「顔のない花嫁たち」花嫁はどこへ? レントさんの映画レビュー(感想・評価)
顔のない花嫁たち
見た人誰もが幸せになれるような楽しいコメディー映画。いまだ残るインドの昔ながらの慣習なども学べて勉強になる。ところがこの慣習を調べてびっくり。これはコメディーどころかもはやホラーだ。いまだインドにおける女性を取り巻く酷い慣習には驚かされた。
筆舌に尽くしがたい陰惨な慣習と女性を襲う悲劇。出るわ出るわ女性たちの受難劇。これはコメディーの皮をかぶったホラー映画だ。
ヒンドゥー教やカースト制度の慣習がいまだ残るインドではいまだに女性の地位は低いまま。モディ首相の政策で女性の社会進出が進んではいるが、広大なインド、とりわけ貧しい地方などでは女性の暮らしは昔とあまり変わらない。
本作は今から二十年以上前のインドの田舎が舞台。持参金制度、児童婚など本作でも女性の受難を思わせるエピソードが描かれている。
主人公のディーパクはプールを見合い結婚で娶るが、見ての通りプールは幼い顔立ちで演じるのも十代の女優さん。これは明らかに児童婚を描いてる。
インドではいまだに持参金制度がまかり通り、嫁の側が婿側に持参金を用意しなければならない。たいていの家庭ではこの持参金負担が経済的に重くのしかかるため、胎児が女だとわかると堕胎してしまうという。そのため法律で出産前の性別検査を禁じたが、そのぶん生まれた女の嬰児の殺害が増加した。地域によっては男女の人口比で女性の割合が圧倒的に少ないのだという。
本編ではジャヤの夫が妊娠できない前妻を殺したと語られるけど、これは実際にインドで起きた持参金殺人を描いてる。嫁の持参金が少ないと夫やその親族から虐待を受けてひどい例では生きたまま焼き殺されるという事件も頻発した。年間でこの持参金殺人は8000件に及んだ時期もあった。
女性の受難はまだまだ続く。家父長制のインドでは女性は家事だけして家にいればいいので教育も受けさせてもらえない。プールのような子は知識も教養もないから夫の家でこき使われてもそれを当たり前のこととして疑問にも思わない。
教育を受けてないから稼ぐこともできず家事しかできない女は家ではお荷物扱い、だから早くに嫁に出される。いまだ処女崇拝がまかり通っているから嫁は幼いほど価値がありその分持参金は少なくて済む。児童婚が無くならない理由だ。これらは法律で禁じられていても現実に追いついていない。
ジャヤは独学で有機農業を学び、進学を希望したが親には逆らえず諦めて見合い結婚する。その時にあの花嫁取り違え事件が起きる。彼女にとっては結婚から逃れられるまたとないチャンスだった。そしてそれはプールにとっても。
世間知らずのプールは屋台のおばさんや仲間たちとの出会いで現実を知ることができた。屋台で商売も学んだ。結婚してもけして家庭におさまるつもりはない。彼女もこの事件をきっかけに自立心が芽生えた。
インドでの女性たちの受難は聞けば聞くほど悲惨で、以前世界を震撼させた集団レイプ殺人なんかも、その根底には家父長制を根源とする名誉殺人が関係してたり、男女比による未婚男性の増加、貧困によるストレスのはけ口として女性が犠牲になっていて、インド社会が抱える問題の根深さがうかがえる。
ただ女性たちもこれらの被害に甘んじてばかりではなく、女性同士結束して男社会の理不尽と戦っている。そういう女性たちの活動が国内いたるところで見られるという。
本編でもジャヤがディーパクの妹の絵の才能を生かして協力し合ってプールを探し出したり、ディーパクの母親とおばあちゃんの会話など女性同士のつながりが感じられるシーンがあって良かった。
出来れば女性警官のベラ君が最後悪党どもをコテンパンにしてジャヤを解放する展開に期待したんだけど、あの悪徳警官が意外にもいい奴でベラ君の活躍の機会を奪ってしまったのがちょっと残念。
女は男と目を合わさないようベールをかぶり目線は足元に。そんな古くからの女性を抑圧する慣習が原因で起きた取り違え事件が逆に抑圧された女性たちを解放するきっかけになるという何ともよくできたお話。
ベールに覆われて生きてきた顔のない女性たちはベールを取り去り、自らの顔(人格)をさらけ出して自分らしく生きられるようになった。それはきっと遠い未来のことではない。