「喜びの国に行くための方法は、想像以上に苦しみを伴うものだった」ジョイランド わたしの願い Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
喜びの国に行くための方法は、想像以上に苦しみを伴うものだった
2024.10.21 字幕 アップリンク京都
2022年のパキスタン映画(127分、G)
家父長制の一族の中で生きづらさを感じる次男夫婦を描いたヒューマンドラマ
監督はサーイム・サーディク
脚本はサーイム・サーディク&マギー・ブリッグズ
原題は『جوائے لینڈ『、英題は『Joyland』で、劇中の訳では「遊園地」という意味
物語の舞台は、パキスタン東部のラホール
家長アマン(サルマーン・ピアサダ)を中心としたラナ家は、長男サリーム(ソハイル・サミール)とその妻ヌチ(サルワット・ギラーニ)、彼らの子ども3人と、次男のハイダル(アリ・ジュネージョー)、その妻のムムターズ(ラスティ・ファルーク)の8人で暮らしていた
失業中のハイダルがみんなの食事を作り、ヌチの娘たちの世話もしていく
ムムターズはサロンのエステシャンとして働き、ハイダルは主夫状態になっていたが、父からは「早く仕事を見つけて子どもを作れ」と急かされていた
ある日、ハイダルは友人のカイサル(ラミズ・ロウ)から仕事を紹介してもらうことになった
だが、その仕事はバックダンサーの仕事だった
踊れないハイダルはそれを拒むものの、以前に病院で見かけた美女ビバ(アリーナ・ハーン)のバックダンサーと聞いて、やる気を見せて積極的に関わるようになる
ビバはいわゆる第三の性という属性があり、ハイダルはそれを好意的に受け止めていた
物語は、ビバに気に入られたハイダルが、付き人のような生活を送る中で、頼まれた特大パネルを自宅に持ち帰るところから動き出す
屋上に隠したものの、近所に住む未亡人のファイアーズ(サニア・サイード)に見つかってしまい、父に報告されてしまう
ダンサーではなく支配人だと嘘をついたことはバレなかったものの、成人劇場で働くことは一族の恥だとして、口外することは許されなかった
映画は、ハイダルとビバの関係の変化を描きつつ、家に押し込められることになったムムターズの変化を描いていく
ヌチの娘を預かっていることで夫婦の営みもままならず、さらにハイダルが働き始めたことで、ムムターズはエステシャンを辞めざるを得ない
そして、家事を押し付けられながら、閉塞感に詰まる時間を過ごし、ハイダルはその変化に気づくこともなく、ビバとの関係を深めることになったのである
パキスタンに限らず、家父長制の地域はいまだにあり、この一族はその縛りが思った以上に厳しく描かれている
劇中でもカイサルが揶揄するように「髪型ひとつ変えるのにも親父の許可がいる」みたいなことが普通に行われている
劇中で印象的だったのは、羊を締めるシーンでハイダルの代わりにムムターズがしてしまうところとか、ムムターズに仕事を辞めるように言わされるシーンなどがあった
ハイダルは父どころか兄にすら言い返すこともなく、ムムターズの死によって、ようやくそれが為されるほどに軟弱でもある
だが、ハイダルは自身についてでは抵抗せず、自分の妻を侮辱されたことに対する怒りしか見せられず、最後の決断へと至ってしまうのである
いずれにせよ、ラストシーンに関しては賛否両論になりそうな内容で、最後まで無抵抗であることへの不寛容は多いと思う
だが、そのような家庭で教育され続けたことでハイダルのような人間が育っていることを考えると、これ以上のことは彼にはできないように思えた
映画のタイトルは「遊園地」という意味だが、ダブルミーニングとしての「喜びの楽園」という意味合いも強い
そう言った楽園はどこにあるのかと問われれば、この一族に関しては、あの世にしかなかったということになるのだが、それは来るべき未来だったようにも思えた