ウィキッド ふたりの魔女のレビュー・感想・評価
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シンシア・エリヴォ圧巻のパフォーマンスにだいぶ寄りかかった作品
本作は、舞台の大ヒットミュージカルの第一幕だけを映画化したものだが、上映時間なんと161分。舞台版の第一幕がブロードウェイ、劇団四季ともに約90分だから、単純計算で70分以上延びていることになる。とはいっても映画独自のオリジナル曲が増えたわけではない。これほど延びた理由は、舞台版にはなかったエピソードをいくつか追加したり、既存場面やミュージカルナンバーに新たな描写やセリフ、アレンジを加えることによって、大幅にドラマ性を強化したからだ。それにしても長い…。
また本作では、舞台と違って空間的制約などを受けない映画ならではの強みを前面に押し出したビジュアルが次々と繰り出される。
たとえば、いきなり壮大に組まれたセットと人海戦術を見せつけるオープニング(「No One Mourns the Wicked」)からしてそうだ。ここでは往年のMGMミュージカル映画、ことに『オズの魔法使い』への原点がえりを想起させる(余談だが、このシーンで巨大な藁人形を燃やすさまは、“映画の国の住人”なら『ミッドサマー』を連想して、ビミョーな空気になってしまうだろう、笑)。
また、空間をフルに使った「The Wizard And I」のパートでは、『サウンド・オブ・ミュージック』冒頭のように、広大な野を駆け巡る開放感が存分に味わえる(ただし本作でその行き着く先は、文字どおり断崖絶壁なのだが…)。
さらに図書室でグルグル回転する円形書庫(「Dancing Through Life」)のセットデザインはモダンで洒落ているし、エメラルド・シティへ向かうスチームパンク風な列車(「One Short Day」)は『ズートピア』の旅立ちにも似てワクワク感が広がる。
そのほか、CGで描かれたリアル動物たちが喋ったり、主人公の心の昂りに併せてド派手にフライングしたりと、映画の「自由度」は舞台など比ぶべくもない。
それではミュージカル本来の魅力という点で本作はどうだろう。ここでの「本来の魅力」とは歌とダンスのことを指す。「歌」と「ダンス」の力こそが、ある意味デフォルメされたステレオタイプなキャラクターに息吹を吹き込み、直截的に心に刺さってくる原動力となる。ミュージカルを見る醍醐味はここにあると言ってもいい。
で、まず本作の「歌」について。どのナンバーも聴いた瞬間こそキャッチーなのだが、一聴してメロディーを(サビの部分だけでも)耳コピできるものはごくわずかだ(…って自分が音痴ということ?)。メロディアスな旋律が少なく、高い歌唱力を要するものも多い。記憶にとどめにくく意外と敷居が高いのだ。むろん長いブロードウェイ・ミュージカルの歴史で往年の名作と呼ばれるものには必ずあった「誰でも口ずさめるような親しみやすい歌」が近年の舞台からは生まれにくくなっているという時代的変遷はあるだろう。しかし本作はかりそめにも『オズの魔法使い』を下敷きにしているのだから、そうしたナンバーがせめて2曲くらいあってもいいのに、と無いものねだりしてしまうのだ。
それでもアリアナ・グランデが歌う「Popular」とシンシア・エリヴォの「Defying Gravity」、この2曲は素晴らしい。ことに後者は、エリヴォの圧倒的な歌唱力によって、自立した緑の肌の女性が前に向かっていく力強さが画面からあふれ出している。こんな時、生歌唱・生パフォーマンスに立ち会える舞台と比べて、映画というメディアは圧倒的に不利だが、彼女のダイナミックな表現力はそれを補って余りある。
なおエリヴォは、「カラーパープル」のブロードウェイ再演時にも、前向きに歩む黒人女性の姿を力強く造型してトニー賞ミュージカル主演女優賞に輝いている。同じような意味合いで、悪い魔女エルファバ役へのキャスティングは本作を勝利へと導いた最大の要因といえるのではないか。
この「Defying Gravity」を含む一連のシーンは、まずヒッチコックの『めまい』のように木造階段を昇りつめた先で、エリヴォが座頭市みたいにマントを翻しながら魔女宅のデッキブラシよろしく箒を構え、天窓を突き破って飛び出す。その後、熱唱を聴かせながらクリストファー・リーブ(!)のスーパーマンみたいに彼方へ飛び去っていく——という流れだ。いささか子ども向け映画を思わせるノリの描写ではあるが、彼女のパフォーマンスは各ショットの熱量を一段高く引き上げてくれて、気分爆上がりのうちに幕は閉じる。
さて次に、本作の「ダンス」について見ていくと、ジョン・M・チュウ監督は、典型的なミュージック・ビデオ・スタイルによってダンスパフォーマンスを切り刻む。思えば前作『イン・ザ・ハイツ』でもオープニングナンバーからいきなりカット割りの嵐。ありきたりなビデオクリップみたいで結構イライラした覚えがあるが、本作でもその傾向は強い。また、ヒップホップに傾きがちな振付(映画版の振付は、前作に引き続きクリストファー・スコットが担当)は当世流といえばそうだし、好みもあろうが、正直なところ往年のミュージカルに寄せたダンスパフォーマンスも少しは見てみたかった。
そんなダンスナンバーの中で特に目立っていたのは「Dancing Through Life」のパート。図書室を舞台とするその前半部では、王子様役のジョナサン・ベイリーが朗らかに本を足蹴にするシーンが個人的には軽いショックだった(笑)。話によると、ここでの振付には一部、映画『恋愛準決勝戦』へのオマージュが込められているとのことだが、個人的にはむしろクリストファー・ノーラン作品、なかでも『インセプション』でビル群がひっくり返るショットが想起された。これは前作『イン・ザ・ハイツ』の“無重力デュエット”でも感じたことだ。
そして同パート後半部のダンスでは、オズダスト・ボールルームを舞台に主役2人によって踊られるデュエットが本作最高の見どころだ。とくにシンシア・エリヴォのパフォーマンスは不粋なカット割りさえもはねのけ(笑)、圧巻のひとこと。複雑なセットピースを廃したシンプルな動きが化学反応を引き起こす。今まさに目の前でアリアナ・グランデとの間に精神的な絆が形成されていく様がまざまざと「見てとれる」のだ。入魂の身体表現が発するパワーに心揺さぶられ、しばし涙が止まらなかった。
最後に、エリヴォ以外で気になった共演者たちをざっと記しておく。
まずアリアナ・グランデ。彼女が予想外の善戦で、ちょっと不思議ちゃん要素も加味したぶりっ子キャラがよくニンに合っている。『バービー』のマーゴット・ロビーのような“あざとさ”も感じさせず好印象。オープニングで、彼女が自分の乗ってきたシャボン玉(?)を割るのに小杖の先でちょこんと触れ、再びシャボン玉をつくる際はつま先でスイッチを入れるような仕草をするのがなんともユーモラスで、一気に心掴まれた。もちろん、このミュージカルのために肉体改造した歌唱法が立派だったのはいうまでもない。
アジア系のミシェル・ヨーは魔法学部長のマダム・モリブル役。そうか、悪の手先なのか、はあ……。同じくアジア系のボーウェン・ヤンはアリアナ・グランデの取り巻き役の一人だが、SNLではあんなに溌剌としている彼が、本作ではステレオタイプなオネエ的演技に終始して鼻につく。『バービー』でライゴスのやはり取り巻き役だったシム・リウの方がはるかに善戦していた気がするな……。
以上、まとめると「シンシア・エリヴォあっての本作」といった印象が強く、彼女の存在感に相当寄りかかった作品のように思えたのだった。
評判がすこぶる良かった分、「え、そんなに良かったかな」というのが正...
おもろい
オシャレな衣装、優れた美術、そして圧巻のミュージカルシーン
【イントロダクション】
2003年に初演を迎え、今なお公演の続く大ヒットブロードウェイ・ミュージカル『ウィキッド』を原作とした2部作映画の第1部。
元はライマン・フランク・ボームが1900年に発表した児童文学小説『オズの魔法使い』及びその映像化作品『オズの魔法使』(1939)を基にした、グレゴリー・マグワイアによる1995年の小説『ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語』。これに基づくウィニー・ホルツマンとスティーヴン・シュワルツによる舞台である。
主人公となる“ふたりの魔女”の内、「悪い魔女」エルファバ役にアカデミー賞ノミネート女優シンシア・エリヴォ、「良い魔女」グリンダ役にシンガーソングライターとして世界的に評価を受けるアリアナ・グランデ。
監督は『グランド・イリュージョン/見破られたトリック』(2016)のジョン・M・チュウ。脚本には舞台と同じくホルツマンが参加し、他に『ベガスの恋に勝つルール』(2008)のデイナ・フォックス。
第97回アカデミー賞、美術賞、衣装デザイン賞受賞。
【ストーリー】
「西の悪い魔女が死んだ」
オズのマンチキンランドでは、その知らせを受けた住民達が歓喜し歌い踊っていた。空から現れた「良き魔女」グリンダは、人々から歓迎を受ける。住民の1人から質問を受けたグリンダは、「悪い魔女」ことエルファバの過去と、かつて彼女と知り合いだった事について語り始める。
生まれつき緑色の肌を理由に周囲から拒絶されて生きてきたエルファバ・スロップ。彼女は、スロップ提督の妻が旅のセールスマンと不倫し、緑の酒を煽って生まれた経緯を持っていた。そして、生まれつき“怒り”の感情が昂まった際に協力な魔法を行使する事が出来たのだ。
成長したエルファバは、足が不自由で車椅子に乗る妹ネッサローズの大学入学の連れ添いとして、魔法の名門シズ大学を訪れる。そこでは、新入生として生徒達の中で最も目立つかつてのグリンダ(ガリンダ)も居た。ガリンダはエルファバも自分と同じ新入生だと勘違いし、彼女の緑色の肌への同情から手を差し伸べる。しかし、エルファバはこれを拒否。「私は単なる付き添いだ」としてガリンダを突っぱねる。
単なる連れ添いだったエルファバだが、予期せぬ魔法の発動が魔法学部長マダム・モリブルの目に留まり、彼女からの個別指導の為、急遽大学への入学が決定する。モリブルに気に入られようと必死にアピールするガリンダは、咄嗟にエルファバとの相部屋の提案を飲んでしまう。
部屋を訪れたエルファバは、大量の荷物で部屋の大部分を占領し、自分には片隅の小さなスペースしか渡さないガリンダへ反抗する。2人の相性は最悪。互いを嫌悪し合いながらの、波乱のキャンパスライフが幕を開けた。
【感想】
私は原作の『オズの魔法使い』や映像化作品、本作のオリジナルである舞台版も未鑑賞。
あくまで『パート1』のみを判断材料として綴って行く。
本作は、様々な登場人物を通して描かれる「理想と現実」、その「折り合い」をどう付けるかの物語であるように感じた。
まだパート1なので、「折り合い」についての解答を示したのはラストのエルファバのみだが、少なくとも主要人物達は、皆それぞれ「理想と現実」を突き付けられていたように感じた。
エルファバは、自らの肌の色とそれに対する周囲からの差別を、オズの魔法使いに気に入られる事で覆せると思っていた。忌まわしい自身の肌の色も、彼の魔法でたちまち消え去るだろうと。しかし、実際のオズの魔法使いは、魔法はおろか(あれは単なるマジック)、オズに伝わる伝説の呪文書“グリモリー”を読むことすら出来ない詐欺師。しかも、動物達から言語を奪った張本人であると判明する。
ガリンダは、魔法と優秀な魔法使いであるマダム・モリブルへの憧れから、希望を胸にシズ大学へ入学する。しかし、憧れのモリブルはエルファバの才能に夢中であり、「ハッキリ言って、あなたには才能がない」と告げる。これまで持ち前の可愛さから失恋など経験した事が無かったというのに、編入生のフィエロとの恋すら、彼の関心が本当はエルファバにある事から暗雲が立ち込める。
そんなフィエロは、軽薄な振る舞いから編入を繰り返す問題児ながら、ウィンキーの王子でもある。恐らく王子という肩書きや自身に寄せられる期待に反発する為、軽薄な男を演じている。しかし、根は動物思いの優しい青年であり、唯一エルファバだけが「(軽薄そうにしている)あなたは全然幸せそうじゃない」と彼の本質を見抜く。
ガリンダに密かに想いを寄せるボックは、低身長の冴えない青年で可愛く人気者のガリンダとは不釣り合い。憧れのガリンダからは、名前すら正しく発音してもらえない。自身へ向けられる好意を他所へ向けさせようとしたガリンダの悪知恵から、ネッサローズへアプローチを掛ける事になる。しかし、本心ではガリンダへの想いを捨て切れず、ダンスパーティではフィエロと熱い口付けを交わすガリンダの姿から目を背けるように、ネッサローズにダンスを申し込む。その何たる残酷な事だろうか。
しかし、ガリンダが悪いとはいえ、悲しみを誤魔化すかのように目の前のネッサローズにアプローチを掛けるというボックの行為もまた、ネッサローズには残酷であり失礼にあたる。
足が不自由で車椅子で生活するネッサローズは、提督から溺愛され物質的には何不自由なく生活してきた事が窺える。姉のエルファバに対しても少なくとも他の者より親身になって接しているし、世間知らずの優しいお嬢様といったところ。ボックからの好意の真意を知らず舞い上がってしまう姿が切ない。しかし、エルファバがエメラルド・シティへ旅立つ直前に、ディラモンド教授への敬意から自らの名前を「グリンダ」に改名したガリンダを讃えるボックの姿に、彼の本心を見てしまう。さり気なく流されていくシーンだが、彼女の淡い初恋が無情にも打ち砕かれるこの瞬間が切ない。
ガリンダがエルファバへの意地悪をキッカケに、彼女がダンスパーティに訪れて周囲から差別を受ける姿を目の当たりにし、“平気なフリをしているだけ”と気付いてからの行動が良い。無音の空間でエルファバのダンスを真似てみせ、やがて互いが、そして周囲がダンスを踊っていく。その後の寮室での「初めてのパーティだったの?」「葬式以外ではね」という2人のやり取りが面白い。
オズの魔法使いが言う「人々を纏めるには、共通の敵を見出してやればいい」という台詞は、一つの真理であると同時に、冷たい印象を与える。本作では、大干ばつによって食糧難に陥ったオズを纏める為、高い知能を持ち、喋る事の出来る動物達を弾圧する事で人々を一つにした。それは、かつてヒトラーがユダヤ人を敵に仕立て上げ、虐殺へと走った人類の暗い歴史を想起させる。他方を悪とする事で、自分達に正義がある、正しい側に居るのは自分達だと誤認させる醜さが、華やかな衣装や凝った美術のガワの下に確かに流れている。
【嫌悪感の正体は、前時代的な価値観ゆえか?】
本作を鑑賞していて常に付き纏うのが、「古いなぁ」という印象だった。
小説が95年、舞台の初演が03年という事が多分に影響しているものと思われるが、今日において「肌の色が違う」という理由だけで、エルファバがあそこまでの差別を受ける姿に違和感を感じずにはいられなかった。
それは、現代社会におけるポリティカル・コネクトネスの精神が功を奏した結果でもあり、人々が“少なくとも表面上は”差別の意識を表立って出す事は減りつつある(あくまで、ある)し、もしそのような発言を行えば容赦なく糺弾される。だからこそ、エルファバが肌の色だけであそこまで周囲から酷い扱いを受ける姿には、前時代的な印象を受けるのだ。
せっかく、彼女には強大で制御し切れない魔力を持つという個性があるのだから、現代で映像化するのならば、「肌の色」という理由は残しつつも、もう少しそちらに対する人々の恐怖心を差別の根幹に据えた方が良かったようにも思う。ましてや、本作には舞台版の脚本家の1人であるホルツマンも参加しているのだから。
【印象的だった楽曲】
実際に組まれた大掛かりなセット、個性豊かで色鮮やかな衣装の数々は、オスカー受賞も納得の出来栄えだった。そして、それらと共に繰り広げられる数々のミュージカルシーンも、豪華絢爛で一級のエンターテインメントを観ているという満足感があった。
その中でも特に印象的だったのは、次の4曲。
『What Is This Feeling?』
相部屋となったエルファバとガリンダが、両親への便りの執筆を皮切りに、互いを嫌悪し合いながらキャンパスライフを送る様子はコメディチックでオシャレ。歌詞の内容は、まだまだ大学中がガリンダ側に付いているので、エルファバが気の毒になる内容ではあるが。
『Dancing Through Life』
編入してきたフィエロが主導となって、生徒達を『スターダスト』というダンスホールへ連れ出そうと繰り広げる図書館でのダンスシーンは、皆キレが抜群で迫力がある。また、回転する本棚等ビジュアルのインパクトも抜群。
『Popular』
ダンスパーティを通じて仲良くなったエルファバとガリンダ。ガリンダがお節介でエルフィーを人気者にしようと、メイクや服装をあれこれ試す。ピンクを基調とした美術や衣装、その可愛さに思わず「可愛い」「オシャレ」という感想を抱かずにはいられなかった。
『Defying Gravity』
間違いなく、本作最大にして最高の一曲!
この曲を通じて描かれるラスト10分の展開が、私の本作に対する評価を上げる要因となった。
これまでエルファバは、緑色の肌や不安定な魔法という不幸な生い立ちや、周囲からの差別や妹への罪悪感・責任感という様々な“重圧(重力)”によって、「自分らしさ」に気付かず、また誤った存在へ「憧れ」を抱いてきた。
しかし、憧れていた“オズの魔法使い”は、グリモリーを読めない詐欺師に過ぎず、動物達から言語を奪った張本人であると知り落胆する。
「理想と現実」の差に打ちのめされ、ようやく「現実」を見つめる事が出来たエルファバは、自分が何をすべきかを理解する。
〜It’s time to try defying gravity(今こそ、私は重力に抗って自由になる)〜
グリンダと互いに「あなたの幸せを願っているわ」と友情を確かめながら、彼女は黒衣に身を包んで魔法の箒に跨り、1人孤独に空へと飛び立つ。
“魔女が箒に乗って空を飛ぶ”
現代を生きる誰もが、生まれた時から「魔女といえば」のド定番、まさに王道だったこの姿。その姿にこれほどまで心打たれるとは思わなかった。
オズの魔法使いの思惑により、世界中が彼女を“悪”と見做す中、エルファバは自分らしさと自らの正義を胸に西へと飛び去る。その姿はまるで、正義を成す為に自らが悪を買って出た『ダークナイト』(2008)のバットマンのようなヒーロー性の体現だった。
【総評】
鮮やかでオシャレな衣装の数々、膨大なレッスン量を感じる圧巻のミュージカルシーン(エンドクレジットでのダンサーの人数の多さも圧倒的)は、劇場の大スクリーンで堪能する醍醐味が詰まっている。
作品を流れる価値観や登場人物達の行動に、若干眉を顰める部分もあるが、ラスト10分でのエルファバの覚醒が強烈に胸を打つ。
物語としては、まだまだ始まりに過ぎないので、『パート2』でどのような幕引きを見せるのか期待して待ちたい(出来れば、本国アメリカと同じく年内の公開が望ましいが、丁度1年後となる来年春辺りになりそうな気もする)。
コスパの良い映画
あくまで個人的には過去最高のミュージカル映画かも
「ウィキッド」という作品に思い入れがあるかどうかでかなり評価が分かれる映画かも。そもそも舞台版を観たことがあるかないかでも違う。
例えば冒頭で「魔女が死んだ!」と皆が喜んでいるなか、グリンダが何故時折(というか始終)微妙な表情を浮かべているのか、舞台版が好きな人はもうここで号泣するぐらいのポイントだが、知らない人には、謎でしかない(しかも第一部なのでその疑問は今回解消されない)。
舞台版で1時間半弱の第1部を2時間40分掛けて表現する今作、丁寧と取るか、冗長と取るかも人によるはず。
とにかく主演の2人の繊細な演技は素晴らしい。正直アリアナ・グランデにここまでの演技ができるとは思わなかったし、シンシア・エリヴォは複雑な内面を抱えるエルファバを非常に丁寧に演じていて、このキャスティングは大成功だと思う。
また、舞台版でも決して地味ではないセットだが、映画の豪華絢爛な表現とは比較にすらならない。クライマックスのDefying Gravityはまさに重力に逆らう最高の映像表現で、曲の持つ疾走感やスピード感、エネルギーを聴覚と視覚で魅せてくれる。
舞台版を鑑賞済みの人から、この映画を気に入らなかったという感想はあまり聞かれないので、結末が気になる方には是非舞台版をおすすめしたいのだが、場所は大阪だし、チケットはほぼ売り切れているので、非常に歯がゆい。
自分の中では過去最高のミュージカル映画だと思うし、第2部が本当に待ち遠しい。
城と魔女の最先端ミュージカル
予告編観てる限りはあの世界観についていけそうにもないのでそんなに観たいと思ってなかったけど観てよかった。むしろあの世界観でないと成立してなかったでしょうし、とにかくアリアナグランデを観てるのが楽しい。ディズニーでもないパラマウントのミュージカルを元にした映画で、魔法と学校ということもあり、ハリーポッター風味も、ディズニー風味も、また、バービー風味もあるし、そこにジブリ宮崎駿風味もある。城と魔女なので。ということでこのジャンヌの良きものをかなりアダプトするのに成功しているので多分まったく飽きることはないのだけど、また暖房が効きに効きまくっていたため、睡魔が襲う。いかんせん長い。
スピルバーグのウエストサイドストーリーとそんな変わらない尺にも関わらず、若干長くは感じる。何はともあれ最先端のエンタメだとは思う
今とても響くメッセージがたくさん!
✴︎
映画の醍醐味がとことん詰まっていた!
さすがuniversal🪐
当初の予定から10年くらい遅れていたらしいけど
きっと今だからこそ伝わるメッセージが詰まっている🧙♀️✨
part2の公開が待ち遠しい!!
《以下オタク視点の感想》
USJのショーで知ったミュージカル(調べたら14〜18年も前だった!)。1幕を35分に短縮した内容だったけど、今思うとよくまとめていたんだなーと思う。グリンダは日本人、エルファバは外国人キャストで日本語と英語を交えた台本だったのも違和感なくて面白かった。その後、劇団四季でミュージカルを上演すると聞き友人とウキウキしながら観に行って、予想を超えたストーリー展開に一幕見終わった時には放心状態!顔は涙と鼻水でぐしょぐしょになっていた。ミュージカル界の女王、濵田めぐみさんが演じていたのも大きい。
その後ブロードウェイ版のCDを友人に借りてずーっと聴いていたので、イディナ・メンゼルとクリスティン・チェノウスの声はやはりデフォルトとして耳に残っていて、今回劇中劇という形で歌うシーンがあるのは胸アツで監督の作品へのリスペクトが感じられて嬉しかった。そしてやはり楽曲が素晴らしくて捨て曲がない!今まで気づかなったけどオズの魔法使いの「over the rainbow」の音を忍ばせてあるのだそう。バレにくいよう7音だけ。作曲家の手腕にただただ拍手です!
初めて知ったけど、原作者は湾岸戦争から着想を得てこの物語を書いたそう。アメリカとイラク、白と黒だけじゃないそれぞれの守りたいもの、正義。世に出る情報だけが真実とは限らない。自分の目で意志で判断し行動していく勇気を持つこと。これって今の世の中にすごく必要なメッセージだと思うし、公開がこのタイミングになった意味を感じずにはいられない。
エルファバを演じたシンシアは舞台で活躍していて歌い上げるシーンも映っていたので期待していたけど、アリアナ・グランデは名前こそ知っているけどポップ歌手でしょ?と見誤っていた。彼女はグリンダそのものだった!聞けばこの役がジョービズ界へ飛び込むキッカケになったらしく、グリンダを演じる為にオペラを習いオーディションに挑んだとか。ちょっとクセのある歌い方や動きも完璧に再現しつつ、自分の持ち味も活かしていた。アリアナが"ポピュラー"だから彼女のキャスティングはベストだなぁって感心した◎あとオズの魔法使い役のジェフ・ゴールドブラムのイケオジぶり!(ジュラシックパークの数学者マルコム役)チャーミングで憎めないのよね。。ズルい。
ひとつだけ氣になるのが、グリンダがエルファバを変身させるシーン。日本版ミュージカルでは「ピンクは緑に映えるのよ🌸」と言っていたのが、「ピンクと緑よ」となっていたこと(たしかに「pink&green」と言ってる)。このセリフが好きだから字幕だけでも見たかったな〜。
っと、まとまりがなくなってきたけど迷っているなら
観るべき作品なので、是非映画館へ🩷💚
名曲を"浴びる" 161分の映画体験
海外公開時から鑑賞を待ち侘びていた作品ということもあり、かなり期待の大きかったWICKED! 歌唱力抜群のシンシアとアリアナによる圧巻のナンバーは、名曲を"浴びる"体験を映画館で実現させてくれていた。the Wizard and I や Defying Gravityが本作で既出となったことから、後編はどこに見どころを作るのか(For Goodがやはり本命?)楽しみである。
友情の在り方はもちろん、信念や自己肯定感を持つことの大切さ、マイノリティの周囲から理解が得られない辛さ[Gravity(重力)=周りの人々からもたらされる視線が生む重圧とも捉えられるかもしれない]、そして平和がゆえに"考えること"に蓋をしてしまう人々への疑念(本を踏む振り付けでも描出)等が表現されており、現代社会にも通じるテーマが多数取り上げられていたのも興味深かった。照明を利用して皮膚の緑色が飛んでいるように(ピンクに)見せるシーンや、エルファバとグリンダが互いを認め合うようになったタイミングをダンスのみで魅せるシーンなど、演出も秀逸。
一点気になったのは、上映時間の長さとミュージカル特有の"ストーリーの盛り上がりに合わせて楽曲が増えていく"特徴が日本人受けするのか?という点だろうか。ミュージカル好きな個人としては、充実度の高い映画鑑賞となった。
レビューが分かれるね
何度も舞台を見て映画化の話が出てから、10年以上待っていた映画。字幕版と吹替版で見た。
字幕版は日本語訳がちょっと微妙だった。間違ってはいないけれど、不自然なところがちらほら…
その他は期待以上だった。
ずっと思い描いてきたエルファバとグリンダだ。細かい表情や仕草など作品への愛を感じる。
吹替版も良かった。字幕を追わなくて良いので、スクリーンに集中できたし、とても自然な日本語訳だった。特にオープニングとクライマックスのグリンダの細かい表情や仕草、日本語が自然で良かった。ずっと疑問に思っていたことが晴れた。
映画単体としては、「オズの魔法使い」や舞台を知らずに第1部だけ見ると、「魔女が善悪に分かれて闘う物語」のように見えるかな。低く評価している人の大半はそう解釈してるみたいだ。彼らがこのまま第2部を見ないのも面白い。
基本的には「オズの魔法使い」の主題と変わらないので「願い」や「幸せ」がテーマだね。
見る角度をいろいろ変えて何度も見たら良いと思う。
It’s great!!!
ミュージカル映画としては最高!
美術部の作り込みが異常
part2 どうなるんだろう?大丈夫か?
原作もミュージカルのウィキッドも知らず、オズの魔法使いのあらすじを鑑賞前にWikipediaで軽く調べた程度の情報で観に行った。
本作を見終わった直後に出た感想をタイトルにした。
というのも、本作の終わり方に於いて、私というか観客の気持ちは完全にエルファバの方にあり、むしろオズやマダムモリブル、グリンダ側は、あの映画の悪であり個人的には倒されて欲しいのだが、オープニングで西の悪い魔女=エルファバが倒され、喜んだ場面から始まってしまう。
だから、part2がこれからどうなっていくのか、悪い意味でも、良い意味でも気になってしまう。
グリンダは、自分本位の身勝手で厚かましい、自己満足のための一方的な思いを優しさと称して振り撒いていたのが、どう変わっていくのか。
またエルファバはどう変わってしまうのか、動物の迫害に抵抗するため、オズの世界の住人にとって悪とも言える過激な行動をとってしまうか。
それとも2人の関係性が決別したまま、オズの魔法使いという物語を逆手にとった善い魔女、悪い魔女は形式上であったというような終わり方にするのか。
そこは楽しみにpart2を待ちたいと思う。
物語に対してはツッコミ所が多々あり、あまり入り込めなかったが、出演者達の歌唱(特にエルファバは惚れ惚れするほど素晴らしかった)は圧倒された上に、ダンスや衣装、建物やセットなどの世界観は言わずもがな大変素晴らしく、映画館に足を運んで、大スクリーン、大音響で見るべき映画であった。
本を踏みつけるのは・・・
ネタバレになるのか分かりませんが、映画を見る時は前情報を全く入れずにみたいタイプなのでミュージカル映画と言うことも知らずに鑑賞しました。演出なのは分かるんだけど本を踏みつけるはどうしても抵抗があり、そこから冷めた目で見ていました。冒頭から2時間はなんかダルダルした感じ。最後の40分だけ面白いです。音楽、セットは素晴らしいです。
長い
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