「この映画を象徴している本質とは?」オアシス komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
この映画を象徴している本質とは?
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作を好きな空気感ある映画だとは思われました。
特に、富井ヒロト(清水尋也さん)、金森(高杉真宙さん)、紅花(伊藤万理華さん)の、主要人物の3人が醸し出す空気感が好みだとは思われました。
ただ、映画全体を通して、停滞感があったのも事実だと思われます。
その映画を通しての停滞感を象徴していたのが、母を殺された紅花にその時の記憶がないことだったと思われます。
紅花は学生時代に、母親を菅原タケル(青柳翔さん)に殺されます。
本来であれば、母を殺されたのなら娘は、殺した相手に復讐を誓いあらゆる手段を使って復讐を成し遂げようとするはずですが、この映画の紅花は母を殺されたその時の記憶を失っています。
富井ヒロトも、記憶はあるものの、紅花の母を殺した菅原タケルの父である菅原組長(小木茂光さん)の構成員となって、紅花の母を殺した菅原タケルのことは脇において生きています。
金森も、紅花の母の殺害のことは封印して、かつての親友の富井ヒロトのいる菅原組と敵対する組織の中で生きています。
この、母を殺された記憶を無くしている紅花と、その記憶を見ないようにしている富井ヒロトと金森が、今作の映画を停滞させている本質だと思われました。
なぜなら、3人は本来の生きる目的(≒映画物語の目的)を忘却しているからです。
映画の序盤に、金森の下の若い衆の三井(林裕太さん)が敵対する菅原組の菅原タケルを暴走して刺し、三井は逆に連れ去られ金森の目の前で菅原タケルに喉を切り裂かれて殺されます。
その流れでそこに連れて来させられた紅花が、紅花の母を殺した菅原タケルに犯されそうになって、逆に紅花が菅原タケルをナイフで刺して殺します。
しかし、本来で言えばこの時の紅花の菅原タケルに対する復讐の成し遂げは、紅花が母を殺された記憶を失っているので、感情としては復讐の成し遂げとして結びつかないで終了してしまいます。
その後の映画は、富井ヒロト・金森・紅花の3人と菅原組との対立と殺し合いが、金森の仲間(頬に傷がある木村(松浦慎一郎さん)や若い衆の三井を気にかけていたアンナ(杏花さん)など)を交えて繰り広げられます。
その過程で、富井ヒロト・金森・紅花の3人は、かつての学生時代に遊んだ記憶が詰まった部屋に逃げ込み、当時の記憶の中を生きるのです。
この映画『オアシス』は、いわば、本来の目的を忘却し、過去の輝かしい記憶の中を生きるしかない、あるいは本来の目的を思い出した途端に相手の存在を破滅させるまで極まって求められる、停滞し切った現在を象徴している映画だと思われました。
もちろん現実では、実際の殺人は暴力団でも割りが合わず、特に一般人への殺人は社会の中で相当な報道や批判が起こるので、例え組長の息子の暴走殺人だとしても暴力団内で放置されたままでいるのはリアリティがないと感じましたし、集団で殺し合う映画最後の場面は現実離れし過ぎだとは思われました。
また、本来の目的の忘却による停滞は、映画作品としての面白さの意味では展開力を欠けさせているとは思われました。
しかし一方で、今作が描きたかったと思われた、本来の目的を忘却することでしか生きられない現在の停滞のどん詰まりの空気感は、私的好みの空気感だったとは、僭越ながら思われました。