「妻は美容師として、その腕に誇りを持って働く。夫は無職、父や兄に蔑ま...」ジョイランド わたしの願い Noriさんの映画レビュー(感想・評価)
妻は美容師として、その腕に誇りを持って働く。夫は無職、父や兄に蔑ま...
妻は美容師として、その腕に誇りを持って働く。夫は無職、父や兄に蔑まれながらも、大家族の中で家事を担う。
その後、夫が曲がりなりにも職を得て、兄嫁に赤ちゃんが誕生して。では誰が家事を担っていくのか、と問われたとき。
家父長制の波が防波堤を越え、この一家を呑み込んでいく。
職を得て、職場のダンサー(トランスジェンダーである)と恋仲になり、家を(妻を)省みなくなる夫。職を辞し家に閉じ込められた妻の不満(ストレス)は昂じる一方。そして、その妻をノックする新たな転機が。
joyland(遊園地)における、妻と兄嫁が享受する束の間の自由。
自由とは、限られた時間・空間でしか享受できないものなのか?私って何?今、そしてこれからを、何のために生きていくの?
人は時代や住んでいる地域の慣習によって規定され絡め取られていく。そこから脱した一部の人間が、時代を進めていく。程度の差こそあれ、何処の国でも何らかの窮屈さは依然として存在する。
この作品における、夫、妻、ダンサー(トランスジェンダー)、兄嫁、父、近所の老女。それぞれがそれぞれの枷の中で、もがき苦しむ。枷があるからこそ、人間社会は安定性を保っている面もあり。自由の許容する領域について、何処をどの程度まで拡大していくのか。その葛藤は今までもこれからも、人間社会が続く限り止むことはない。そして、その葛藤の中で犠牲となる者も、存在し続ける。
未来がより良いものであるために。私自身がより良い方向へ向かう一里塚であれば良いな。
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