ザ・ルーム・ネクスト・ドアのレビュー・感想・評価
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死の選択の自由は···
自由に死ぬことはなんと不自由なこと。そしてまた自由に生きることも不自由な世の中ですね。重いテーマなはずが生き方(死に方?)を貫いていった彼女たちのエンディングはなんとも清々しい。
色彩豊かでインテリアやファッションも素敵です。
いつもと違ってとっつきやすいアルモドバル最新作
このアルモドバル監督最新作は、いつもの強烈な原色の色使いだとか、母子関係/LGBTQといったテーマ性がやや後方へ退いた分、とっつきやすい作品に仕上がっている。そこにはエレガントな軽妙さ、あるいはクラシカルな安らぎすら漂っている。ぱっと見には『インテリア』『ハンナとその姉妹』『それでも恋するバルセロナ』など往年のウディ・アレン監督作品を連想させるほどだ。
本作のストーリーはいたってシンプルかつミニマルだ。劇中にエドワード・ホッパーの油彩画「太陽の下の人々」が出てきて、ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアの二人はその絵を模して寝そべってみたりするのだが、この絵画が湛えている「引き算の美学」というか「抽象化された静謐な世界」は、映画をも貫いているように感じられる。
前半でティルダ・スウィントンによる「回想シーン」が何度か出てくる。そのビジュアルにも、どこか抽象的で夢の中のようなムードが漂い、トム・フォード監督作『ノクターナル・アニマルズ』の劇中劇として描かれた「小説のシーン」を思い起こさせる。が、それは物語から浮いて見え、『ノクターナル…』ほど巧く機能していないようにも感じた。
またラストでちょっとしたサプライズがあるのだが、こちらもあまり上手くいっていないように思えた。というのも、前述の「回想シーン」で若い頃の主人公を全く似てない女優が演じていたからだ(※扮するのはユアン・マクレガーの次女エスター・マクレガー)。詳細な言及は避けるが。
そんな本作の見どころは3つ。第一に、『キートンのセブン・チャンス』『忘れじの面影』などの名作映画が次々と引用・言及されること。これは映画ファンとして素直にうれしい。なかでも、ジョン・ヒューストン監督の『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』およびジェイムズ・ジョイスの原作からの引用は三度繰り返され、まさに舞い落ちる雪の結晶のように心にしみ渡る(昨夏、同作をリバイバル上映してくれたミニシアターStrangerさんに感謝。本作鑑賞前に見ておけたのはよかった…)。
第二の見どころは、主要キャスト4人のよくコントロールされた演技だ。主役2人の抑制の利いた演技が本作のカラーを決定づけていることは言うまでもないが、ジョン・タトゥーロ、アレッサンドロ・ニヴォラの両人もちょい役ながら強く印象に残る。タトゥーロの方はいかにもウディ・アレン作品に出てきそうなリベラル知識人の匂いプンプン。一方、ニヴォラは『ブルータリスト』といい本作といい、「心の狭いひと」を演らせたらピカイチだな(笑)とヘンに納得。
そして第三の見どころは、過去作と比べて抑え気味とはいえ、そこここに目につく“アルモドバルらしさ”だ。スタイリッシュな別荘建築。目にも鮮やかなファッションや室内インテリアの数々。さらにヘアカラーや口紅などのメイクから森の深緑、ピンク色の(!)雪に至るまで、細やかに計算された色彩設計、画面構成の妙といったら。
最後にもうひとつ。本作を観ながら思い出していたのが、映画監督ジャン=リュック・ゴダールのこと。いうまでもなく同監督は2022年、自己決定権を行使して91歳で安楽死した。その驚きは未だ記憶に新しい。
かたや2024年3~5月にかけて撮影された本作では、不治の病に侵されたティルダ・スウィントンが自らの尊厳を守るために自死を選択し、ジュリアン・ムーアが彼女に寄り添う。製作に至った経緯が何であれ、そんな映画のどこかにゴダール逝去の影を求めながら観てしまった。うがち過ぎかもしれないが…。
最後まで、無意識にみぞおちに力が入る緊迫感のある作品でした。
シアター内結構混みあっていて、ビックリ。
年代的には、ほとんどが40代以上のようでした。
マーサは、シングルマザーで、海外特派員もこなした剛腕で、カメラを見つめる眼の強さ、ショートヘア、細身なのも相まって、途中から男性のように見えました。
イングリットは、人気の作家で、しなやかで、相手に応じて変化球が使える器用なタイプ、万人に好かれる感じがしました。
この2人の間に友情が成立するのは、共に書くことを生業にしているからなのでしょうか。
マーサの部屋のインテリア、小物、衣装、会話がおしゃれ。
そんなマーサが恐れたことは、少しずつ自認していた自分が少しずつ失われていくこと。
それに耐えがたく、非合法な薬を手に入れ、イングリットに看取りを依頼する。
それを受けるイングリットも、この体験が小説のネタになるという心づもりがある。
友情だけでない、複雑な感情を2人の間に感じました。
マーサの最期は、まるで侍のようでした。
こんな見事な死を自ら選ぶことができる人は、世界でどれくらいいるのだろう。
そして、マーサの死後、イングリットのもとを訪れたマーサのひとり娘のたたずまいが、マーサそっくり。
唐突なラストまで、ずっと緊張感と余韻が続く作品でした。
私が理想の死に方だと思ったのは、麻雀漫画の「アカギ」の主人公アカギの死だった。
そこに至るまでの奇想天外のあらすじは省くが、稀代の雀士アカギが、老化によって麻雀が打てなくなり、無痛の死を迎える準備をして、10人の友と最期の個別面談をし、自決するというもの。
私が現実・空想の中で接したあらゆる死の中で、一番憧れています。
この映画を観て、アカギとマーサの違いを考えました。
麻雀が打てなくなったアカギは、その時点で自身の寿命は尽きたと断じて、知己に看取られて自殺する。
ガンの宣告を受け、抗ガン剤などの治療に心が折れたマーサは、ブリジットに看取られ自殺する。
私が2人の立場なら、どうするだろうか。
なんだか、重たい宿題を出された気分でした。
その前に、ガンにならないように日々しっかり健康管理しようと思いましたが…。
選択肢
生き方にしろ、死に方にしろ、人それぞれの選択肢があって良い、おぼろにそんな理解をしています。
ただ、最期の過ごし方にもいろいろあって良いにしても、旧知の仲だとしても、誰かに側にいてほしいと要望するのは少し身勝手ではないかと感じました。
しかしイングリットは受け入れました。そしてマーサも被害が最低限となるように選択したかのように「そのとき」を迎えます。
思えば、最期に側にしてもらう相手として選ばれることは嬉しいことであったりするのでしょうか、
ベトナム戦争の傷跡、各地で続く争い、シングルマザー、医療制度の危うさ、地球温暖化の危機等、さまざまなネタに気が散る感もありましたが、それも現実を反映したものだったかと振り返ります。
ただし、親子を一人二役で見せるのはちょっと雑なんじゃないかという印象を受けました。
そして、自分だったら最期に観る映画に何を選ぶかなー等と想像してみました。
女優さん2人の演技がキラリと光る✨
エシカル・イシューをアーティスティックなビジュアルで非常に丁寧に紡いだ作品。
やだ、嫌いなカタカナ語を羅列してる人☝️になってるww
でもこの作品に関して言えば『倫理的な問題を芸術的な映像描写で丁寧に紡いだ』という表現よりはカタカナ語の方がしっくりくる(←ただの自己満です)
心情的には複雑怪奇な倫理的問題も、事実としては超シンプル。(疲労困憊で冒頭の単調なシーンではけっこう寝てしまっていたけど、それでもストーリーラインはちゃんと追えた。)
でもやっぱり『コレが正解!』なんて答えにはたどり着けようもなく。
「死」を扱うことで重たくなりがち、かつ正解がない問題に切り込みながらも着地点の不安定さを本編に散りばめられたアートで上手くかき消してくれてる感じがした。特にマーサの吹っ切れてからの服装の色使いやデザイン。素敵すぎ🥰
冷蔵庫の中に、おーいお茶。
鮮やかなNY
アルモドバルが撮るとNYがこんなにも鮮やかになるのかと思った。赤、緑、黄色がとても映える。鳥の声、ひらひら舞う雪。
スペインに行ったことがなくてアルモドバルでしか知らないから、行ったらがっかりするかもしれない。
特別仲が良いわけでもない、何番目かの友達同士というのがいい。死に向かいながらも深めていく仲、新しく積み重なる思い出。そうして2人は永遠になる。
娘と生きて和解するのではなく、死んでから分かりあうのもしみじみとした。生きているときはうまく行かなくても、分かり合えるときは来るし思いは届く。
アルモドバルは確かお母さんを亡くしたと思うんだけど、それを経ての母娘関係の描き方のように思った。
子がいてもいなくても、死を迎えるときはひとり。この辺りはゲイなど子のない人々への優しさを感じた。
戦場でいつも死が身近にあった彼女にとっての生と死とは。ベトナム帰還兵の深い傷。戦場で恋人と生き抜くこと。
あんなすごい家どうやって見つけたのだろう。月100万くらいで借りられるのかなあ。病院の個室といい、住んでるアパートといい、ものすごくお金持ちだ。
警官役に見覚えがあって、アレッサンドラ・ニボラって名前が懐かしかった。
英語のアルモドバルはいつもより素直に見られる気がした。もっといろんな街を撮ってみてほしいなあ。若いころのエネルギッシュな感じから、円熟味を増してこれからの新作がますます楽しみだ。
美しい最期を描いた美しい映画
痛みと苦痛に耐えてまで効果が不確かな新治療を受けることを拒否し、人間らしい最期を望む女性と、彼女を理解し寄り添う親友の姿に心から共感する。
安楽死の是非を安っぽく云々することなく、そういう選択をした女性をただ淡々と描いている。
スクリーンはとにかく美しい!
窓から見る景色は全て完璧で翳りなく、雪の降る様子も、森の木々を通して見る空も、何もかもが永遠を思わせるように輝いている。
最期の数日を過ごす女性のカラフルな服装もとても似合っている。
最後の一日まできれいに装う女性の生き方が、イコール彼女の死に方であることが悲しい。
主演ティルダ•スウィントンの中性的な佇まいは、まだ生きているのかすでに死んでいるのかどちらでもない、あるいはどちらでもあるような揺れる魅力を放っていて、その魅力に釘づけになる。
▪️最期の地として選んで借りた家の冷蔵庫を開けた時に、おーいお茶が入っていて笑った!
ただただ美しい
アドモドバルの作品はたくさん見てきたが、僕にとってこの作品は間違いなく最高傑作である。
画面一つ一つがまるで絵画のよう。耽美主義者アドモドバルの面目躍如というところ。家具や家財道具の色遣いから配置、構図まで丹念に配慮した映像。美しい画面にくきづけの2時間。
生きることと死ぬことについて語り合う二人。ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーア、まさに名女優の二人芝居である。一つ一つの言葉をすべて聞き逃すことなく映画を観ることは難しい(もう一度観てみよう)。死生感は人それぞれ。しかし自らの尊厳を保ちつつ生き、そして死を迎えたいという考えに異論はない。尊厳とは何かという問いに対する自分なりの答えが見つかれば生き方、死に方に対する答えも自ずと決まるだろう。
エドワード・ホッパーの絵画から抜け出たような無機質の美しさを湛えたスウィントン、病におかされ痩せた彼女が綺麗に化粧をし自らの身体に命を吹き込み、そして静かに最期の時を迎える。その神々しさにはただただ息を呑むばかりだ。
勘違い
難しいテーマの映画を美しく
素晴らしい作品。
新作で傑作に巡り会える経験は、私には数年に一度あるかないかだ。よほど過去の名作を鑑賞していた方が感動する。今は主要な映画賞を受賞していても、過去の受賞作品と比べるとレベルが落ちていると私は感じている。
だが、この作品は冒頭から違った。出だしの音楽を聞いただけで秀作、ベネチア映画祭でグランプリを獲得しただけの事はあると思わせた。
人は人生の終点を迎えるに当たって、どうしたらいいか。また、身近な人間もどう対応したら良いのか、おそらく直面してみないと分からないだろう。そう、私は考える。人それぞれに違ったっていい。この映画のような結末を選ぶ人もいれば、最後まで病気と闘う人もいるだろう。正解は神のみぞ知るではないか。 ジョイスの「ダブリン市民」の短編「死者たち」が引用されているし、ブルーズムベリーグループの一員の名が出てくる。知的レベルの高い人でラドクリフ女子大で知り合った仲ではないかと推測する。ラドクリフ女子大はハーバード大学に吸収された。主人公2人は私より数歳しただと思う。私は今年70歳になる。小中学校の同級生は、10人は亡くなっている。映画「死者たち」はジョン・ヒューストン監督晩年の作品で、日本公開時評判になった。但し、私は見ていない。今度、DVDをレンタルビデオ店で探して見てみよう。
実話をもとにした作品なのか、それともオリジナルなのか。分からないが脚本も素晴らしい。鑑賞後、じんわりと感慨が湧いてくる作品だ。
The room next doorには、違和感が…!
重くて苦しいテーマだが答えはなく、繰り返し問いかけられる問題である。戦争ジャーナリストが自ら選んだ最期のときである。
ただ、洗練された最期であることがどうしても引っ掛かる。さまざまな現場を見つめ、人の死を目の当たりにして、国際情勢や国際関係を報道してきた人物の最後の選択がこうであって良いものかと感じてしまう。このような選択ができる国、国民は、現代世界においてもきわめて珍しいことであろう。日本人でもほぼ無理だと言わざるを得ない。
スペイン人の監督が、ニューヨークを舞台にしたこと、アメリカ人の選択を映画にしたことは、単に安楽死をテーマにしたことなのだろうか。
少なくとも私は違和感と怒りと強い悲しみを感じた。
尊厳死を受け入れる側の葛藤
当事者の尊厳死の選択については宗教観の違いや人生観でだいぶ異なるけど、家族や友達など受け入れる側の葛藤はDVやネグレクトなどの被害を被っていない場合はみんな同じなのかもしれない。
気丈に振る舞って、あなたが望むことなら、と受け入れたつもりでもその時の衝撃はカメハメ波みたいにどでかい。
今回はNYの部屋、森の貸別荘のインテリアと建物が良すぎる。ファッションもシンプルだけど色使いがパーッと彩度が高くて重たい内容を緩和するかのような色使い。
病室のチューリップも公開月に合わせたん?ってほど。
ティルダの黒シャツのような軽いジャケットにブラウンのベルトがめちゃくちゃかっこよかった。
ティルダの娘がそっくりすぎてすごい配役!と思ったけど、本人のCG加工のようで。すごい世の中になったもんだ。
美しく死ぬこと
医療にとって死は最悪の結果で、それを極力避けるべく様々な治療が施される。しかし、全ての人に死はいずれ訪れる。永遠に死なないのも異常であり病気ともいえる。したがって、死ぬことは生理的現象であり健常なことだ。であれば、より良く生きるための医療だけでなく、より良く死ぬための医療があってもいいのではないか。ほとんどの人が、殺風景な病院のベッドの上で様々な管やコードにつながれ、モニターの音やアラーム、病院特有のにおいに囲まれて死んでいく。全く美しくない。それに比べ、マーサの死は美しいものであった。わざと死期を早めることにはいろいろと議論があろう。しかし、マーサのように精一杯生きたあとで、穏やかで美しい死を迎えることには憧れを抱かされた。私も健康に生きて、健康に死んでいきたい。
強く生きた人の話だと思った
友人とは何か
2024年。ペドロ・アルモドバル監督。作家の女性は新作のサイン会で友人の女性が癌であることを知る。戦争特派員だった彼女とは数年間会ってなかったが、見舞いに行くと、それまで知らなかった彼女と娘との関係などを聞かされて急激に距離が縮まっていく。その後彼女の治療は行き詰まり、安楽死を考えるようになる、、、という話。
ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアという実生活でも同い年のベテラン俳優二人が、お互いを思いやる友人として語り合う。それだけで映画ができるというのがすごい。嘘をついたり腹を探り合ったりしない人間たち。監督ならではの絵画のように洗練された構図と美しい色彩(やりすぎの面もあるが、赤い車はとてもいい)も楽しめる。
己が人間関係と死に方を見つめたい人におすすめ
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