「ラストダンスは私に。 続編ありきで映画を作らず、まずは目の前の一本に集中して欲しい…🌀」ヴェノム ザ・ラストダンス たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
ラストダンスは私に。 続編ありきで映画を作らず、まずは目の前の一本に集中して欲しい…🌀
“親愛なる隣人“スパイダーマンの世界を拡張するダークヒーロー映画「ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース(SSU)」の第5作にして、スパイダーマンの宿敵“ヴェノム“を主人公に据えた『ヴェノム』シリーズの第3作。
メキシコのバーで飲んだくれていたエディは、自身がマリガン刑事殺害の容疑で指名手配されている事を知り、汚名を晴らす為一路NYへ。しかし、その道中で謎のモンスターに襲われる。彼らは邪神“ヌル“の僕であり、ヴェノムが持つ“コーデックス“と呼ばれる鍵を奪い取ろうと付け狙っていたのである。こうして、エディとヴェノムの逃避行が始まった…。
◯キャスト
エディ・ブロック/ヴェノム…トム・ハーディ(兼製作/原案)。
SSUの柱であった『ヴェノム』シリーズもこれにて完結。結局このシリーズって何だったんでしょう?スパイダーマンと出逢うことすらしないとは…。何のためにMCUの世界線に行ったんだお前ら😅
「シリーズの3作目は駄作になる」というジンクスは今作にもしっかりと当てはまっている。
このシリーズはエディとヴェノムのブラザーフッド感を楽しむものだったと思うのだが、壮大な設定を追加してしまった結果、本来の持ち味であるお気軽なスナック感覚が消え失せてしまった。
では、邪神ヌルだのゼノファージだのコーデックスだのと言った頭がクラクラする様な新設定によって、その分ストーリーの面白さが増したのというと全くそんな事は無い。だって、邪神ヌル様は特に何にもしないんだもん。
「貴様らを皆殺しにしてやる…」って、言葉だけかお前はぁっ!!どうせそこから出られないんだから、思わせぶりな事なんか言わずに黙ってジッとしとけッ!!
とどのつまり、何が一番悪いのかと言うと、ユニバースありきで映画を作ってしまっているという点。何でヌルがヌルッと出てきただけで何もしなかったのかと言えば、それは今後のユニバース内で彼を敵として扱う為でしょう。つまり、今作は今後の作品のための布石にすぎないという訳です。
本当にこの作品を面白いものにしようと思うのであれば、前振りなんか吹っ飛ばしてヌルをヌルッと登場させれば良い。『スーパーマンII 冒険篇』(1980)のゾッド将軍みたいに「宇宙で水爆を爆発させたら最強の敵の封印が解けてしまった!!どうしよう…😨」とか、この程度の展開でもアメコミ観に来る観客は納得するんだからさ。ちまちませずに大胆にガバッと行けガバッと。
そもそも「一番美味しいものは後に取っておく」という姿勢は客をバカにしてますよね。だって興行的に失敗すればその後なんてないんだから。実際、このSSUだって度重なる失敗により今後の予定は全て白紙になってしまった。今後ヌルがヌルッと現れる可能性は、現状限りなく0に近い訳です。
勿体付けずにヴェノムvsヌルを描いておきゃ、このユニバース自体が“ラストダンス“にならずに済んだのかもねぇ…。
それを差し置いても、今回の脚本は酷い。これまでが特別良かった訳ではないが、それにしたってこれは酷い。
まず第一に、新たな登場キャラを増やしすぎ。今作はエディ&ヴェノム、エリア51の科学者、軍人、ヒッピー家族という4つの視点から物語が進行していく訳だが、このうちエディヴェノ以外は全員が新キャラクター。科学者チームのトラウマとか葛藤とかを見させられても、こっちとしては何の思い入れもないから「ふぅん。で?」という感想以外が出てくる筈もない。
クライマックスはそんな各陣営のキャラクターが勢揃いしてすったもんだの大乱闘が繰り広げられる訳だが、はっきり言って「知らないクラスの同窓会に紛れ込んでしまった」という感じの気まずさと白けが画面に満ちて居る。監督はヴェノム軍団vsゼノファージで観客ブチ上げッ!になるとでも思ったのだろうか。全然知らない人たちに全然知らないシンビオートがくっ付いて全然知らないヴェノムになって全然知らないモンスターと闘う…って、それで盛り上がる訳ねーだろっ💢
第二に、ヒーローに自発的な意志や行動が見られない。
SSU第3作『マダム・ウェブ』(2024)が「美女がテンパる映画」なのだとしたら、本作は「オッサンがテンパる映画」。映画はエディ・ブロックのあたふたに始まりあたふたに終わる。
確かに、キャラクターがテンパる様というのは傍目に見ると面白い。それが深刻であればあるほど、その面白さがより一層高まるというのは映画の基本的なルールである。
しかし、これは一応「アメコミヒーロー映画」というジャンルの作品なのです。何故人がスーパーヒーローに夢中になるかというと、それは彼らが危機や困難を前にしても逃げ出す事なく立ち向かうから。その過程でどんなにテンパっていても、最後は覚悟を決めて強大な敵に相対さなければ、スーパーヒーロー映画としては失格である。
その点、本作は最後の最後までヴェノムとエディがただの「災難に巻き込まれてしまった人」に終始してしまっている。降り掛かる火の粉を払い除けるばかりで、自発的に強敵に飛び込んで行くという覚悟や気概が描き込まれていないのである。これをスーパーヒーロー映画と呼ぶ事は出来ない。『マダム・ウェブ』のキャシー姐さんを見習いなさい!人を救うためなら轢き逃げも辞さないんだぞあの人は!!
第三に、安いお涙頂戴演出。
ついに来てしまったエディとヴェノムの別れ。エディを守るため自ら強酸噴射装置の中に入るヴェノムの姿はさながら『ターミネーター2』(1991)の様で、彼の立派な最期には涙が止まりません…😭
なんてなる訳ねーだろっ!!何だその都合の良すぎる強酸装置は!!何でそんなもんが屋外にポテチンと置いてあるんだっつーの。大体、ヴェノムはなんであれが何でも溶かす激ヤバマシーンである事を知ってたんすかね?本当に、このクライマックスには何から何まで興醒め。こんなご都合主義では子供すら騙せません。
大体、ヴェノムのお漏らしを軍が採取していたのは復活させる為のフラグでしょ?こんなん絶対生きてるじゃん。人気キャラだから簡単には死なせられないというのはわかるが、だったら最初から殺すなっつーの。まぁアメコミの「死亡確認」=「生存確認」というのは今に始まった事じゃないんだけどさ。
監督/脚本はケリー・マーセル。彼女は『ヴェノム』(2018)では複数人いる脚本家の1人としてクレジットされていたが、続く『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』(2021)では単独で脚本を手掛けた。今回は監督にまで抜擢されているのだから、一段一段着実にステップアップしてきている様が伺える。
正直、何故マーセル監督がそこまで重宝されているのか前2作の出来を見る限りよく分からなかったりするのだが、実はこの人トム・ハーディのお友達。ビデオ屋でバイトしている時にハーディと知り合い、それ以来の長きに渡る友情で結ばれて居るらしい。つまりこれは物凄いコネ人事だったりするのです。
まぁ今作も興行的には成功している訳だから、このケリー・マーセル重用が完全に悪いという事ではないのだが、もっとアメコミの事を理解している適任者が幾らでも居るんじゃ無いですかね…。
個人的にはSSU最低の作品。これなら世評が最悪の『マダム・ウェブ』の方が、爆笑出来る分だけ100倍マシである。
心なしかトム・ハーディの表情も死んでいた気がする。彼も今回は駄作だと内心思って居たのでは無いだろうか。過去2作品にヒロインとして登場していたミシェル・ウィリアムズが今回出て来ないのも、「こんな作品に付き合っていられるかっ!💢」という態度の表れなのかも知れない。
唯一、カジノでのはしゃぎっぷりにはこのシリーズらしい楽しさがあった。変に気負わず、このくらいのノリとテンションで全編仕上げてくれれば良かったのにねぇ。
※今作に出てきたあの交戦的な軍人さん、どっかで見た事あるな…と思っていたら『ドクター・ストレンジ』(2016)のモルドさんじゃん。MCUにもSSUにも出演するとは、マーベルはこのキウェテル・イジョフォーという役者さんの事がお気に入りな様子。だったらもっと良い役用意してあげろよ!と思わん事もないが…。