劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来のレビュー・感想・評価
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絶対見てほしいです!
まず映像がすごく綺麗でした!
確かにちょっと長いとは思いましたが、私は全然余裕で見れました!
漫画で内容は分かってたけど、実際に映像化されて声が聞けるのがめっちゃ嬉しかったです🫶どの声優さんも役にピッタリすぎて残念だなって思う声優さんがまったくいませんでした!!鬼の声も良すぎて、特に童磨は私の大好きなしのぶさんを殺したのはほんっとに許せないし、嫌いなのにビジュと声が良すぎて完全に嫌いになれないんですよね🥹でもやっぱり許さない😤
それで猗窩座の過去はまじで泣きました😭善逸とおじいちゃんが再開するとことか、しのぶさんが吸収されるとことか泣くの我慢したんですよ!!(チョットナイタケドヒミツデス🤫)
なのに小雪ちゃんとハグとかもう泣いちゃうじゃないですか!!最後あなた呼びになってました🥰映画後は水分無くなっちゃってカラカラでした(笑)
あ、あと個人的に好きだったところはさっき言ったところはもちろんなんですが、いつも弱虫な善逸がめっちゃ真剣な表情しててかっこよかったのと、ちょっとだけでてきたおばみつが尊かったです🥰️
はやく続きが見たいな〜💭
作品としては素晴らしいけど
映像や声優さんのお芝居も素晴らしいけど
無限城のクオリティよりキャラの掘り下げや
アニオリやギャグをもっと見たかった。
ほぼ原作どうりでドキドキ感がなかった。
原作未読者は微妙な結末
テレビシーリズの「柱稽古編」ラストから続く展開。当然、テレビシーリズを押さえてなければ面白さは半減してしまいます。無限城に落とされた鬼殺隊、鬼舞辻無惨以下鬼達との最終決戦となります。
鬼滅の刃一番の肝は、登場人物の過去にまつわる話。その体験を抱えながら現在を過ごしている。この過去のエピソードにより、ただのバトルシーンに重み、深みがでます。胡蝶しのぶ、善逸、それぞれの過去のエピソードからの因縁。前半は十分盛り上げてくれます。そしていよいよ猗窩座の登場。煉獄杏寿郎の敵です。ど迫力と鮮やかな映像となります。そして猗窩座の過去エピソードとなります。しかし、しかしこれが何分微妙。原作読者は知っているエピソードなので受け入れるでしょうが、未読者からすると残虐な鬼、猗窩座が病の父親を支える為に悪さをしていたというのは少々弱い。更には、善人とめぐり逢い、女性からも慕われる。それを全て失くして鬼となった。うーん。「遊郭編」堕姫のエピソードと比較してもインパクトが無い。そして、結末は自己破壊。これは盛り上がった分、盛り下がり感は否めません。原作ありきなので仕方ありません。次回作に熱い展開を期待。もしかすると劇場版終了後、テレビシーリズの展開でもう少し深めるかもしれません。
泣いた、ただ無限列車は越えられない
『鬼滅の刃 無限城編』を観て――
映像クオリティは間違いなく最高峰。アクションの迫力、映像美、グロテスクさや不気味さの表現に至るまで、やはりufotableの実力は圧巻でした。冨岡義勇 vs 猗窩座 の戦闘は、バトルも演出も完璧で、猗窩座の過去回想も重みがあり、人間としての背景が深掘りされたことで
まさに映画の見せ場として100点の仕上がりでした。
しかし一方で、全体構成としてはかなりバランスが悪い印象を受けました。特に残念だったのが、しのぶさんと童磨のパートです。しのぶの覚悟、胡蝶の死、毒の策略…ここぞ、深く丁寧に描いてほしかったのに、物語の中ではさらっと流された印象で、カナヲによる決着までが描かれなかったことに強い物足りなさを感じました。
個人的に残念だったのは、冨岡義勇との関係性もあまりに軽く処理されていたこと。
アニメでは繊細な距離感ややり取りが積み重ねられてきたからこそ、
彼女の死に対する“義勇の思い“には大きな期待と覚悟がありました。
この関係性を簡単に受け流して次へ進むには、あまりにもあっさりしすぎていて、心の置き所が見つかりませんでした。
しのぶもまた、鬼殺隊の柱であり、鬼滅の刃という物語を支える重要な主人公の一人です。
これはCPとして好きという私情もありますが、それ以上に、“彼女の死”物語にとってどれほど重要な出来事かを思うと、あまりにも軽く処理されてしまったのは、本当に惜しかったです。
【 回想シーン 】
さらに気になったのは、その他のキャラクターたちの回想シーンがとにかく多く、長く、結果的に全体がごちゃごちゃしてしまったことです。ひとつひとつのエピソードが悪いわけではないのですが、エピソードを無理やり1本の映画に詰め込んだことでテンポが悪くなり、感情移入しきれない場面もありました。
原作を知っているからこそ、もっと感動したかったし、もっと泣けるはずのシーンが多かった。でも、焦点が散っていて、ピークがどこなのか見えにくい。その結果、映画としての完成度はどうしても無限列車編には及ばなかったと感じました。
個々のシーンのクオリティは申し分ない。でも映画としてひとつにまとめたとき、やや雑然としてしまったことが本当に惜しい――そんな感想です。
…などと色々言いましたが、それでもあと5回は映画館で観たいです。特に猗窩座と恋雪のシーンは、何度でも堪能したいと思わせてくれるほど美しかったです。
『鬼滅の刃』に見る人間の有限性の美学 ―死・老い・傷を慈しむ物語の普遍性と受容の構造―
要旨
本稿は、人気漫画・アニメ作品『鬼滅の刃』における死・老い・傷の描写を通じて、人間の有限性を肯定する物語構造を読み解くものである。現代においては、テクノロジーや資本によって死や老いを克服しようとする思想が広がる中で、本作はそれらを否定するのではなく、むしろ人間らしさの証として慈しみ、美しく描いている。独自の批評視点と既存の研究・批評を統合しながら、本作がいかにしてこのテーマを自然に、かつ広く受容される形で提示したのかを考察する。
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序文
『鬼滅の刃』の世界的な成功は、その物語構造やテーマ性の豊かさに起因している。中でも注目すべきは、死・老い・傷といった「人間の有限性」を、否定すべきものではなく、むしろ人間らしさの証として描いている点である。本稿では、こうしたテーマがどのように物語に織り込まれ、なぜ多くの読者に自然に受け入れられたのかを、文化的背景や他作品との比較を交えながら論じる。
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主要分析
死:関係性の継続としての死
『鬼滅の刃』において、死は単なる終焉ではなく、感情の継続と遺志の継承の場として描かれる。炭治郎や煉獄杏寿郎は、死者の言葉や想いを胸に戦い続ける。これは、日本文化における死生観、すなわち死者との関係性が継続するという思想と深く結びついている。石井研士は、死者が生者に語りかける描写を通じて、現代日本人の死後観が自然に表現されていると指摘している(石井, 2021)。
老い:衰退ではなく導きとしての老い
老いについても同様に、衰退ではなく導きの象徴として描かれる。鱗滝左近次や産屋敷耀哉といった老いた登場人物たちは、戦線を退いてもなお、若者を導く存在として尊重されている。これは、現代社会における老いの否定的なイメージとは対照的であり、老いを知恵と経験の蓄積として再評価する姿勢が見られる。
傷:欠損を誇りとして描く構造
また、傷や欠損は、弱さや欠陥ではなく戦いの証、誇りの刻印として描かれる。たとえば、煉獄杏寿郎は瀕死の重傷を負いながらも最後まで戦い抜き、その姿は誰よりも誇り高く、後進たちの心に生き続ける。嘴平伊之助の身体には育児放棄や過酷な環境に由来する無数の傷跡が刻まれており、その過去を隠すために常に猪の頭を被っているが、物語が進むにつれて彼は仮面を外し、弱さを見せながらも成長していく。さらには、栗花落カナヲが片目を失う描写や、胡蝶しのぶの身体に鬼殺の毒を仕込んだ“生ける棘”としての存在など、傷ついた身体そのものが、物語上の意味と覚悟を象徴している。
これらは単なるビジュアル上の特徴ではなく、キャラクターの「物語的体験」と「倫理的選択」が刻み込まれた証として機能しており、欠損こそが人間らしさや尊厳の源泉であるという価値観を提示している。これは、「完全性」や「無傷性」を理想とする現代の価値観への静かな批判としても読める(成馬, 2020)。
文化的対比:欧米的死生観との補足的比較
欧米文化においては、キリスト教的価値観を背景に、「死」は神による裁きの入口、「老い」は管理と孤立の問題として捉えられることも少なくない。その一方で、たとえばハリウッドの映画やドラマでは、高齢者や障がいを抱えるキャラクターが、自己決定と尊厳をもって生きる姿もよく描かれており、日本的な「滅びの美学」とは異なる形で有限性への向き合い方が提示されている。ただし、現代のグローバルメディア全体では、「若さ・完全性・健康」の過剰な価値づけが優勢になりがちであり、そうした流れに対して『鬼滅の刃』が静かに逆行している点は際立っている。
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受容の構造
『鬼滅の刃』がこのような重いテーマを描きながらも広く受け入れられた理由は、いくつかの要因に集約される。
1. 物語の感動として包み込んだ構造
死や老い、傷といったテーマは、哲学的に語られるのではなく、キャラクターの行動や感情を通じて自然に描かれる。読者はそれを「感動」や「共感」として受け取り、深いテーマ性に気づかずとも心を動かされる。
2. ジャンルの力と語りの柔らかさ
少年漫画というフォーマットに乗せることで、重いテーマが軽やかに語られる。戦いの中に優しさがあり、勝利の中に喪失がある。このバランスが、幅広い層に受け入れられる要因となった。
3. 時代との共鳴
コロナ禍という時代背景の中で、人々は死や命の脆さを日常的に意識していた。『鬼滅の刃』は、そうした不安に対して、死を否定するのではなく、受け入れ、意味づける物語として機能した。
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美学
筆者が特に注目したのは、死・老い・傷を「美」として描くことの勇気と繊細さである。これらは通常、避けるべきもの、克服すべきものとして描かれがちだが、『鬼滅の刃』はそれらを人間らしさの証として肯定する。この視点は、現代の「若さ至上主義」や「生産性信仰」に対する静かな抵抗であり、人間の不完全さを抱えながら生きることの尊さを語る物語として、非常に現代的かつ普遍的な価値を持っている。
ただし一方で、その「美化」が逆に現実の死や老い、障がいの持つ苦しさを隠してしまうという批判も成り立つかもしれない。あくまで虚構内の美しい象徴性としての「有限性」であり、現実との距離感は慎重に見極める必要もある。
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結論
『鬼滅の刃』は、死・老い・傷といった人間の有限性を、否定するのではなく、むしろ人間らしさの証として慈しみ、受け入れることの尊さを描いた作品である。これらのテーマは、物語の感動やキャラクターの魅力として自然に表現されており、読者に押しつけることなく深い共感を呼び起こしている。現代社会において、死や老いを忌避する傾向が強まる中で、本作は静かに、しかし力強く「有限であることの美しさ」を語っている。これは、ジャンルを超えて普遍的な価値を持つ物語であり、今後も多くの人々に読み継がれていくであろう。
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References
• 石井研士. (2021). 『鬼滅の刃』から見た現代日本人の死後観. 東洋英和女学院大学紀要, 19, 51-68.
https://toyoeiwa.repo.nii.ac.jp/record/2000099/files/SN-N19_P51-68.pdf
• 成馬零一. (2020). 『鬼滅の刃』のテーマとはなんだったのか? Real Sound.
https://realsound.jp/book/2020/05/post-553802.html
• 斎藤環. (2021). 『鬼滅の刃』論と神学的視点. note.
https://note.com/sagtmod/n/n5d0a1ea7cd6f
2回行きましたが2回とも泣きました。
7/20(日)に友達と見に行きました。
上映記念のTVアニメ再編集版を見て復習して臨み猗窩座再来というサブタイトルなのでいつ出てくるかなとワクワクして見に行きました。
柱や炭治郎、伊之助、善逸の視点を行き来したり、胡蝶や善逸は宿敵との邂逅で今までの伏線が回収されたりと猗窩座へ到達するまでの見どころもあり、複数人の隊士で下弦級の鬼を討伐するなど柱稽古編の成果をみることができました。
猗窩座戦では今までの戦いや修行で得た対処力、技の精度で猗窩座に引けを取らない戦いを繰り広げるなどより一層成長したことがわかりました。
何よりも良かったのが猗窩座が過去を徐々に思い出すところや首を切った安堵感からのまだ動き続ける体の絶望感、そして猗窩座が小雪に何度も謝ったあとの「おかえりあなた」は涙無しには見れません!
獪岳戦後に生死の境を彷徨う善逸が川向うのじいちゃんに色々謝るけど「お前は儂の誇りじゃ」と泣きながら告げた所は今まで努力してきた善逸が報われた瞬間だったと思います。
童磨戦で胡蝶が敗北直後にカナヲが駆けつけこれからどうなるんだ!?という次回作への期待感があり155分という長さでありながら全く時間を感じさせない内容で一時も目が離せませんでした。
7/21(月・祝)に今度は姪っ子連れて見に行きました。
同じ内容で展開は分かっているにも関わらず猗窩座の回想ではやはり泣けました。無限列車編に続き神映画だと思います。
どんな作品でも賛否は別れます。でも僕はおすすめしたい作品です。
期待が大きすぎたせいか…。
鬼殺隊が無限城に落ちていく…。ドキドキワクワクの始まりです。無限に広がる異空間。まずは胡蝶しのぶVS童磨。しのぶの毒は童磨には効かず、しのぶは童磨に吸収されてしまう。柱の死。善逸と鬼に落ちた兄弟子の獪岳との決戦!雷の呼吸壱の型最強!そしていよいよ冨岡義勇と炭治郎の前に上弦の参の猗窩座が現れる。この辺りまではスピード感もあり作画も綺麗で戦闘場面はちょこちょこ切り替わるが結構面白く見れる。鬼滅恒例の回想シーンもちょいちょいあるのでその間にトイレも行ける。
猗窩座、冨岡、炭治郎の戦闘シーンが続く。
結局、猗窩座は自分の人間の頃を思い出して、炭治郎に首を切られるが首を再生して、反撃に出ようとするが自分の首が切られた弱さを知り、自分で自分に血気術をかけ自死する。え、何それ!?って感じです。
鬼はいつも自分が人間だった頃を思い出し回想してそれが弱みになって負けるんだよね〜。
また猗窩座の過去の回想が長いのよ。ホントは幸せな人間になれたのに、それを破壊したのは鬼ではなくて人間。自暴自棄になり鬼になる。
その過去は泣けるんだけどねぇ。だから鬼の中で一番人間らしかったのは猗窩座だったのだと思う。
155分の中にたくさん詰め込みすぎですねぇ。これだったらテレビシリーズにしてもっと緻密に一つ一つの鬼達との戦闘を観たかったと思います。
見終わったあとに涙で袖がビチャビチャになるとか、必ず泣けるとか感想が多々ありましたが、私はホロっとくるシーンはあったけど泣くまではいけませんでした。先日テレビで放映された無限列車を見てまたまた煉獄さんの死ぬ場面で涙ボロボロだったのに、今回の無限城編第一部との違いは何だったのだろう??と考えております。
まぁ、無限城編は3部作ですから第3部が終わった時に答えが出るのかも知れません。
「地獄の黙示録」並みに上映時間(155分!)が長い「鬼滅の刃」
コロナ渦の「無限列車編」を見て以来数年振り?
内容を忘れていたので今作を初視聴みたいな新鮮な感じで観れた。
まあ感想や共感ポイントは他の鑑賞者にお任せして気づいた点をいくつか....
〇CG作画と特殊エフェクトの融合は違和感なくかつ眼精疲労しない工夫がある
も見慣れてくると格闘ゲームみたいに感じる
〇声優の我を抑えた控え目演技
〇回想シーン(無限列車編)を削れば(5~10分)まだ短縮できたハズ
〇人間の集中力は50分が限界らしい...回想シーンや美麗な風景シーンでリフレッシュ
〇アカザの回想が始まる頃に集中力は切れ、欠伸が出た
〇異様に引っ張るアカザの哀しい過去回想は助長すぎ、逆に炭二郎の覚醒が描写と尺不足
〇哀しい過去よりも清々しい位の”悪”の方が魅力ある場合も(ディオとかその筆頭)
〇上弦の鬼の哀しい過去に頼らず別な動機付けはできなかったのか?
〇バトルシーンは後半見慣れて飽きる。
☆原作者は「ジョジョの奇妙な冒険」に影響されたようだが第一部DIO、第二部の柱の男(ワムウ・エシディシ・カーズ)みたいな倒すべき人外の悪役にも(悪の)哲学やセンチメンタリズムとかがあって大変魅力があった。
アカザは「求道者」だったか?
ただ”不死”という絶対的アドバンテージ頼りの「弱きもの」だった。
例えばジョジョ第二部のワムウ。
シーザーと死闘を終え、”解毒薬入り指輪・血のシャボン玉”を誇り高き最期を遂げたシーザーに敬意を表して敢えて割らずワムウはその場を去る。
ジョセフとの死闘後、約定を違え襲ってきた雑魚ゾンビを最後の力を振り絞りゾンビを駆除、塵となり滅ぶ寸前に目は見えなくともジョセフに解毒薬を飲むよう促して見届け、文字通り一陣の”風”となって滅んだ。
難きシーザーの仇とはいえ誇り高いワムウにジョセフの善悪の区別なく奇妙な友情がそこにはあった。
無言の敬礼をするジョセフ。
どうだろう?
アカザとワムウ、同じ敵キャラといえど”魅力(カタルシス)”に雲泥の差がある。
劇場アニメとしては「AKIRA」以来のクオリティ(デジタル作画)+最新の音響+レベルの高い実力派声優の相乗効果で観る者を圧倒するが、如何せん原作者のイマジネーション(脚本)や表現力がアニメ会社ユーフォテーブルに助けられているのは否めない。
「来場者特典抜き」で2回目以降繰り返し視聴できるか?と言われるとAKIRAの及第点は及ばない。
◎しかし「鬼滅の刃」の尤も素晴らしいところ、それは昨今忘れ去られた「努力することの素晴らしさ」を連載&TVアニメ放送時の幼児から小・中学生に教えたことだろう。
これだけは『☆×5』と褒め称えたい(自分も学生時代部活で努力・鍛錬してきたから)
週刊少年ジャンプの「努力」「友情」「勝利」をしっかり踏襲した作品。
未就学児からお年寄りまで楽しめる幅広い作品ではあるまいか。
※昨今の週刊マンガや(異世界転生)・なろう作品は読者(主にオトコのヲタク)の嗜好を反映して努力する描写が描かれない....哀しきかな。
155分の長尺作品だとどうしてもテンポの良さと脚本の緩急は付けづらい宿命。
感動作
猗窩座の過去の件で、かつてないぐらい感動しました。原作が好きですが、プロの声優と、アニメーションで再現されると、こんなにも漫画に命を吹き込まれたように、響くものが増強されるのかと思いました。
炭治郎のセリフ、生まれたときは誰でも弱者、誰でも誰かに助けてもらって成長する、お前がそこにいるのが何よりの証拠、強者は弱者を助けるために存在する、そしてまた、弱者も強くなり、弱者を助ける…等、やはり、鬼滅の刃は、素晴らしい事を言ってくれると、改めて思いました。
今回の映画に限った事ではないですが、敢えて言うなら、アニメでは、炭治郎の表情が、ワンパターンになっている気がするので、もう少し原作の表情に近かったら更に良いのにな…と思っているのは、私だけでしようか?
上映時間も、一緒に観た小学生の息子は長かったと言ってましたが、私は気にならず、もっと観たいとさえ感じました。
とにかく、落ち着いたら、また、観に行きたいです。
最高だからこその惜しさがある
長いとかそういうのはレビューとして不要な箇所なので特に言うことは無いです。上映時間見れば分かることなので。ちなみに舞台とかなら三時間超もざらですから、経験上お手洗いのことを考えて水分は最小限にすべきかと。夏だし厳しいですけどね。長く感じるかそうでないかは結局体感でしかないと思います。お子さんに厳しいのも間違いではないです、かと言って子供向けに~とか言って大事なシーンをカットして短くするとかしなかった事は評価されるべきですね。ただどうしてもおしりは痛いですが(笑)。
原作読破勢からすれば、三部作で割るならそういう構成にするっきゃないとは理解できます。童磨の話を多少やってしまうのはいたし方ない。でもどうせやるなら猗窩座の鬼としての信念周りの話までは入れて欲しかった。あの一言で猗窩座の魅力の全てが完結する訳ですし…まあ切るとこムズいから分かるんですがね。
肝心の感想ですが、今回は猗窩座がメインなので演技で泣かされるのは絶対だとは分かってました。石田さんですから覚悟はしていました、軽々超えてきてくれて有り難さしかないです。映像美は言わずもがな、音楽も最高でした。
そもそもにアニメの良いところは、原作で表現したかったであろう迫力や流れを良い具合に埋めてくれる所にもあると思っています。無限城ってこんな途方も無い広さなんだ、柱が戦ったらこれだけ凄いんだ、上弦の鬼ってとんでもないな、ああこんな死闘だったんだ、って言うのは、十二分に理解できました。それを引き伸ばしと表現するのであれば、多分今作の三部作は一切楽しめないです。
ただ、ただし、アニメ映画だからこそ漫画(orテレビアニメ)では良かった所が目に付く所になってしまっているのが事実。
定期的に回想が入るのは今まで通りとは言え、ブチッと流れを切って無理やり入れられている感覚。何故かといえば本来は一週間の間が空いて、一話の区切りで入れられていたものが多いから。無限列車の時は回想ではなく夢、または走馬灯のような回想だったので気にはなりませんが、今作レベルに一気に話数が消化される場合、不自然にならざるを得ない。
これをアニメの表現として、もっともっと自然な流れに出来ていたなら…と思わないでもなかったです。そこだけが惜しかった。
別に回想多い!長い!とかは思いません、それが魅力の漫画なので(笑)
あくまで個人的な偏った感想なので参考にはならないでしょうが、アニメをきちんと楽しめていた方々には勿論全力でお勧め出来ます。映画館で観るべき迫力が確かにあります。
お子さんの話し声や中座が気になるのならレイトショーがオススメですよ。ちなみに羊羹とか食べると尿意が抑えられるそうなので、おトイレが近い方はやってみると良いかもです。
粋な演出に拍手👏
これを機に無限列車を見返してみると、なにやら冒頭のシーンが見覚えあるなと。隊士を思ふ親方様が歩いていたお墓。今作では行冥が歩いていることでより、鬼を滅ぼす決意を感じることができた。
あとは個人的にはしのぶが童磨に食べられるシーンで剣を落とした時。しのぶの剣は彼女の体格に合わせて剣先も特徴的で小さいため、地面に刺さらず跳ね上がった。
いかに彼女が自身の体格にコンプレックスを抱きつつも、鍛錬を重ねたかがわかるシーン。そして童磨の情がなんとも不快感を演出していて大変に素晴らしかった!
あと獪岳が雷柱から羽織を貰い、善逸と2人で雷の呼吸の継承者になるシーン。羽織をもらった瞬間、一瞬だが心の底からの笑みが溢れるシーン。彼がいかに雷の呼吸の継承者にこだわっていたのかが伝わってきたのが良かった。
最高に悲しい
内容が悲しくて凄く泣いた。声出ちゃったよ。猗窩座も人間の時に愛する人がいだんだなと、あーまた涙流れてくる。
ん、絶対見たほうがいい!
ただ、時間は長い。一度トイレ行きましたわそれで星マイナス
戦闘シーンは抜群
序盤の柱達のザコ鬼達を簡単に一掃するシーンは爽快でとてもかっこよかった。
善逸の上弦六との戦い後のおじいちゃんとの川での会話は、善逸の全力の戦闘を見た後もあり原作を見た後でもかなりよかった。
今回の主である猗窩座との戦闘はパワフルでスピード感もあり、かなり広いフィールドでとてもきれいな作画で感動しましたが、後半の回想が少し長すぎたような気がした。。
重要な場面ではあるが、戦いの途中に詰め込みすぎてたような気がします。(猗窩座にとっては何百年も前の話で、猗窩座にとっての根幹の部分だから簡単に省くわけにはいかないのは理解できます)
それにしてもかなり完成度の高い映画で作り手には感謝です。
上映時間が長いので時間を置いて二回目を見に行こうと思います。
社会現象の期待を背負った会心の一作
興行収入400億突破の無限列車編から、わずか4カ月で売り上げを2倍にしたダ〇ドーとのコラボ缶。遊郭~刀鍛冶~柱稽古と丁寧に丁寧に人気と年月を重ねた上での再度の劇場版。
余談ですが、映画を見に行く当日にダ〇ドーの自販機でジュース買ったらその日に限って当たりが出てしまい、天もこの俺に味方しておるわとか言って、キメツ缶のカフェラテをGETしてシアターに足を運びました。
そりゃあ全国のファンも国内海外含め、期待に溢れていたということで、その上げに上げた期待値を裏切らないよう、これでもかこれでもかと、くどく感じるくらいに練りこまれてた内容が何とまだ第一章!
一章は猗窩座再来ってことで、因縁のある炭治郎とのリベンジマッチがメインだけど、他にも胡蝶しのぶの姉の仇である童磨であったり、善逸の師が自決するきっかけとなった兄弟子獪岳の登場と、それぞれが訳ありのマッチメイクで、各々が各々のけじめをつけるため戦いに挑むという内容になってたので、無限列車の時のように、鬼滅初見の方でも…というよりは、原作はもちろん、これまで鬼滅の刃を通して観て、今回の劇場版を心待ちにしていた方に刺さりまくる展開の連続だったのではないでしょうか。
映像がすごすぎて後半飽きが来たり食あたりを起こしそうだな~、なんてことも思ってたんですが、映画というより8話構成くらいの物語として捉えると、怒涛の戦闘の連続であっても、私はそれほど観ていて苦ではありませんでした。
新たな刀と共に、上弦との戦いの経験から柱稽古を通して無限列車の時より大幅にレベルアップした炭治郎の成長ぶりも凄まじいけど、これまで覚醒状態で戦ったことがなかった善逸もやっぱ戦いと稽古の中で炭治郎と同様強くなってたんだなぁと、しみじみ。
ストーリーのテンポで言うと、他の方のレビューにもあるように、異様に多い回想シーンのせいで、まるで各駅停車の新幹線に乗ってるような気分にさせられるのは事実なんだけども、その回想シーンこそが今回猗窩座を倒す決め手になったので、私は原作を最後まで読んでなくて展開だけ知っていたくらいの知識だったため、そこが驚きでした。
鬼の首を斬ると回想が入るというのは、もうお約束な感じになってるけども、回想シーンを良い感じに持って行って最後まで見せることが上弦の参を倒す条件と思うと、無限列車の時、仮に煉獄さんが首を切れても倒せなかったんだろうなぁ…と、変なところで関心してしまいました。
刀がすっぽ抜けてやぶれかぶれで繰り出した拳が記憶を取り戻す決め手となったと、刀ではなく拳で決着をつけたというところで感動してしまいました。
成長した炭治郎はもちろん、その炭治郎と共に猗窩座と戦ったのが水柱の義勇さんというのが、炭治郎と義勇さんの絆もさることながら、炎柱を葬った相手と今度は水柱が戦うという、属性も性格も異なる者がリベンジマッチを行うという展開は、実に少年バトル漫画的で胸熱です。
ところどころ、席ですすり泣きのような声が聞こえたので、みなさんそれぞれ思うところで涙する要素がたっぷり詰まった内容で、圧巻の一言。
映画の内容ももちろんだけど、社会現象の場に参加できてみんなと感動を共有できるこの瞬間こそが尊いと思うので、劇場に足を運んで観るべき作品だと思います。
第一章というのもあって、ひとつの映画としては…な点がマイナスなので評価は満点でなく4.5とさせて頂きます。
なんでもかんでも原作重視は止めた方が良いのでは?
原作ファンなので取り合えず見ましたが1回で十分です。
映像は素晴らしかった無限城の表現も戦闘シーンもそれぞれ素晴らしくこの点においては映画で正解だった。今回の公開ではまだないが4DXでも楽しそうだと感じたのでアトラクション感覚で4DX版が公開されたら見に行きたい。
しかし!
昨今、原作を無視したアニメ(ドラマ)化が問題になり過ぎて原作重視が原則になっているが、それは話の核を無視した場合であって、アニメにはアニメの表現方法があり原作を重視し過ぎるとアニメの良さを潰してしまう。
今回のアニメ化(特に映画化)ではその懸念があったが見事にマイナスに的中
鬼滅の刃は全話を通して前半はテンポが良いのだが、後半(無限城編)は戦闘中に鬼の背景を書きすぎていてテンポが非常に悪い。しかし漫画であれば自分のテンポで読めるのでそこまで気にならない。だが、アニメは違う、制作側のテンポで見せられるからそれが肌に合わない人には苦痛この上ない。これがTV版であればいろいろと対応可能だが、映画館はどうしようもない。拷問である。途中退場もいたしかない所です。
更に、流れも原作通り。
これも漫画とアニメは別のもなのだから原作の流れ通りである必要もない。
同時空間で柱と十二鬼月との戦いが行なわれている訳なので場面展開は必要だが、童磨戦は触りだけやって続きは次作で一気にやった方が良かった気がする。切る所はあそこではない(原作通りなんですが・・・)でもそうすると猗窩座戦の前にしのぶさんが死んだ事が炭治郎に伝わらなくなるのか・・・。難しい所ですが、ほらそこは制作サイドの腕の見せ所で(勝手な言い分)
善逸のシーンは改正の必要はないのであのままで良いけど原作がサクっと終わるのでもう少し伸ばしても良いかもしれない。
そして猗窩座戦
戦闘シーンは圧巻でお見事!なんだけど、過去話が長すぎる。回想シーンが鬼滅の醍醐味で絶対になくてはならない事は承知しているが尺が長い。良い話だし感動ではあるがもう少し短い方が(映画では)泣ける。戦闘後の回想なのでダラダラ感が強くなり話が絞まらない。TV版ならこれくらいでも問題ないが、後味悪くて勿体ない事になっている。
ぶっちゃげここからは、こんな感じの回想シーンばっかり入るので、このまま原作通りに作るのであれば、今回の映画が肌に合わなかった人はディスクをレンタルするかTV放送を待つか、原作を読むのをおススメします。
私はなんだかんだと最後まで見に行きますが、リピートはしないかな。4DXなら行く(笑)
期待を上回る感動と疲労感
公開初日の夕方鑑賞。
鬼滅の刃無限城編映画化の一報があった時、3部作かそれ以上かで友人と盛り上がった。3部作なら長くなるとは思ったが第一章155分は長い。
今作の炭治郎以外の主役は胡蝶しのぶと善逸と猗窩座だと思うが、猗窩座の回想が長すぎた。原作漫画読了済だが漫画で読んでもちょっと長い話だと思ったのに、さらに演出と感動をてんこ盛りにされたら、お腹いっぱいよ。
しのぶさんのパートは作画演出演技非の打ち所が無かった。素晴らしい!ちょっと悲しいけれど。
善逸もじいちゃんとの会話に泣かされた。雷の呼吸の壱の型以外がアニメになるとどういうものかよく分かったのでとても良かった。
そして無限城の凄さ!ただ最初は「無限城凄い!」だけど後半「凄いのはよく判ったよ無限城」になった。色々叩き込んでるんだなとは思ったが過剰だと飽きる。
第二章はパート1、パート2で1ヶ月ずれなどにならないだろうか?ずっと興奮と感動では長い映画は老体にはこたえるのでね。
とにかく素晴らしい作品ではありました!ufotable凄い!
ありがとうございます!引き続き楽しみにしています!
映画本体の評価とは別に。
レイトショーはお子さん居ない前提で行きたいので、住み分け出来るといいですね、
もったいない!
他の方もおっしゃってますけど、回想シーンが長い!後半の回想シーンほど長いので、余計にそう感じました。映画なんで、無限列車編の煉獄さんの回想シーンくらいが丁度よいのでは?
あー、これから猗窩座の回想シーンやるのかぁ…って思ったらウンザリしてしまいました。これがテレビなら、回想シーンで1話使えるからメリハリつくんでしょうけど、映画で全部くっつけちゃうとリズムが崩れますね。
どうしても長い回想シーンを入れなければならないのなら、前半に持っていく構成にするべきでした。迫力のあるシーンが盛りだくさんなのに、その勢いを削いでしまう構成はとても残念でした。
それから予告編見たときから嫌な予感がしてたんですが、やはり3つは詰め込みすぎですね。ブレます。胡蝶しのぶと善逸だけにして、猗窩座は次回でよかった。そしてその代わりに、童磨との死闘を決着まで描いていれば、無限列車編に匹敵する作品になったのではないかと個人的には思います。もったいない!
必ず映画館で観ましょう
まず、驚かされたのは画像のリアルさ。バトルシーンはさすがにアニメだが雨や背景のリアルさは大画面ならでは。善逸、炭治郎頑張りました。次は伊之助の活躍が楽しみ。ちょっと回想シーンが長く途中もたつくが省くと1時間半位になるだろうから人物像の深掘りや背景には必要なので納得感はある。しのぶさんが負けたのは残念無念、カナヲが敵を取ってくれるといいなあ。
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