本心のレビュー・感想・評価
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話が散らかってるけど魅力的な作品
主人公と母親の話から始まるけど、終盤は恋愛物語のように。
闇バイトやAIなど近未来らしい設定が面白いが、話がとっ散らかってまとまりきれていないようにも思う。
最後まで主人公は”本心”を言わなかったけど、最後の最後は希望のある終わり方でよかった。
不思議な世界観で独特の魅力のある作品。
非常に面白く観ました!
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作を非常に面白く観ました!
この映画『本心』は、町工場で働く主人公・石川朔也(池松壮亮さん)の母・石川秋子(田中裕子さん)が、息子に最後に伝えたかったこと(「本心」)を伝えないまま、国の定めた「自由死」を選択して、川の濁流に飲み込まれ自死するところから始まります。
主人公・石川朔也は母を助けようとしたのか、濁流の川に飲み込まれ、病院のベットで意識を回復したのはそれから1年後でした。
主人公・石川朔也が目覚めた1年後の世界は一変していて、勤めていた工場は自動ロボットに全て置き換わり、石川朔也は(Uber Eatsの配達員がモデルになっているだろう)「リアルアバター」として働き始めます。
その後、主人公・石川朔也は、溜めたお金200万円と、母の「自由死」で得た100万円と合わせて、300万円で母のVF(ヴァーチャルフィギュア)を作って母のVFから母が最後に自分に伝えたかった「本心」を聞き出そうとします。
ところで今作で描かれていた世界は、(今から少し近未来の設定だとは思われますが)現在の日本の空気感を正確に捉えて描いているとは思われました。
それは、ネット社会が進展し、人々の欲望が直線的に実現しやすくなった代わりに、煩わしい人間関係を通してのしかしこの程度なら互いに許してブレーキを掛け合う寛容な感覚が著しく低下した、現在の日本の空気感だと思われました。
主人公・石川朔也の工場時代の同僚であり「リアルアバター」の仕事を石川朔也に紹介した、岸谷(水上恒司さん)は、VF開発会社の野崎将人社長(妻夫木聡さん)の娘の子守役をクビになり、ついには政治家の車を爆破する犯罪に加担することになります。
主人公・石川朔也も「リアルアバター」として仕事に邁進しますが、顧客の理不尽な依頼内容によって振り回され、ついにはクリーニング屋の外国人労働者に暴言を吐いている人物に暴行を加えてしまいます。
これらのことも、互いに許してブレーキを掛け合う寛容な感覚が麻痺した、現在の日本社会を正確に表現していると思われ、底が抜けた底辺から分業的な凶悪犯罪に手を染めて行く、今の闇バイト犯罪が起こる空気感をしっかりと伝えていると思われました。
私達は、もちろん効率化されたネット社会から離脱することは出来ませんし、非効率な社会を改革する必要は当然あろうと思われます。
しかし一方で、互いに許してブレーキを掛け合う寛容な感覚をも無くしてはいけないと思われ、闇バイトなどなぜ社会の底が抜けた犯罪が横行しているのか、ネット社会の功罪の罪の部分も考える必要があろうかと思われます。
主人公・石川朔也はその後、本来であればクリーニング屋での暴行映像が拡散されれば、暴行罪の犯罪者として逮捕され、当面の人生は終了する流れだったはずですが、なぜかクリーニング屋の映像は暴行場面が編集でカットされて世間に広まり、主人公・石川朔也は逆に差別主義者をとがめた英雄としてネット社会で称賛されます。
この事も、ネット社会の人々の気まぐれで、その人を叩き潰すことも祭り上げることも出来るという、ネット社会の歪みを正確に表現していたと思われました。
主人公・石川朔也は、母のVFを作成する過程で、母・石川秋子が職場で同僚だった三好彩花(三吉彩花さん)と共同生活を送っています。
そして石川朔也は、三好彩花に、かつての当時売春をしていて退学になったクラスメイトの村田由紀(宮下咲さん)の幻影を見ています。
主人公・石川朔也は、クリーニング屋での映像によりネット社会の英雄になった後、アバターデザイナーで高額所得者のイフィー(仲野太賀さん)から連絡を受け、彼から専属の「リアルアバター」としての報酬を受け取る事になります。
アバターデザイナーのイフィーは、その後、主人公・石川朔也にさらに報酬を上げる事を条件に、三好彩花との関係を取り持って欲しいと頼みます。
主人公・石川朔也はイフィーの依頼を受け入れ、三好彩花に対して自分は「好きではない」と言って三好彩花との関係を断ち、三好彩花はイフィーの元に行くことを決断します。
その後、石川朔也は、母・石川秋子のVFと最後の会話を想い出の滝の前で交わし、ついに母の「本心」を聞くことになります。
その母の「本心」の言葉は、石川朔也の存在を根底から肯定する言葉だったと思われます。
ところで、石川朔也が三好彩花に最後に言った「好きではない」との言葉は、石川朔也の本心ではなかったと推察されます。
なぜなら石川朔也は、三好彩花にかつてのクラスメイトだった村田由紀の幻影を見ていて、当時の石川朔也は村田由紀のことを考えて、あくまで行動していたと思われるからです。
なので、石川朔也は、三好彩花はアバターデザイナーのイフィーと一緒になった方が幸せになると(村田由紀の時と同様に)三好彩花の事を考えて身を引いたと考えるのが、自然だと思われるのです。
(男性に触れることが出来ない三好彩花が、イフィーには触れることが出来たというのも、石川朔也にとっての三好彩花から身を引く理由だったかもしれません。)
しかし映画のラストで、屋上で母のVFとの最後の会話をした石川朔也の手に振れようとする女性の手がありました。
それは間違いなく(イフィーの元に行く考えを辞めて、石川朔也の元に戻って来た)三好彩花の手だったと思われます。
男性に触れることが出来ない三好彩花の手が三好彩花の方から石川朔也に振れることが出来れば、この心がないと思える場面も少なくない、軽く人々が扱われる空気が充満している現在の日本のネットを含めた社会の中で、互いに許される人がそれでも存在しているという、希望のラストカットだったと思われます。
(三好彩花の終盤での屋上の告白はややステレオタイプのセリフ内容の印象はありましたが、それを凌駕する三好彩花を演じた三吉彩花さんの存在感も含めて)
今作は全体として現在の日本の空気を正確に表した秀作だったと、僭越ながら思われました。
今作を非常に面白く観ました。
禅問答
本心…?
誰の?
ずっと座り心地の悪い椅子に座らされているような…最初にボタンを掛け間違えて、それをそのまま着ようとしてるような心地悪さがある。
2025年7月の表記があって、それから1年後、2026年が舞台の本作。
今より少しだけ近未来。
自由死なんて言葉が出来て、VFって技術によって仮想空間の中で死者を蘇らせる事ができる。
色々便利になってそうな世界で常識も普通もアップデートはされてる模様。だけれども主人公は貧困で絶対的な主従関係を強要される労働者だ。
彼と彼の周りは時代から見捨てられたかのようだ。
そして、とても理解できてしまう。
…これが本心?
周りは変わっても変わらない本性や性根が本心?
けどさ…本心ってさ、自分にしか分からなくない?
例えば他人に「俺の本心はコレだ!」と伝えた時、それを信じるか信じないかは委ねられたりするじゃない。
だから…自分以外は推し量れないんじゃないかと思う。
そんな中で、出てくる人々は色々本心らしい事を話してはくれるのだが、主人公だけは本心を明かさなかったような気がしてる。
ただ、それでも漏れ出してくるのが本心なんじゃないかとも思う。
過分に推察も含まれもするが…主人公は母親を愛していたのかなぁと。
最愛の女性が自死を選ぶ。重度のマザコンなのかもしれないけれど、過去の事件によって人間不信に陥ってないとも限らない。
愛する人が死を選んだ時、自分の存在価値とかが揺らぐものかもしれない。
だからこそ生き返ってほしいと強く強く願うのもかもしれない。
そうやって生き返ってきた最愛の人のある一面しか見てなかったし、見せてもらえていなかったのだと知った時の葛藤と困惑は相当だと思う。
母親って肩書に全幅の信頼を寄せていたのだろうか。
結局のところ、科学がどれだけ発達しようとも他人の本心の答え合わせなど出来やしない。
最後に母親が言った「最後だから」との本心も、それを信じるかどうかは主人公次第だ。
その人への信頼が揺らいだ時点で、本心の所在もあやふやになる。
残酷なまでの格差社会の存在は、この社会全体の本心なのかもしれないし、窮地に追い込まれてる人間は本心や本性で動きやすいって刷り込みを確立しやすくする為の舞台装置かもしれない。
そして、なぜ三吉彩花さんだけが「みよしあやか」だったのだろうか?
彼女は仮想空間の住人なのか?
それとも、主人公はまだ目覚めてなくて、この話は夢の中なのだろうか?
最後に彼は空に手を伸ばす。
ようやく目覚めるのだろうか?
目覚めた彼の手を握っているのは、2024年に付き合ってる恋人の「みよしあやか」なんだろうか?
彼は病院のベットの上で、母親への恋慕と恋人への愛情に向き合い、自身の本心を探し続けていたのだろうか?
三吉彩花=みよしあやかを整理出来ずにいる。
難解な作品だなぁって思う。
ただまぁ、主人公がVFを通して接触する人々は礼儀も礼節も弁えてない輩が多かった。
あれも格差社会における対人関係の本心なのであろうなぁ…。
こんな社会が訪れない事を祈るばかりだが、現在の日本はその入り口には立ってるように思うからそら恐ろしい。
まぁ…この作品の感想とかは個人のモノであるから、間違いなく本心だろうし、劣悪な環境とか隷属する主人公とか、そんなものを突きつけられりゃ、自分の本心を知る事にもなるのだろうなぁ。
田中裕子さんって…ナイスなキャスティングだったな。そこに居るんだけど、雲か霞のような印象だったな。
目に生気が全くなくて、仏像のような眼差しというか…なんかその眼差しには名称があったな。
なんだっけ?
半眼っていう状態で、如来の目は三昧というらしい。その説明はこの作品のテーマそのものみたいだった。
…流石であります。
◾️追記
一夜明けて、皆さまのレビューを拝読しつつふと浮かんできた単語があった。
「ありのまま」
思うに…この「ありのまま」って言う状態や状況を否定というか受け入れにくい世界観だなぁと感じた。
「死」すら蔑ろにする欲望
笑顔に矯正される母の写真
バーチャルアバターは奴隷のようだ。
本心ってのが裸の心なんだとすると、このありのままを受諾できない社会では、抑えつけて隠し遠さなければいけないものになってしまっているのであろう。
常に蔑ろにされ、抑制し隠匿せねばならないものが「本心」…いつから本心はそんな厄介なモノにカテゴライズされたのだろう。
なんだか、自分的にはようやくしっくりきた。
次々枝分かれし空中分解
本心で生きられない、未来の社会
言いたいことはよくわかるのですが、映画のまとまりや筋の通し方があまり巧くなく、観た後「散らかっているなぁ」と感じてしまいました。これがマイナス1ポイントです。
それでも、原作や映画の中から投げかけられた「大きな問題提起」は非常に意義深く、このチャレンジングなストーリーや着想は5点満点だと考えています。
自分の本心では生きられぬ、そんな未来社会がやってくるという示唆(問題提起)です。
映画の中にはいくつかの軸があります。
①池松壮亮演じる朔也が母親の本心を探る軸
②リアルアバターが本心を出せずに顧客の言いなりで仕事しないと行けない、近未来の闇の軸
③三好彩花をめぐる朔也とイフィーの本心が何かを考えさせる軸
これらはいずれも人間の深いところを掘り下げる話であり、1本2時間くらいの尺で描き切るのにはやはり限界があったのではないかと思います。
しかしながら、朔也という主人公一つの軸だけで考えると、それらは全て「本心ではない」ことに集約されます。
①自由死した母親の本心を探るため、VFを作りたいというのが朔也の本心だったのか、定かではありません。
母親の本心も結果的にはクリアにはなりません。
②生きていくお金を得るために、アバターとして自尊心も本心も踏み躙られて朔也は仕事をしないといけません。
③同居していく中で、三好彩花へのほのかな想いはあるものの、自分の本心を隠して、結局イフィーの身代わり(アバター)として彼の想いを伝えます。
これらは全て、朔也の「本心を隠している」行為なのです。
アバターとして、メロンを顧客の代わりに買うシーンで、顧客の罵詈雑言を浴びながらじっと耐え、最後に「包み方が下手だから買わない」と顧客の言葉を、本心でないのに自分の言葉として店員に伝えるシーンは、まさに「本心で生きられないことの苦渋」が朔也の顔に満ちていた、何とも苦々しい場面でした。
すでに今の時点で私たちは、ネットのコメントやSNSでの情報や同調に操られ、自分の本心でそのことを決めたり選んだりしていることをしていない可能性があります。
この『本心』という映画で描かれた少し先の未来はもっともっと「自分の意志や本心」が出せない、本心を出さずに生きていかねばならない社会の闇が到来するのかも知れません。
映画のラストシーンで朔也の手にそっと重ねられる暖かい手は、私は三好彩花ではなく、朔也が高校時代に恋心を抱いていた「ゆき」の手だと解釈しています。
最後のカットで、「朔也の本心」を見せたのだと。
つまり、朔也が本当に愛していた人は自分が純粋に恋した高校時代の「ゆき」さんだけ、三好彩花にも恋心はあったものの心の底からの本心とは少し違っていたのではないかという解釈です。
このラストと、冒頭で意味深に出てくる「ゆき」さんの振り向いている表情とが繋がる形です。言葉はなくとも本心が伝わっていたのではないかと。
所属する映画サロンの合評会でも「ラストの手は三好彩花」という解釈が多く、さらにそこに希望的な感覚を乗せている意見も多かったのですが、自分は全くと言っていい程異なる解釈を持ってしまったので、記憶と記録でここにレビューしておきたいと思います。
もっと冗談ぽく言ってよ
保証しますよ、本物以上のお母さまをつくります。
一年近く眠り続けた人間が、髪型も、爪も、髭も、そのままなのか?って時点で物語を受け入れるには抵抗があったが、それはさておき。
『本心』と言うより、副題の『The real you』のほうがより内面の葛藤が伝わってくる気がする。『PLAN75』のように、自分で死を選ぶ制度ができる近未来。母が自由死を決めた理由を知りたかっただけなのに、知らなかった、知りたくもない事実や感情を目の当たりにする戸惑い。わが身が石川朔也と同じ立場になり得た時、そして同じような事実を知った時、同じように戸惑い、後悔する気がする。でも人は、見たくもないのに見られる状況(例えば覗きやストーカーや盗撮もその延長だろう)にあると欲求に勝てない。うまい匙加減で、こっちの心理を揺さぶって来るなあと思った。
だけど、どこかムズムズしていた。これは"あっち側の人間"が描く、"こっち側の人間"の話。あっち側=富める者と、こっち側=貧しき者。なんでだろう、何か高みから眺められている不快感かある。不快感の向く先は、役者ではなく、原作者に対してなんだが。それを"こっち側の人間"の僻みととらえても仕方がないかもしれないけど。
リアルアバター、ウーバー進化版の代行サービス、近い将来こういうもんが出てきたら、人はどれだけ心がすさんでいくのだろう。最後に添えられた手は、そんな壊れていこうとする未来への”希望”なのだろうか。
全体のストーリーは面白いんだけど。
死んだ人間のアバターをつくって会話するってのはもう始まっているけど、かなり気持ち悪いよね、ってぼんやりした感情を映画化してくれたのはチャレンジングだし評価したいんだけど。
映画全体に細かいノイズがあって、いまいちその世界に入り込めなかった。
ロボットが溶接している隣で溶接している人間が「そのうち俺たちはいらなくなちゃうよ」なんて会話するんだけど、いつの時代の話?80年代?90年代?_って思ったら2025年ということらしい。
そんなことあんたが生まれる前から言われてたことだよ、岸谷君。って心で突っ込みをいれたらなんか止まらなくなっちゃって。
病室の窓からの景色が、真っ赤な紅葉→雪景色→満開の桜と変化することで1年たちました!ってことを表現するんだけど、桜は紅葉しませんけどって思ってしまう。
ここ数年は、横浜流星と池松壮亮を交互に見てるんじゃないかって言う感じなので、この人は仮面ライダーじゃないし、野良の殺し屋でもないって言い聞かせながら見てるのに、三好彩花の役を三吉彩花が演じてるから、プチ混乱してしまう。
これから死ぬって人が最後に挨拶するのがリアルアバターってことはないんじゃないの?プラン75の倍賞さんの状態ならわかるけど、家族に囲まれてるのにバイトに向かって『ありがとう』っていう人生の最後はどうなのよ?
全体としては面白い話なんで、もうちょっとノッて観たかったという感じがするな。
もったいなかった。
A271 汗臭い!?言われたらショックやで
2024年公開
池松壮亮イライラする~!
でもそれだけ役に入り込んでいるわけで素晴らしいです。
オカンの本心なんか聞きたいか?
ウチのオカンも結構今までの人生にて愚痴聞くけど
まあその時によってよう変わりますわ。
人間なんかそんなもん。
¥3百万もよう出せんわ。
宣伝は妻夫木が怪しげでしたが
それよりもリアルアバターが怖い。
今のウーバー配達員の仕組みを見ていると納得感高い。
使う奴はどう考えてもまともとは思えず
いずれ闇バイト風に利用されるかな。
実際そういう描写もあるが。
まあこいつらアカウント停止は間違いないけど。
三吉彩花ってこんなに良かったっけ?
ちょっと背が高すぎるけど。(関係ないか)
70点
鑑賞 2024年11月18日 ムービックス京都
配給 ハピネット
自分の本心も気づいていない時があるのに
原作は未読。
リアル・アバターという職業ができていたり、仮想空間に作られたバーチャル・フィギュアなるものが実現できていたり、自由死という制度ができていたりと思ったよりも近未来の話だった。リアル・アバターはウーバーの配達待ちをしている人たちを思わせるし、たしかに悪ふざけをするやつらも出てきそうだし、それによって低評価にさせられる人たちも生まれそうではある。近未来感の加減はなかなかうまい。
話の方は、亡くなった母が自分に話そうとしていた「大切な話」を知るために、母のバーチャル・フィギュアを契約するというもの。同居することになった母の友人・ミヨシアヤカとともに探るうちに2人の距離も近くなっていく。自由死という制度に対して、ぼんやりとした説明しかなかったし、バーチャル・フィギュアにしても説明不足な印象は拭えない。たぶん原作ではそれなりに説明がされているのだろうと想像する。その説明不足なところが原因だろうか、一応感動の結末のはずだが、今ひとつ伝わってこなかった。
結末まで観て思うのは、自分の本心もちゃんと気づけていないときがあるのに、他人の本心なんて理解できるわけがないということ。でも、わかり合おうとする必要があるし、例え幻想であってもわかり合えたと思える瞬間は貴重なんだろう。それがテーマなのかは定かではないけど。
それにしても、ミヨシアヤカという女性の役を三吉彩花が演じていることに戸惑ってしまった。これは原作者が彼女をイメージして役名を決めたのか?映画化するときには原作者の意向でキャスティングが決まってたり、シャワーのシーンなんかもちゃんと撮ってほしい旨伝えられたりしたのだろうか。なんて妄想をしてみた。もちろんそんなことはないはず。
現代版"たった1年の浦島太郎"
原作は未読、予告編の不思議さに魅せられて、鑑賞しました。
予告編から、謎解きサスペンス映画を想像しましたが、ただの近未来映画でした。
未来あるあるのハリボテ的な多々問題を、紹介だけして、何も解決できないならば、
せめてひとつのテーマに絞って、掘り下げた方が良い作品に仕上がったと思う。
浦島太郎現象は、1年後ではなく、せめて5年以上後位にした方が、作品としての説得感があったと思う。
それでも、近未来ギアはすべて、チープでダサかった。
ウーバーイーツ的な活動と。友人の存在全てが、作品を惑わすだけで
本来 語らなければいけない 事から、かけ離れているだけで、不要だった。<糞脚本賞>
すなわち、映画の中で、"言いたい事・表現したい事"が、支離滅裂で、作品の筋が通っていなかった。
主人公の最初の ぶっきらぼうなせりふが。。。下手なのが 映画の冒頭で気になって、映画に集中できませんでした。
得るものも、考えさせることもない
この映画を観たら、家に帰って「浦島太郎の絵本」をもう1度読破した方が、楽しいかもしれない。
着地点が見えず
最近池松くんファンになってて、題材もそそられて鑑賞。一人一人の演技は素晴らしく、途中まで展開も読めず楽しめたのだが、途中から話が散り始め、いつ終わるのかな、、と思ってしまっていた。最後はなんか乗り切れない感じで終わった。
近未来を見てる感はあったなあ、、あんな装置できたら使ってしまうかもしれないなぁ、、とか思ったね。
たくさん散りばめられたネタが、どれもまともに回収されないままふわっと終わった。モヤモヤ感いっぱい。
SFからもはや現実に落とし込まれたAI、仮想空間の設定が秀逸
予告編を観て、ゾッとするような怖さを感じた。演技派の池松壮亮、田中裕子というキャスティングにも惹かれて観賞。
【物語】
朔也(池松壮亮)は母(田中裕子)と2人暮らし。工場で働き、裕福では無いが平穏に暮らしていたが、最近母の様子が少しおかしいことが気に掛っていた。ある日工場にいるときに「今晩大事な話がある」という電話を受け取る。約束が有り、すぐに帰ることは出来なかったが、嫌な予感がして家路を急ぐ朔也は、豪雨で今にも氾濫しそうな川べりに立つ母を目にし、駆け寄ろうとするが次に見たときには母の姿は無かった。咄嗟に川に飛び込んだ朔也は、命は助かったものの昏睡状態に陥り、目覚めたのは1年後だった。
母は生前に「自由死」を選択していたことから自殺と断定されたと警察に聞かされる。 眠っていた1年の間に工場は機械化により朔也の仕事は消失していた。 幼馴染みに紹介された新たな仕事を通じて、仮想空間上に任意の人間を作るVF(バーチャルフィギュア)という技術を知った朔也は、ほぼ全財産を注ぎ込んで母のVF制作を依頼する。目的は母が”自由死”を選んだ理由を知ることだった。VFのINPUTデータとして母の生前の情報を集める中で、母には若い友人(三吉彩花)がおり、彼女は朔也の人生に大きな影響を与えた昔の同級生にそっくりであることを初めて知る。
【感想】
設定がタイムリーであり、秀逸。
昨今CHAT-GPTなどの出現によってAIが急激に身近になった。使ったことのある人は皆、「もうここまで来たんだ」と思ったのではないか。
俺もPCからある質問を投げたときの回答があまりに理路整然としていたことに驚きを隠せなかった。 映画の世界ではだいぶ前からAIによって人が支配されるSFが描かれていたが、それがいよいよ現実になりつつあると実感する。 そうなると、便利さを越えて誰しも恐怖を感じるようになる。
SFではそれが戦争・殺人などに繋がって行くが、既に商品化されているバーチャル空間用ゴーグルを使ったバーチャルフィギュアという、ずっと身近な形を設定し、SFとは言えないより身近さを演出している。架空の人物を作り出すという部分は、少なくとも庶民が手に入れられる価格でまだあそこまで制作することは出来ないと思うが、3~5年後はあそこまで行くかも知れないと思わせるリアリティー。 実際手に入れたら朔也同様、嬉しい現実である一方怖くなるだろう。
この設定の巧みさに加えて、予告編からは母と息子の関係に焦点を当てたドラマを想像したが、もっと様々な人間関係や過去と現在が絡んで見応えのあるドラマになっていた。
人間それぞれの裏に隠された真実、本心を覗き見る、ホラーと言うと言い過ぎかも知れないが、怖いもの見たさをくすぐる作品。
やはりハッピーエンドと言い難い作品は星が渋くなりがち
母子家庭で育った主人公。事故をきっかけに長い眠りから覚めた時には、唯一の家族の母親は亡くなっていた。ひょんなことからVFという技術(個人データに特化したAIのようなもの)の存在を知り、作成を依頼する。その過程で母の同僚という女性の存在が浮上し、データ収集のために顔を合わせ、やがて不思議な同居生活に発展する。『リアルアバター』と呼ばれる職業に就き、勝手我儘下衆なユーザーに翻弄され追い詰められるも、ある事件から顔が知られ、思いもよらぬ展開に。結果的に女性は好意を抱かれた別の男のもとに赴き(本心かどうか不明だが、主人公は彼女に対し『好きじゃない』と告げた)、またひとりになった主人公だが、最初にして最終の目標であった母の本心(話したいことがあると生前言われていた)をついに聞くことができた。それは思っていたものとは違う、ある意味なんでもないことだった。
この手の作品は好きなのだが、やはり最後は分かりやすいハッピーエンドが好きなので、見終わった後、物悲しくなるのはちょっと辛い。素直に2人が結ばれてくれれば、仮に安直であっても素直に拍手が送れたのだが。さらには、結局のところ母親の本心は何だったのか、事実は何だったのか、それは分からずじまいなのだ。全てはAIがデータに基づき導き出した回答であるというだけのこと。そういうところがこの作品の骨子と思うが、どうにもスッキリしないし、何か恐ろしさも残る。
バーチャルと生身の人間との乖離を埋めるはずの想像力の欠如
バーチャルの始まりは、アルタミラ洞窟の壁画にまで遡るという話を聞いて、とても納得したことがある。言語や文字もある意味バーチャルだが、電信や電話、はたまた、ラジオやテレビ、PCやVR、本作のようなAIを活用したVF(バーチャルフィギュア)と、現代に近づくに連れて加速度的に進化を遂げて来たバーチャル化に対して、生身の人間の進化の速度はそれほど速くはないと思う。体格は少しよくなったし、寿命も延びた。でも、中身は案外1000年や2000年前と違わないんじゃないだろうか。
それ故に、急速に乖離するバーチャルと生身の人間、そしてその乖離は、いつしか、バーチャル空間を通してやり取りする、生身の人間同士の関係にも当てはまるようになってしまった。
映画で描かれているように、資本を持つ者にとって、朔也たちは人格を持った人間ではなく、リアルなアバター。あくまでもアバターなのだから、クライアント側は何の良心の呵責もなく雑に扱える。
また、アバターを雇うゆとりがないコインランドリーの客のような者も、相手の弱みを見つけると、暴言や暴力でマウントを取ってストレス解消を図ろうとする。自分とは直接関係しない人間だから。
どうしてそうなるのか。というより、なぜそういうことができるようになってしまうのか。
理由のひとつは、圧倒的に増加していく情報量の中で、それを人より素早く処理して優位性を保つことには経済的な意味があるが、他者とのコミュニケーションは、いわゆるコスパの面では優先度は低くなっていることにあると思う。そして、その先に起きているのが、映画が描く「自由死」が制度化された世界の姿ではないだろうか。
象徴的な所で言うと、妻夫木演じる野崎の娘。生まれつきの環境のおかげで、デジタルには詳しいが、決定的に道徳が欠如している。本来、人との関わりの中で育まれるはずの想像力がないのだ。こんな悪魔のような人間がうじゃうじゃと湧いて、これからのイニシアチブをとっていく世界は、残念ながら明るい展望を持つことができない。
大賀演じるイフィーも「交通事故にあった俺だから、“そちら側”の気持ちが想像できる」とか言って二分している時点で、間違えている。不遇な環境に置かれたものを、本人の努力不足や自己責任と無自覚に断じていることに気づいていないのだから。
逆の意味では、過去のトラウマから、人とふれ合うことが出来なくなってしまった三好の存在がリアルに迫ってくる。そして、他者とのコミュニケーションで大切だったのは、実は「体温や触覚」だったのではないかとまで思わされた。(朔也と三好2人の場面では、鍋の暖かさ、シャワーの冷たさなど、温度がさりげなく強調されているし…)
それにしても、「本心」ってなんだろう。
「真実はいつもひとつ!」なんて、単純なものじゃないよなぁと思う。
こちらが、原作の平野啓一郎イコール「分人主義」と思って観ているせいもあるけれど、その人との関係を離れた「本心」なんて、単なるフィクションに過ぎないし、陰謀論のように、ない物をあるはずと思って探し続けるのはナンセンスだよというのが答えかも…。
ラストシーンの解釈について、いろんな人と語りあいたい映画。
石井裕也監督の作品、自分は結構好きなんだなぁということを改めて思った。
役者たちはみんな素晴らしいが、特に三吉彩花の光り方にやられた。
未来の仕事ってああなるのかな?84点
予告から期待してずっと観たかった作品。見て良かったと思う!
面白かった点
・三吉彩花さんの役の名前がみよしあやかで面白いこと。
実は三吉さんは主人公(池松さん)が好きだった同級生なのかと思わせぶりも面白いw
写真のシーン、三吉さんと同級生の女の子画像AIで作ったのかな?似すぎ!
・今後の仕事はリアルアバター?
未来の仕事は今の仕事の半分は無くなるのでまじでありそう。しかもふざけて人を馬鹿にするようなシーンもありますがしっかりリアルに起きそうな事も描かれているのでそこも面白い。
・前半はお母さんをAIで作り、なぜ自由死を選んだのかを聞き出す(本心)後半は主人公と三吉さんの恋愛を描かれている。
前半と後半のジャンルがガラッと変わってて違和感を少し感じましたがそこが面白い。最後ら辺にイフィー(仲野太賀さん)が出てきてなんだこりゃって感じですが…恋愛には第三者が居ないと成り立たないのかな?
・監督が言いたかったこと?本心とは?
主人公が後半で動画サイトで話題になるシーン
前半のシーンで高校の先生に暴力を振るってしまう=後半のシーンコインランドリーでクレーム付けていたおっさんに暴力を振るう。(同じ行動)
実は悪いこと(暴力)しているのに世間ではヒーロー扱い(人助けしてる!)されてしまうところが1番笑ってしまった。
全201件中、41~60件目を表示