「素晴らしい編集はアニメでも成立する」劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来 悠さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0 素晴らしい編集はアニメでも成立する

2025年8月12日
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鑑賞方法:映画館

冒頭の悲鳴嶼さんが墓場を歩くシーン。非常に目的が明瞭で、簡潔なカット。冒頭のあの数ショットで本作の格が伝わった。周りの捻くれた映画好きが嫌うような話題作でここまで洗練されたカットの映画は久しい。いや、初めてかもしれない。
さらに戦闘シーンの人物配置、敵味方の位置関係がわかりやすく、尚且つ美しい。ああいう人物配置を昔の実写はやっていた。時代劇の精神はアニメが受け継いだらしい。歌舞伎という舞踊を描くのに無駄にカットを割り、身体感覚の連続性をズタズタに切り裂いた同時期のあの作品とは違う。本作のカットは滑らかな動きを描きながら、動きの強弱の表現、映像ならではの時間操作(ストップやカットによる時間跳躍)も巧みに操作している。感服した。某実写映画は生身の人間を使っているのに身体感覚を殺してしまうのに対し、今作は人の手を動かして描かれた絵に身体性を与える正に"アニメーション"を達成してしまっている。当然宮崎駿のような天才のような息遣いは全くないが、同時期の大予算実写映画に比べれば100倍マシだった。
さらに注目すべきは物語。『鬼滅の刃』が多くの人に受け入れられる要素として敵が"利己精神"そのものであることだ。認められたい、気持ちよくなりたい、強くなりたい、死にたくない。それらの利己精神そのものが鬼であり、敵なのだ。よくできた寓話である。寓話は時代も場所も超越する。今作が国籍を超えて評価されるのも納得だ。おそらく後世の人間が観ても楽しむだろう。映画が求めるべきはこういう物語だと私は信じる。
ちなみに私は原作を既に読了しており、ファンというほどではないが、原作者の短編集及び原作全巻を購入している程度には好きだった。特に猗窩座のエピソードはお気に入りで、今作が『鬼滅の刃』のハイライトであり、次回作を観に行くは迷う。しかし、本作が面白かったのでもう一度観に行ってもいいかもしれない。

悠
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