「「とむらい師たち」を見直したくなった」破墓 パミョ 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
「とむらい師たち」を見直したくなった
古くから人々が抱いてきた死や祟りに対する畏怖を、
現代的に描いた作品とも言える。
悪霊退散や除霊といったテーマは、
ホラー映画、
例えば「エクソシスト3」だったか「エクソシスト・ビギニング」か、
記憶はあいまいだが、論理的に実存として、
科学的にというか常識の範囲で未知の力を認めようという作品もあった。
しかし、
本作は迷信と科学の境界をあいまいにしてテンポよく展開する。
古来より、
人々は自然の力や未知の力を畏れ、
それらを鎮めるための様々な儀式や信仰を行ってきた。
そうした人間の根源的な不安や恐怖を鮮やかに描き出すと同時に、
それらに対する合理的な説明は一切排除する。
風水師や巫女(のような存在)といった専門家が、
非科学的な根拠に基づいて問題解決にあたる姿は、
抽象的で評価も分かれるだろう。
しかし、
本作の恐怖は、
その抽象的な非科学的な不気味さを利用しているとも言えるだろう。
先祖の怨念や土地の呪いといった、
目に見えない存在が人間に与える影響は、
観る者を不気味な世界へと引き込んでいく。
特に、後半の展開は、理性を超えた恐怖と、
それを乗り越えようとする人間の執念が対峙する様を描き出し、
それにノレる観客には強烈な印象を与える、
ノレない観客は・・・なんじゃこりゃー・・不吉じゃー・・・
あくりょう・・・たいさん・・か。
単なるホラー映画を超えて、
人間の存在そのものに問いかける作品でもある。
死や生、善悪といった普遍的なテーマを、
韓国の伝統的な文化や風習、
38度線付近を背景に描き出すことで、
過去に何が起きていた(日本人にとってはある意味印象深い)のか、
独特の世界観を構築している。
本作を観て、
本作を観て、
チェ・ミンシクとユ・へジンは、
ゴリゴリの詐欺師だったパターン、
例「とむらい師たち」(コメディ)、
のような続編、
または、
カヴァレロヴィッチ「尼僧ヨアンナ」のような、
手強い憑依に再度対峙するパターンを観たくなった。
錯乱筆坊