ぼくの家族と祖国の戦争のレビュー・感想・評価
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父親の背を見つめる眼差し
1945年、ナチス・ドイツ占領下のデンマーク。市民大学学長ヤコブ( ピルー・アスベック )は、ドイツを逃れてきた500名余りのドイツ難民の受け入れを、ドイツ軍司令官から命じられる。
ヤコブを献身的に支える妻リスをカトリーヌ・グラロイス = ローゼンタール 、12歳の息子セアンをラッセ・ピーター・ラーセンが演じる。ラッセ・ピーター・ラーセンの演技が秀逸で、本作がデビュー作とは驚き。
それぞれの心情を丁寧に描いた良作。
映画館での鑑賞
「ぼくの家族」と「祖国」の戦争
戦争によって、あらゆる人の人生が狂わされていく。 そのことは、戦争体験者の祖母や、いわゆる戦争モノのドラマで、知っていたつもり。 でも、ほんの少しの考え方や立場の違いで、それまで同じ立場だった人同士に、これほどの溝ができてしまうとは。 武器を持って戦う訳ではないけれど、それぞれの人の戦いのさまを描いた映画でした。
戦争がもたらす人間社会の分断
主人公一家の高潔さに心を揺さぶられました。 ドイツ人の難民を受け入れるだけにとどまらず、難民の死(ジフテリア感染による)を防ぐ ことに腐心するという、国や人種を超え、人命を救うことに一貫して軸がぶれない家族ですが そこにはやはり周囲からの心無い声・誹謗中傷・暴力などがあり、揺れ動くんですよね。 それは当然だと思いますし、大多数に流された方が楽に決まっていますが、 そうしなかったヤコブファミリーに大いに感銘を受けました。 新たな切り口でのナチスを扱った映画ですが、 戦争がもたらすものは、直接的な戦闘行為による“死”のみならず、 国同士はもとより、人種、人同士の分断をも招き、これらが解決するのには相当の時間を要するでしょうし 解決せずに負の連鎖に陥ることがほとんどだと思います。 今なお続く戦争。いつ人間は戦争をしなくなるのでしょうか。 地球とともに人類がいなくならない限り続くというのなら、あまりにも成長がないと思うんです。 過去から学び未来の人たちに残す平和を、ぜひともつくりあげたいものです。
第二次大戦中、ナチス占領下のデンマークに、ドイツからの難民が大挙し...
第二次大戦中、ナチス占領下のデンマークに、ドイツからの難民が大挙し。 ナチスを憎みつつ、目の前の一般市民、とくに子供や病人を、救うべきか否かで葛藤する様子。 放置したら次々亡くなり、救ったら非国民扱いされ居場所がなくなり。 考えることの多い描写でした。 主人公一家、葛藤しながらも、自らの考えを貫て行動したところ 街からは追放されましたが、私的には拍手喝采です。 SKIPシティの映画祭で、本作品を見のがしたこと、今更ながらに後悔しています。
『ヒトラーの忘れもの』と『ジョジョ・ラビット』
第2次世界大戦中と戦後におけるデンマークとドイツとの複雑な関係は、『ヒトラーの忘れもの』で初めて知ったが、本作では、序盤、まだドイツ占領下にあり、表立ってドイツに反抗心をみせることはできなかったが、デンマーク国民の間には、抵抗が当たり前という気風が広がっていたことがわかった。
主人公の子どもの気持ちが、一途な「愛国心」から揺れ動く「愛敵心」へと移り変わっていく様子は、『ジョジョ・ラビット』にも似ている。ジョジョの母親も、ジョジョの当初の愛国心に反する愛敵心を発揮した挙げ句に犠牲になってしまい、遺された「敵」を主人公が守ることになっていた。年長者が自分を裏切った主人公の危機を救うことになるのも共通しているようである。結末の「解放」による運命の違いは仕方がないのかな。本作の母親は、先に父親の立場を無視して動いたけれど、父親が身を入れるようになってからは、失職を心配するようになっていた。母親の気持ちが揺れ動いていたところには、一貫性の欠如を感じた。人道的支援の加減の難しさはあるのだろう。『ヒトラーの忘れもの』に通じる葛藤でもあるのだろう。
僕はどこに立っている?
ナチスの敗色が濃くなって来た第二次世界大戦末期、当時ナチスに占領されていたデンマークが舞台です。ドイツ国内への空襲を逃れる為でもあったのでしょう、デンマークへのドイツ避難民は当時20万人にも達したのだそうです。そんな大量の疎開者を一気に収容する施設などないので、かなり劣悪な環境の場所に成らざるを得ませんでした。そんな場所にギュウギュウ詰めにされるので、ドイツ人避難者の間でやがて感染症が広がり始めます。そんな時、あなたならどうするというお話です。 「たとえどこの国の人間であろうと、目の前で子供達が死んでいくのを黙って観ている訳にはいかない」と医薬品を調達しようとする人が居ます。「そりゃそう思うよな」と共感します。一方で、目の前でドイツ兵に家族や愛する人を殺された人々は「ドイツ人がどうなろうと知った事か」「ざまあみろ」と思うでしょう。それも理解出来ますし、そんな思いを否定する事は難しいでしょう。 しかし、ドイツ人避難民を助けようとする人を、反ナチスの人々は村八分状態にして強く排斥し始めるのです。「愛国心はないのか?」と吐き捨てます。う~ん、これはどうなのでしょう。気持ちは分かるとはいえ、それでいいのかなぁ。 「あなたならどうする?」を本作は厳しく問い掛けて来ます。「自分ならば、この映画の中でどの位置に立っていたんだろう?」観終えても感が続けてしまうのは、本作が強い映画であった証拠です。
戦争は心まで蝕む
戦争は人の判断力をも鈍らせてしまうんですね。 判断力と言っていいのか… 全編通して暗いトーンで進んでいきます。 おそらく戦争などなければ皆ほぼ善人であったであろう人たちが戦争によって心を醜くさせられていく様が描かれてます。ドイツ人でもデンマーク人でもいい人もいれば悪い人もいます。殆どいい人は出てこなかったですね。 ヤコブ学長家族の中でも正当な判断をすることもあれば葛藤もありました。でも正しいと思えばどんなに厳しい環境でも行うことの勇気を教えてもらえます。 売国奴として罵られていくヤコブ学長家族ですが、検問でビルクがヤコブたちの車を見逃して通してあげるところやドイツ人は受け入れられないと当初拒んでいた病院の先生が最後は折れて受け入れてあげるところなど少ないながらも救いはありました。 最後にヤコブの家族が街を出なくては行けないこととなり4人並んで街を去る姿は寂しく感じるところもあればこれからの逆境に立ち向かっていく強い志も感じられました。 観ている途中でふと頭をよぎりました、ガザやウクライナのことが。結局のところ大戦から100年も経っていないんですが戦争は終わらないですし愚かなことはずっと続けてるんですね。
我々を助ける
終戦間際、ナチス管理下のデンマークにてドイツ難民を受け入れざるをえなくなった大学学長とその家族の物語。 難民受け入れることを強制される学長のヤコブ。学長として学生達の学びの場を守ろうとするものの、難民を拒めばナチス兵に何をされるかわかったもんじゃない…しかしそうすれば今度は同胞たちから…。 辛すぎる立場ですね。 更には、難民達をどうするかで家族内に亀裂も。 セアンも辛いよなぁ、純粋さと背中合わせにある子どもたちの残酷さもまざまざと見せつけられる。 しかし、そんな彼を助けてくれたのは…。 敵も味方も人種も関係ない、困っている人がいるなら助けるのが正義だ! …なんて口で言うのは簡単なことで、学長であり父親でもあるヤコブの立場からすれば、悲しいですがどこにも最適解なんてないんですよね。 同胞たちも、そんな彼の立場をどうかわかってあげてほしい…と思っても、彼らは彼らで家族や家をナチスに奪われていたりするわけで。 とにかく、戦争は本当に何も産み出しませんね。戦火自体が収まっても、そこに残された問題は世代を超えて残ることも。 そんな中でも残る、セアンの気持ちには涙が溢れそうになった。 最後何であんな所にビルクがいたのか、そして何故通してあげる気になったのかの変化がよくわからなかったことと、セアンとギアラにもう一つ物語が欲しかったなぁ〜と思いつつも、決して答えの出ることがない難題に深く考えさせられる作品だった。
第2次世界大戦末期 デンマークにて
事実に基づく話だそうです。 もっと薄っぺらいかと思ってたら、けっこう厚くて良かった。 いい映画だと思う。 お父さん役の人って『ゴースト・イン・ザ・シェル』でバトー役を演じた人じゃないか?と思って観てたら、実際そうだったという(笑) 舞台がデンマークだけど、デンマークってナチスに占領されてた事あったとは知らなくて…お恥ずかしい(笑) かくまって、どうのこうのってより、憎しみを越えてって感じです。 これを気に入った方で『みかんの丘』を観てない方は、そっちもオススメです。
1945年4月、デンマークはナチス・ドイツの占領下にあった。 市民...
1945年4月、デンマークはナチス・ドイツの占領下にあった。
市民大学の学長ヤコブ(ピルー・アスベック)は、ナチスの現地司令官から戦火を免れたドイツ人難民を受け容れよと命令される。
難民たちは当初告げられていたのは、難民の数は百数十名程度、管理監督はドイツ軍が行う、学校側は場所の提供だけ、だと。
しかし、列車で到着した難民の数は500を超え、かつ軍は管理を行わず、食料の配給さえなかった。
ヤコブは、「敵国人である。手助けは行わない」としていたが、ヤコブと妻のリス(カトリーヌ・グライス=ローゼンタール)は窮状を見かねて食料を提供するようになった。
しかし、それは地元デンマーク人の反感を買い、裏切者として投石などの暴力行為を受け、その後は援助することはなかった。
しばらく後、衛生面も劣悪、食料も不足、結果、難民施設内で感染症が広がり、次々と死んでいく幼い命を目の前にしてヤコブは節を曲げる・・・
といった物語で、これをヤコブの幼い息子セアン(ラッセ・ピーター・ラーセン)の視点から描いていきます。
難民問題、棄民問題、敵国人に対するヒューマニズム・・・
観るべきところの多くが、現代に通じています。
欧米のヒューマニズムは帝国主義の裏返しみたいなところがあり、同胞国や第三国、支配国に対してヒューマニズムをみせることはありますが、敵国はあくまでも敵。
ヒューマニズムをみせることはありません。
まぁ、日本は同胞国以外にはみせませんが(というか自国内でもみせないことも多いですが)。
息子セアンは徹底してドイツ人難民に心を許しません。
母親が食料を提供する段でも、父親が感染症治療・予防の薬を提供しようが。
しかし、難民のなかのひとりの少女には、(たぶん)幼い恋ごころを抱き、状に絆されます。
この展開が巧みです。
ヤコブが難民支援を行いだしたことから、子どもたち間の遊びにも変化が出、これまではレジスタン側とナチス側を順番に演じて遊んでいた戦争ごっこで、セアンは「これからずっと、おまえはナチス側」だと苛められるようになります。
あぁ、子どもって残酷。
木に縛りつけられて置き去りにされたセアンを、くだんのドイツ人少女が助けて・・・
さて、終戦。
ドイツ人難民に対する態度が世間的にも変わるのかと思いきや、家族や同胞を殺された恨みは続き、ドイツ人難民に対する仕打ちはより一層厳しさを増します。
これまで、軍に協力していた者たちは吊し上げ、リンチまがいの目に遭うことに(ドイツ兵相手に身体を売っていた女が、丸坊主にされるのは他の映画でも頻繁にみましたが)。
統治者がいなくなり、実質の支配者がデンマーク人レジスタンスの生き残りになったことで、一種の無政府状態になるからです。
そんな中、難民施設の感染症は収まるどころか、拡大の一途をたどり・・・
と終戦後の描写も見どころ多し。
ただし、この後、終盤の展開はやや甘くなりますが、全体としては見ごたえたっぷり。
秀作佳作でした。
子役の演技に惹かれた
何より、主人公=子役の「最初は大人たちに同調していたが、困ってる友人を見て心境が変化していく」ことをあらわした演技がすごかった。 グイグイ引き込まれましたよ。 物語は、今のウクライナやパレスチナ・ガザ地区に通じます。 「敵味方に分断した中で、敵に属する友を救えるか?」 「目の前に困っている非戦闘員な子どもを【敵】とみなすか?」 「敵とみなせば虐殺・迫害していいのか?」 本作、デンマーク語原題/英題は、Befrielsen/Before it ends(解放/それが終わる前に)があらわしていたように。 戦時中のドイツ敗戦色が強まったころから、そして降伏で戦争が終わっても、ドイツ人難民や、難民を助けた医師・教師らを石を投げて追い出すデンマークの人々の姿を描いていて、心情は分からなくはないが、コレはないよなと思わせてくれました。 国際法違反以前に、戦闘に参加していない一般市民への私刑は人道的に許されないし、助けることは本来素晴らしいことのはずだと、問いかけているように感じました。 こうやって理性的にいられるのは、私が日本の平和な場所に暮らしているからで、命のやり取りで獣のようにななざるを得ない戦争下にもしも自分が置かれたのであれば、加害者の思考をトレスしてしまうはず。 ではあるが、だからといって今のロシアやイスラエル、古今のイスラム原理主義組織(アルカイダ、タリバン、ISIS、ハマスなど)のような行為を、素直に肯定もできないんですよね。
英題はbefore it ends(戦争が終わる前に)だった
終戦を一か月後に控えていた大戦末期、ドイツ占領下の北欧の国、デンマークに、苦境に陥っていたドイツから突然、25万人もの難民が送り込まれる。当時のデンマークの人口は400万人位、今の日本だったら720万人に相当する難民の数。ドイツは、ユダヤ人で経験しているので、大量の輸送はお手の物。しかし、収容施設はなく、デンマーク側が準備しなければいけない。 問題になるのは、電気、水、ガスなどのライフライン。それから食料と医療。前者はともかく、後者は、ドイツ側の義務。ただ、清掃やごみの処理だって行う必要がある。しかし、過酷な環境下に、重度の感染症の流行を見る。結局、多くの難民が亡くなったようだ。実話に基づく物語。 一番の鍵は、おそらく医師を中心にした医療だろう。医師には、困っている人を救う義務がある(赤十字の精神を想い出せば、明らか)。しかし、ドイツ人の医師は少なく、医薬品の供給も十分ではない。市民が難民に好意的な態度を見せようものなら、終戦まじかで、ナチによる暴虐を受けた人から構成されるレジスタンスの人びとの強い眼差しを受けることは明らか。ドイツ軍の軍政下では、デンマークの行政も頼りにならない。さて、引受先とさせられた市民大学の学長一家は、どうしたろうか。学長ヤコブは、そこで、強い意思を見せる。 間に挟まれた学長の息子セアン(演ずるラッセ・ピーター・ラーセンは、難民の少女に寄せる思い、父親を慕う気持ち、父親に反して、皆の前で格好をつける、の三つを演じ分けた)を一番元気づけたのは、父親手作りの第二次世界大戦の名機、スピットファイアの木製モデルだった。国を挙げて敢然とナチと戦った英国が救いであったことが判る。その向こうには(映画では出てこないが)自由の国、米国が見える。全体の方向としては、そうであったとしても、個々のレベルでは、弱者に寄せる強い思いもあったのだろう。
お父さん、お母さん、僕、 みんなある意味ふつうの人で、 一貫してず...
お父さん、お母さん、僕、 みんなある意味ふつうの人で、 一貫してずっと強い感じしないのが良かった 最後のところで、 横並びに家族で歩くシーンが素晴らしい 誇らしげで清々しい
🇩🇪✕🇩🇰
ドイツとデンマーク2国間のお話しは 「ヒトラーの忘れ物」以来かな デンマークもドイツに対抗してかなりの悪辣振りと結局皺寄せは若者達だったのを思い出した 1945年もまだナチスとかレジスタンスとか存在してたのか そして巡り巡って今度はドイツ人が難民 戦況の移り変わり易さや因果、皮肉を感じた 戦争では正義や我が身を守るために無関係な敵国の人達をも攻撃するという図式がよく分かる そして嘆かわしいことに犠牲者はいつも弱い者である 正直父も息子も情況によって信条がコロコロ変わっているような気がしたけど、あんな世の中では自分の命や職を賭してまで正義を貫くのは難しかったろうし、心情も察することが出来た(と思う) 今の世界の情勢と重ねて観てってことかな
24-088
戦争って人を不幸にする。 家族や恋人、親友の命を奪う。 そして人の心の善意や正義感、倫理観も奪う。 母の行動は、善意の気持ちから、 父の行動は、正義感の表れ、 息子の行動は両親から学んだ倫理観から。 正しいものが虐げられ、曲げられる。 戦争の不幸は許容し難い。
自分ならどうするだろう?、 などと考えながら見た。
敵と戦うレジスタンスも命がけだが、良心に従って敵の難民を支援するのはもっと命がけだと思った。
基本、レジスタンスは敵には隠れて、場合によっては味方にも自分がレジスタンスであることを秘密にして行動する。とにかくバレないようにする。
でも、自国に来た敵の難民を助けるのは隠れて出来ない。まあ食事だけなら夜にコッソリと届け続けられるかもしれない。だけど、ケガ人や病人は、たまたま自分が開業医でもしていなければ、助けてることを隠すのはムリだろう。
自分1人だけのことを考えればよい境遇なら、思い悩むことなく自分の信念に従えばよいと思う。しかし、ヤコブのように家族がいて学長という立場であったりすると、これはもう気持ちがあっちこっちにブレブレである。
家族が殺されたり、学校が燃やされて自分と職員が路頭に迷うなんて展開も有り得たはずだ。なくてホントに良かった。
最初にミルクをあげに行ったリスも、投げ込まれた石が息子セアンに当たっていたらと思うと大揺れだった。
最後は村からも学校からも追い出されてしまったのでハッピーではないが、ヤコブもセアンもリスも良心に従って行動したし、少女も救えてホッとしたからハッピーエンドとも言えるかもする。
興味ある面白い映画
興味ある面白い映画でしたが、当時のデンマークの政治的背景まで映画にするには、時間的余裕がなかったのでしょうが、国民感情が判らず、もう一つ深い理解に苦しむ内容でした ドイツの敗戦直前に空襲で住むところを失った自国難民を、ナチス占領下のデンマークに、多数送り込んだナチス デンマーク国民にとっては、難民とはいえ憎きドイツ国民なので、病気や飢えで困っている子供ですら助けるな!という憎悪の中で、博愛主義者のとる行動が葛藤となる対立がテーマです (デンマークで、ナチス・ドイツの占領下にあった5年間に、国王クリスチャン10世は、デンマーク在住のユダヤ人に「ダビデの星」を付けるようにとのヒトラーの要求に断固反対し、「デンマーク国民であるユダヤ人」にはナチスに指一本触れさせなかったと言われ、ドイツ占領下にあった諸国の中で、デンマークのユダヤ人たちは98%がホロコーストを逃れることができた)という程に強くドイツに対抗したデンマークの国民性が判っていれば、より理解ができる映画だったと思いました
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