ゆきてかへらぬのレビュー・感想・評価
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根岸の吉ちゃん、いい映画をありがとう!
いやあ、自分の知らない時代だけど雰囲気のある作品でした。登場人物を実在した3人に絞ってたので群像劇のような散漫さがなく、友情のような愛情のような男女の関係がノスタルジックな空気の中で上手く醸し出されていて面白かった。脚本の良さからかセリフの言い回しによってどんどん映画に引き込まれていきました。そして、何故か「遠雷」を思い出しました。広瀬すずの一皮剥けた演技には驚いたが、一番注目してた中原中也役の私は知らない俳優の学芸会のような演技にはミスキャストとしか思えなくて、この映画で唯一のガッカリした部分でした。
美しい世界を見られたが・・・
最初に書いておくが、広瀬すずは俺の最大の“推し”。なので、本作の公開を誰よりも楽しみにしていたのだが、・・・
【物語】
舞台は大正時代。20歳の長谷川泰子(広瀬すず)は京都の撮影所で端役をもらいながらなんとか暮らしていた。あるとき、17歳の学生・中原中也(木戸大聖)と出会う。2人は互いに惹かれ合い、一緒に暮らし始める。その後東京に引っ越し、詩人として名が売れ始めた中也の下に友人であり批評家の小林秀雄(岡田将生)が訪ねて来る。小林は中也の才能を誰よりも認め、中也も批評家としての小林に認められることを誇りに思っていた。
そんな二人の関係に嫉妬さえ覚える泰子だったが、小林もまた泰子に惹かれていくのだった。
【感想】
最初に良かったことから書くと、映像として“大正”感はとても良く出ていて、“画”として惹かれるシーンがいくつも有った。特に京都の路地のシーンはハッとするほど美しい。 良く出来た撮影セットや音響効果も含めて映像化、作品の世界は良く作り込まれていると思う。
が、しかし・・・
ストーリー展開、演出には疑問が湧いた。 「泰子、中也、小林3人の不思議な関係性」が作品の軸にあることは今作製作のプレスリリースされたときから分かっていた。“泰子と中也”、“泰子と小林”、“中也と小林”、それぞれの関係性が観客にどのように見えるかが一番重要だと思うのだ。それが、それぞれその“特別さ”をどうにも感じ取れなかった。もちろん惹かれ合っていることが表面的には描かれているが、互いの存在をどれだけ大きく感じていたかというところが肌で感じられなかった。
“泰子と小林”はまだ良いのだが、 “泰子と中也”の関係性が作品的にはより重要なはずだが、俺にはそれを感じ取れなかったのが致命的だった。まず、冒頭に描かれる、出会いから惹かれ合うまでが??? そもそも最初から一緒に暮らしているように見えたのは俺だけ?
“出会い”だけでなく、中也が学生の分際でなぜあんな暮らしが出来ていたのかも一切説明が無く、冒頭から2人が惹かれ合うまでの部分は原作(元の脚本)から何か端折ったのではないかと疑うほど、納得感が無い。一緒に暮らし始めたという、結果だけが示された感じ。 さらに一緒に暮らし始めた後も、一瞬で別れてしまいそうな関係性に見えてしまった。 泰子は年上であるし、その後の行動を見てもやや冷めた感じに見えても良いと思うのだが、中也には並々ならぬ強い執着が有ったはず。だが、それを感じることができなかったから、その後の展開がイマイチしっくりこない。
“中也と小林”も描写不足では? 2人の関係性にある場面で説明的に「2人の仲は泰子が嫉妬するほど特別のもの」と描かれるのだが、どこで、どう仲良くなったのかは全然描かれていない。だから5歳も年上の小林を中也が呼び捨てにするのは非常に違和感が有った。現代よりも目上の人に対する態度をうるさく言われた時代だと思うので、20歳前後の若造が5歳も上の社会人を呼び捨てにするのはよっぽど親しい関係性だったはず。それを納得させる描写(エピソードみたいな)が欲しかった。
役者に関して言うと。
岡田将生演じる常に冷静な小林のキャラは納得感が有って良かったと思うが、木戸大聖は上述の泰子への思いの表現に不満を感じる。表現力というより役の解釈が浅いのでは?と思う。
目当ての広瀬すずに関して言うと、感情の爆発的演技は十分だったし、大正ファッションでも可憐な姿を度々見せてくれたのは嬉しかった。特にラストの佇まいはステキだった。ただ、(ファンでありながら)あえて難を言うと、感情のままに生きながらも2人の男を強烈に惹きつけたのは単純な外見だけではなかったはずで、「これ見せられたら中也も小林もやられちゃうよな」と思わせる“瞬間”が有ると、物語全体の納得感が増したと思う。例えば、2人だけのときに一瞬見せる表情や態度みたいなもの。
まとめると、宣伝用の長いダイジェスト版を見せられたかのような印象。美しい世界は見られたし流れは分かった。しかし、物語がどこか表面的で、そこに至った過程や3人の内面描写が不足しており、食い足りなく感じる。脚本の問題か、脚本解釈の問題か、演出の問題か、編集の問題か、はたまたこちらの観賞眼の問題なのか分からないけど。
実は初回鑑賞でちょっとガッカリしながらも翌日にもう1回観た。すると1回目に比べると監督が描こうとした世界が少し分かったような気もした。もう1回観ると、また違って来るのかな?
この不思議な関係性が意外と、いい
モノクロ映画版も 観てみたい
大正ロマンを感じる映画なので、観ました。
実在詩人中原中也氏は、この時代の文豪達によくある"田舎からでてきた 資産家ボンボン"であり、
甘やかされていた親元から離れ、いきなり箍(たが)が外れされた生活の中で、自分の存在さえも疑う生き方は、太宰治氏にも強い影響を与えてしまいます。
撮影技術は非常にすばらしく、影をも上手く使いこなし、構図も彩度もピントの加減もうまかった。<撮影賞>
広瀬すずさんの迫真迫る演技のひとつひとつが素晴らしかった。<主演賞>
岡田将生さんも良い演技でした。<助演賞>
セリフが文学調で、映画の世界観をよく表現できており、流石 田中陽造さんのシナリオだと感心しました <脚本賞>
この映画が好きならば、中原中也氏から刺激を受け、4に対する思い入れが 受け継がれた「津軽」のような太宰治氏の作品を読むといい。
映像が良い
キノフィルム、映像が良い
良いが、良すぎてしまって、
必要以上に鮮やかなのが気になる。
夜のシーンはちょうど良く感じるので、
昼だと作り物感が出てしまうか。
キャストも誰も良かった。
中原中也が何も説明されなくても
中原中也だと分かる絵の力は、とんでもないと思う。
性的なシーンはもっと描くか、
もっと描かない方がバランスが良いと思う。
個人的には、もっと描かない方が良いと思う。
シナリオとしては1人の女性が不器用ながら強く生きるという話なので、...
中原中也とファム・ファタール
スタイリングがとても良い
純粋で、手に入らないもの
しみじみした気持ちが、鑑賞後の第一印象。愛って、危うくてもろくて自分勝手だね。
中也を演じた木戸大聖さんは熱演だったと思う。今後誰かが中也を演じるときは、彼を越えるためにかなりのデフォルメが必要だろう。それくらい自然だった。でももう少し、彼の狂気が表現されていてもよかった。おそらく、長谷川泰子たる広瀬すずさんがそれを担ったんだと思う。
広瀬すずって、こんなにいい役者さんなんだ。後半、ほんとに自然に長谷川泰子だった。まあ見たわけじゃないけどそう思った。そういう意味では小林秀雄を演じる岡田将生さんは難しいポジションだったね。常識人の狂気って、どうすりゃいいのって感じ。作品全体としては、詩壇における中也の立ち位置とかが分かればなおよかったのにね。
さらに言えば、のちの泰子の私生児を中也が猫可愛がりしたエピソードは完全割愛だったけど、あれこれが中也なんだけどなー。別れた恋人の私生児ですよ?愛する事に純粋無垢。普通じゃないよね。ずっと愛したらよかったのに。でもできなかった。彼のせい?彼女のせい?人って、みんな狂ってるから。
その真ん中にはいつも詩が存在している。
中原中也の詩が好きで若い頃夢中で読み漁った。医者の家に生まれ17才で駆け出しの女優と同棲し上京、詩を書くことに心血を注ぐが、病や溺愛した息子の死で神経をすり減らし30才の若さでこの世を去った。残された詩は約350。私の中で中原中也は神格化されている。だから美しくなくてはならない。木戸大聖の中原中也はとても美しかった。
文学的でほぼ3人だけで進む展開や台詞回しがまるで舞台を観ているかのよう。音楽、そして明治から昭和にかけてのノスタルジックな雰囲気、要所要所で降る雨が心地良い。出逢ってしまったという言葉が本当にしっくりきている。久々にパンフレットも購入して私のお気に入りの1本になりました。
中原中也の真ん中にはいつも詩が溢れていた。今作は飽くまで3人の関係を軸に描かれているけど、欲を言えば中也を中心にもっと詩を散りばめて欲しかった。たとえば逝く夏の歌。たとえば狐の革裘。
広瀬すずの新たな進化
大正時代に実在した女優・長谷川泰子と詩人、文芸評論家の男女3人の愛の行く末を描いた恋愛ドラマ。大正ロマンというべきか、映像から滲み出る世界観の美しさに引き込まれた。
そして何と言っても主演・広瀬すずの演技が圧巻で自由奔放に生きる小悪魔的な新たな一面に魅了された。どんどん進化する広瀬すずの素晴らしさに脱帽でこの演技を観るだけでも価値のある作品です。
2025-30
美しい映像、美しい音楽、美しい広瀬すず、美しい岡田将生
パッとしない中原中也。
この作品を観て中原中也という人物に惹かれ、その詩集を買ってみようかな、とは思わない。
演じた方には申し訳ないが、天才には見えないし、真剣で斬りかかってるようにも見えないし、空から降ってきた天使にも見えない。そもそも全生活をかけて詩を書いている17歳が、詩心のないおじさんには響かない。
出てきた頃のブラッド・ピットやアラン・ドロン、若い頃の菅田将暉みたいな、パッと出てきただけで惹きつけられすべてを味方にし、その最後には同情せずにいられない、といった魅力のある俳優が演じてたら、、。詩人が主役では難しいか。
三時間か四時間の映画を観ているくらい長く感じた(特に中原中也が中心となる前半)が、最後の広瀬すずのアップ、眼力と美しさに魅了され、満足感に浸っていると。
台無しソング(主題歌)いらね〜な。
根岸吉太郎監督、田中陽造脚本って、タイムリープしたんかと思った。なかなか映画化できなかった作品を、今回も木下グループさんに感謝。
この映画には全く関係ないけど、「スーパーマン」新作の予告篇初めて見て、あらためてスッパマンを作り出した鳥山明って天才だなと思った。
観ると『山羊の歌』が読みたくなる(かも知れない)一作
国語の教科書でもおなじみの詩人・中原中也と小林秀雄、そして女優・長谷川泰子の三者が織りなす愛憎劇。作中、主人公である中原の、詩人としての側面はもちろん描かれるんだけど、基本的には彼らの人間関係に焦点を絞り込んでいて、主要登場人物もほぼこの三人だけ、というある種の潔さ(草刈民代とか、登場場面が短くともしっかり存在感を発揮しているところはさすが)。
若き日のゴダールとかの映画を彷彿とさせるような、「愛情と憎しみだけで成立している世界」描写なんだけど、前半の生活感のない、現世にたゆたうような生き様からの、生老病死と背中合わせにある現実に直面していく後半部への展開などからは、ボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』も連想しました。そういえば中原も小林も、ランボオに傾倒しているし。
本作はとにかく映像、というか撮影に注目してほしいところで、冒頭、長谷川泰子が眺めるあるものからの、中原中也登場場面へのつなぎで、いきなり意表を突いてきます。また例えば、中原、小林、長谷川は作中において大きく二回、「死」について語り合んだけど、状況的には全く異なった二つの場面を、ゆらめく水面と濡れた床のきらめきという類似した要素で接続することで、そこに関連性があることを強く印象付けています。さらにこの死についての対話のつながりを意識することで最終盤の余韻が一層強まるように作劇している、などなど、単なる凝った映像ではなく、作劇意図としっかりかみ合っている点が素晴らしいです。
本作の撮影監督である儀間眞悟は、実に良い仕事をしていると思いました!もしかしたら映像の意図を深読みしすぎてるだけかも知らんけど!
三人のラブ・アフェア
文士の三角関係は枚挙にいとまなし。
〔あちらにいる鬼(2022年)〕は
『井上光晴』と妻、『瀬戸内寂聴』の長年の関係を映画化したもの。
『谷崎潤一郎』は、妻を『佐藤春夫』に「譲渡」する契約を結んだ
「小田原事件」を起こしたことでも知られている。
このあたりは自分の記憶の範囲内。
しかし、本作で描かれている
三人の関係については
寡聞にして知らなかった。
『中原中也』と『小林秀雄』が昵懇だったことは
仄聞していても。
『中原』が放蕩なのは周知も、
『小林』もなかなかの無頼。
共に酒癖も相当に悪かったようで、
それも本作で描かれた二人の仲の裏側にあるのかも。
自分たちが受験生の頃には
〔様々なる意匠〕は必読だったわけだが
(まるっきり理解できなかったけど)、
書かれたものと人間の本性には
何ら関係が無いことは良く理解できた。
『長谷川泰子(広瀬すず)』はデラシネの女。
身の回りをトランク一つに詰め、
どこへなりとふらりと立ち回る。
見目は麗しく人目を惹くものの、
台詞回しが上手かったり、
立ち居振る舞いが美しいわけではない大部屋女優。
家事もからっきしなのに加え、
性格も相当にエキセントリック。
そんな彼女に
文才に優れた二人の男が惚れ、
振り回される。
最初に出会ったのは『中原中也(木戸大聖)』。
次には友人の『小林秀雄(岡田将生)』へと連鎖していく。
『泰子』はやがて『小林』の元へと逐電し、
その三角関係の苦悩から『中原』は詩を着想するのだから、
まさに「ファム・ファタル」そのもの。
『小林』が『泰子』との生活に疲れ
袂を分かった後も三人の関係はぐずぐずと続く。
しかしそれは、男女の愛情を超えたものへと昇華し、
傍目からは奇異にも見える。
もっとも、『小林』が『泰子』と関係を結んだ理由も
『中原』が一緒に暮らしていた女性だから(そうした)、とは
容易に想定できるもの。
あまりに複雑に過ぎ、
凡人には到底理解が及ばない。
『広瀬すず』が大正時代の「モガ」を
美しく演じる。
身体表現も変わらずしなやかで
観ていてほれぼれするほど。
潔癖症にとらわれた狂気の演技も凄まじく、
生き生きと主人公を体現する。
とは言え、観る側は
『長谷川泰子』の人間像を掴み切れない
もどかしさを感じる。
幼い頃の母との記憶のシーンを削り、
全体の尺を伸ばしてでも
彼女の人となりを膨らませるエピソードを
増やすべきではなかったか。
対比がよかった
中原→泰子→小林→中原で、見事なまでに三角関係でした。
中原が泰子と喧嘩をして負けるのは、途中まで気づかず劇中の会話で言われてから気づきました。
泰子が中原の客である小林に失礼な態度を取れるのも、中原の泰子への愛が大きいからですね。
泰子が小林を好きになりすぎて病気になったのを見て、少し分かるような気もします。
中原に対しては傍若無人だった泰子ですが、小林に対しては髪を整えたり身なりを気をつけてたのがこれも愛の大きさがわかる。
“小林の客”である中原にはしっかりもてなして、ティーカップも持ち手が右側“でないといけない”。
病気になったのも“でないといけない”ことが多かったからでは。
本当に小林の事が好きなのが伝わってきました。
『神経と神経で繋がろうとしましたの。それが1番深い愛、潔い愛だと思ったから』
小林と泰子のセックスシーンがありましたが、上記の台詞から察するに、結局最後まで出来なかったんですね。
時計のシーンで泰子がおかしくなったの何となく気持ちわかったような。小林と中原が神経で繋がりそうで気持ち悪いと見た時は思いました。
最初に小林は傍若無人な自由そうな泰子に惚れたのかと思ったら終盤の中原の奥さんを褒めてるの見て、お前もそういう人がいいんかい!って気持ちと同時にまた手を出そうとしたんじゃないのかと思いました。結局、中原の泰子だからよかったんですね。
泰子と叩き合いして、でも結局は負けちゃう中原と、優しく寄り添うのに最後は叩いて払っちゃう小林。その対比もすばらいですね。
岡田将生さん出てきてからのワクワク感、さすがだなと感じました。ほんと空気が違うというか物語が動き出した感じが、より一層泰子の気持ちがわかった。
広瀬すずさんは今まで作品を見た事無かったんですが、演技が上手でよかったです。
目で語る演技や、違和感のない喋り方とか。
実在の人物を描いている?
演者の皆さんの演技は、素晴らしかっただけに残念。
映像も優美で美しく、衣装も素敵だった。
しかし…「今日は体調が悪いのか?」と考え込むほど
時間の流れがおそく、冗長に感じた。
「実在した女優・長谷川泰子と詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄という男女の愛と青春を描いたドラマ。」
と宣伝文に書くには、本人達のキャラクター掘り下げ、特に精神性の掘り下げ方が薄すぎやしないか。
特にそれぞれの作品が、何故創出されるに至ったか。
史実と違う事もかなり多い。
これならまだ実在ではなく、大正時代にいた全く架空の人物で描いてもらう方が、まだ展開がドラマティックで、自由な起承転結をつけられたのではないか。
おそらくモデルとなった3人は決して言わないであろう、知性を全く感じさせない軽薄な台詞の連発が、とくに終盤苦痛だったのは、私だけだろうか。
トータス松本さんのヴァイオリン!最高でした!
映像がきれいでした
愛の奴隷
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