劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来のレビュー・感想・評価
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鬼滅最高‼️
初めて無限列車編で鬼滅を観てからずっと楽しみに待ってました。映像綺麗だろうな~と思って観に行ったら予想のはるか上をいく美しさで、流石!の一言。内容は、漫画でなんとなく知っていたのですがとても楽しむことができました。
私的なオススメシーンは猗窩座の過去回想の部分です。絶対に守ると誓った恋雪を守れずまたもとの守るべきものが何もなかった自分へと戻っていく狛治、無惨とのシーン「もうどうでもいい。全てが」と言った狛治の絶望の一言に涙が止まりませんでした。
ぜひ劇場に行ってこの感動を悲しさを感じてもらいたいです。
最後に、この映画を作ってくださった皆様に心から感謝してます。感動をありがとう。次回も期待してます!
無限回想 テンポ悪し
原作鑑賞済み
良かった点
●すさまじいアクション
●bgm
悪かった点
●童磨戦が中途半端に終わる
●アクションが盛り上がり興奮する度に回想が入り
気持ちが下がる
●上映時間 アクションだけで2時間半なら苦痛では
ないが、回想が挟まりテンポがとても悪いので
かなり長く感じた。
映像体験という点では本当に圧倒されて、音楽も素晴らしくテンションが上がります。原作展開を知らない人ならば十分楽しめると思います。
しかし回想の内容等を把握していて、無限列車編のような猗窩座の超ど迫力アクションを楽しみに見に行った自分はかなりしんどい思いをしました。童磨戦、獪岳戦どちらも素晴らしいのですが、猗窩座戦を目当てに見に行くと、回想によるテンポの悪さも相まってかなりじれったい思いをするのではと思います。結局童磨戦も中途半端に終わるので、童磨戦を抜いて、獪岳と猗窩座だけならかなり見やすかったのではないでしょうか。
我慢してゆっくり見ることが出来ない自分としてはこの2時間半は苦痛を伴いましたが、この映画の映像美、大迫力戦闘シーンは映画館の巨大スクリーンで見るべきでしょう。漫画の映像化という点では、かつてない完成度だと思います。しかし一本の映画として見ると、テンポが悪く、冗長と言わざるを得ないでしょう。願わくば地上波で毎週少しずつ楽しみたかったなと思います。
無限列車編のアンサー的な作品
無限列車編が「煉獄杏寿郎」のお話だとしたら、今回の無限城編猗窩座再来は文字通り「猗窩座」のお話です。その間にTVシリーズの「遊郭編」や「刀鍛冶の里編」を経てはいるものの、純粋に映画化された作品として見た場合、今回のお話は前作無限列車編のアンサー的な位置づけと言えると思います。あの煉獄さんを葬った鬼もまた壮絶な生き様を見せて散っていくという…。
だからこそ最終盤で語られる回想シーンこそこの映画のクライマックスなのだと感じました。
その回想シーンがテンポを悪くしてるという前評判も知りつつ観ましたが、そもそも原作がそうなのだから仕方ないといえば仕方ないし、回想シーンがなかったら登場人物に感情移入できず、それはそれでつまらない作品になったと思います。
特に鬼滅の刃という作品はそのドラマ性こそがアクション性と同じかおそらくそれ以上に評価されているのではないでしょうか?
あの大ヒットした無限列車編以来の映画化作品なので皆さんの期待値がすごく高いのはわかります。が、前作は前作、今作には今作の味わいがあり、比較できるものではないと思います。少なくとも私はこの映画をつまらないとは全く思いませんでした。原作に忠実に丁寧な作りで、アニオリなどの余計な要素も目立つほどなく、原作好きな人なら普通に楽しめると思います。むしろ3時間があっという間でした。クライマックスは涙なしには見れません。
ただ個人的欲を言えば映画公開が夏という意味合いも含め、あの「花火のシーン」をもっともっと印象的に美しく魅せて欲しかったな〜と…😅原作読んでそこは期待してたのですが…ちょっとだけ残念💦
無限城、マジで無限すぎた。
家族と三人で映画を観に行きました。
無限城に落とされた所からもう圧巻で、本当に無限に続いてる空間なんだなと鳥肌が立ちました。
今回の映画、猗窩座との戦いがメインですが、自分は童磨推しなもので、童磨の場面の時物凄くゾクゾクしてしまいました。
絶妙に腹が立つのに、何故あんなに可愛いのか。
全体的にアニオリも増えていて、原作を読みきっている人は何処がアニオリなのか探したりするのも楽しめると思います。
台詞が新たに追加された事もあり、猗窩座の心情もより明白になっていて、とても良かったです。
1回目観た時はカラスの声が自分の真後ろから聴こえてきて少しびっくりしました(笑)
鎹鳥、君らも台詞増えてたのか……。
義勇のおじいちゃんカラス、すごい癒し系だな。
まだあと何回か観に行く予定をしています。
長い…のか?
原作未読、でも内容は知ってる状態で鑑賞。
映像美は言わずもがな。
内容的にも、特に批判するところ無し。
もともとそんなに鬼滅にハマっていたわけでもなく、話題に乗るための鑑賞。
まあ、鬼滅しかアニメ観ない人たちには長かったのかな。
バトル中の回想とかは、話の流れでああなるんじゃない?とか思うし
(だって、首切られて死んだんじゃなくて、自分のこと思い出して、人の心思い出して、で死んだんじゃないの? じゃあ、回想をやたら挟まないと成立しない)
原作既読のうちの子どもたちは、普通に見てた。
両隣の小学生は退屈そうだった。
うーん。物語が動かないのは分かるが。
原作を知っているのでストーリーが動かないのは知っていましたが、間の取り方が雑に感じた。もっと映画っぽくできたのでは。
あと、もっと原作の言葉を信じてほしい。無限列車編は回想シーンの感動の場面も風鈴の音だけとか、言葉を邪魔しない音楽がすごく良かった。小雪ちゃんの、元からエコーがかかったような声にものすごいエコーがつけられていた。小雪ちゃんの「やめて?」に対してポチャン…なんていらない。
回想シーンへ切り替えが何個かあった中,スムーズに回想に入っていたのは猗窩座の回想シーンの入り。
回想入ります〜って感じの自然や鳥の風景から入る回想はまたか…って感じた。
でも評価が高いのは圧倒的な映像体験があったからです。すごく泣いたし、感動した。
作品の序章だと思えば全然前向きに捉えられる。原作のスピード感もしっかり感じた。キャラの表情も音楽も、無限城での緊迫感はすごく伝わりました。初見にはストーリーの前後やキャラの深掘りしていなければ、ただ戦って〜昔話聞いて〜という感想になりそう。想いが詰まった作品に感動です。
次回作も楽しみです。こう、下げて凄く上がる評価なんてなかなかないですよ。
全部出来てから観る方が良いのかなぁ(一体何年後…
映像に関しては、文句なし、非常に力が入っていて、戦闘シーンは見応えがありました。
アニメ界ではトップクラスと言える出来だったと思います。それだけは間違いありません。
それを踏まえた上で。
原作を忠実に描いてくれている作品だからこそ、どこで区切るかという問題と、それを1本の映画として成立させなければいけない問題とで、制作スタッフも悩ましかっただろうなと思わせられた。
猗窩座の回想部分がどうしても長く感じてしまうし、前半のしのぶさんの場面を見せられている側としては、鬼側のエピソードにどうしても感情移入しきれない。もちろん漫画本では号泣した部分ではあるのですが…。1本の映画という括りの中では、鬼はやっぱり許せない。嫁止めるならもっと早くに出てこいよ、とか、変に穿った感情が出てきてしまって整理しきれなかった。
結果的に、子どもたちが飽きてしまうのも理解できる。自分も下手したら寝てしまっていたかも…。単に自分が歳をとって感受性が減ってしまったのかもしれない。。しれないが、無限列車編があまりに良すぎたこともあったので、もう最後の最後まで出来上がるのを待ってから、通しで見ても良いのかも(それまで生きてるかわからないけど)というのが感想です。
色々予想以上
無惨、黒死牟、童磨、猗窩座の中では猗窩座が1番好ましいので今作品ら面白く観られました。
でも、「あれ?思ったより長くね?」と思ったところも多々あります。
理由のひとつは、大筋が原作通りである点。良く言えば原作準拠、悪く言えば目新しさや驚きが無い。例えば、煉獄さんが護った乗客たちが今平和に暮らしている姿を差し込むとか。漫画だとテンポが悪くなるような場面展開や差し込みを自然に出来るのはアニメーションの強みだと思うので、そこはチャレンジして欲しかったです。
ふたつめは、尺稼ぎが雑。前述と逆になりますが、冗長でテンポが悪い。
3時間てアニメ6話分ですよ。半クールもラスボスでも無い同じ敵との戦闘って、地上波だったら大炎上ですよ。
終盤の原作の良いところは、社会現象レベルで人気になっても展開の引き延ばしをしなかったところです。作者が描きたいところだけを描ききって終わりにする。テンポ良く駆け抜けた作品だったので、某アイドル漫画のように終着点を見失わず綺麗に終わったのだと思います。
なんやかんや猗窩座好きにはそれなりに楽しめた今作品。
問題は次の3時間×2作品、残りの3人をどのように盛るのか。
嫉妬に塗れて落ちぶれた奴と、最期まで惨めに生き恥を晒した情けない奴のどこをどう盛れば2作品出来上がるのか。
今作を観て、次回作への不安が期待を上回りました。
全編に慰安が吹き荒れる作品
「日々を慰安が吹き荒れて」
これは詩人吉野弘さんの詩の一部だが、これを作詞家の岡本おさみさんが引用して作詞し、吉田拓郎さんが曲をつけたのが名曲「祭りのあと」だ。桑田佳祐さんにも同名の曲があるが、二つの関連は知らない。桑田さんには「吉田拓郎の唄」(名アルバム「kamakura」収録)という曲があり、年齢的にも拓郎世代なので、それなりに意識しているはず。
ところでラスボス鬼舞辻無惨には、この慰安というものがない。自分で鬼とした者への慈愛が感じられない。彼らは自分が陽の下でも生きられる手段を得るための単なる道具に過ぎないのだ。
無惨は恐怖と恫喝で鬼を支配している。
これに対し、お館様の包み込む優しさとは全く違う。お館様は剣士らを子供たちと呼び、慈愛の対象としている。
「干天の慈雨」(辞書的には日照り続きの後の恵みの雨という意味)という型が水の呼吸にあるのは偶然ではない。
「鬼滅の刃」に通底しているのは、優しさとか慈愛といったものだ。
今回は副題にあるように、前作「無限列車編」で「逃げるな、卑怯者‼」と炭治郎に言われた猗窩座が主たる鬼だ。
猗窩座も大格闘の末に炭治郎らに敗れ、人として成仏する。成仏の過程で、彼の人としての生き方が描かれ、それが作品の基底である優しさになっている。
そうして慰安が全編に吹き荒れて、多くの人は感涙している。
上弦の参である猗窩座をたおすのにあそこまで苦労したのに、さらにこの上の上弦とラスボス鬼舞辻無惨とはどう戦うのかと暗澹たる思いになる(アニメのみフォローしているので、コミックでの最終結末は知らない)
もう一度、吉野弘さんの詩から。
「ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。
自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう」
猗窩座がそうであったように、まさに鬼が生まれる過程がここに書かれてある。
内田樹さんは「「鬼滅の刃」の構造分析」(ネットで読めます、ファン必読)で、「鬼滅の刃」の混沌について言及しているが、その混沌さが物語の重層化を生み感動を深くさせている。
前日に「スーパーマン」を観た後、館内のトイレで用足しをしていると、1人の少年(小学1年位だろうか)が走り込んで来た。「間に合った‼」と大きく声を出したので、思わず少年を見たら、彼と眼が合った。用足しを終わって手を洗っていると先程の少年(夏らしい黒い肌をしている)が近寄ってきて、「今日は何を見ましたか。僕は鬼滅の刃を見ました」と丁寧だが屈託なく尋ねてきた。私はなんだか嬉しい心持ちになり「君は炭治郎を観たんだね。おじさんはスーパーマンを観たよ。」と答えた。それを聞くや少年はその場から弾むように消えた。
少年には、炭治郎の持つ強い優しさを持ち続けて欲しいと思った。憎悪は伝播するが、優しさもきっと伝播し憎悪を凌駕し駆逐するはずだ。少年がこれから生きる時代が美しいものであれと願う。
絶対見てほしいです!
まず映像がすごく綺麗でした!
確かにちょっと長いとは思いましたが、私は全然余裕で見れました!
漫画で内容は分かってたけど、実際に映像化されて声が聞けるのがめっちゃ嬉しかったです🫶どの声優さんも役にピッタリすぎて残念だなって思う声優さんがまったくいませんでした!!鬼の声も良すぎて、特に童磨は私の大好きなしのぶさんを殺したのはほんっとに許せないし、嫌いなのにビジュと声が良すぎて完全に嫌いになれないんですよね🥹でもやっぱり許さない😤
それで猗窩座の過去はまじで泣きました😭善逸とおじいちゃんが再開するとことか、しのぶさんが吸収されるとことか泣くの我慢したんですよ!!(チョットナイタケドヒミツデス🤫)
なのに小雪ちゃんとハグとかもう泣いちゃうじゃないですか!!最後あなた呼びになってました🥰映画後は水分無くなっちゃってカラカラでした(笑)
あ、あと個人的に好きだったところはさっき言ったところはもちろんなんですが、いつも弱虫な善逸がめっちゃ真剣な表情しててかっこよかったのと、ちょっとだけでてきたおばみつが尊かったです🥰️
はやく続きが見たいな〜💭
作品としては素晴らしいけど
映像や声優さんのお芝居も素晴らしいけど
無限城のクオリティよりキャラの掘り下げや
アニオリやギャグをもっと見たかった。
ほぼ原作どうりでドキドキ感がなかった。
原作未読者は微妙な結末
テレビシーリズの「柱稽古編」ラストから続く展開。当然、テレビシーリズを押さえてなければ面白さは半減してしまいます。無限城に落とされた鬼殺隊、鬼舞辻無惨以下鬼達との最終決戦となります。
鬼滅の刃一番の肝は、登場人物の過去にまつわる話。その体験を抱えながら現在を過ごしている。この過去のエピソードにより、ただのバトルシーンに重み、深みがでます。胡蝶しのぶ、善逸、それぞれの過去のエピソードからの因縁。前半は十分盛り上げてくれます。そしていよいよ猗窩座の登場。煉獄杏寿郎の敵です。ど迫力と鮮やかな映像となります。そして猗窩座の過去エピソードとなります。しかし、しかしこれが何分微妙。原作読者は知っているエピソードなので受け入れるでしょうが、未読者からすると残虐な鬼、猗窩座が病の父親を支える為に悪さをしていたというのは少々弱い。更には、善人とめぐり逢い、女性からも慕われる。それを全て失くして鬼となった。うーん。「遊郭編」堕姫のエピソードと比較してもインパクトが無い。そして、結末は自己破壊。これは盛り上がった分、盛り下がり感は否めません。原作ありきなので仕方ありません。次回作に熱い展開を期待。もしかすると劇場版終了後、テレビシーリズの展開でもう少し深めるかもしれません。
泣いた、ただ無限列車は越えられない
『鬼滅の刃 無限城編』を観て――
映像クオリティは間違いなく最高峰。アクションの迫力、映像美、グロテスクさや不気味さの表現に至るまで、やはりufotableの実力は圧巻でした。冨岡義勇 vs 猗窩座 の戦闘は、バトルも演出も完璧で、猗窩座の過去回想も重みがあり、人間としての背景が深掘りされたことで
まさに映画の見せ場として100点の仕上がりでした。
しかし一方で、全体構成としてはかなりバランスが悪い印象を受けました。特に残念だったのが、しのぶさんと童磨のパートです。しのぶの覚悟、胡蝶の死、毒の策略…ここぞ、深く丁寧に描いてほしかったのに、物語の中ではさらっと流された印象で、カナヲによる決着までが描かれなかったことに強い物足りなさを感じました。
個人的に残念だったのは、冨岡義勇との関係性もあまりに軽く処理されていたこと。
アニメでは繊細な距離感ややり取りが積み重ねられてきたからこそ、
彼女の死に対する“義勇の思い“には大きな期待と覚悟がありました。
この関係性を簡単に受け流して次へ進むには、あまりにもあっさりしすぎていて、心の置き所が見つかりませんでした。
しのぶもまた、鬼殺隊の柱であり、鬼滅の刃という物語を支える重要な主人公の一人です。
これはCPとして好きという私情もありますが、それ以上に、“彼女の死”物語にとってどれほど重要な出来事かを思うと、あまりにも軽く処理されてしまったのは、本当に惜しかったです。
【 回想シーン 】
さらに気になったのは、その他のキャラクターたちの回想シーンがとにかく多く、長く、結果的に全体がごちゃごちゃしてしまったことです。ひとつひとつのエピソードが悪いわけではないのですが、エピソードを無理やり1本の映画に詰め込んだことでテンポが悪くなり、感情移入しきれない場面もありました。
原作を知っているからこそ、もっと感動したかったし、もっと泣けるはずのシーンが多かった。でも、焦点が散っていて、ピークがどこなのか見えにくい。その結果、映画としての完成度はどうしても無限列車編には及ばなかったと感じました。
個々のシーンのクオリティは申し分ない。でも映画としてひとつにまとめたとき、やや雑然としてしまったことが本当に惜しい――そんな感想です。
…などと色々言いましたが、それでもあと5回は映画館で観たいです。特に猗窩座と恋雪のシーンは、何度でも堪能したいと思わせてくれるほど美しかったです。
『鬼滅の刃』に見る人間の有限性の美学 ―死・老い・傷を慈しむ物語の普遍性と受容の構造―
要旨
本稿は、人気漫画・アニメ作品『鬼滅の刃』における死・老い・傷の描写を通じて、人間の有限性を肯定する物語構造を読み解くものである。現代においては、テクノロジーや資本によって死や老いを克服しようとする思想が広がる中で、本作はそれらを否定するのではなく、むしろ人間らしさの証として慈しみ、美しく描いている。独自の批評視点と既存の研究・批評を統合しながら、本作がいかにしてこのテーマを自然に、かつ広く受容される形で提示したのかを考察する。
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序文
『鬼滅の刃』の世界的な成功は、その物語構造やテーマ性の豊かさに起因している。中でも注目すべきは、死・老い・傷といった「人間の有限性」を、否定すべきものではなく、むしろ人間らしさの証として描いている点である。本稿では、こうしたテーマがどのように物語に織り込まれ、なぜ多くの読者に自然に受け入れられたのかを、文化的背景や他作品との比較を交えながら論じる。
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主要分析
死:関係性の継続としての死
『鬼滅の刃』において、死は単なる終焉ではなく、感情の継続と遺志の継承の場として描かれる。炭治郎や煉獄杏寿郎は、死者の言葉や想いを胸に戦い続ける。これは、日本文化における死生観、すなわち死者との関係性が継続するという思想と深く結びついている。石井研士は、死者が生者に語りかける描写を通じて、現代日本人の死後観が自然に表現されていると指摘している(石井, 2021)。
老い:衰退ではなく導きとしての老い
老いについても同様に、衰退ではなく導きの象徴として描かれる。鱗滝左近次や産屋敷耀哉といった老いた登場人物たちは、戦線を退いてもなお、若者を導く存在として尊重されている。これは、現代社会における老いの否定的なイメージとは対照的であり、老いを知恵と経験の蓄積として再評価する姿勢が見られる。
傷:欠損を誇りとして描く構造
また、傷や欠損は、弱さや欠陥ではなく戦いの証、誇りの刻印として描かれる。たとえば、煉獄杏寿郎は瀕死の重傷を負いながらも最後まで戦い抜き、その姿は誰よりも誇り高く、後進たちの心に生き続ける。嘴平伊之助の身体には育児放棄や過酷な環境に由来する無数の傷跡が刻まれており、その過去を隠すために常に猪の頭を被っているが、物語が進むにつれて彼は仮面を外し、弱さを見せながらも成長していく。さらには、栗花落カナヲが片目を失う描写や、胡蝶しのぶの身体に鬼殺の毒を仕込んだ“生ける棘”としての存在など、傷ついた身体そのものが、物語上の意味と覚悟を象徴している。
これらは単なるビジュアル上の特徴ではなく、キャラクターの「物語的体験」と「倫理的選択」が刻み込まれた証として機能しており、欠損こそが人間らしさや尊厳の源泉であるという価値観を提示している。これは、「完全性」や「無傷性」を理想とする現代の価値観への静かな批判としても読める(成馬, 2020)。
文化的対比:欧米的死生観との補足的比較
欧米文化においては、キリスト教的価値観を背景に、「死」は神による裁きの入口、「老い」は管理と孤立の問題として捉えられることも少なくない。その一方で、たとえばハリウッドの映画やドラマでは、高齢者や障がいを抱えるキャラクターが、自己決定と尊厳をもって生きる姿もよく描かれており、日本的な「滅びの美学」とは異なる形で有限性への向き合い方が提示されている。ただし、現代のグローバルメディア全体では、「若さ・完全性・健康」の過剰な価値づけが優勢になりがちであり、そうした流れに対して『鬼滅の刃』が静かに逆行している点は際立っている。
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受容の構造
『鬼滅の刃』がこのような重いテーマを描きながらも広く受け入れられた理由は、いくつかの要因に集約される。
1. 物語の感動として包み込んだ構造
死や老い、傷といったテーマは、哲学的に語られるのではなく、キャラクターの行動や感情を通じて自然に描かれる。読者はそれを「感動」や「共感」として受け取り、深いテーマ性に気づかずとも心を動かされる。
2. ジャンルの力と語りの柔らかさ
少年漫画というフォーマットに乗せることで、重いテーマが軽やかに語られる。戦いの中に優しさがあり、勝利の中に喪失がある。このバランスが、幅広い層に受け入れられる要因となった。
3. 時代との共鳴
コロナ禍という時代背景の中で、人々は死や命の脆さを日常的に意識していた。『鬼滅の刃』は、そうした不安に対して、死を否定するのではなく、受け入れ、意味づける物語として機能した。
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美学
筆者が特に注目したのは、死・老い・傷を「美」として描くことの勇気と繊細さである。これらは通常、避けるべきもの、克服すべきものとして描かれがちだが、『鬼滅の刃』はそれらを人間らしさの証として肯定する。この視点は、現代の「若さ至上主義」や「生産性信仰」に対する静かな抵抗であり、人間の不完全さを抱えながら生きることの尊さを語る物語として、非常に現代的かつ普遍的な価値を持っている。
ただし一方で、その「美化」が逆に現実の死や老い、障がいの持つ苦しさを隠してしまうという批判も成り立つかもしれない。あくまで虚構内の美しい象徴性としての「有限性」であり、現実との距離感は慎重に見極める必要もある。
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結論
『鬼滅の刃』は、死・老い・傷といった人間の有限性を、否定するのではなく、むしろ人間らしさの証として慈しみ、受け入れることの尊さを描いた作品である。これらのテーマは、物語の感動やキャラクターの魅力として自然に表現されており、読者に押しつけることなく深い共感を呼び起こしている。現代社会において、死や老いを忌避する傾向が強まる中で、本作は静かに、しかし力強く「有限であることの美しさ」を語っている。これは、ジャンルを超えて普遍的な価値を持つ物語であり、今後も多くの人々に読み継がれていくであろう。
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References
• 石井研士. (2021). 『鬼滅の刃』から見た現代日本人の死後観. 東洋英和女学院大学紀要, 19, 51-68.
https://toyoeiwa.repo.nii.ac.jp/record/2000099/files/SN-N19_P51-68.pdf
• 成馬零一. (2020). 『鬼滅の刃』のテーマとはなんだったのか? Real Sound.
https://realsound.jp/book/2020/05/post-553802.html
• 斎藤環. (2021). 『鬼滅の刃』論と神学的視点. note.
https://note.com/sagtmod/n/n5d0a1ea7cd6f
2回行きましたが2回とも泣きました。
7/20(日)に友達と見に行きました。
上映記念のTVアニメ再編集版を見て復習して臨み猗窩座再来というサブタイトルなのでいつ出てくるかなとワクワクして見に行きました。
柱や炭治郎、伊之助、善逸の視点を行き来したり、胡蝶や善逸は宿敵との邂逅で今までの伏線が回収されたりと猗窩座へ到達するまでの見どころもあり、複数人の隊士で下弦級の鬼を討伐するなど柱稽古編の成果をみることができました。
猗窩座戦では今までの戦いや修行で得た対処力、技の精度で猗窩座に引けを取らない戦いを繰り広げるなどより一層成長したことがわかりました。
何よりも良かったのが猗窩座が過去を徐々に思い出すところや首を切った安堵感からのまだ動き続ける体の絶望感、そして猗窩座が小雪に何度も謝ったあとの「おかえりあなた」は涙無しには見れません!
獪岳戦後に生死の境を彷徨う善逸が川向うのじいちゃんに色々謝るけど「お前は儂の誇りじゃ」と泣きながら告げた所は今まで努力してきた善逸が報われた瞬間だったと思います。
童磨戦で胡蝶が敗北直後にカナヲが駆けつけこれからどうなるんだ!?という次回作への期待感があり155分という長さでありながら全く時間を感じさせない内容で一時も目が離せませんでした。
7/21(月・祝)に今度は姪っ子連れて見に行きました。
同じ内容で展開は分かっているにも関わらず猗窩座の回想ではやはり泣けました。無限列車編に続き神映画だと思います。
どんな作品でも賛否は別れます。でも僕はおすすめしたい作品です。
期待が大きすぎたせいか…。
鬼殺隊が無限城に落ちていく…。ドキドキワクワクの始まりです。無限に広がる異空間。まずは胡蝶しのぶVS童磨。しのぶの毒は童磨には効かず、しのぶは童磨に吸収されてしまう。柱の死。善逸と鬼に落ちた兄弟子の獪岳との決戦!雷の呼吸壱の型最強!そしていよいよ冨岡義勇と炭治郎の前に上弦の参の猗窩座が現れる。この辺りまではスピード感もあり作画も綺麗で戦闘場面はちょこちょこ切り替わるが結構面白く見れる。鬼滅恒例の回想シーンもちょいちょいあるのでその間にトイレも行ける。
猗窩座、冨岡、炭治郎の戦闘シーンが続く。
結局、猗窩座は自分の人間の頃を思い出して、炭治郎に首を切られるが首を再生して、反撃に出ようとするが自分の首が切られた弱さを知り、自分で自分に血気術をかけ自死する。え、何それ!?って感じです。
鬼はいつも自分が人間だった頃を思い出し回想してそれが弱みになって負けるんだよね〜。
また猗窩座の過去の回想が長いのよ。ホントは幸せな人間になれたのに、それを破壊したのは鬼ではなくて人間。自暴自棄になり鬼になる。
その過去は泣けるんだけどねぇ。だから鬼の中で一番人間らしかったのは猗窩座だったのだと思う。
155分の中にたくさん詰め込みすぎですねぇ。これだったらテレビシリーズにしてもっと緻密に一つ一つの鬼達との戦闘を観たかったと思います。
見終わったあとに涙で袖がビチャビチャになるとか、必ず泣けるとか感想が多々ありましたが、私はホロっとくるシーンはあったけど泣くまではいけませんでした。先日テレビで放映された無限列車を見てまたまた煉獄さんの死ぬ場面で涙ボロボロだったのに、今回の無限城編第一部との違いは何だったのだろう??と考えております。
まぁ、無限城編は3部作ですから第3部が終わった時に答えが出るのかも知れません。
「地獄の黙示録」並みに上映時間(155分!)が長い「鬼滅の刃」
コロナ渦の「無限列車編」を見て以来数年振り?
内容を忘れていたので今作を初視聴みたいな新鮮な感じで観れた。
まあ感想や共感ポイントは他の鑑賞者にお任せして気づいた点をいくつか....
〇CG作画と特殊エフェクトの融合は違和感なくかつ眼精疲労しない工夫がある
も見慣れてくると格闘ゲームみたいに感じる
〇声優の我を抑えた控え目演技
〇回想シーン(無限列車編)を削れば(5~10分)まだ短縮できたハズ
〇人間の集中力は50分が限界らしい...回想シーンや美麗な風景シーンでリフレッシュ
〇アカザの回想が始まる頃に集中力は切れ、欠伸が出た
〇異様に引っ張るアカザの哀しい過去回想は助長すぎ、逆に炭二郎の覚醒が描写と尺不足
〇哀しい過去よりも清々しい位の”悪”の方が魅力ある場合も(ディオとかその筆頭)
〇上弦の鬼の哀しい過去に頼らず別な動機付けはできなかったのか?
〇バトルシーンは後半見慣れて飽きる。
☆原作者は「ジョジョの奇妙な冒険」に影響されたようだが第一部DIO、第二部の柱の男(ワムウ・エシディシ・カーズ)みたいな倒すべき人外の悪役にも(悪の)哲学やセンチメンタリズムとかがあって大変魅力があった。
アカザは「求道者」だったか?
ただ”不死”という絶対的アドバンテージ頼りの「弱きもの」だった。
例えばジョジョ第二部のワムウ。
シーザーと死闘を終え、”解毒薬入り指輪・血のシャボン玉”を誇り高き最期を遂げたシーザーに敬意を表して敢えて割らずワムウはその場を去る。
ジョセフとの死闘後、約定を違え襲ってきた雑魚ゾンビを最後の力を振り絞りゾンビを駆除、塵となり滅ぶ寸前に目は見えなくともジョセフに解毒薬を飲むよう促して見届け、文字通り一陣の”風”となって滅んだ。
難きシーザーの仇とはいえ誇り高いワムウにジョセフの善悪の区別なく奇妙な友情がそこにはあった。
無言の敬礼をするジョセフ。
どうだろう?
アカザとワムウ、同じ敵キャラといえど”魅力(カタルシス)”に雲泥の差がある。
劇場アニメとしては「AKIRA」以来のクオリティ(デジタル作画)+最新の音響+レベルの高い実力派声優の相乗効果で観る者を圧倒するが、如何せん原作者のイマジネーション(脚本)や表現力がアニメ会社ユーフォテーブルに助けられているのは否めない。
「来場者特典抜き」で2回目以降繰り返し視聴できるか?と言われるとAKIRAの及第点は及ばない。
◎しかし「鬼滅の刃」の尤も素晴らしいところ、それは昨今忘れ去られた「努力することの素晴らしさ」を連載&TVアニメ放送時の幼児から小・中学生に教えたことだろう。
これだけは『☆×5』と褒め称えたい(自分も学生時代部活で努力・鍛錬してきたから)
週刊少年ジャンプの「努力」「友情」「勝利」をしっかり踏襲した作品。
未就学児からお年寄りまで楽しめる幅広い作品ではあるまいか。
※昨今の週刊マンガや(異世界転生)・なろう作品は読者(主にオトコのヲタク)の嗜好を反映して努力する描写が描かれない....哀しきかな。
155分の長尺作品だとどうしてもテンポの良さと脚本の緩急は付けづらい宿命。
感動作
猗窩座の過去の件で、かつてないぐらい感動しました。原作が好きですが、プロの声優と、アニメーションで再現されると、こんなにも漫画に命を吹き込まれたように、響くものが増強されるのかと思いました。
炭治郎のセリフ、生まれたときは誰でも弱者、誰でも誰かに助けてもらって成長する、お前がそこにいるのが何よりの証拠、強者は弱者を助けるために存在する、そしてまた、弱者も強くなり、弱者を助ける…等、やはり、鬼滅の刃は、素晴らしい事を言ってくれると、改めて思いました。
今回の映画に限った事ではないですが、敢えて言うなら、アニメでは、炭治郎の表情が、ワンパターンになっている気がするので、もう少し原作の表情に近かったら更に良いのにな…と思っているのは、私だけでしようか?
上映時間も、一緒に観た小学生の息子は長かったと言ってましたが、私は気にならず、もっと観たいとさえ感じました。
とにかく、落ち着いたら、また、観に行きたいです。
最高だからこその惜しさがある
長いとかそういうのはレビューとして不要な箇所なので特に言うことは無いです。上映時間見れば分かることなので。ちなみに舞台とかなら三時間超もざらですから、経験上お手洗いのことを考えて水分は最小限にすべきかと。夏だし厳しいですけどね。長く感じるかそうでないかは結局体感でしかないと思います。お子さんに厳しいのも間違いではないです、かと言って子供向けに~とか言って大事なシーンをカットして短くするとかしなかった事は評価されるべきですね。ただどうしてもおしりは痛いですが(笑)。
原作読破勢からすれば、三部作で割るならそういう構成にするっきゃないとは理解できます。童磨の話を多少やってしまうのはいたし方ない。でもどうせやるなら猗窩座の鬼としての信念周りの話までは入れて欲しかった。あの一言で猗窩座の魅力の全てが完結する訳ですし…まあ切るとこムズいから分かるんですがね。
肝心の感想ですが、今回は猗窩座がメインなので演技で泣かされるのは絶対だとは分かってました。石田さんですから覚悟はしていました、軽々超えてきてくれて有り難さしかないです。映像美は言わずもがな、音楽も最高でした。
そもそもにアニメの良いところは、原作で表現したかったであろう迫力や流れを良い具合に埋めてくれる所にもあると思っています。無限城ってこんな途方も無い広さなんだ、柱が戦ったらこれだけ凄いんだ、上弦の鬼ってとんでもないな、ああこんな死闘だったんだ、って言うのは、十二分に理解できました。それを引き伸ばしと表現するのであれば、多分今作の三部作は一切楽しめないです。
ただ、ただし、アニメ映画だからこそ漫画(orテレビアニメ)では良かった所が目に付く所になってしまっているのが事実。
定期的に回想が入るのは今まで通りとは言え、ブチッと流れを切って無理やり入れられている感覚。何故かといえば本来は一週間の間が空いて、一話の区切りで入れられていたものが多いから。無限列車の時は回想ではなく夢、または走馬灯のような回想だったので気にはなりませんが、今作レベルに一気に話数が消化される場合、不自然にならざるを得ない。
これをアニメの表現として、もっともっと自然な流れに出来ていたなら…と思わないでもなかったです。そこだけが惜しかった。
別に回想多い!長い!とかは思いません、それが魅力の漫画なので(笑)
あくまで個人的な偏った感想なので参考にはならないでしょうが、アニメをきちんと楽しめていた方々には勿論全力でお勧め出来ます。映画館で観るべき迫力が確かにあります。
お子さんの話し声や中座が気になるのならレイトショーがオススメですよ。ちなみに羊羹とか食べると尿意が抑えられるそうなので、おトイレが近い方はやってみると良いかもです。
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