「1945年4月、デンマークはナチス・ドイツの占領下にあった。 市民...」ぼくの家族と祖国の戦争 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
1945年4月、デンマークはナチス・ドイツの占領下にあった。 市民...
1945年4月、デンマークはナチス・ドイツの占領下にあった。
市民大学の学長ヤコブ(ピルー・アスベック)は、ナチスの現地司令官から戦火を免れたドイツ人難民を受け容れよと命令される。
難民たちは当初告げられていたのは、難民の数は百数十名程度、管理監督はドイツ軍が行う、学校側は場所の提供だけ、だと。
しかし、列車で到着した難民の数は500を超え、かつ軍は管理を行わず、食料の配給さえなかった。
ヤコブは、「敵国人である。手助けは行わない」としていたが、ヤコブと妻のリス(カトリーヌ・グライス=ローゼンタール)は窮状を見かねて食料を提供するようになった。
しかし、それは地元デンマーク人の反感を買い、裏切者として投石などの暴力行為を受け、その後は援助することはなかった。
しばらく後、衛生面も劣悪、食料も不足、結果、難民施設内で感染症が広がり、次々と死んでいく幼い命を目の前にしてヤコブは節を曲げる・・・
といった物語で、これをヤコブの幼い息子セアン(ラッセ・ピーター・ラーセン)の視点から描いていきます。
難民問題、棄民問題、敵国人に対するヒューマニズム・・・
観るべきところの多くが、現代に通じています。
欧米のヒューマニズムは帝国主義の裏返しみたいなところがあり、同胞国や第三国、支配国に対してヒューマニズムをみせることはありますが、敵国はあくまでも敵。
ヒューマニズムをみせることはありません。
まぁ、日本は同胞国以外にはみせませんが(というか自国内でもみせないことも多いですが)。
息子セアンは徹底してドイツ人難民に心を許しません。
母親が食料を提供する段でも、父親が感染症治療・予防の薬を提供しようが。
しかし、難民のなかのひとりの少女には、(たぶん)幼い恋ごころを抱き、状に絆されます。
この展開が巧みです。
ヤコブが難民支援を行いだしたことから、子どもたち間の遊びにも変化が出、これまではレジスタン側とナチス側を順番に演じて遊んでいた戦争ごっこで、セアンは「これからずっと、おまえはナチス側」だと苛められるようになります。
あぁ、子どもって残酷。
木に縛りつけられて置き去りにされたセアンを、くだんのドイツ人少女が助けて・・・
さて、終戦。
ドイツ人難民に対する態度が世間的にも変わるのかと思いきや、家族や同胞を殺された恨みは続き、ドイツ人難民に対する仕打ちはより一層厳しさを増します。
これまで、軍に協力していた者たちは吊し上げ、リンチまがいの目に遭うことに(ドイツ兵相手に身体を売っていた女が、丸坊主にされるのは他の映画でも頻繁にみましたが)。
統治者がいなくなり、実質の支配者がデンマーク人レジスタンスの生き残りになったことで、一種の無政府状態になるからです。
そんな中、難民施設の感染症は収まるどころか、拡大の一途をたどり・・・
と終戦後の描写も見どころ多し。
ただし、この後、終盤の展開はやや甘くなりますが、全体としては見ごたえたっぷり。
秀作佳作でした。