ジョイランド わたしの願いのレビュー・感想・評価
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豚キムチ鍋で一杯やれないなんて耐えられないので、絶対ムスリムは無理な男のレビューです
邦題やポスターの印象は明るい感じで、花嫁はどこへ?と同じような映画だと思ったのだが·······
兄嫁のパシリに使われる弟が憧れたひとは······
2022年の第75回カンヌ映画祭に初めて出品された純パキスタン映画とのこと。
ビバ(Biba)役のアリーナ·カーンは男前の女優さんだなぁと思っていたら·····メジャー映画の主演になったパキスタン初のトランスジェンダー。そのあと、2023年にミス·トランス·パキスタンになった。パキスタンのラホーレのムスリムの家庭に生まれた。映画産業が盛んなインドとパキスタンは昔から犬猿の仲だし、トランスジェンダーが主演の映画に対して、パキスタン政府はとても厳しく対応したようだ。
その点では是非観ておきたい映画なんだが、スクリーンに映されるサイズ同様に狭く、終始息苦しい。
出産祝のヤギのお肉(ハラム)のお裾分けをご近所に。
子沢山の長男の嫁さんにパシリ扱いされる弟。ブライダルサロンでメイクとして働くお嫁さんはとても素敵。彼女は映画プロデューサーとしても活躍しているようだ。風采のあがらない弟の嫁さんにしては聡明な人に感じるわけだ。長男を特別待遇する習慣は戦前戦後の日本然り、特別なことではないのだが、病院でビバを見た時のハイダルの表情にヤバそうな不穏な展開の始まりを感じた。
バックダンサーはいくらなんでも無理なんじゃないの🤔
家父長制
幕間のダンサーたち
いまだ古い価値観に縛られる人々。個人の価値観が尊重され誰もが生きやすいジョイランド(喜びに満ち溢れた国)への道のりはまだまだ遠い。
家父長制がいまだ色濃く残るパキスタン。そのパキスタンの都会で父と兄夫婦と同居する無職のハイダルは妻が働きに出ていて、専ら家事と兄夫婦の子供たちの世話をしていた。
心優しい彼だが父や兄に対して自己主張できず家では肩身の狭い思いをしていた。また、男の孫ができないことから父親からプレッシャーも受けていたし、妻のムムターズが仕事に出ていることにもくぎを刺されていた。
そんな彼がようやく見つけたダンサーの仕事でビバとの運命的な出会いを果たす。ビバに次第に魅了されハイダルは本来の自分を見つけ出す。今までの自分はこの社会の古い価値観に縛られ本来の姿ではなかった。家父長制の社会において何かと男らしさを求められてきた、そして跡継ぎを生むために存在するものとして。
そんな彼がビバと出会ったことで自分の中の本当の自分を見出した。次第に彼はビバと本当の自分にのめり込み、いつしか妻を構わなくなって行った。
ムムターズも仕事を辞めて子を授かるが、喜びもつかの間、自分は兄嫁のようにただ嫁いだ家の跡取りを生んで育てるだけに残りの人生を捧げるのか、自分にとっての生きがいであった仕事まで奪われて。絶望のあまりその場から逃げだそうとするが、結局家出もできずに戻るしかなかった。そんな自分の気持ちをハイダルは察してはくれない。
追い詰められて結局自死を選んだムムターズ。そんな彼女の気持ちに気づいてやれなかった自分への怒りと兄や父への怒りで初めて感情をあらわにするハイダル。
ジョイランド、遊園地は普段抱える悩みや社会のしがらみから解放されて誰もが心から楽しめる場所。でもそれはひと時の夢でしかない。夢から覚めれば厳しい現実が待っている。
ビバやハイダルたちは舞台の合間、すなわち幕間で踊ることだけを許されたダンサーだった。けしてメインの舞台では踊れない。
それはまるで世の中の古い価値観と自分自身の価値観との狭間で揺れ動く、この社会で自分の生きたいように生きられない若者たちの姿のようでもある。
ビバに捨てられ、ムムターズをも失ったハイダル。海に泳ぎだした彼が誰もが生きやすい喜びに満ちた国ジョイランドにたどり着くことは果たしてできるのだろうか。
パキスタンは女性の就業率は南アジアで最下位に近く、ジェンダーギャップ改善のための施策もなされているが現実には追い付いていないようだ。女性やLGBTの保護を法律で定めてもそれが世間一般にまで浸透するにはまだまだ時間がかかるし、ハイダルの家のようにいまだ古くからの家父長制を引きずりその下で苦しんでる人が多い。
君主制から民主制へと移り変わる中でいまや個人の人権が尊重される時代。それぞれの価値観の多様性が認められるなかでいまだ古い価値観に縛られ生きづらさを感じる人々。
いい加減個人の生き方を尊重できない家族制度から脱却すべきだが、いまだ先進国といわれる日本でも選択的夫婦別姓制度も認められないありさまだ。
家父長制の下で人はその価値観に縛られる。当の父親でさえも家長として威厳を保つことを強いられるが、もはや高齢で体が衰えた父親はトイレを我慢できず粗相をしてしまう。それでも威厳を保ち続けねばならない父親の姿も憐れであるし、男らしさを求められる次男や家庭に入ることを強いられる嫁も然り。
主人、嫁、跡取り、個人をそんな枠組みにはめ込み個人の意思や個性を尊重できないような家族制度はもはや時代遅れだ。今は君主による国家運営を家族運営にもリンクできた時代とは違う。
いまや互いの個性を尊重し合い助け合うことでしか個々の人間が家族として共に暮らす意味はないのではないか。
作品冒頭で産気づいた兄嫁を病院に送り届けるハイダルを俯瞰で捉えたシーン、終盤ではこれと対になるようにムムターズの棺が運ばれるシーンが描かれる。兄嫁が生んだ女の子たちの未来をまさに暗示しているかのようであった。このまま古い価値観に縛られていては子供たちの運命も暗澹たるものとなるだろう。そんな監督の強いメッセージが伝わってきた。
家制度を復活させたい人は必見
人妻が望遠鏡で他人の自慰行為を覗き見しながら、ガタついた窓のサッシをゆっくりと左右に押したり引いたりする場面。
「欲求不満描写として面白い見せ方するなあ」と思って観ていたら、それを夫の兄に見られて気まずくなる人妻。
そうなる心情を理解しつつも、最初に観た時はちょっと滑稽に見えた。
しかし、映画を最期まで観終わった後にこの場面のことを思い返すと、切なすぎて胸が張り裂けそうになる。
副題の『わたしの願い』の「わたし」とは誰のことなのか。
映画を観終わった後は明白だと思う。
昔ながらの家制度が今の日本だと崩壊しているが、そうなってて本当に良かったと心から思える作品。
子供好きの夫・ハイダルが主夫をして、仕事好きの妻・ムムターズが家計を支える。
これで十分上手くいっていたのに、三世代家族の家父長制維持のため、何をやらせてもダメダメな夫には無理矢理仕事をさせ、仕事が楽しくなってきた妻からは仕事を奪って家の世話を全部やらせる。
この時点で胸糞悪かったけど、結果あのザマ。
(人によっては)妊娠した瞬間、人生お先真っ暗になる制度、必要?
日本でいまだに家制度を復活させたがってる人に是非観てもらって、感想を聞いてみたいですね。
一方、トランスジェンダー要素はこの映画には無くても良かったように感じた。
同性婚のニュースでのヤフコメの書き込みで「男みたいな見た目をしたやつが女子トイレに入ってきて気持ち悪いから反対」という意見をよく見かけるが(この意見自体は幼稚な話のすり替えだと思う)、そういうことを言ってくる人がこの映画の結末を観たら、「同性愛者なんて認めるからこうなるんだ」と言いかねないと思った。
トランスジェンダーの場面自体は素晴らしいと思ったけど(特に陰口叩いていた奴らを言い負かす場面は最高)、この映画の主題とは直接関係無い気がした。
ハイダルがダンスの練習をする場面で、志村けんの「変なおじさん」を超久しぶりに思い出した。
喜びの国に行くための方法は、想像以上に苦しみを伴うものだった
2024.10.21 字幕 アップリンク京都
2022年のパキスタン映画(127分、G)
家父長制の一族の中で生きづらさを感じる次男夫婦を描いたヒューマンドラマ
監督はサーイム・サーディク
脚本はサーイム・サーディク&マギー・ブリッグズ
原題は『جوائے لینڈ『、英題は『Joyland』で、劇中の訳では「遊園地」という意味
物語の舞台は、パキスタン東部のラホール
家長アマン(サルマーン・ピアサダ)を中心としたラナ家は、長男サリーム(ソハイル・サミール)とその妻ヌチ(サルワット・ギラーニ)、彼らの子ども3人と、次男のハイダル(アリ・ジュネージョー)、その妻のムムターズ(ラスティ・ファルーク)の8人で暮らしていた
失業中のハイダルがみんなの食事を作り、ヌチの娘たちの世話もしていく
ムムターズはサロンのエステシャンとして働き、ハイダルは主夫状態になっていたが、父からは「早く仕事を見つけて子どもを作れ」と急かされていた
ある日、ハイダルは友人のカイサル(ラミズ・ロウ)から仕事を紹介してもらうことになった
だが、その仕事はバックダンサーの仕事だった
踊れないハイダルはそれを拒むものの、以前に病院で見かけた美女ビバ(アリーナ・ハーン)のバックダンサーと聞いて、やる気を見せて積極的に関わるようになる
ビバはいわゆる第三の性という属性があり、ハイダルはそれを好意的に受け止めていた
物語は、ビバに気に入られたハイダルが、付き人のような生活を送る中で、頼まれた特大パネルを自宅に持ち帰るところから動き出す
屋上に隠したものの、近所に住む未亡人のファイアーズ(サニア・サイード)に見つかってしまい、父に報告されてしまう
ダンサーではなく支配人だと嘘をついたことはバレなかったものの、成人劇場で働くことは一族の恥だとして、口外することは許されなかった
映画は、ハイダルとビバの関係の変化を描きつつ、家に押し込められることになったムムターズの変化を描いていく
ヌチの娘を預かっていることで夫婦の営みもままならず、さらにハイダルが働き始めたことで、ムムターズはエステシャンを辞めざるを得ない
そして、家事を押し付けられながら、閉塞感に詰まる時間を過ごし、ハイダルはその変化に気づくこともなく、ビバとの関係を深めることになったのである
パキスタンに限らず、家父長制の地域はいまだにあり、この一族はその縛りが思った以上に厳しく描かれている
劇中でもカイサルが揶揄するように「髪型ひとつ変えるのにも親父の許可がいる」みたいなことが普通に行われている
劇中で印象的だったのは、羊を締めるシーンでハイダルの代わりにムムターズがしてしまうところとか、ムムターズに仕事を辞めるように言わされるシーンなどがあった
ハイダルは父どころか兄にすら言い返すこともなく、ムムターズの死によって、ようやくそれが為されるほどに軟弱でもある
だが、ハイダルは自身についてでは抵抗せず、自分の妻を侮辱されたことに対する怒りしか見せられず、最後の決断へと至ってしまうのである
いずれにせよ、ラストシーンに関しては賛否両論になりそうな内容で、最後まで無抵抗であることへの不寛容は多いと思う
だが、そのような家庭で教育され続けたことでハイダルのような人間が育っていることを考えると、これ以上のことは彼にはできないように思えた
映画のタイトルは「遊園地」という意味だが、ダブルミーニングとしての「喜びの楽園」という意味合いも強い
そう言った楽園はどこにあるのかと問われれば、この一族に関しては、あの世にしかなかったということになるのだが、それは来るべき未来だったようにも思えた
24-110
妻は美容師として、その腕に誇りを持って働く。夫は無職、父や兄に蔑ま...
妻は美容師として、その腕に誇りを持って働く。夫は無職、父や兄に蔑まれながらも、大家族の中で家事を担う。
その後、夫が曲がりなりにも職を得て、兄嫁に赤ちゃんが誕生して。では誰が家事を担っていくのか、と問われたとき。
家父長制の波が防波堤を越え、この一家を呑み込んでいく。
職を得て、職場のダンサー(トランスジェンダーである)と恋仲になり、家を(妻を)省みなくなる夫。職を辞し家に閉じ込められた妻の不満(ストレス)は昂じる一方。そして、その妻をノックする新たな転機が。
joyland(遊園地)における、妻と兄嫁が享受する束の間の自由。
自由とは、限られた時間・空間でしか享受できないものなのか?私って何?今、そしてこれからを、何のために生きていくの?
人は時代や住んでいる地域の慣習によって規定され絡め取られていく。そこから脱した一部の人間が、時代を進めていく。程度の差こそあれ、何処の国でも何らかの窮屈さは依然として存在する。
この作品における、夫、妻、ダンサー(トランスジェンダー)、兄嫁、父、近所の老女。それぞれがそれぞれの枷の中で、もがき苦しむ。枷があるからこそ、人間社会は安定性を保っている面もあり。自由の許容する領域について、何処をどの程度まで拡大していくのか。その葛藤は今までもこれからも、人間社会が続く限り止むことはない。そして、その葛藤の中で犠牲となる者も、存在し続ける。
未来がより良いものであるために。私自身がより良い方向へ向かう一里塚であれば良いな。
ここは本当にパキスタンの第2の都市?
見終わった後、胸がいっぱいになった
初めて観たパキスタン🇵🇰映画。
ストーリーが面白く、丁寧に描かれた人物描写と、
緻密な脚本で、映画の世界に没入しました。
後半のクライマックスへの流れの迫力に圧倒され、監督、凄い演出力だと思いました。なんと33歳!
そしてインド映画みたいに俳優たちがみんな美しく、また迫真の演技で、素晴らしかったです。パキスタン映画のレベルの高さに驚きました。ビバが素晴らしいけど、
どうしようもなく、運命に翻弄されて行くハイダルですら、愛おしく感じました。
嫁が二人とも綺麗で可愛いくて、親近感が湧きました。
見終わった後、胸が熱くなり、ずっと映画の世界に浸っています。映像の美しさは秀逸。
この映画、絶対見逃さないでほしいです!!
ハリボテの尊厳
パキスタンの家父長制バリバリの家で暮らす次男夫婦のすれ違いの話。
失業中で4+1人の娘を持つ長男夫婦と車椅子の父親と暮らす家の家事をする次男ハイダルと、メイクの仕事をする嫁ムムターズが、ハイダルの仕事が決まったことを切っ掛けに狂い始めるストーリー。
今時前時代的過ぎて最早老害、何も無いから男であることや長男であることを優位と訴えているとしか思えない父親と兄貴と親戚たちと。
正に東南アジア的家族だけれど、長男はまともに働いている感じで比較的マシな方か。
そしてこんな家さっさと出て2人で暮らせば良いのに甲斐性なしの次男坊。
そんな環境にあってまあ良い嫁さんだこと。
あらすじ紹介にはヒジュラーのマダム、ビバのパワフルな生き方がどうとか記されていたけれど荒ぶり過ぎて傍若無人な感じもする序盤。
それにひかれるハイダル…は間違いなかったけれど、そういうひかれ方の話し?
なんだか女々しくてクソなハイダルだったり、兄貴も弟に助言の様な苦言言うけれど、毎晩子ども預けといて何言ってんだ?
ダンナが帰って来なければこの家にいる意味は?からのそういう選択したのか…と思ったらまさかの最大限の抵抗であり復讐な流れで、胸糞悪さとやり切れなさがたまらなかった。
ハイダル!遅いよ!!
見終わった後、一緒に見た人と語り合いたい作品
自分が何者であるのか
どう生きたいのか
ヒジュラーという男性でも女性でもない第三の性が認められてる一方
今も家父長制が根強く残るパキスタン
それが当たり前で育てられるとハイダルのように自分がわからないまま悪気なく他人にも鈍感で悪気なく傷付けてしまう
ヒジュラーは男だから女性の車両から出て行きなさいと嗜められているトランス女性の隣に強引に座ったハイダル
きっと初めて守ってあげたい、味方になってあげたいと素直に思ったんだろう
あの理解や勇気を一番身近にいた妻に向けて欲しかった
ハイダルの父も本当は弱音を吐きたくても、当たり前のように一家の長である者の取るべき行動をとる
自分の弱さに蓋をする
みんな本当は自由に生きたいのに世間がまだまだ古い価値観や慣習に囚われているから
そこからはみ出してはいけないと自分を縛り付け、他人にもそうであれと圧力をかける
妻のムムターズが集まった親族たちの無神経な言葉に絶望して放った言葉で義姉も傷付き
誰も幸せじゃない
ラストのあのやりとりで胸が締め付けられた
本国で上映禁止になりノーベル平和賞受賞者マララ・ユスフザイさんや俳優たちの支援で上映されることになったものの、いまだにこの映画の舞台になっているラホールでは上映禁止だそう
試写会にて
予告をいい意味で裏切り見応えがある。
予告をいい意味で裏切り見応えがある。カンヌで『ある視点部門受賞』やRotten Tomatoes 98点も納得。
予告を見るとゲイに目覚める男性の話のように見えたがこの映画の本筋はそこではない。
仕事を生き甲斐にする女性と古い家族制度(長男以外を蔑視し女性も次男以降も生き辛い)の問題を取り上げた骨太の意欲作。
主人公ではなく主人公の奥さんに共感し、彼女の視点で映画を見ていました。
(独り言 : 奥さんが主人公でも良かったのになあ。旦那さんには全く共感出来ないわあ。独り言なのでお気になさらず。笑)
ラストの余韻と共に色んな事を考えてしまう映画でした。
それにしてもこの監督これが長編デビュー作だそうだ。今後が楽しみな監督である。
家族という檻
自分らしく生きるために、家族という大きな檻から出ようともがいた人。
女を家財道具か家電くらいにしか考えてない男。
想像もしなかった方向に物語は転がって行き、目が離せなかった。誰もが自分らしく生きてこそ、幸せになれるを改めて痛感する。
家族の檻の中で、夫婦が二人の生活を大事にしている限り平和で幸せだったのに。
世間体のために一歩外に出た事で、全てのバランスが崩れてしまった。皆幸せを守りたかっただけなのに。
外の世界で出会った彼女は自分軸がしっかりしてて、とてもキラキラしてるから、まあ目が眩んでも仕方ないし心も持ってかれたのも仕方ない。
けど色んなタイミングが重なってしまった。
彼が手に入れた幸せは彼女の犠牲の上での幸せだったとしか思えない。
色々思い出してとても悲しくなる。
余韻がすごい。
その通りだ!と思うセリフが沢山あって、脳内をよぎっていく。
皆自分勝手に生きていた訳でもなく、ただ形骸化としか思えない慣習に縛られているだけで、真に悪い人がいないのもまた辛い。
どの人も誰かを思っての言動なんだけど、それが更に檻の中へ縛り付けることにしかならないのも辛い。
出会いはどれも優しく幸せだったのにな。
とにかく自分で選ぶ、自分で決めるが自由にできないこと、そして理解できなくともそれも個人の大事な生き方として尊重することの大事さをまた学んだね。
アフタートークに出てきた『ネクストゴールウィンズ』、私も大好き。あんなに自分を大事にできたら幸せ。
封建と変革
男性、女性、トランスジェンダーの群像劇
(オンライン試写会は内容に関係なくネタバレ扱い)日本と離れたあるアジアでの実態
今年363本目(合計1,455本目/今月(2024年10月度)14本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
fansvoiceさまのご厚意でオンライン試写会で見ることができました。
パキスタンを舞台に、いわゆる家父長制の問題点を鋭く描きつつ、それに付随して起きる日本では想定できないような男女格差、また、少しずつ認知が始まってきたいわゆるLGBTQの方に対する国内での扱いなどが論点になってきます。
確かに現在の日本の水準からすると遅れているなという部分はありますが、一方で日本が映画で描かれている程度の認知度だったり扱いだったりした時期は確かに存在します。その意味において、ただ単に「先進国、発展途上国において取り組むべき問題の優先順位が違いこれらが後回しになってしまうこと」それ自体は責められるものではありませんが、一方でそれらの問題点がパキスタンをはじめいくつかの国においてまだ(経済成長を最優先するという旗振りの影に隠れて)解決されておらず苦しんでいる当事者を描く映画です。
内容としてネタバレ関係になるところはいくつかあり、これらは一応「書かないで」の扱いにはなっていませんが、常識的に考えてそうであろうと推知できる点が2~3か所あります。これらは省略します。また、上記のようなストーリーの関係上、最後は女性同士の連帯がある程度生まれる点において「広い意味では」シスターフッド系の映画とも思えましたが、それは結果論であってそれを最初から想定したものではないと思います。
採点上特に気になる点までないのでフルスコアです。
なお、本試写会がそうだったのか実際の放映がそうなのかは不明ですが、映画冒頭のいわゆるクレジット関係の表記が61秒(1分1秒)と比較的多かったのは少し気になりました(いつ始まるかわからないため。ただ、権利関係はちゃんと処理されるべきだし、指摘はするもののだからといって「権利関係は省略しましょう」にはならない)。
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