「それでも「信じたい」と言わなければならない大人は「現実」を直視しているのだと思う」アイミタガイ Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
それでも「信じたい」と言わなければならない大人は「現実」を直視しているのだと思う
2024.11.5 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(105分、 G)
原作は中條ていの同名小説
親友の死と向き合う女性の再生を描くヒューマンドラマ
監督は草野翔吾
脚本は市井昌秀&佐々部清&草野翔吾
物語の舞台は、三重県桑野市
ウェディングプランナーとして働く秋村梓(黒木華、中学時代:近藤華)は、恋人・澄人(中村蒼)と、「結婚を前提としない」お付き合いをしていた
その為か、仕事ではどことなく行き詰まるところがあり、そういった愚痴は親友の郷田叶海(藤間爽子、中学時代:白鳥玉季)と共有し、彼女が唯一の精神的な支えになっていた
いつものカフェでいつもの会話をして、それぞれの近況を話し合う
それは永遠に続くものと思われていた
だが、叶海は、ボランティア先で呆気なく事故死してしまう
叶海の父・優作(田口トモロヲ)と母・朋子(西田尚美)は49日を過ぎても受け止めきれずにいた
そんな折、叶海の死を知らないかのように梓からメールが届き続けるのだが、朋子は「彼女も私と同じように受け入れられていない」と感じ、そのメッセージを受け止め続けることになった
映画は、梓を支えようと考える澄人が「一歩踏み出そうか悩む」というシークエンスがあり、梓の行く先々に同行する様子が描かれる
そして、梓の祖母・綾子(風吹ジュン)
との出会いの中で、「相身互い」という言葉にふれていく
「相身互い」は「意図せぬ行動が巡って自分に返ってくる」というもので、映画では「優しさが巡って返ってくる様子」が描かれていた
この物語と並行して、優作と朋子は娘に届いたメッセージカードから、生前に娘が何をしていたのかを知るエピソードが綴られる
見知らぬ孤児院からそのカードが届き、当初は何かの悪戯だろうかと考えていた
だが、そのカードの送り元の孤児院の羽星(松本利夫)から思わぬことを知らされる
それは、毎年のように彼女が来訪し、撮った写真をトイレの壁に飾っていくという
そこで、二人は娘の痕跡を追って、施設を訪れることになったのである
物語は、「相身互い」を体現するような作品になっていて、方々で起こるエピソードがうまく絡んでいく流れになっていた
この言葉が登場するのがほぼ中盤になっていて、後半のエピソードの収束によって、梓自身がその意味を理解する、という展開を迎える
とは言え、「相身互い」は「同じ境遇や身分の人々が互いに同情し合い、助け合うこと」という意味もあるので、少しばかり映画の引用は意訳されている部分もある
それぞれの行動に意図があるかどうかというところも重要だが、映画の意味合いだと「世の中は持ちつ持たれつ」という前提の上で、「些細な行動の連鎖が自分に戻ってくる」という感じに描かれていた
そう言った世の中であることを理解できれば、自分の身の回りで起こっていること、自分自身の行動の余波というものが見えてくるので、その精神を理解すれば、世の中がよく見えるという意味にも通じるのではないだろうか
いずれにせよ、心洗われる系の作品で、基本的には悪者は出てこない
だが、優作の「善人ばかり出てくる物語を読んできて、それは嘘くさいと思っていた」という言葉があるように、映画で描かれていない部分にはマイナスの行動もあるのだと思う
優作から見れば、娘は親不孝ものに見えるし、残したものが命と引き換えのお金だけだったりする
彼がそれを手放しつつも、「善人がいる世界を信じたい」と言ったのは、相身互いの精神を持ってしても、世の中はそこまで美しくはないと言いたかったのかな、と感じた
それは、ある意味において、この物語で心が洗われた気になっている人への戒めなのかもしれません