ボレロ 永遠の旋律のレビュー・感想・評価
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ラヴェルの美しさは堪能
ラヴェルの音楽好きなので観賞。
ラヴェル役の俳優の憂いに満ちた美しい顔は実に目の保養。
ボレロが生まれるまでの過程を覗くことができて面白かったのだが
思ったほどボレロボレロしておらず。
最後、ラヴェルが手術に向かう場面、結果的にそれがが原因で亡くなったようなものだが、
少々説明不足だったのでは。よく分からなかった。
その後エンディングの折角のボレロ演奏のシーンもなんだか唐突で浮いていていまいちだった。
15分毎に世界の何処かで
フランス南西部、スペイン国境近くのシブールで生まれた作曲家モーリス・ラヴェルを、端正な顔立ちのラファエル・ペルソナが演じる。
ラヴェルの理解者の1人、人妻ミシア( ドリア・ティリエ )とのプラトニックな関係も描かれる。
ピアニストのマルグリットをエマニュエル・ドゥヴォスが演じる。
ダンサーのイダ( ジャンヌ・バリバール )が、ステージで情熱的に踊るシーンが印象深い。
印象的なリズムを刻む名曲「 ボレロ 」を作曲したラヴェルの、詩人のように繊細な心の揺れが何処か切ない。
ラファエル・ペルソナの憂のある整った顔立ちが、尚更そう感じさせたのかも知れない。
映画館での鑑賞
大島優子じゃないが、
“頭の中ガンガン鳴ってる”のはボレロしかないですね。オープニングと本編エンドはこれしかない!
展開が大分タルいのはラヴェルの伝記だったので仕方ないか。時系列もよく飛んでちょっとつらい。
ネコが居た! カナリヤも。別荘のロケーションが絶景。
「ボレロ」は、ポピュラー音楽繁栄のきっかけになった。
モーリス・ラヴェルが作曲し誰もが耳にしたことのある名曲「ボレロ」が、どのようにできたのか解き明かす作品。
「レ・ザネ・フォル(狂乱の時代)」と呼ばれるパリが世界文化の中心であった1928年。
ボレロと言えば、スネアドラム(小太鼓)によって全編を貫くリズムと、繰り返し出てくる二つのメロディーが注目されるが、一番最初、ppで小太鼓のリズムを強調するようにでてくるのが、ビオラとチェロによる3拍子のスタッカート。これには、自然界の音の影響がある。雨粒の音、風を切る音など、映画で出てくる音が、だんだん、あの最初のスタッカートに近づいてゆくように感じられた。
小太鼓のリズムには、その2年前にヨーロッパで流行った「ヴァレンシア」を家政婦のルヴロ夫人と二人で歌った映画の場面がそのまま反映する。ラヴェルは、やがて指先で、あのリズムを刻むようになる。
様々な楽器のソロあるいは組み合わせにより、交互に繰り返される二つのメロディーには、ラヴェルがまだ小さい頃、バスク出身の母親が歌ってくれた子守唄が反映しているのだろう。ラヴェルには、よく似たメロディーを持つ「逝き王女のためのパヴァーヌ」や「ピアノ協奏曲」の第2楽章などがあり、映画の中で出てくる。
ボレロで旋律が延々と繰り返されることは、映画の冒頭で出てくる工場のオートメーションの影響に違いない。しかし、スイス出身の彼の父親が工場の技師であったことが関係する。彼がオートメーションの影響を認めつつも、「でもこれではない」と言うが、彼が思い出していたのは父親の工場のことだろう。ラヴェルが、きっと飽くことなく眺めていた。
そうなのだ!このボレロには、彼の生い立ちや、どのような経験を積んできたのか、それから出会った女性たちが、背景として大きく関わっている。そこで、この映画でも、音楽と女性を中心として、彼の生涯が語られることになる。
彼は、きっと一生、母親といたかったのだろう。ラヴェルは、保守的なアカデミーばかりでなく、ピアニストであるアレクサンドル・タローが扮したピエール・ラロのような先鋭的な批評家たちからも、ドビュシーとの違いを指摘されている。その時、心の拠り所は、母親だけだったと思う。母親を喪った後、ルヴロ夫人や、同志でもあったピアニスト、マルグリット・ロンはその代わりかも。
「ボレロ」の後、ラヴェルはジャズの影響の強い、二つのピアノ協奏曲を作曲するが、それには、「ボレロ」を作曲する直前に行った(映画に出てきた)アメリカへの演奏旅行が強く関係しているのだろう。ガーシュインから慕われたことで明らかなように。ラヴェルは、きっとクラシック音楽とジャズを含むポピュラー音楽の間に橋を架け、その繁栄を招いたのだと思う。そのきっかけの一つが「ボレロ」であったに相違ない。
ラヴェル=めんどくさいヤツ
ラヴェルはめんどくさいヤツだなぁ〜というのが作品全体を通して感じた所感です。
性癖が独特ですし、芸術家というのは一筋縄じゃないと言いますか
単純ではないですね。
劇中ラヴェルがジャズを単純ではないと言っていますが、
まさにラヴェルも単純ではない人物ですよね。
正直、観る前は途中で寝ちゃうんじゃないかと危惧していたんです。
しかもレイトショーを選択しちゃったんで、意識が何回か飛ぶなぁと思っていたら
全然そんなことはなくて、私はグイグイ物語に引き込まれましたね。
ただ、登場人物はわかりづらかったです。
ミシア、イダ、マルグリットなど、関係性がわかりづらかったですね。
お母さんがラヴェルにとって大きな存在というのはとてもわかりやすかったです。
ボレロがラヴェルを侵食していく・・・というのは、わかる気がします。
現代においても、ミュージシャンのヒット曲がそのミュージシャンの代名詞になることは
多々あろうかと思いますし、であるがゆえ、一般的にはその代表曲で認知されてしまうという
ジレンマを抱えると思うんですよね。
その最たるものがラヴェルのボレロであったのだろうと思います。
本作、実に音楽が豊潤でそれだけでも楽しめるというか没頭できるのですが、
特に冒頭のボレロを様々なアレンジで聴けるというのが、至福の時間でした。
ラヴェル、モテるんだけど、奥手にもほどがあるんですよねー。
実際そうだったんでしょうかね。
見ていてイライラしましたね(笑)
ラストのボレロの指揮シーンは素晴らしかったですね。
動きがめちゃめちゃかっこいいです。絵になります。
ファイナルカットも秀逸でした。
全然期待していなかったけれど、面白かったです。
帰宅してボレロを聴きました♪
曲とダンスで一対
映画館に着いたら目当ての映画は上映なく、この映画が入っていました。
違う週のタイムテーブルをみていたらしい。。でもせっかくなので、コレを観ました。
ラベルはモテる男だったんですね、まあ二枚目で芸術家にしてはそこそこ常識的、暴君でも暴力的でも目立った奇行があるわけでもなく(あくまでも映画では)円熟した女性に好まれるタイプだと思いました。
スランプからのボレロを生み出すまでの苦悩と、生んだあとの苦悩がたっぷり描かれて長かったです。
「ボレロ」は機械の音や、流行歌を取り入れたものだったのか。
モーリスの新曲を酷評した批評家が、「君の音楽には情感がない(それがプッチーニとの違い)」と言っていたが、ボレロはそれを逆手に取ったような楽曲だと思う。同じテンポで粛々と曲が流れる。同じテンポの同じ曲が繰り返され後半に向かって盛り上がり最後に大爆発するのにゾクゾクする。無機質なのになぜかエロい。無機質はおそらく意識したんでしょうが、エロいのは作曲した御本人は気づいてなかったんですね。
自分、音楽に(バレエにも)詳しくないのでシロウトが感じた思った、というだけのことですが。
ダンス用に作曲されたものなので、ダンスと一対になったところで本領を発揮するのだと痛感した。イダのダンスの振付師は曲のエロいところだけ汲み取ったよう、あれは下品すぎる。優雅さよりキレの良さが曲に合う気がするが、動作が緩くて歯がゆい。苦しんで生み出したモーリスにすれば曲への冒涜以外のなにものでもないだろうし、演奏自体も彼の意図するものと違っている、それなのに大ヒットとは作曲家としては複雑な思い、というかやりきれないと思う。モーリスのその後は、自分が生んだ「ボレロ」に食われてしまったよう。
私の「ボレロ」は、「愛と悲しみのボレロ」でジョルジュ・ドンが踊っていたモーリス・ベジャール振り付けの、力強く気高く、肉体の美しさを最大に引き出し見せたダンスとの一対。感動しました。胸が一杯だったです。
ラストの10分、オーケストラが奏でるボレロと、その中を、力強くキレよく、躍動と肉体の美しさを極めて見せる男性ダンサーの姿を堪能できて満足しました。指揮する彼自身の脳内モーリスも満足げに見えた。
マルグリットの顔があき竹城に似ていると思っていたら、前田敦子にも似ているようで、そうすると、あき竹城と前田敦子は似ているってことかと、彼女の顔がアップになるたびに検証を試み、まじまじ見つめてしまいました。
ボレロは永遠に続くかと思われても、実際には15分程度で終わってしまうのですね
2024.9.9 字幕 京都シネマ
2024年のフランス映画(121分、G)
作曲家ラヴェルが「ボレロ」を制作するに至った流れを描いた伝記映画
監督:アンヌ・フォンテーヌ
脚本:アンヌ・フォンテーヌ&クレア・バー&ピエール・トリビディク&ジャック・フィエスキ&ジャン=ピエール・ロンジャ
物語の舞台は、フランスのパリ
作曲家のモーリス・ラヴェル(ラファエル・ペルソナ、幼少期:Max Harter)は、バレエダンサーのイダ(ジャンヌ・バリバール)から、次の舞台の楽曲制作を依頼されていた
彼は既存曲を使用してアレンジを加えようと考えていたが、その楽曲の使用権をめぐるトラブルから、その曲が使えなくなってしまった
そこでラヴェルは1から楽曲制作に取り掛かるものの、イメージは膨らんでも、一音も書けぬまま時間だけが過ぎていった
彼には想い人ミシア(ドリア・ティリエ)がいたが、彼は実業家のアルフレッド・エドガーズ(Serge Riaboukine)の妻であり、彼は報道王として名を轟かせていた
前作は音楽評論家ピエール・ラロ(アレクサンドル・タロー)に酷評されて散々な目に遭っていて、これ以上彼を刺激したくないと考えていた
ラヴェルは、本格的に楽曲制作に向き合うために海辺の家に向かい、そこで楽譜と向き合うことになった
だが、彼の耳には様々な雑音が入ってきてしまい、それによって集中できない
ある時、その自然音に何かを感じ取ったラヴェルは、繰り返されるリズムとそれにまとわりつく変化するメロディの存在に気づく
そうしてラヴェルは「ボレロ」の基本的な部分を完成させ、それをイダに渡した
イダはその楽曲を事もあろうか「エロチシズム」と解釈し、そのような作劇を作り上げてしまう
ラヴェルは憤慨するものの、初公演を鑑賞した彼は、イダの解釈が間違っていないことに気付かされる
こうして、「ボレロ」を使用したオペラは絶賛され、ラロも賛辞を送ることになったのである
映画は、「ボレロ」完成後のラヴェルをも描き、彼が脳腫瘍か何かの病気に罹り、手術へと向かう様子が描かれていく
このシーンを挿入した意図は不明だが、このシーンがあることによって、映画は「ボレロ」の映画ではなく、ラヴェルの伝記映画になってしまったように思える
どちらが良いかということはないが、本作は「ボレロ誕生秘話」なのか、「ラヴェルの悲恋話」なのか、「ラヴェルの晩年を描く伝記映画」なのかが曖昧な感じになっていた
原題も「Bolero」なので、彼の老後は別の伝記映画で描き、オペラが絶賛されて終わるというのでもよかったのではないだろうか
いずれにせよ、ラヴェルについて詳しくなくても問題がなく、「ボレロ」に関しては調べなくても聴けばわかるレベルだと思う
冒頭の工場の機械音は彼のボレロに持っていた感覚なのだが、それが否定される流れは面白いと思う
「ボレロ」の曲展開も非常に面白いのだが、リズムは機械音、メロディは生体音だとすれば、それに付随する音は愛の音なのだと思う
変わらない日常の中で、それだけが変化するのが人間というものなので、それを言い換えると「エロチシズム」ということになるのだろう
それは、彼がこだわった赤い手袋のようなもので、それに性を感じていたことを考えれば、「ボレロ」の装飾部分はミシアへの愛だったのかな、と感じた
号泣したって言ったらびっくりでしょうか?
ラヴェルでボレロ、しか音楽知識も映画前知識も無しに行きました。
他のみなさんの評価ではみない感じですが、私としてはもう最後ボロボロ泣いてます。
モーリスの善良な繊細さが琴線に触れて触れて(泣)
母にちゃんと愛され、才能にも友人にも恵まれ、賞取りでは失敗したけれどおそらく時代にも愛されたのに。
愛する人と心もつながり、仕事仲間にも身の回りを世話してくれる人ともちゃんと誠意で繋がれてたのに。
娼婦宿に行っても上流社交場に行っても常に礼儀正しくそして求められれば即興演奏も気軽に応じる好人物。記者会見での応答にも破綻なく。
そんな彼が、切なげに心の恋人を見る。
母を慕う。
傷ついた兵士に美を見出す。
他人の評価に悩む。
風や木々や小鳥の音に惹き寄せられる。
機械の音に没入する。
他の人にとっては些細なことや乗りこえうる全てのことに、彼の内面は一々大きく揺さぶられているのが、ランダムに展開される回想とその時々での抑えた表情、控えめな眼差しでビシビシ伝わってきて。
ボレロは、生真面目な外装から、内面の揺れる思いが出てきてしまって自己を覆いつくすスタイルだけれど。
モーリスは外装を崩さないまま、内側の嵐のような思いが消失したり蘇ったりでもっと深い混乱へ。
そうして、命尽きる刹那。
目くるめくイマジネーションには彼の内側にあったものが徐々に鮮明になり、躍動し、でもまた点滅し。尽きる。
もう、映画の中の皆んながそうであったように、彼を守りたくて、解放してあげたくて。ボーボー泣いたというわけです。
ボレロ誕生を目撃
産みの苦しみを見たし、繊細な性格ゆえの苦悩に同情と共感を覚えた。
新しい17分間のバレエ曲を短期間に作らなければならないが、何も降りてこない。映画の中で記者に答えていたが、曲想が浮かべば短時間で書けるが、そうでなければ長い時間が掛かることもあると。ボレロの場合は後者であり、時間がなさ過ぎの状況。それでも、なんとか絞り出すようにして作曲に取り組み、家政婦さんとの会話とかあらゆる物事を取り込み、1分の旋律を17回繰り返して17分にするアイデアに至り、全体をクレッシェンドさせ・・・と独創的な曲に仕上げることに成功。この状況で不滅の名曲が作れるラヴェルってやっぱり天才。しかし、当の本人は満足していなくて多くの賞賛が受け入れられない。短時間に絞り出して無理矢理工夫を凝らして作ったものでは自分自身が認めることができなかったのだろう。この映画でずーっと描かれているラヴェルの生真面目で繊細な性格を考えればうなずける。しかも、自分のイメージにない官能的なバレエにされたらなおのこと。
いろいろと委嘱されて作曲するばかりとラヴェルが語るところがあったが、天才でも凡人でも、やりたいことをやりたいようにはできないものだなぁ。ラヴェルの晩年は曲想があるのに楽譜に書けなくなって、現代の私たちにとっても不幸で残念なことになったが、何が起こるか分からない人生、このままでいいのかと考えさせられた。人生は本当に難しい。
ラヴェルと言えば、あの写真というのがある。端整な顔立ちの男前。今回の俳優も男前ではあるが、あの写真のイメージとはちょっと違ったなぁ。ラヴェルのミューズとされた人、個人的にはあまり魅力的ではなかったなぁ。ラヴェルの母親に近づけたのだろうか。
いろんな角度でボレロを楽しめる映画
聴覚、視覚だけでなく、嗅覚や触覚にまで訴えてくる作品。この映画を観ている間に、私のボレロのイメージが二転三転させられた。
もともと私がこの曲に持っていたイメージは、異国のパレードがずっと遠くからゆっくり近づいてくるイメージ。その為、イダの踊りを見たときはこんな官能的な曲なのかと驚いた。
その後、彼の戦争体験や母の死などのエピソードを見て、ラヴェル自身の声にならない叫びのような内面的なものへとイメージが変わった。
そして最後の演奏では、この曲がラヴェルの人生そのものと重なって聴こえた。同じメロディが繰り返されるのは、様々な女性に囲まれながらもどこにもたどり着かない彼の姿。カタストロフィーとあう言葉もあった唐突な曲の幕切れは、崩壊する彼の精神や術後あっけなく亡くなった結末に重なるように思える。
もっとも作曲したときにそんな事は考えていなかったと思うが、そう考えるとこの作品のストーリーのモヤッとした部分もスッキリする気がする。
それにしても女性達は彼のどこに惹かれていたのだろうか。
…
オープニングや最後の演奏に合わせたダンスを観て、人それぞれ全く違う解釈をしているんだなと気付くことができ、色々と自由に考えることができ楽しい時間だった。
最後はやっぱり……
『ボレロ』を生で初めて聞いたのは、高校生の時にクラシック鑑賞会みたいなことをやったときだった。
確か、日本フィルハーモニー交響楽団が来ていたんではないかと思うが(場所は市内の劇場)記憶は曖昧。生のボレロはインパクトがすごくて、クラシックなんて聞かないクラスメートも感動していた。
この映画は、その『ボレロ』を作曲した、モーリス・ラヴェルの自伝的な映画(ラヴェル役はラファエル・ペルソナ)。といっても、半分くらいを『ボレロ』の作曲に悩むラヴェルの描写と、その後の反響の大きさに辟易する姿に充てられていて、子供の頃や若い頃が時系列に関係なく時々挿入されるという展開。なので、急に話が前後して、ちょっと展開を追うのが面倒な人もいるかもしれない。
ラヴェルのアメリカ演奏旅行では、『亡き王女のためのパヴァーヌ』なども流れて、有名どころはやっぱりやるんだ、という感じ。
アメリカ演奏旅行中にジャズを聴きに行っていたが、ある雑誌か何かで読んだエピソードに、ガーシュウィンが、オーケストレーション(オーケストラ用に編曲すること)を教わりたいと、ラヴェルを訪ねたところ、「あなたは一流のガーシュウィンです。私に学んで二流のラヴェルにならなくてもいいでしょう」と、断られた、という話があった。
てっきり、そういった、少々皮肉屋な感じの、フランスでいうところのエスプリの効いた人物かと思ったが、映画では、どこか、生真面目なエンジニアみたいな雰囲気だった(劇中、私は”スイスの時計職人”と呼ばれている、というセリフがある。ラヴェルの父はスイス人)。
晩年は、記憶障害などに苦しみ、手術を行うも、術後間もなく亡くなってしまう。いまでいうところのアルツハイマー認知症みたいな病気だったんだろうか。
最後の締めは、やっぱり『ボレロ』できたが、ダンスはいらなかったかな。フルでやるかも、と思ったが途中からだった。この映画では『ボレロ』の作曲に一番貢献したのは、家政婦の女性っだったみたいに見えるくらい、家政婦の登場シーンが多いのだが、パンフレットには、ルブロ婦人:ソフィー・ギルマン、とそれだけ。
あと、どうでもいいことかもしれないが、もしかすると、(唇への)キスシーンのないフランス映画を見たのは初めてかもしれない。
「地味」とラベル貼り
私の好きな本で古今のクラシック作曲家を大胆不敵にも、かつ音楽理論的に彼等を天才か秀才かに分類•分析したものがある。しかしそこにラベルの名は一行の批評すらない。そして今まで映画史上、彼の生涯がテーマとして取り上げられたことはなかった。彼をディスっているわけではない。「ボレロ」は実際名曲だしM.ベジャールが振り付けJ.ドンの舞ったバレエは圧巻であった。上記の原因はラベルの性格と衰弱していった精神にあったのではないか。日常生活において万事、地味、抑圧的、秘密主義あるいは禁欲的でヒーローとしてのエピソードに乏しいのである。だから「ボレロ」完成以後ストーリーはスカスカで正に「印象」だけの役者(彼は良い)の力量のみで持たせていた。ラベルに関わった女性は何人か登場するが性的な匂いは殆ど無い。手袋フェチも中途半端。マザコンから生じたゲイ(母と同じ性に手が出せない)なのか。今は亡きケン•ラッセルに監督させたら面白い怪作が出来上がったろう。何しろあの学者然としたマーラーをバスターキートンのように走り回らせたのだから。
エナメルの靴と赤い手袋。小道具の使い方も印象的。
天才って生きるのが大変そう。草食系、マザコン系、絶対音感敏感系、そして端正な容姿。女性たちがほっとけないオーラに満ちた人だったのだろうなあと想像させられた。
本人の記憶障害ワールドに寄り添うように時系列もランダムに切り取られながら編集された脚本の中、エナメルの靴と赤い手袋の演出が、彼と周囲の女性たちをつなぐモチーフとして効果的に使われていたと思う。キレがあって切なくて。他にももちろん印象的な映像カットがありましたが。
ニューヨークのジャズマンの出す音色や、女中さんが口ずさむ流行歌にインスピレーションを得るくだりなど、天才というのは俗世間の序列など関係なくいいと思った周囲の音をどんどん吸収していく大きな器の持ち主なのだろうなあと素直に感心した。
手術後、コンテンポラリーなバレエと交錯する脳内ボレロ。ラヴェルのボレロ。最後はカタストロフ!彼は自身の人生をもってして証明した。出来過ぎのラストだった。
ボレロが流れたとこしか覚えてないや。
映画冒頭でボレロが世界各国で色んなヴァージョンで流れていて本当に愛されている曲なのだと分かる。
映画のEDクレジットで
「 世界のどこかで15分に一回、ボレロが流れている 」
と出るから相当なもんです。
これだけ有名な曲なので、さぞかし儲かってウハウハなんでしょ?と思いきや、そんな事はなく作曲のコンクールに6回連続で落ちて友人達に慰められていたり、
贅沢もせず一穴主義なのか、乱行に溺れる事もなく脳の病気で入院したりとか、お母さんが亡くなったりとか幸薄い人生だったようです。
何といっても見どころは「 ボレロ」 のお披露目シーンと、映画の最後に出てくる「ボレロ」 を脳内で指揮するシーンは劇場の音響も良かったので、良いパフォーマンスを見れました。クラシック好きな人はこれだけでも、映画館で見る価値はあります。
劇中に流れる音楽や、ピアノの独奏も良くて耳は満足しました。映画本編は...、
「 ピアノ・レッスン」 「 シャイン」 「 海の上のピアニスト」 「 戦場のピアニスト」
を見た時のような感動がいまいち感じられないんだよなぁ。
やっぱ俺、ボレロしか覚えてないや。
ボレロ
誰もが聞いたことのあるボレロは、こんな状況で生まれたのですね。でも、最後のキッカケは意外と単純な感じでしたね。出来上がっても、それが意外に大きくなってしまい最後は自分の精神も蝕むなんて。
クリエーターの悲哀
優れた芸術家であっても、評価されない時期があったり、依頼者の無茶振りに応えなければならないときもある。期待に応えるために心血を注ぎ込んで傑作をつくり上げたとしても、その使われ方が自分の好みに合わないことも多い。
突出した作品を産み出すクリエーターは狂気にも近い集中力を備えているが、リソースのほとんどを作品を産み出すことに費やす彼らの人生を映画にすると、展開がやや単調な映画になるのかもしれない。
作中の時系列が入れ替わっていたり、各シーンで凝った演出を組み込んでいたりと、単調な展開を回避するための工夫は随所に見られる。しかし、ひねりが効きすぎているためか監督が何を伝えたいのかがわかりづらく、「スタイリッシュだがよくわからない映画」といった印象が残る作品だった。
星はいつも三つです。
アンヌ・フォンテーヌ監督『ボレロ 永遠の旋律』
ラヴェルの生涯を追った伝記映画ではなく、『ボレロ』を作曲した1928年にフォーカスし時系列や場所をけっこう自在に行き来させた構成。晩年には脳の疾患によって記憶や現実認識が困難になっていったというラヴェルの意識を映像にした趣がある。
Aフォンテーヌ監督、なかなかです。
パリの住居というと装飾過剰気味な狭苦しい部屋をイメージします。少々埃っぽいが整然とした物置、といった雰囲気があります。映画で描かれる様々な部屋、住まいからはパリの匂いが立ちのぼってくるようです。
私が初めてお小遣いで買ったレコードは『ボレ
ロ』でした。
ピエール・デルヴォー指揮コロンヌ管弦楽団、EMIのセラフィム盤です。安かったからです。「クラシック名盤ガイド」の類では絶ッ対に推薦されるディスクではありませんが、今となると「よくぞこのレコードを買った」と十三歳の私を誉めてやりたい。なまくらなオーケストラの音は、ラヴェルが生きていたころのパリの空気をよみがえらせてくれているかのようです。
映画でも触れられていますが、ラヴェルは第一次世界大戦で心に大きな傷を負ったといわれています。戦争はどの時代でも悲惨なものに違いありませんが、第一次世界大戦は例えばナポレオン時代の戦争のイメージから
ガラッと変わり、科学技術を駆使しての殺戮の応酬という現代の戦争。当時のヨーロッパの人たちに大きな衝撃を与えたといいます。芸術と第一世界大戦という切り口はこの映画では深くは掘り下げられてはいませんがまた調べてみようと思いました。
また映画ではラヴェルは『ボレロ』の委嘱者、イダ
・ルービンシュタインの振り付けを気に入らなかったと表現されています。
そのあたり、どうだったのか。いろいろ知りたいことが出てきたのでラヴェルの伝記、読んでみようと思いました。
あのリズムは、機械の旋律だった! 機械の未来を見ていたラヴェル
あの有名なラヴェルの「ボレロ」創作の舞台裏。
延々と繰り返すリズムは、まさか巨大な機械の駆動音だったとは!
機械による革命の未来を思い描いていたとは思いもよりませんでした。
非常に興味深く観ました。
母親の存在が大きく、他にも女性たちとの特別な結びつき。
ボレロの発表が53歳。
評価されたせいで常にボレロがついて回る。
しかし、その後わずか10年で亡くなったラヴェル。
脳腫瘍の混乱の中で綴じる人生はあまりにも悲しい。
ラスト、幻想の真っ白な空間で指揮を執るラヴェル。
ダンサーの扮装が現代風だったのが気になった。
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