エストニアの聖なるカンフーマスターのレビュー・感想・評価
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お手軽カルト体験
この映画を深く理解するのにキリスト教についてある程度の素養がないと厳しいと思う。
主人公が首から下げている十字架と、修道院の皆がかけている十字架が違う。
ロシア正教vsカトリック。まずはこれが根底にある。
日本人が想像するキリスト教は十字架のジーザスだったりするが、ロシア正教はイコン画。イコンの涙。ゴルゴダの丘に車を運ぶ…イメージの数々。
こういった宗教を皮肉ったカルト映画がある。
『エル・トポ』だ。
ポップで観やすいエルトポに近い何かを感じた。
カンフーとメタルに装飾されたB級アクション映画・・・に見えるけど実は、
多分10人中9人は「監督は一体全体何がしたいんだ??」となる映画なんだが、とりあえずカンフーする修道士のおじいちゃんたちが可愛いので観て損はないです。
長老役の役者さんはファイトコレオグラファーらしい。どうりでスタント使ってないのにあんなに動きが軽やかなはずだ。おじいちゃん格好良い。
カンフーとメタルに装飾されたB級アクション映画…に見えるけど実は内面的修行の話である。
<以下ネタバレあり>
餃子を投げ合うシーンを見ながら「一体何を見せられているんだ…」と思いつつ、ふと長老の助言や修行の内容にデジャビュを感じる。あれだ、本質的なテーマはパウロ・コエーリョの「星の巡礼」と同じなのだ。あの本もキリスト教の修行の話でありながら突然野犬と闘ったり穴を掘ったりする話だった。一見何やってるのかよくわからないが、つまるところ、序盤で長老が言うように「謙虚」が話のテーマである。
この話の主人公ラファエルは実のところ何も成し遂げてない。長老の助言にもろくに従ってない。それにもかかわらず彼に触発されイリネイは自分の嫉妬心と向き合うことになるし、リタは本音をぶちまけ自分を解放するし、長老は後継を決めることになる。結局ラファエルは神様が寄越した触媒なのだ。
「星の巡礼」もそうだが、自分が手に入れることを諦めて初めて手に入れる資格を得ることがある。謙虚さによって道が開かれるのだ。
修道士役は地元の人たちを起用したらしい。ちょこちょこ一列で動いたりバケツリレーする様がなんとも可愛い。
いいこと、言ってんだよなぁ、愛とか
始まり方は面白い!4分近くセリフがないんだけど、面白い!わかりやすいワイヤーアクションだけど、昔のカンフー映画っぽさもあって良かった!
効果音の入れ方も香港映画っぽいよね。ちょっとくどいけど、そこは「こだわり」としておきましょう。
ダンスバーでのシーンなんかはインド映画っぽさもあったね。革ジャン着て昔のアメリカンスタイルっぽいのも一周回ってカッコいいよね。
カッコいいといえば、ブラックサバス!アクションシーンに合ってるよね。「カンフー+ブラックサバス」で十分美味しい。そこに「エストニア」という民族性が加わって、面白いケミストリーを生んでるよね。
ただそこに「信仰」を加えることで、逆に振り切れることが難しくなったのかも。カンフーマスターになるために信仰を深めるってプロットが「正しさ」ベースになっちゃったんだよね。「信仰心」と「俗世間」のはざまで、っていう葛藤が作風とうまく噛み合ってない部分があるというか、、、
ま、邦題に「聖なる」ってついてるのはここの部分からなんだろうけどね。昔のカンフー映画だったら例えば「少林寺木人拳」のテイストかなあ?あれも信仰の場で修行するって内容だけどさ。
色んな要素を足していって、よく分からない色になっちゃいました、って感じかな。これはこれで好む人多いから面白いとは思うけどね。個人的にはゴールが見えないというか、、、カンフーマスターになりたい動機があってこその修行という流れが欲しかったというか、、、
インパクトはあるし、嫌いじゃないんだけど、ちょっと毒気が物足りないって感じかなあ。比較にはならないけど「サイコ・ゴアマン」くらいの「毒」が欲しかったなあ、と。
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