悪意のからくりに翻弄され苦難におかれようとも、希望という光を心に持ち続けた日々が彼らにあったことを思い返す。
その光とは静かにそして脈々と湧き続ける源泉のように前を向くことを止めなかった彼らが手放さなかった生きる力、愛、信念の強さそのものなのだろう。
光でつながれる数奇な半生の物語はあたかも215分かけて巡る美術展のように、語られぬ部分にこそおもいを馳せていくという大切なものに満ち、心の奥深くを揺らしている。
訂正済み