「「成長」をキーワードに編まれた見せ場満載の特濃2時間半。泣けはしなかったけど大満足。」劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
「成長」をキーワードに編まれた見せ場満載の特濃2時間半。泣けはしなかったけど大満足。
いやあ、面白かったね!!! やっぱり。
ホント、凄いコンテンツですよ。鬼滅の刃は。
圧倒的な密度の2時間半。
そんな長尺の映画には全く思えないくらい、
息を詰めて最後まで見入ってしまった。
日本最高峰のアニメーションであるのは間違いない。
TVシリーズと映画版の『無限列車編』は視聴済。
原作はせっかくなので、まったく手をつけていない。
なので、どうやってこの話が終わるかについても、
あえて予備知識のない状態で臨んでいる。
どうせなら、アニメを全力で楽しみたいのでね。
今日の出来は、十分にこれまでため込んできた
期待に応えてくれるものだった。
― ― ― ―
僕が封切りの日に映画館に足を運ぶことは、
年に数回くらいしかないが、今日はしっかり
席をリザーブして万全の準備にて臨んだ。
ただし1300円のレイトショーw 封切りなのに
夜間割引を用意してくれるシアタス調布大好き!
で、21時に映画館に足を運んで、びっくりした。
もう夜なのに、ロビーに立錐の余地もないくらい、
客がひしめきあっているじゃないか!!!
どういうこと?? しかも1日20公演もあるのに
全部満席、完売御礼!!! すげー!
どんだけみんな鬼滅の刃好きやねんww
これは、もはやある種の「イベント」だ。
コミケとか、アニメロサマーライブみたいな。
鬼滅の初日は、国民総出のイベントとして、
もはや機能しはじめているのだ。
僕は、今の日本でこれだけの人を集められるコンテンツが存在することに、心から感動した。似た空気は今年の『名探偵コナン』の初日でも感じたけど、あれよりも熱気は今回のほうがはるかに高かった。
あれだけ殺伐としていて手と首の飛びまくるえげつない半分ホラーみたいな伝奇アクションに夢中になって、老いも若いも初日から映画館に繰り出してくる。1800円もする特製パンフ(まさかの上製本!!)が飛ぶように売れる。
僕は嬉しかった。
日本も捨てたもんじゃないな、と。
ちゃんと「お祭り」できてるじゃん、と。
― ― ― ―
基本、今回の『無限城編 猗窩座再来』について、
文句をつけるべきところはどこにもない。
いかにもジャンプらしい、気づきと成長を伴う
バトル&アクションの熱量においても、
情緒的な過去の因縁譚の味わいにおいても、
完成度の大変に高い快作だった。
ただ、なんで★4つ半かというと、
個人的に、全く涙腺を刺激する部分がなかったから。
それに尽きる。
泣けそうなエピソードは何個もあるのにね。
なんでだろう。うるっとくる瞬間すら全くなかった。
いや、別に泣けようが泣けまいが、そこは作品評価にはほとんど関係がないのだが、かつて5ツ星満点をつけた『無限列車編』を観たときはマジでボロ泣きさせられたので、あの感動とはちょっと差をつけておきたかった、といったところか。
純粋に個人的な話ではあるんだけど、
僕はきっと、誇りのために戦い、誇りのために死んでいく「男の覚悟とこだわり」にとにかく弱いのだと思う。『無限列車編』にしても、べつに煉獄さんが●●したから泣けたわけじゃない。煉獄さんの想いを、炭治郎が過たず何度も何度も切実な言葉にして敵にぶつけたからこそ感動したのだし、泣けたのだ。
その点、第一章では、柱サイドに犠牲者も出るし、過去の可哀そうな話もさんざん出てくるのだが、基本今回のエピソードはいずれも「過去の私怨をぶつける話」であり「家族を喪った後悔」の話であり、必ずしも「男の誇り」と「死にざま」の話ではない。だから、『無限列車編』ほどは、ジャストミートで僕を貫かなかったのだろう。
ただ、これが純粋に僕だけの問題かというと、そうでもない気もする。
というのも、僕が観た映画館で、終演後ざっと客席を見回してみたのだが、みんな満ち足りた興奮冷めやらない上気した表情は見せていたものの、グズグズ泣いているような人間は見つけられなかったからだ。
他のお客さんにしても、最高に面白かったし十分に充足はしたけれど、『無限列車編』ほど涙腺を崩壊させられるようなことはなかった、という人が結構多いのではないだろうか。
それ以外にも、今回の話が『無限列車編』ほど「ぐっと来ない」要因は、いろいろある気がする。
まず、『無限列車編』は一続きの物語としての起承転結をしっかり保持していた一方で、『無限城編 猗窩座再来』はオムニバス方式というか多元中継というか、いくつかのエピソードを寄せ集めた構成に過ぎないという点。
それから、『無限列車編』は冒頭の日常パートから入って、各キャラクター(とくに煉獄さん)に十分愛着を抱かせてから、後半で命をかけたアクションに切り替えるという構成が取れたおかげで「キャラ醸成」が可能だったが、『猗窩座再来』では出だしからいきなりクライマックスで、日常描写やギャグテイストで「キャラに深みを持たせる」時間もタイミングもなかったという点。
あと、今回の鬼がどいつもこいつも単細胞で狂気度が高く、あまり「対話」の余地がないせいで、痺れる「掛け合い」が生まれにくかった点も挙げられるだろう。
『無限列車編』では、いきなり出てきたばかりのエース格の炎柱・煉獄さんがラストでああなるとは想像もしていなかった部分があったが、『猗窩座再来』ではすでに「最終決戦」になっていて、ほぼこれが敵も味方も「殲滅戦(主人公くらいしか生き残らない戦い)」だと客のほうもわかっているので、ある意味覚悟が決まっているという部分もあるかもしれない。
まあ、あとはジャンプ的な「あるある」ではあるが、炭治郎と善逸がバトルで負けるとは最初からまったく思っていない部分があって、結構そこのパートは「のんびり」しながら観ていられるというのもあったような。
なんにせよ、僕の意見ははっきりしている。
面白かったし、素晴らしい完成度だった。
「ただし、『無限列車編』には及ばない」。
― ― ― ―
『無限城編 第一章』における最大のテーマは、「成長」だ。
炭治郎は、猗窩座との闘いのなかで、究極の「奥義」にたどり着く。
冨岡義勇もまた、自らがギリギリの命の取り合いのなか、成長していることに気づく。
ふたりは、戦いの中でなお急速にさらなる進化を示し、ブレイクスルーを経験する。
他のキャラクターも、息詰まるバトルのさなか、自らの「成長」について語る。
胡蝶しのぶは、努力と研鑽をもってしても埋められなかった、とある身体的なマイナスについて嘆く。
かつてみそっかすだった善逸は、「成長の証」(新しい型)を兄弟子に披露することになる。
猗窩座は過去エピにおいても、鬼となってからも、ひたすら「強くなる」ことを目指していて、最後には今までの鬼が克服できなかった弱点の「次のフェイズ」へと進んでみせる。
真剣勝負の戦いは、人を爆発的に成長させる。
到達した境地の向こうには、新たな境地が存在する。
だが、そうやって強くなることに、いったいなんの意味があるのか?
「強くなった者」は、責務として何を背負わなければならないのか?
鬼は、成長すること、強くなること、相手を打ち負かすことだけに拘泥する。
鬼殺隊は、手に入れた力を「弱きものを守るため」にふるうことを心に誓う。
両者を分かつその「動機」の部分が、僅かな最後のふんばりの差となり、勝敗を分かつ大きな分水嶺となる。
僕たちは、2時間半のあいだ、原作者が練りに練って練り上げた「戦いのロジック」と向かい合い、彼女の研ぎ澄まされた思想を我が身にも取り入れることになる。
それは「友情・努力・勝利」と呼ばれるジャンプイズムをめぐる思索から極められた、究極の(そして極上の)到達点であり、バトル漫画の集積体としてのジャンプの最良の成果ともいえるものである。
― ― ― ―
●個人的には、とにかく善逸が大好きなので(今でも、僕はこれまで観た『鬼滅の刃』全編のうちで、気絶した善逸が「雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃」に「覚醒」する鼓屋敷のシーンが一番好き。あれは背筋にガチでビリビリ来た)、今回の大活躍には本当に痺れた。
まさに「一閃」という言葉がこれほど似合う剣士もいないわけで、瞬間のMAXゲージとしては本作の最強キャラではないのか?
ただ、これまでは日常描写におけるダメキャラぶりとの「対比」で彼の無双のカッコよさが光っていたのだが、今回の善逸は出てきた瞬間から覚醒モードで(そりゃ腑抜けてたら一瞬で殺されちゃうけど)、そこはだいぶ物足りなかったかも。
あと、今回深掘りされた話とか背景とか人間関係って、今までどれくらい出てきてたっけ? けっこう「あれ? いきなりそんな話になってるの?」って気分がしたんだけど。柱稽古編で手紙読んで泣いてるシーンの種明かしってことだよね。
●冒頭、悲鳴嶼行冥が雪のなか、(おそらく鬼殺隊の)広大な墓地を歩いていくシーン。
しんとしていて幕開けらしい素晴らしいシーンだが、歩き方になぜか体重が感じられないのが動画的にちょっと気になった。あれだけバトル描写で息をのむ完成度を示していても、「歩く」という基本動作のアニメーションって、難しいもんなんだな、と。
●童磨、本格登場。いかにもの宮野真守キャラで笑う。
これって「上弦の弐」ってことは、猗窩座よりも上位の鬼なんだよね。
「成長」というキーワードでいえば、「最初から恵まれた能力を持っていて、努力を重ねて高みにのぼってきた人間を一瞬で倒してしまえるような天賦の才の持ち主」であり、ジャンプ的な物語を背負う鬼殺隊のメンバーとは対極的なキャラクターということができる。
この展開なら「きっとこうなるんだろうな」という方向に話は進んでいるのだが、まさかの日没タイムアップサドンデス突入! 数年後(?)の「答え合わせ」が楽しみだ。
なお、童磨が居座っている無限城の部屋は、一面の蓮池に八つ橋が縦横に架かっていて、極楽浄土のグロテスクなパスティーシュになっている。
●猗窩座というキャラクターは、明快な方向性を示す身体的特徴をしている。
すなわち「江戸時代の生まれなのに髷がなくて短髪」「体じゅうにトライヴァル・タトゥーのように刺青が入っている」「武器として刀を使わない」。
これは実のところ、『必殺シリーズ』における一部の殺し屋たちとも通底する特徴だ。
誰もがそうというわけではないが、結構なキャラが「髷を結わず蓬髪・丸刈り」で、一部のキャラが島帰りの刺青もので、だいたいの殺し屋が身近な得物以外に刀を使わない。
これは、必殺の殺し屋たちの多くが「被差別階級」の人間として、権力に対峙させられているからだ。『必殺仕置人』の棺桶屋の錠(沖雅也)などは、まさに「流れ者」「琉球出身」「長屋暮らし」「髪を結わない」キャラであり、職業も含めて「そういう人」として登場し、だからこそ権勢をふるう武家や商人を相手に華麗に仕置するのが痛快だった。
猗窩座もまた、江戸期の士農工商の枠組みからはもはやはみ出してしまった存在として描かれている。そこを念頭に置いて観ると、彼が「力と強さ」を求めた理由の一端が理解できるだろう。そういや、生前も鬼になってからも、名前にけだものへんが入ってるしね。
●猗窩座の過去編は、ちょっと鍵ゲーみたいで萌えるよね。
●炭治郎が到達する領域って、いろんな武術もので出てくるきわめてオーソドックスな「ゾーン」の型を踏襲していると思うのだが、個人的には『ブラック・エンジェルズ』の雪藤が「空なるが故に無!」とか言ってたのを、ものすごく懐かしく思い出しながら観ていました(笑)。
そういや、熊がツキノワグマだったな。ホントはヒグマ出したかったんだろうなあ……本土が舞台だからツキノワグマしかダメなんだけど、こんなツキノワグマいねーよ(笑)。
●奮発して1800円の「豪華版」パンフを買ったけど、場面写真が全然載っていないのは若干不満かも。
●なんだかんだで、上弦も余すところ2体+新規1。第二章はそのへんとの闘いがメインになってくるんだろうけど、柱の誰が助かって誰が死ぬのか、次回の公開までなるべく耳に入れないようにしないとなあ。結構難しそう。
必殺の殺し屋たちの多くが「被差別階級」の人間として、権力に対峙させられているからだ。
猗窩座もまた、江戸期の士農工商の枠組みからはもはやはみ出してしまった存在として描かれている。そこを念頭に置いて観ると、彼が「力と強さ」を求めた理由の一端が理解できるだろう。そういや、生前も鬼になってからも、名前にけだものへんが入ってるしね。
↑
なるほど、そうですね、
一般の枠組みからはみ出した存在ですよね。
鬼の時の身体のブルーデザインが
人の時の犯罪者用入れ墨だったのかぁ
と自分は観ていてつながりました。
次回作、二体プラスアルファとの闘いやバックストーリーがめっちゃたのしみです ^_^
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。

