本心のレビュー・感想・評価
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自分の本心も気づいていない時があるのに
原作は未読。
リアル・アバターという職業ができていたり、仮想空間に作られたバーチャル・フィギュアなるものが実現できていたり、自由死という制度ができていたりと思ったよりも近未来の話だった。リアル・アバターはウーバーの配達待ちをしている人たちを思わせるし、たしかに悪ふざけをするやつらも出てきそうだし、それによって低評価にさせられる人たちも生まれそうではある。近未来感の加減はなかなかうまい。
話の方は、亡くなった母が自分に話そうとしていた「大切な話」を知るために、母のバーチャル・フィギュアを契約するというもの。同居することになった母の友人・ミヨシアヤカとともに探るうちに2人の距離も近くなっていく。自由死という制度に対して、ぼんやりとした説明しかなかったし、バーチャル・フィギュアにしても説明不足な印象は拭えない。たぶん原作ではそれなりに説明がされているのだろうと想像する。その説明不足なところが原因だろうか、一応感動の結末のはずだが、今ひとつ伝わってこなかった。
結末まで観て思うのは、自分の本心もちゃんと気づけていないときがあるのに、他人の本心なんて理解できるわけがないということ。でも、わかり合おうとする必要があるし、例え幻想であってもわかり合えたと思える瞬間は貴重なんだろう。それがテーマなのかは定かではないけど。
それにしても、ミヨシアヤカという女性の役を三吉彩花が演じていることに戸惑ってしまった。これは原作者が彼女をイメージして役名を決めたのか?映画化するときには原作者の意向でキャスティングが決まってたり、シャワーのシーンなんかもちゃんと撮ってほしい旨伝えられたりしたのだろうか。なんて妄想をしてみた。もちろんそんなことはないはず。
現代版"たった1年の浦島太郎"
原作は未読、予告編の不思議さに魅せられて、鑑賞しました。
予告編から、謎解きサスペンス映画を想像しましたが、ただの近未来映画でした。
未来あるあるのハリボテ的な多々問題を、紹介だけして、何も解決できないならば、
せめてひとつのテーマに絞って、掘り下げた方が良い作品に仕上がったと思う。
浦島太郎現象は、1年後ではなく、せめて5年以上後位にした方が、作品としての説得感があったと思う。
それでも、近未来ギアはすべて、チープでダサかった。
ウーバーイーツ的な活動と。友人の存在全てが、作品を惑わすだけで
本来 語らなければいけない 事から、かけ離れているだけで、不要だった。<糞脚本賞>
すなわち、映画の中で、"言いたい事・表現したい事"が、支離滅裂で、作品の筋が通っていなかった。
主人公の最初の ぶっきらぼうなせりふが。。。下手なのが 映画の冒頭で気になって、映画に集中できませんでした。
得るものも、考えさせることもない
この映画を観たら、家に帰って「浦島太郎の絵本」をもう1度読破した方が、楽しいかもしれない。
着地点が見えず
最近池松くんファンになってて、題材もそそられて鑑賞。一人一人の演技は素晴らしく、途中まで展開も読めず楽しめたのだが、途中から話が散り始め、いつ終わるのかな、、と思ってしまっていた。最後はなんか乗り切れない感じで終わった。
近未来を見てる感はあったなあ、、あんな装置できたら使ってしまうかもしれないなぁ、、とか思ったね。
たくさん散りばめられたネタが、どれもまともに回収されないままふわっと終わった。モヤモヤ感いっぱい。
SFからもはや現実に落とし込まれたAI、仮想空間の設定が秀逸
予告編を観て、ゾッとするような怖さを感じた。演技派の池松壮亮、田中裕子というキャスティングにも惹かれて観賞。
【物語】
朔也(池松壮亮)は母(田中裕子)と2人暮らし。工場で働き、裕福では無いが平穏に暮らしていたが、最近母の様子が少しおかしいことが気に掛っていた。ある日工場にいるときに「今晩大事な話がある」という電話を受け取る。約束が有り、すぐに帰ることは出来なかったが、嫌な予感がして家路を急ぐ朔也は、豪雨で今にも氾濫しそうな川べりに立つ母を目にし、駆け寄ろうとするが次に見たときには母の姿は無かった。咄嗟に川に飛び込んだ朔也は、命は助かったものの昏睡状態に陥り、目覚めたのは1年後だった。
母は生前に「自由死」を選択していたことから自殺と断定されたと警察に聞かされる。 眠っていた1年の間に工場は機械化により朔也の仕事は消失していた。 幼馴染みに紹介された新たな仕事を通じて、仮想空間上に任意の人間を作るVF(バーチャルフィギュア)という技術を知った朔也は、ほぼ全財産を注ぎ込んで母のVF制作を依頼する。目的は母が”自由死”を選んだ理由を知ることだった。VFのINPUTデータとして母の生前の情報を集める中で、母には若い友人(三吉彩花)がおり、彼女は朔也の人生に大きな影響を与えた昔の同級生にそっくりであることを初めて知る。
【感想】
設定がタイムリーであり、秀逸。
昨今CHAT-GPTなどの出現によってAIが急激に身近になった。使ったことのある人は皆、「もうここまで来たんだ」と思ったのではないか。
俺もPCからある質問を投げたときの回答があまりに理路整然としていたことに驚きを隠せなかった。 映画の世界ではだいぶ前からAIによって人が支配されるSFが描かれていたが、それがいよいよ現実になりつつあると実感する。 そうなると、便利さを越えて誰しも恐怖を感じるようになる。
SFではそれが戦争・殺人などに繋がって行くが、既に商品化されているバーチャル空間用ゴーグルを使ったバーチャルフィギュアという、ずっと身近な形を設定し、SFとは言えないより身近さを演出している。架空の人物を作り出すという部分は、少なくとも庶民が手に入れられる価格でまだあそこまで制作することは出来ないと思うが、3~5年後はあそこまで行くかも知れないと思わせるリアリティー。 実際手に入れたら朔也同様、嬉しい現実である一方怖くなるだろう。
この設定の巧みさに加えて、予告編からは母と息子の関係に焦点を当てたドラマを想像したが、もっと様々な人間関係や過去と現在が絡んで見応えのあるドラマになっていた。
人間それぞれの裏に隠された真実、本心を覗き見る、ホラーと言うと言い過ぎかも知れないが、怖いもの見たさをくすぐる作品。
やはりハッピーエンドと言い難い作品は星が渋くなりがち
母子家庭で育った主人公。事故をきっかけに長い眠りから覚めた時には、唯一の家族の母親は亡くなっていた。ひょんなことからVFという技術(個人データに特化したAIのようなもの)の存在を知り、作成を依頼する。その過程で母の同僚という女性の存在が浮上し、データ収集のために顔を合わせ、やがて不思議な同居生活に発展する。『リアルアバター』と呼ばれる職業に就き、勝手我儘下衆なユーザーに翻弄され追い詰められるも、ある事件から顔が知られ、思いもよらぬ展開に。結果的に女性は好意を抱かれた別の男のもとに赴き(本心かどうか不明だが、主人公は彼女に対し『好きじゃない』と告げた)、またひとりになった主人公だが、最初にして最終の目標であった母の本心(話したいことがあると生前言われていた)をついに聞くことができた。それは思っていたものとは違う、ある意味なんでもないことだった。
この手の作品は好きなのだが、やはり最後は分かりやすいハッピーエンドが好きなので、見終わった後、物悲しくなるのはちょっと辛い。素直に2人が結ばれてくれれば、仮に安直であっても素直に拍手が送れたのだが。さらには、結局のところ母親の本心は何だったのか、事実は何だったのか、それは分からずじまいなのだ。全てはAIがデータに基づき導き出した回答であるというだけのこと。そういうところがこの作品の骨子と思うが、どうにもスッキリしないし、何か恐ろしさも残る。
バーチャルと生身の人間との乖離を埋めるはずの想像力の欠如
バーチャルの始まりは、アルタミラ洞窟の壁画にまで遡るという話を聞いて、とても納得したことがある。言語や文字もある意味バーチャルだが、電信や電話、はたまた、ラジオやテレビ、PCやVR、本作のようなAIを活用したVF(バーチャルフィギュア)と、現代に近づくに連れて加速度的に進化を遂げて来たバーチャル化に対して、生身の人間の進化の速度はそれほど速くはないと思う。体格は少しよくなったし、寿命も延びた。でも、中身は案外1000年や2000年前と違わないんじゃないだろうか。
それ故に、急速に乖離するバーチャルと生身の人間、そしてその乖離は、いつしか、バーチャル空間を通してやり取りする、生身の人間同士の関係にも当てはまるようになってしまった。
映画で描かれているように、資本を持つ者にとって、朔也たちは人格を持った人間ではなく、リアルなアバター。あくまでもアバターなのだから、クライアント側は何の良心の呵責もなく雑に扱える。
また、アバターを雇うゆとりがないコインランドリーの客のような者も、相手の弱みを見つけると、暴言や暴力でマウントを取ってストレス解消を図ろうとする。自分とは直接関係しない人間だから。
どうしてそうなるのか。というより、なぜそういうことができるようになってしまうのか。
理由のひとつは、圧倒的に増加していく情報量の中で、それを人より素早く処理して優位性を保つことには経済的な意味があるが、他者とのコミュニケーションは、いわゆるコスパの面では優先度は低くなっていることにあると思う。そして、その先に起きているのが、映画が描く「自由死」が制度化された世界の姿ではないだろうか。
象徴的な所で言うと、妻夫木演じる野崎の娘。生まれつきの環境のおかげで、デジタルには詳しいが、決定的に道徳が欠如している。本来、人との関わりの中で育まれるはずの想像力がないのだ。こんな悪魔のような人間がうじゃうじゃと湧いて、これからのイニシアチブをとっていく世界は、残念ながら明るい展望を持つことができない。
大賀演じるイフィーも「交通事故にあった俺だから、“そちら側”の気持ちが想像できる」とか言って二分している時点で、間違えている。不遇な環境に置かれたものを、本人の努力不足や自己責任と無自覚に断じていることに気づいていないのだから。
逆の意味では、過去のトラウマから、人とふれ合うことが出来なくなってしまった三好の存在がリアルに迫ってくる。そして、他者とのコミュニケーションで大切だったのは、実は「体温や触覚」だったのではないかとまで思わされた。(朔也と三好2人の場面では、鍋の暖かさ、シャワーの冷たさなど、温度がさりげなく強調されているし…)
それにしても、「本心」ってなんだろう。
「真実はいつもひとつ!」なんて、単純なものじゃないよなぁと思う。
こちらが、原作の平野啓一郎イコール「分人主義」と思って観ているせいもあるけれど、その人との関係を離れた「本心」なんて、単なるフィクションに過ぎないし、陰謀論のように、ない物をあるはずと思って探し続けるのはナンセンスだよというのが答えかも…。
ラストシーンの解釈について、いろんな人と語りあいたい映画。
石井裕也監督の作品、自分は結構好きなんだなぁということを改めて思った。
役者たちはみんな素晴らしいが、特に三吉彩花の光り方にやられた。
未来の仕事ってああなるのかな?84点
予告から期待してずっと観たかった作品。見て良かったと思う!
面白かった点
・三吉彩花さんの役の名前がみよしあやかで面白いこと。
実は三吉さんは主人公(池松さん)が好きだった同級生なのかと思わせぶりも面白いw
写真のシーン、三吉さんと同級生の女の子画像AIで作ったのかな?似すぎ!
・今後の仕事はリアルアバター?
未来の仕事は今の仕事の半分は無くなるのでまじでありそう。しかもふざけて人を馬鹿にするようなシーンもありますがしっかりリアルに起きそうな事も描かれているのでそこも面白い。
・前半はお母さんをAIで作り、なぜ自由死を選んだのかを聞き出す(本心)後半は主人公と三吉さんの恋愛を描かれている。
前半と後半のジャンルがガラッと変わってて違和感を少し感じましたがそこが面白い。最後ら辺にイフィー(仲野太賀さん)が出てきてなんだこりゃって感じですが…恋愛には第三者が居ないと成り立たないのかな?
・監督が言いたかったこと?本心とは?
主人公が後半で動画サイトで話題になるシーン
前半のシーンで高校の先生に暴力を振るってしまう=後半のシーンコインランドリーでクレーム付けていたおっさんに暴力を振るう。(同じ行動)
実は悪いこと(暴力)しているのに世間ではヒーロー扱い(人助けしてる!)されてしまうところが1番笑ってしまった。
テクノロジーで補えないもの
すぐそこに来る未来のような、もう始まっているような世界。ただ、あらためて感じたのは、技術が進歩しようが、AIが日常を運営しようとも、人の心に関する事は人にしか理解出来ない、また人が関わり続けなければならないことだという事。使う側使われる側、のような格差も描かれていて胸が痛む。
原作を読んで自ら映画化を望んだという池松壮亮の本人であるかのような演技、他全てのキャストが自然で、説得力のようなものを感じ入ってしまった。どんなに自動化やらAi運用やらが進んでも、人の心が大切であることは変わらないと実感出来る作品。
尊厳と自由
テクノロジーが高度に発展した"使う・使われる"世界で、言葉の持つ意味、尊厳に対しての価値・値打ちを考えさせられた。
母・同居人・"仕事(肉体労働)"を通して、相手の言葉をどう感じているか、どう受け止めるのかを考えていたように思う。
最終的に、"そう、信じる"なんだと思えた。
デジタルテクノロジーがもたらすもの
ここ数年のAIの進化には驚かされます。
言っている事は間違っていなくとも、相手の気持ちを配慮、忖度するまでは至らない過渡期のAIが余計なこと(亡くなった母の本心)を明らかにしてしまい、主人公を混乱させる話かと勝手に推測し鑑賞しました。
ちょっと違いました。
VFのお母さんを通じて知らなくてもよかった情報(真実)を得ながら、、、
主人公が自身の本心に素直になれず、背き、葛藤しながら生きる…という点ではよくあるお話しでした。
VF(AI)、リアルアバター、自由死…いずれも興味深いテーマでしたが、ちょっと盛り込み過ぎ感は覚えました。
結局は主人公朔也と彩花の揺れる心(本心)を描いているわけですが、それを素直に表現できない、場合によってはデジタルテクノロジーを活用して、本心、本意、本音を表現しようとする現代人の生き方を揶揄するためだったのでしょうか(?)
でも楽しく観れました。
近未来に不安を覚えつつも、最後にデジタルテクノロジーがもたらすものは悲観するばかりでない(希望かもしれない)エンディングで良かったです。そして、
嘘っぽい仮想現実(虚像)の母を演じつつ、母が抱いていた愛が本物であったことを伝えきる田中裕子さんの演技に感動しました。
本心とは何か?を問いかける良作
他人の本心を理解するのは難しい。それは家族であっても必ずしも理解できているのか?と問われたら、、、
同居しそれなりに会話もしていた母親が自由死を選択。
最後に話したいと言われたのに友人との酒を優先したらさぞかし後悔するし、それよりも何故?が頭を過るのは必然。
そこからVFを作るのだか。
現実世界でもVRで旅行できる会社があるので、近未来では可能な技術な気がするが、どこまで言っても本人ではなくAI。しかし無念さがそこまで突き進めるのは気持ちが分かる。
池松さんは作品に惚れ込んだだけあって迫真の演技で座長として他の出演者も引っ張っていたのがわかる良作。
近々あり得る話しだが、大事な話しって・・?
結局、バーチャルAIを利用してのし上がった人とそのバーチャルAIに人生を翻弄される話しだよね。確かに近々あり得る話しだが、だから何なの?と思う展開。「大事な話し」が知りたいのかと思いきや、母ではなく1人の女性の本心を知りたがるとしたらちょっと無理がある。そんなに人の本心や本音なんか知りたいか?みんなそれを「相手はこう思ってるのかなぁ」と探り合い、半分勘違いしながら社会は動いているもので成り立ってるんじゃないかな?相手も含め自分自身、本心が分からないから人生は楽しいと思う私です。
最後のシーンで全て救われた
うーーん、非常に惜しい作品と思ったのが第一感想!
出演者も非常に上手く、演技のクオリティは素晴らしいです。特に池松壮亮の狂気を含んだ様が凄い!
ただ、作品としては、色々と詰め込み過ぎて飽和状態で内容味が薄くなっていると感じました。これを、違和感なく作れたら名作だったんだろうなと…
少し社会派が過ぎたと言いますか…
後、三吉彩花が美人すぎて困ります。(ほぼ素材だけで、あれとかホント困ります)
個人的には、「死体蹴りな世の中だよね」が本質なのかなーと思いました。狂おしい程、誠実な主人公に対してさえも!!
是非、映画館でご観賞くださいませっ!
さようなら、母さん
2024年映画館鑑賞108作品目
11月17日(日)イオンシネマ石巻
通常価格1800円−dポイント300円
原作未読
原作は『マチネの終わりに』『ある男』の平野啓一郎
監督と脚本は『川の底からこんにちは』『ハラがコレなんで』『ぼくたちの家族』『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『町田くんの世界』
『生きちゃった』『茜色に焼かれる』『アジアの天使』『月』『愛にイナズマ』の石井裕也
粗筋
母秋子が息子朔也の目の前で雨のため激流の川に身を投げ自殺した
救おうと川に飛び込んだ朔也は重傷を負い一年近く意識不明で入院していた
母は政府が新たに導入した自由死という制度を利用し自殺したのだった
勤めていた工場は完全機械化され知らない間に無職になっていた
一年後リアルアバターという一種の代行業に転職していた朔也は幼馴染岸谷の紹介でVF(バーチャルフィギュア)の開発者野崎と出会い亡くなった母をVFによって蘇らせることを依頼した
さらなるバージョンアップをするために野崎の勧めで母の友人の彩花と会うことに
朔也が知らない母の事実が明るみになっていく
三吉彩花の役名が三好彩花
なぜこんな紛らわしいことをするのか
いろいろと事情があるのだろう
石井裕也監督のことだから深い意図があるんだろう
ネットで検索すれば容易にわかることだが今はやらない
シャワーを浴びるシーンで嘘みたいなボインを披露
峰不二子を彷彿させる漫画みたいなオッパイ
彼女には大変失礼だがあれが1番嘘っぽい
死にかけの田中泯の芝居が良い
朔也を通じてイフィーに告られる彩花の表情の移り変わりが良い
彼女はわりとうまい
なぜかつてあんなマイナーなアイドルグループに所属していたのか事務所の売り出し方が疑問
普通にまずはファッションモデルとして売り出せば良いのに
とはいってもさくら学院からBABYMETALが誕生しているからな
あといわき市出身の松井愛莉もそれなりによくやっている
近未来を感じさせるのは前半の方で後半はちょっと「うーん」
最後の方はなんとなくモヤっとした
思ったより田中裕子の出番が多くない
母と息子のやりとりが中心の作品かと思いきやそうではない
朔也と彩花は同居はするが男と女の関係にはならない
恋人ではなく同居人だ
彩花は朔也に好意があるようだ
結局ラストがよくわからない
観る側に委ねたか
亡くなった母との再会といえば風間杜夫主演『異人たちとの夏』を思い出す
あちらは幽霊でこっちはVF
科学が発展するとあの世の世界はどんどん風化していくのだろうか
そういえば『エコエコアザラク』というホラー漫画で母を亡くした男が手術で体の一部に母の顔を作り一人二役をする話があった記憶がある
まあだいぶ昔の話で当時は小学生だったはずだからあてにはならないが
あと『激烈バカ』で息子に対してじゃなくて夫に残した最期の言葉が「ヘタクソ!」ってのも笑えたなあ
あれが1番の本心だろうけど最後の最後で命を振り絞って鬼のような顔して言い放ちすぐ息を引き取る中年女性を今でも痛烈に覚えている
配役
亡くなった母をVFで再現した一人息子で一年間意識不明で入院し退院後リアルアバターに転職した汗っかきの石川朔也に池松壮亮
自由死を選んだ朔也の母で同性愛者の石川秋子に田中裕子
秋子の親友だが年齢は朔也にだいぶ近い元SEXワーカーの三好彩花に三吉彩花
朔也の幼馴染で2人で中国に移り住みたい岸谷に水上恒司
朔也に惚れ込み彩花に惚れた著名なアバターデザイナーだが交通事故の影響で残り一生車椅子生活を続けなければいけないイフィーに仲野太賀
朔也のリアルアバターのクライアントで病院で薬物による自由死を選んだ若松に田中泯
VFの開発者の野崎将人に妻夫木聡
野崎の娘で生意気なあずさに太田凛音
野崎のお手伝いをするVFで元になった人物はすでに病死している中尾に綾野剛
朔也の高校時代に片思いしていたクラスメイトで売春がバレて退学する村田由紀に宮下咲
村田由紀に対する侮辱的発言で朔也に首を絞められる高校時代の担任に結城貴史
朔也に写真で遺体の確認と母明子は捜査の結果「自殺」と伝えるベテラン刑事に二階堂智
ベテラン刑事に同行した若い刑事に笠原秀幸
コインランドリーの清掃員に中村中
コインランドリーで清掃員にキレまくる利用客に大津尋葵
レストランの支配人に佐藤貢三
レストランのウェイターに福田航也
レストランのピアニストに後藤亜蘭
ふざけたクライアントの指示で朔也がメロンを買おうとした高級果物店の店員に坂ノ上茜
リアルアバターの先輩に前田勝
リアルアバターの先輩に佐野弘樹
リアルアバターのAIアシスタントの声に窪田正孝
バーチャルで逢えたら・・・‼️
母を自殺で亡くした朔也が、バーチャルで母を作ってもらう。仮想空間で母と過ごす一方、母の親友である彩花と知り合う・・・‼️方法は何であれ、亡くなってしまった大切な人と再会し交流する‼️まるでアンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」や大林宣彦監督の「異人たちとの夏」を思わせますね‼️そして舞台としては近未来なんですけど、主人公がやってるリアルアバターみたいな職業の危険性なども訴えられていて、ヒジョーに興味深い作品でした‼️ただバーチャルの母親との交流はあくまでキッカケであって、今作は朔也と彩花のラブ・ストーリーですね‼️互いに暗い過去を持つ二人が、母を通じて知り合い、惹かれ合う・・・‼️そういう意味で池松壮亮と三吉彩花の二人がホントに魅力的でした‼️朔也に伝え忘れていた思いを抱える母親役の田中裕子さんの佇まいも相変わらず素晴らしい‼️大空に掲げた朔也の腕にそっと寄り添う彩花の腕のラスト・カットもホント微笑ましいし、心が温かくなる‼️いいなぁ〜‼️
原作を読んだ者の感想
役者はどの方も素晴らしかったし、各場面のシチュエーションも小説のイメージに大体近いもので、良い材料は揃っているが、料理の仕方を間違えた感じがした。
ラジオのインタビューで池松壮亮が「原作の小説に惚れ込んで作者に直談判して映画になった」と言っていたのを聞いて、面白そうだと思い原作小説を読んでから映画館に観に行った。
小説では主人公の心の細やかな葛藤が描かれており、そこが醍醐味だった。この心情の動きは映画になった時に全部モノローグで説明する訳にいかないだろうし、どうやって表現するのだろう?と期待していたが、映画では細やかな心の機微はあまり感じられず、主人公が色々考えた末に取った行動も映画では行動のみが描かれるので、なぜそういう行動を取ったのかやや唐突で、共感しにくいものになっていた。
原作では格差社会の問題も小説の大きなテーマとして、母の死の理由も含め深く扱われていた様に思うが、映画だとちょっと触れられた程度で、下の階層の人間はこういう仕事しか無いのか、という話などはあったが、個々のキャラクターの生い立ちも軽く説明される程度で、扱い方が表面的に感じた。
原作の「三好彩花」は著者の平野啓一郎氏が俳優の三吉彩花を知らずに偶然付けた名前で(キャラクターのイメージはかなり合っていたと思う)、その奇跡が面白い。
また原作では二十歳の幼さの残るイフィーを仲野太賀がやるとどうなるんだろうと思っていたら、妙に少年っぽくてあっけらかんとした喋り方が世間離れしていてぴったりだった。映画のイフィーは主従関係が上の立場からやや強引にサクヤから三好を奪おうとした様に描かれているが、原作はもっと繊細にサクヤの気持ちを伺っていたのにそれが全く描かれていなかったのが残念だった。
ちょっと品が悪い粋がった若者役の水上恒司や、何百万もする高額な買い物を妻夫木くんにこんな雰囲気で勧められたら買ってしまいそうだなあ…と思ったり、役者を見る分には楽しませてもらった。
ストーリーをかいつまんで原作をなぞるような形で1つ1つのテーマが深く掘り下げられていないのと、余白が少なくサクサク場面転換しているところがやや説明的で、池松壮亮の「この小説を映画にしたい」という想いを監督はちゃんと汲んで作ったのか?…と正直疑問。
他にもっと深い心情描写ができる監督さんに作ってほしかった。
原作小説の方が何倍も面白く続きが気になって直ぐに読み終わってしまったので、映画でこの作品を知った方は是非読むことをお勧めしたい。
翠富士か!
肩透かし三連発、妻夫木くんは全然重要じゃなかったの?お母さん途中から何処へ?それに最後の手ぇ手ぇ?
石井監督は、まだ大分悪意に振れてる様で本当に気分悪いですよ、評価システム、ヘイト(国名出していいの?)、冷やかし、闇バイト。でも上手く纏まってたと思うし・・何にせよ三吉さんの太っ腹さに大金星ですよ!
人間の本心はAIのデータには到底入らない。
今まさになりつつあるバーチャル世界とそれを操るAIをもてはやす社会を危ぶむ識者のどちらが人間にとって善なのか。
愛する人の死後、残された者は故人がどう考え、何を思っていたのか、とても気になるが知るすべは無い。それはAIを駆使してアバターとして蘇ったつもりになっても故人の思考は蘇られない。当たり前だけれど。
だから生きてる今をもっと大切に、周りの人と関わり合うことの大切さを知らせてくれる映画。
親孝行したい時には親は無しとは良く言ったものです。こんな昔から言い古された格言、これこそ人間として生まれて来た者の永遠のテーマなのではなかろうか。それは戦前、戦中、戦後、現代、未来、どんなに技術が進み今現在では想像もつかない物が出来、事になっても変わらないのだろう。
だからこそ人と関わり合うことの大切さ、人への思いやり、優しさが大事なんだろう。
愛しい人が故人になる前にしておかないと、いなくなってから後悔することのないように。
でも中々出来ないんだよね。
作品の中身はと言うと今すぐに起こりそうなAIに人間が評価され、AIに人間が指示されて動くようになる仕事は嫌な世界だなと危惧します。そういったことへの警鐘の意味も原作にはあるのかも。
三吉彩花さん、表情だけの演技すごかった!
<まずは、他の人が書かなさそうな事から>
三吉彩花という役名で出てくる女優は、三吉彩花だよね。役名が女優名を使っているのはなんでかな。ただ、三吉彩花さんは単なる「美形のモデルあがりの女優」かと想像していたら、なんのなんの!すばらしい演技でした。特に、セリフなしで表情だけでの演技。顔は口ほどにものを言うといいますが、表情だけで、みるみる心の変化が起きているあの演技力は、すごい評価されそう。
あと気になったのが、「竹内力」という名前が、エグゼクティブプロデューサーとして、エンドロールでクレジットされていたのですが、竹内力って、あの竹内力か?
そして、田中裕子のクレジットは、一人だけロールではなくフェードインで表示されて、ここでも貫禄?を見せていた。 エンドロールもいろいろな情報が入ってておもしろい。
<さて、やっと映画の感想>
時々思う事ですが、映画の予告が、必ずしも映画の本質をちゃんと予告していない事がある。
最近では、シビルウォーがそれ。 この映画「本心」も、予告だけを見れば、近未来のAI に翻弄される人間を描く事が、ストーリーの中心かと思っていたが、あくまで一つの舞台設定に過ぎない。
亡くなったお母さんの「本心」を知りたいと思って、VFを提供する会社の門を叩き、そこから知らなかった様々な側面が出てくる、という部分には予告編との違いはない。しかし、この映画が本当に描きたかった「本心」の姿は、、、、 ぜひ映画を見てください。 暗い話ではなく、最後はハッピーエンドな雰囲気で締め括る、ほんのり暖かな良質な映画でした。
「自由死」と呼ばれる自死制度が認められた2024年の日本。 工場勤...
「自由死」と呼ばれる自死制度が認められた2024年の日本。
工場勤務の青年・朔也(さくや。池松壮亮扮演)は、勤務中に母(田中裕子)から「帰ったら大事な話がしたい」というヘンな電話を受ける。
帰途、突然の大雨。
家の前の川は濁流と化し、母がその傍に立ってい、あっという間に濁流にのみ込まれてしまった。
助けようとした朔也も濁流にのみ込まれ、気づいたときには病院のベッド、一年が経過していた。
やって来た刑事の話では、母は「自由死」登録をしていた。
そのため、母の死は事故死ではなく、自死と認定され、自治体から補助金が支払われる、と。
母の死の理由を知りたかった朔也は、死んだ人物の過去の映像・行動記録・他人の証言をもとに、その人を仮想空間上に再現できるというヴァーチャル・フィギュア(VF)という技術を頼ることにした・・・
といったところからはじまる物語で、平野啓一郎による同名小説の映画化(原作は未読)。
ちょっとフィリップ・K・ディックの諸作を思わせる内容であると同時に、日本的なセンチメンタリズムも感じる内容なので興味津々。
期待していたのは、
1)青年が思い続けてきた母親像と作られたヴァーチャル像との乖離
2)ヴァーチャル像の方が実際の母親に近い
3)差異を受け容れた上での、青年と母親の心の氷解
みたいなもの。
なんだけど、なんだか取っ散らかった脚本で、朔也昏睡の一年にAI技術は信じられないぐらい進み、さらに社会格差は進み、持てる者は持たざる者を仮想空間上のみならぬ実社会でもリアル・アバターとして奴隷のように扱うデジタルだかアナログだかわからない蛮行社会となっていた・・・
って、この設定が必要なのか?
ま、仮想空間の名の下で行わる蛮行に、人間の下卑た「本心」が曝け出されるというのはわからなくもないが、本作では不要のように思われる。
この主題、ホラー映画のそれで、既に『パージ』などの人間狩り映画で形を変えて幾度となく描かれているので、鼻白む思いがしました。
まぁ、原作に沿うところだったのかもしれないが、2時間で描けるだけの内容・設定への刈り込みが必要だったはず。
この手の作品は、個人的には許容できないんです。
残念至極。
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