「彼女の選択や頼み事の理由がよく分からない」ザ・ルーム・ネクスト・ドア tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
彼女の選択や頼み事の理由がよく分からない
癌で余命幾ばくもない女性が、どうして「安楽死」を選んだのかがよく分からない。
平和で静謐で尊厳のある死を迎えたいという願いはよく理解できるのだが、緩和ケアを用いれば、ある程度「生活の質」を維持しながら、安らかな死を迎えることは可能なのではないだろうか?
現代の医学は「末期」や「不治」といった言葉を許容しないという台詞が出てくるが、決してそんなことはないのではと思う。
「自分の人生を自分でコントロールしたい」という気持ちも分からないではないが、自らの死期が近いことを知っているのならば、わざわざ自死を選ばなくても良いのではないかとも思ってしまう。
おそらく、彼女がこうした選択をしたのは、戦場で、多くの死を目の当たりにしてきたからなのだろう。
自分の意思とは関係なく、無惨に死んでいった兵士達の最期を見て、自分はそうはなりたくないと思ったのかもしれない。
しかしながら、彼女の娘の父親が、ベトナム戦争で心に傷を負った様子が描かれたり、彼女自身がイラク戦争で経験した、同僚記者のエピソードは出てくるものの、彼女の死生観や、それに影響を及ぼした出来事について、明確な説明はないのである。
同じように、彼女が、友人に、「自分の死を看取る」のではなく、「死ぬ時に、隣の部屋にいてほしい」と頼む理由もよく分からない。
淋しくないように人の気配を感じていたいと言うのであれば、死ぬ間際までそばに居てほしいと願うのが普通だろうし、結局、彼女が、友人の不在時に計画を実行したことにも釈然としないものが残る。
それとも、すべては、友人に「自殺幇助」の罪を着せないための配慮だったということなのだろうか?
いずれにしても、そうした彼女の選択や頼み事の理由がよく分からなかったために、最後まで感情移入することが難しかった。
彼女の死後の、警察の取り調べや娘の訪問にしても、中途半端な描き方で終わってしまったような気がしてならない。
本当の末期癌患者のようにガリガリに痩せ細ったティルダ・スウィントンも、死にゆく者に対する慈愛の心を見事に体現したジュリアン・ムーアも、共に名演と思えるだけに、「よく分からない」感じを最後まで払拭することができなかったのは、とても残念だった。