「作画以外褒めるところはない」劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来 nnrさんの映画レビュー(感想・評価)
作画以外褒めるところはない
ただ戦っているだけの映画。なんの意味も感じない。
アカザの回想シーンをあんなに長々とやる必要はあったのか。
何百人と人を殺している鬼が、人間の頃は良い奴だったと知ったところで何になるのか。
本作はバトルものの作品である。勝負には必ず勝者と敗者が存在し、その勝敗を決する要因となるものがその作品のテーマとなる。その要因は戦闘の技量などでは決してなく、端的に言えば、善い奴が勝ち、悪い奴が負ける。何をもって善とし、何をもって悪とするかで作品のテーマが決まる。
アカザが首を斬られるシーンは炭治郎の技量がアカザを上回っただけのように描かれていた。それに、アカザが自傷するシーンでも、首を斬られたときに炭治郎が自分の技量を上回ったんだからもうやめよう、みたいな発言している。それではストーリーに何の意味もなくなってしまう。自傷するシーンではせめて、師や恋人を失い我を失ったときに道を違え、力に妄執してしまったことを理由にすべきだったと思う。そうすればアカザを悪とする本質的っぽい理由が成立するから(何百人も殺している時点で明白な悪なので本質もクソもない)。
あと大切な故人が目の前に召喚される演出は何回やるんだ?この映画だけで3回見たぞ。テレビシリーズでもあったし(ねづこの血鬼術覚醒シーンとか、たしか煉獄さんの死に際にも)。非常に陳腐かつ非現実的な演出で何も感動しない。こんなのやっても作品をとおして1回だけだろう。
私は基本的に作品を評価する際は、この作品をとおしてどういうテーマを伝えようとしているか(目的)、そしてその主張にどうやって説得力を持たせているか(手段)を評価の軸としている。この作品はただ鬼が悪い奴だからやっつけているだけでテーマ性は感じないし、そのうえ鬼って実は根は悪くないと言いたげな回想を入れる謎構成のせいで勧善懲悪すら薄れる始末。演出方法もかなり陳腐。ストーリー面で評価に値する箇所は何一つない。
音楽も、迫力あるBGMだったが、ずっとそんな感じのBGMで胸やけする。もっと映画としての構成を考えたBGMにしてほしい。
最後に、作画はマジで素晴らしい。戦闘シーンの迫力、無限城の表現は圧巻だった。
でも、それだけの映画。
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いくつかコメントをいただき、いくらか誤解されていたのとスルー出来ない幼さゆえに追記します。
・複数の方が挙げている「贖罪」についてですが、特に罪を償っている描写もないので、「懺悔」とかそういう言葉の間違いでしょうか。贖罪あるいは懺悔だとしても、本文にも書いてますが、個人的には何百人も殺しといて今更なんだよ、って思います。死んだ人は生き返ってはきませんから。
・「慈愛」については、物語の構成として同情的な回想が入っているから慈愛がテーマだというのは、かなりメタ的な読み方だと思います。その読み方を否定するつもりはありませんが、炭治郎をはじめとする鬼殺隊のモチベーションは明らかに鬼に対する憎悪であり、今作において鬼殺隊が鬼を斬る際に慈愛を見せている描写はなかったと思います。ゆえに、私としては慈愛をテーマだとは感じませんでした。
・「鬼と鬼殺隊の歴史、覚悟」は私はテーマとは思いません。鬼も鬼殺隊も現実には存在しませんので。いくらファンタジーでもテーマは現実に還元できるものでなければ意味がありません。
・バトルものすべてが勧善懲悪というテーマだとは書いてません。むしろコメント通り勧善懲悪というのは今更テーマとして据えるのも躊躇われるくらい普遍的で基本的な(=薄っぺらい)道徳概念だと思っています。
NARUTOというマンガを例にとると、あの作品では主人公の”根性”がキーになって戦いに勝ちますよね。そうすると読者は「根性って強いんだな」「根性ってかっこいいんだな」と気付きます。そうすることで「根性=善」というテーマが読者に伝わるわけです(詳しいわけではないのでかなり単純に書いてます)。
「何をもって善とし、何をもって悪とするかで作品のテーマが決まる」と書いたのは、そういう意味です。物語として、炭治郎が勝ち、アカザが負けるということは、炭治郎に良い点がある、あるいはアカザに悪い点がある、あるいはその両方を示唆します。だから、私としてはただ戦闘の技量だけで勝敗が決まるとストーリーに何の意味もないと感じます。
そしてだからこそ、アカザが自傷するシーンでは、技量で負けたことよりも、コメントの言葉を借りれば「本当に殺したかった悪者=弱い自分」を理由として明言すべきだったと思います(本文にも同様のことを書いてます)。
・コメントで最も癇に障ったのは、私のレビューを「捻くれた受け取り方」とされたことです。私は私の評価基準に則ってこのレビューを書いているだけです。私以外の大勢の評価基準とは違うのかもしれませんが、私なりに明確に理由を示しながら感じたことを書いています。にもかかわらず理由も書かずに「捻くれた」と書かれるのは心外です。
さらに、今作で慈愛をテーマとして感じているのにも関わらず、「こんなにわかりやすくテーマを伝えてくれているのに」と攻撃性を示しながら自分と違う見方を許容できないのは、自ら今作の説得力の低さを露呈するようで滑稽です。
・次回作は見に行きませんので、1日に何度も上映される映画で自分の席がなくなるとご心配の方がもしいらっしゃれば、どうかご心配なく。
・これ以上はもう何も書きません。
単純な勧善懲悪が見たいのならヒーロー戦隊ものでも見ておきなさい僕ちゃん。貴方には10年早かったね、単純脳ではそういう感想になってしまう。鬼滅は貴方には合わないからもう見なくて大丈夫。
鬼滅の刃のテーマが伝わらないとは、残念です。
鬼滅の刃のテーマの1つは「贖罪と慈愛」があると私は感じてます。仏教のようなものですかね。罪を自覚し、地獄に堕ちる鬼に対して、生前の頃の記憶や大切な人が寄り添う。それが回想や、亡くなった人との再会として描かれていると考えてます。
また、「鬼と鬼殺隊の歴史、覚悟」もですね。しのぶさんや、善逸、モブ隊士、お館様のアレコレは全てこれを描いてると感じました。
こんなに分かりやすくテーマを伝えてくれてるのに、捻くれた受け取り方されるのはちょっと勿体ないなぁと思いました。
コメ主さんに鬼滅が合わなかったのは分かりましたが、善悪がはっきりしている単純な勧善懲悪がテーマのバトルものの作品って何でしょう?
そんな薄っぺらい作品って昭和ならともかく最近ありましたっけ?
原作通りに制作がされたファンへの作品
話題作だから観に行き
自身の価値観を満足させる為だけに熱弁するのは不愉快
次は観に行かないで貰いたい
その分
本当に楽しみにしている人の席が空くので
お願いします
とても残念です。
そこまで勧善懲悪を理解していながら、猗窩座が本当に殺したかった悪者=弱い自分だったと気づいたという事を理解して欲しかったです。
鬼は鬼になった時から人間の記憶を殆どなくしてしまうため、思い出すのは死の一歩手前。今更後悔しても遅いが、半天狗や玉壺のような根っからの悪党以外には今際の際で贖罪をがこの作品のスタンスだと思います。
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