「好きなものに囲まれる最期には、その物語を語る存在が必要なのではないだろうか」ザ・ルーム・ネクスト・ドア Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
好きなものに囲まれる最期には、その物語を語る存在が必要なのではないだろうか
2025.2.4 字幕 MOVIX京都
2024年のスペイン&アメリカ合作の映画(107分、G)
原作はシーグリッド・ヌーネスの小説『La habitación de al lado』
安楽死を望む旧友に寄り添う作家を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はペドロ・アルモドバル
原題は『La habitación de al lado』、英題は『The Room Next Door』で、ともに「隣の部屋」という意味
物語の舞台は、アメリカ・ニューヨークのマンハッタン
オートフィクションの作家として活躍しているイングリッド(ジュリアン・ムーア)は、書店でサイン会を開くなど、積極的な活動をしていた
そんなサイン会に友人のステラ(サラ・でミスター)が訪れ、かつて同僚だった旧友・マーサ(ティルダ・スウィントン、若年期:エスター・マクグレゴール)が末期癌で闘病中であると告げる
早速マーサの元を訪れたイングリッドは、新しい治療法にチャレンジしていると聞き、少しばかり安堵の心持ちになった
だが、その治療法は効果がなく、マーサは徒に時間を浪費しただけだと荒ぶれた
それから数日後、イングリッドはある決意を胸にイングリッドと対峙することになった
それは、ダークウェブにて入手した薬で死ぬというもので、安息を求めて、郊外の貸別荘に移り住むというもので、イングリッドに隣の部屋に待機してもらって、死の瞬間まで連れ添ってもらう、というものだった
そして、彼女の寝室のドアが閉まっていたら実行している合図で、あとは「何も知らなかった」で通してほしい、という
数人の友人に断られた末にイングリッドに連絡が入ったのだが、熟考の末、彼女はマーサの願いに寄り添うと決めた
映画は、最期の時を過ごすマーサに寄り添うイングリッドが描かれていて、そこに辿り着くまでに多くの友人たちに依頼をしてきたと告げられる
その一人であるステラがマーサの今を伝えることになっていて、彼女の証言がマーサを不利に運ぶ材料になりかけていた
だが、自殺願望がある人と一緒に時を過ごしたというだけでは罪に問えるはずもなく、サラ曰く「宗教的盲信者」と断罪されても無理はないと思う
マーサが実行に移したのは、イングリッドが嘘をついてデイミアン(ジョー・タトゥーロ)と会った時なのだが、おそらくマーサはイングリッドがデイミアンと会っていることに気づいていると思う
彼女は、デイミアンが講演に来る街の別荘を借り、書店でわざわざ彼がここに来ていることを伝えているし、元カノ同士の赤裸々トークも彼女から話題を振っていた
おそらくは、計画通りに事が運んでも、マーサが問い詰められることは明白なので、その助け舟を用意していたようにも思えた
ちなみに、書店に寄った際には、イングリッドはマーサが気にした本『エロティックな流浪』『地上からの眺め』を購入していて、マーサ自身は『How To Look At A Bird』という本を購入していた
エリザベス・テイラーとリチャード・バートンの伝記である『エロティックな流浪』と、ヨーロッパの激動を記した『地上からの眺め』は、おそらくはマーサの恋愛観と人生観を示すもので、その2冊はとても分厚い本だった
これは、私が死んでもその本を読み終えるまでは死なないでという意味に思え、マーサ自身が購入したのは簡単に読める『How To Look At A Bird』で、初心者向けのバードウォッチングの絵本だったのも印象的である
この本を読み終えたらという意味もあると思うが、それよりも「イングリッドが夜中に起きて隣に寄り添った」という行為がマーサを決意させたのだと思う
この日、イングリッドはスポーツジムに通い、そこでトレーナーのジョナ(アルヴィーゼ・リゴ)と体の丈夫さの話をしていた
その際にジョナは、「ハグしてあげたいが」という趣旨の発言をし、そのアドバイスに対して「ハグしてもらった気分よ」という言葉を返していた
この言葉があったからこそ、夜中のイングリッドの行為があり、それにマーサは気づいて、満足そうに眠りについていた
思えば、この一連の日々は、マーサが寄り添う相手を選ぶ日々でもあり、イングリッドがそれに相応しいのかを試しているようにも思える
だが、実際にところ、イングリッドの死生観とか人生観というものにマーサは感化されていて、そこに自分の死の物語を残そうと考えていたように思う
多くの引用を用いて、映画や小説などの話をし、彼女が愛した書籍に囲まれて過ごす日々というのは、その後そこを訪れた娘ミシェル(ティルダ・スウィントン)への遺言のように思う
娘との誤解を解くためにはマーサ自身を理解してもらう必要があるし、話せなかった物語を語る時間も必要だった
それゆえに、あのタイミングになったのかな、と感じた
いずれにせよ、この物語は「疎遠の娘と母親を再会させるための死」を描いていて、マーサ自身が綺麗に死にたいというものとはかけ離れているようにも思える
実際には、化粧をして、お気に入りの服でお気に入りの場所で亡くなるのだが、それも踏まえた上で、娘に残したいメッセージだったのだろう
唯一の心残りだったものは自分では成し得ない和解であり、それを友人に託すことは残酷なことだと思うのだが、同じ時代を生きて、同じ人を好きになった間柄ならば、少しぐらいは伝わるかもしれない
どこまでがマーサの意図的な部分かはわからないが、隣の部屋にはそう言ったものが満ちてほしいと考えていて、その部屋にふさわしいのがイングリッドだったのかな、と感じた