ザ・ルーム・ネクスト・ドアのレビュー・感想・評価
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静謐な気迫に見とれる
ジュリアン・ムーアとティルダ・スウィントン。いやー二人とも名優やわぁ。同い年なんだね。今年65歳。
8割がた二人の会話だけで進行する物語、だけど退屈させないどころかじっと見入ってしまう。特にティルダ・スウィントンの鬼気迫る演技。無茶な計画なのに得心させてしまう強さと、捨てたはずの過去に後悔する弱さ。病人なんだがかっこいいのな!
それを受け止めるジュリアン・ムーアもね、ただの受けじゃないよ。叱咤するよ。激励もするけど拒否られるからあんまり言わない。むちゃくちゃ優しいんだ。二人の美的感覚や知性に隔たりがないから寄り添えたんだな。
人生黄昏れてくると、しみじみ沁みる。
演技
稀有な親友
諸行無常?色即是空?否、人生は面白い
尊厳死、難しい問題です😱
不治の病に冒され安楽死を望む女性と、それに寄り添う事を決めた親友の最期の数日間。
扉を開けて寝るので、貴方に隣の部屋にいて欲しい、でも朝もし扉が閉まっていたら、私はこの世にはもう居ない…。
怖すぎるでしょ😱
アカデミー賞受賞女優2人の緊張感ある掛け合い。ピンクの雪が印象的。
もし、自分がどちらかの立場になったら、どうするんだろう。尊厳死、難しい問題です。
化学反応
アルモドバル監督初の英語作品で、ジュリアン・ムーアが初参加。彼女の存在で監督の世界観が少しマイルドになったような気がします。
ティルダ・スウィントンとは同い年で、バチバチの演技合戦になるのかと思ってたんですが、意外とかわされたというか淡々とした競演に感じました。
ジュリアン・ムーアはいつもながらの「寛容」と「誠実さ」がにじみ、一方ティルダ・スウィントンはこちらも彼女らしい泰然とした魅力で演じ切ってました(戦場ジャーナリストにはちょっと見えませんでしたが)。
お互いへの尊重は間違いなくある感じですね。
ティルダの覚悟の演技は、若い頃に重用されたデレクジャーマン監督の死(52才でHIVで死去)の影響があるとインタビューでコメントしています。
覚悟と感謝
アルモドバルの最近(と言っても10年くらい?)の作品、たんたんと、...
アルモドバルの最近(と言っても10年くらい?)の作品、たんたんと、アルモドバルの今思う気持ち、考えていることが、映し出されているように感じて、静かに共感できる。
相変わらず、インテリアもファッションも素敵過ぎなので、それだけでも満足度高いのだが、ちょうど最近日本で展覧会していたアーティストの作品が、主人公の部屋に飾られていたり、意外と日本ではまだよく知られてないようで驚く子宮頸がんが取りあげられていたのも感心した。
アルモドバルの作品は、昔っから、本人の関心、悩みごと、思ってることを美しく、印象深く伝えてくる。
映画と監督が一緒に歳とっていく感じがますますいい。
ジュリアン・ムーアに注目したことなかったが、それにしてもこの人この感じのまま長い(ある一定のところから老けない?)、演技もほんと自然でさすが。
あー、そうだろうな、って思うところは期待通りで、アルモドバル映画としては見やすい作品だと思った。
主人公が忘れ物、探し物する場面はどういうアクセントとしておかれたのか。
もう一回見て、気づくことがありそう。
見送るパターンとして、警察沙汰になるのも厭わない
友人を持てたラッキーなはなしの設定。
死という重めのテーマを和らげる、着ている服の色や家具の色が視覚的に美しい。
家で最期まで暮らし看取って家の座敷で通夜を行い、葬式も家で行っていた昭和の終わりまでは、わざわざ映画にするまでもなく日本人的には、死と隣り合わせに生活しどうやって生きるかは皆が学ぶことが出来た。生き残った人は、両親や親戚の死にいくさまを何度も見て、自分の生きる残りの毎日のことを考えて生きていく。そういう日本でした。
娘さん役が一人二役っていうのより、やはり、べつの人物が演じるほうが良かったのでは?そして、融通の効かない警察官が宗教的に許さないと強く言ったり、助けてくれるボーイフレンドが地球温暖化を作っているのは極右のせいだと、どことなくトランプの悪口をいれているところが、映画を作った時期と監督や脚本家の意見だろうか?
安楽死って、キリスト教的に許されない科学的なこと、超現実主義の頭の良い系の人がするという自負があるんだーと、再確認した。そういえば、祈りの言葉は一切なかった。
尊厳はダメなのか…
死の選択の自由は···
いつもと違ってとっつきやすいアルモドバル最新作
このアルモドバル監督最新作は、いつもの強烈な原色の色使いだとか、母子関係/LGBTQといったテーマ性がやや後方へ退いた分、とっつきやすい作品に仕上がっている。そこにはエレガントな軽妙さ、あるいはクラシカルな安らぎすら漂っている。ぱっと見には『インテリア』『ハンナとその姉妹』『それでも恋するバルセロナ』など往年のウディ・アレン監督作品を連想させるほどだ。
本作のストーリーはいたってシンプルかつミニマルだ。劇中にエドワード・ホッパーの油彩画「太陽の下の人々」が出てきて、ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアの二人はその絵を模して寝そべってみたりするのだが、この絵画が湛えている「引き算の美学」というか「抽象化された静謐な世界」は、映画をも貫いているように感じられる。
前半でティルダ・スウィントンによる「回想シーン」が何度か出てくる。そのビジュアルにも、どこか抽象的で夢の中のようなムードが漂い、トム・フォード監督作『ノクターナル・アニマルズ』の劇中劇として描かれた「小説のシーン」を思い起こさせる。が、それは物語から浮いて見え、『ノクターナル…』ほど巧く機能していないようにも感じた。
またラストでちょっとしたサプライズがあるのだが、こちらもあまり上手くいっていないように思えた。というのも、前述の「回想シーン」で若い頃の主人公を全く似てない女優が演じていたからだ(※扮するのはユアン・マクレガーの次女エスター・マクレガー)。詳細な言及は避けるが。
そんな本作の見どころは3つ。第一に、『キートンのセブン・チャンス』『忘れじの面影』などの名作映画が次々と引用・言及されること。これは映画ファンとして素直にうれしい。なかでも、ジョン・ヒューストン監督の『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』およびジェイムズ・ジョイスの原作からの引用は三度繰り返され、まさに舞い落ちる雪の結晶のように心にしみ渡る(昨夏、同作をリバイバル上映してくれたミニシアターStrangerさんに感謝。本作鑑賞前に見ておけたのはよかった…)。
第二の見どころは、主要キャスト4人のよくコントロールされた演技だ。主役2人の抑制の利いた演技が本作のカラーを決定づけていることは言うまでもないが、ジョン・タトゥーロ、アレッサンドロ・ニヴォラの両人もちょい役ながら強く印象に残る。タトゥーロの方はいかにもウディ・アレン作品に出てきそうなリベラル知識人の匂いプンプン。一方、ニヴォラは『ブルータリスト』といい本作といい、「心の狭いひと」を演らせたらピカイチだな(笑)とヘンに納得。
そして第三の見どころは、過去作と比べて抑え気味とはいえ、そこここに目につく“アルモドバルらしさ”だ。スタイリッシュな別荘建築。目にも鮮やかなファッションや室内インテリアの数々。さらにヘアカラーや口紅などのメイクから森の深緑、ピンク色の(!)雪に至るまで、細やかに計算された色彩設計、画面構成の妙といったら。
最後にもうひとつ。本作を観ながら思い出していたのが、映画監督ジャン=リュック・ゴダールのこと。いうまでもなく同監督は2022年、自己決定権を行使して91歳で安楽死した。その驚きは未だ記憶に新しい。
かたや2024年3~5月にかけて撮影された本作では、不治の病に侵されたティルダ・スウィントンが自らの尊厳を守るために自死を選択し、ジュリアン・ムーアが彼女に寄り添う。製作に至った経緯が何であれ、そんな映画のどこかにゴダール逝去の影を求めながら観てしまった。うがち過ぎかもしれないが…。
最後まで、無意識にみぞおちに力が入る緊迫感のある作品でした。
シアター内結構混みあっていて、ビックリ。
年代的には、ほとんどが40代以上のようでした。
マーサは、シングルマザーで、海外特派員もこなした剛腕で、カメラを見つめる眼の強さ、ショートヘア、細身なのも相まって、途中から男性のように見えました。
イングリットは、人気の作家で、しなやかで、相手に応じて変化球が使える器用なタイプ、万人に好かれる感じがしました。
この2人の間に友情が成立するのは、共に書くことを生業にしているからなのでしょうか。
マーサの部屋のインテリア、小物、衣装、会話がおしゃれ。
そんなマーサが恐れたことは、少しずつ自認していた自分が少しずつ失われていくこと。
それに耐えがたく、非合法な薬を手に入れ、イングリットに看取りを依頼する。
それを受けるイングリットも、この体験が小説のネタになるという心づもりがある。
友情だけでない、複雑な感情を2人の間に感じました。
マーサの最期は、まるで侍のようでした。
こんな見事な死を自ら選ぶことができる人は、世界でどれくらいいるのだろう。
そして、マーサの死後、イングリットのもとを訪れたマーサのひとり娘のたたずまいが、マーサそっくり。
唐突なラストまで、ずっと緊張感と余韻が続く作品でした。
私が理想の死に方だと思ったのは、麻雀漫画の「アカギ」の主人公アカギの死だった。
そこに至るまでの奇想天外のあらすじは省くが、稀代の雀士アカギが、老化によって麻雀が打てなくなり、無痛の死を迎える準備をして、10人の友と最期の個別面談をし、自決するというもの。
私が現実・空想の中で接したあらゆる死の中で、一番憧れています。
この映画を観て、アカギとマーサの違いを考えました。
麻雀が打てなくなったアカギは、その時点で自身の寿命は尽きたと断じて、知己に看取られて自殺する。
ガンの宣告を受け、抗ガン剤などの治療に心が折れたマーサは、ブリジットに看取られ自殺する。
私が2人の立場なら、どうするだろうか。
なんだか、重たい宿題を出された気分でした。
その前に、ガンにならないように日々しっかり健康管理しようと思いましたが…。
選択肢
生き方にしろ、死に方にしろ、人それぞれの選択肢があって良い、おぼろにそんな理解をしています。
ただ、最期の過ごし方にもいろいろあって良いにしても、旧知の仲だとしても、誰かに側にいてほしいと要望するのは少し身勝手ではないかと感じました。
しかしイングリットは受け入れました。そしてマーサも被害が最低限となるように選択したかのように「そのとき」を迎えます。
思えば、最期に側にしてもらう相手として選ばれることは嬉しいことであったりするのでしょうか、
ベトナム戦争の傷跡、各地で続く争い、シングルマザー、医療制度の危うさ、地球温暖化の危機等、さまざまなネタに気が散る感もありましたが、それも現実を反映したものだったかと振り返ります。
ただし、親子を一人二役で見せるのはちょっと雑なんじゃないかという印象を受けました。
そして、自分だったら最期に観る映画に何を選ぶかなー等と想像してみました。
女優さん2人の演技がキラリと光る✨
エシカル・イシューをアーティスティックなビジュアルで非常に丁寧に紡いだ作品。
やだ、嫌いなカタカナ語を羅列してる人☝️になってるww
でもこの作品に関して言えば『倫理的な問題を芸術的な映像描写で丁寧に紡いだ』という表現よりはカタカナ語の方がしっくりくる(←ただの自己満です)
心情的には複雑怪奇な倫理的問題も、事実としては超シンプル。(疲労困憊で冒頭の単調なシーンではけっこう寝てしまっていたけど、それでもストーリーラインはちゃんと追えた。)
でもやっぱり『コレが正解!』なんて答えにはたどり着けようもなく。
「死」を扱うことで重たくなりがち、かつ正解がない問題に切り込みながらも着地点の不安定さを本編に散りばめられたアートで上手くかき消してくれてる感じがした。特にマーサの吹っ切れてからの服装の色使いやデザイン。素敵すぎ🥰
冷蔵庫の中に、おーいお茶。
鮮やかなNY
アルモドバルが撮るとNYがこんなにも鮮やかになるのかと思った。赤、緑、黄色がとても映える。鳥の声、ひらひら舞う雪。
スペインに行ったことがなくてアルモドバルでしか知らないから、行ったらがっかりするかもしれない。
特別仲が良いわけでもない、何番目かの友達同士というのがいい。死に向かいながらも深めていく仲、新しく積み重なる思い出。そうして2人は永遠になる。
娘と生きて和解するのではなく、死んでから分かりあうのもしみじみとした。生きているときはうまく行かなくても、分かり合えるときは来るし思いは届く。
アルモドバルは確かお母さんを亡くしたと思うんだけど、それを経ての母娘関係の描き方のように思った。
子がいてもいなくても、死を迎えるときはひとり。この辺りはゲイなど子のない人々への優しさを感じた。
戦場でいつも死が身近にあった彼女にとっての生と死とは。ベトナム帰還兵の深い傷。戦場で恋人と生き抜くこと。
あんなすごい家どうやって見つけたのだろう。月100万くらいで借りられるのかなあ。病院の個室といい、住んでるアパートといい、ものすごくお金持ちだ。
警官役に見覚えがあって、アレッサンドラ・ニボラって名前が懐かしかった。
英語のアルモドバルはいつもより素直に見られる気がした。もっといろんな街を撮ってみてほしいなあ。若いころのエネルギッシュな感じから、円熟味を増してこれからの新作がますます楽しみだ。
美しい最期を描いた美しい映画
痛みと苦痛に耐えてまで効果が不確かな新治療を受けることを拒否し、人間らしい最期を望む女性と、彼女を理解し寄り添う親友の姿に心から共感する。
安楽死の是非を安っぽく云々することなく、そういう選択をした女性をただ淡々と描いている。
スクリーンはとにかく美しい!
窓から見る景色は全て完璧で翳りなく、雪の降る様子も、森の木々を通して見る空も、何もかもが永遠を思わせるように輝いている。
最期の数日を過ごす女性のカラフルな服装もとても似合っている。
最後の一日まできれいに装う女性の生き方が、イコール彼女の死に方であることが悲しい。
主演ティルダ•スウィントンの中性的な佇まいは、まだ生きているのかすでに死んでいるのかどちらでもない、あるいはどちらでもあるような揺れる魅力を放っていて、その魅力に釘づけになる。
▪️最期の地として選んで借りた家の冷蔵庫を開けた時に、おーいお茶が入っていて笑った!
ただただ美しい
アドモドバルの作品はたくさん見てきたが、僕にとってこの作品は間違いなく最高傑作である。
画面一つ一つがまるで絵画のよう。耽美主義者アドモドバルの面目躍如というところ。家具や家財道具の色遣いから配置、構図まで丹念に配慮した映像。美しい画面にくきづけの2時間。
生きることと死ぬことについて語り合う二人。ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーア、まさに名女優の二人芝居である。一つ一つの言葉をすべて聞き逃すことなく映画を観ることは難しい(もう一度観てみよう)。死生感は人それぞれ。しかし自らの尊厳を保ちつつ生き、そして死を迎えたいという考えに異論はない。尊厳とは何かという問いに対する自分なりの答えが見つかれば生き方、死に方に対する答えも自ずと決まるだろう。
エドワード・ホッパーの絵画から抜け出たような無機質の美しさを湛えたスウィントン、病におかされ痩せた彼女が綺麗に化粧をし自らの身体に命を吹き込み、そして静かに最期の時を迎える。その神々しさにはただただ息を呑むばかりだ。
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