「全て説明しちゃうタイプの映画」アイミタガイ 肩幅さんの映画レビュー(感想・評価)
全て説明しちゃうタイプの映画
何もかもを言葉に出して説明してしまっていて、わざとらしさを感じる映画だったので、個人的には感動しませんでした。
邦画(というより日本語)の良いところは、全てを言葉や映像で語らぬ「察し」の表現だと思っています。行き過ぎると芸術家気取りの独りよがりなものになってしまいますが、多くは語らず、あとで深く考えた時にやっと気づくような奥行きのある表現がこの映画には足りないように思います。それくらい全てを明確に描いてしまっています。良くいえば分かりやすいですが、悪く言えば単純で趣がないです。
そのくせ、説明した方がいい箇所は説明がないので、最初、主人公とヘルパーの関係性が全く分かりませんでした。
まず、日常を醸し出すために仕組まれた雑談が本当に日常すぎてつまらないし、縁を感じさせようとして語られる話は全て説明口調です。
冒頭で主人公はオチもクソもないハチ公の話を場に放り投げていますが、この会話はラストに別の親子の間でも話題に上がったという以外のギミックはなく、話の中身に意味はありません。忠犬ハチ公に重なるシーンもキャラクターもありません。
現実でも一往復で終わる程度の盛り上がらないどうでもいい話なのに、中途半端に楽しそうに話しているところが、リアルを追求し過ぎて、逆に作られた感が出てしまう典型的な例だと思いました。
主人公のおばがヘルパーとして派遣された初回の印象もかなり悪いです。指示されていない場所へ勝手に入った挙句、「そこは何もしなくて良い」と注意をうけたあと「うわ、怒らせたぁ?」と口に出すのはあまりにも品が無いように思いました。
途中で主人公の祖母が話す「相身互(い)や」を聞いた澄人が「I meet a guyって英語かと思いました」と言いますが、心の底からそんなわけあるかと思いました。一瞬英語みたいな発音だと感じたとしても、話の流れからして、「まぁ、お互い様的な意味かな」って大体わかるだろと思います。小ボケなのは分かりますが、別に面白くないですし、キャラクターの性質上、本気で言ってるようにしか見えないです。
たしかに聞き馴染みはない言葉ではありますが、耳に入ってきて「はて?」となるほど意味が分からない単語ではないと感じました。
叶海の両親が孤児院に向かうタクシー運転手との会話も若干噛み合ってない気がしましたし、わざわざ「あの子も一緒に来たのね(うろ覚え)」なんて口に出すのは何とも情緒がないです。黙って強く手を繋ぐ、等の見る側の想像に任せた演出ができない理由が知れません。
ラスト近くで主人公が叶海の両親に話しかけた時も、ずっと一方的に話し続けた上で「若者に助けられました」と呟きますが、田口トモロヲさんくらいの年齢で話し言葉で「若者」なんて使うか甚だ疑問です。「お兄さん」くらいが普通でしょうが、せめて「若い人」くらいで留めてほしかったです。
感動的な話を語らせようとすると口調が文語体になる作品は度々ありますが、どうにかならないんでしょうか。小説の中では良いですが、映像化した際に声に出すとおかしくなることに気付いてほしいものです。
また、ラストの孫を連れたおじ様が「子供が(バナナのキーホルダーを)飾りたいと言って聞かなくて」と言ったあと「子供ながらにピアノに感動したんですかね」と言いますが、どういうことですか?いつピアノの話題が出たんでしょうか。何ら関連性がなくて、ただ「主人公が担当していた銀婚式(金婚式?)に来てた人ですよ」と伝えるためだけの言葉選びとしか思えません。
主人公に気づかせたいのなら、式の途中に子供にバナナのキーホルダーを自慢されたとか、直接主人公が子供に手渡しただとか、あるいはその式でしか配ってないはずの特殊な見た目をしたキーホルダーであったとか、やりようは色々あったはずです。
最悪、ピアノのワードも出したいということであれば、子供に「ピアノ弾きたい!」とでも言わせれば、先程の「子供ながらに〜」に繋げられるはずなのに、全てが杜撰です。
そもそもの話になってしまいますが、叶海が明らかに無許可に他人のスナップ写真を撮っているのが、気になってしまいました。女子学生二人組を無許可で真正面から撮るって、あるあるなんでしょうか。「撮っていい?」の一言くらい挟んでも良かったのではないかと思います。
ただ、台詞回しのわざとらしさはしょうがないものの、草笛光子さんの演技が素晴らしかったです。
草笛光子さんが93歳設定は流石に歳が合ってないと思いましたが、ご本人が91歳と聞いてあまりの若さに驚きました。