ボレロ 永遠の旋律のレビュー・感想・評価
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ボレロが完成するまではそれなりに面白い展開でしたが、完成後のラベェルが病気になっていく展開では、フランス映画ならではの「ヤマナシ・オチナシ」展開に
本作は、フランスの作曲家ラヴェルによる不朽の名曲「ボレロ」の誕生秘話を描いた音楽映画です。
●ストーリー
1928年のパリ。スランプに陥っている作曲家のモーリス・ラベル(ラファエル・ペルソナ)は、ダンサーのイダ・ルビンシュタイン(ジャンヌ・バリバール)から、新作バレエの音楽を依頼されます。しかし一音も書けずにいたのです。
彼は失った閃きを追い求めるかのように、過ぎ去った人生のページをめくっていきます。戦争の痛み、叶わない美しい愛、最愛の母との別れ。引き裂かれた魂に深く潜り、試行錯誤の日々を経て、傑作「ボレロ」を作り上げます。しかし自身のすべてを注ぎ込んで作り上げたこの曲に、彼の人生は侵食されていくのでした。
●解説
来年で生誕150周年を迎えるフランスの作曲家、モーリス・ラヴェル。彼の音楽には、たとえば同じフランスで1800年代後半から1900年代初頭の日々を先輩格として活躍したクロード・ドビュッシーと比較しても、どこか機械的な性格がきわだちます。曲が機械的なだけではありません。演奏者もまた、下手に個人的情感を込めるより、譜面通り機械的に演奏することで、立派なラヴェル・サウンドを奏でることができるのです。劇中のラベェルも、自身の作品を演奏するオーケストラに対して、ピッチの正確さを神経質に求めていたのが印象的でした。
このラヴェルの音楽の機械的性格に着目して作られたのが、「ココ・アヴアン・シャネル」など実話を基にした作品を手がけてきたアンヌ・フォンテーヌ監督による本作です。ジャンルとしては伝記映画。しかしラヴェルの生い立ちを順序だてて史実に忠実に語ることには、ほとんど関心を示していません。時系列をパズルのように組み替えながら、ラベルの人生と苦しみのもとともなった創作の秘密に迫っていくのです。
映画が始まるやすぐ、映し出されるのは機械音が反復して鳴り響く大きな工場。既に人気作曲家の地位を確立したラヴェルが、そこで工場が奏でる「音楽」の解釈について語るのです。そして本作がラヴェル作品のなかでも特に光を当てる「ボレロ」こそ、そのリズムやメロディーの反復性において、機械的な性格を最も露わにしたものといえます。
工場の規則的な機械音が、反復するリズムのインスピレーションの源になったエピソードばかりではなく、当時の反復リズムの流行歌を、家政婦に歌わせたり、ラベェルのアメリカ公演でニューヨークで演奏が終わった後、ファンの誘いでジャズライブを聴きに行ったとき、「ボレロ」を連想させるジャズの曲にラベェルが聞き惚れるという意外だが納得の誕生秘話を伏線として描いています。
監督はラベルを禁欲的な人としてではなく、性的に他者にひかれないアンセクシュアルと捉え、エロチックな振り付けで踊ったイダとの衝突と和解も描き出しました。イダの振付は完成した曲に合わせて艶めかしく人間的な振り付けでした。イダに機械工場を連想させる演出を厳命していた、ラヴェルは失望を隠せません。
その後世界中でボレロの人気が高まるほど、その成功がラベェルを苦しめ、やがては脳の病気である失語症を引き起こす要因となっていったのでした。
繰り返されるドラムのリズムと二つの旋律がもたらす陶酔感は、モーリス・ベジャールら多くの振付家にインスピレーションを与えてきましたが、曲や踊りのイメージが強すぎた側面も。但し最愛の母やピアノ奏者、それに終生結ばれることなく愛した女性の存在など情感たっぷりなエピソードがこの物語をより豊かなものにしています。
それに加えて、フォンテーヌ監督はラベルの人物像とともに、「亡き王女のためのパヴァーヌ」「ピアノ協奏曲ト長調」など、ボレロ以外の作品の美しさにも光を当てています。
ちなみに演奏は「ボレロ」がブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団によるものに加え、ピアノ曲では、ヨーロッパを代表するピアニストの1人であるアレクサンドル・タローがラベルの名曲の数々を演奏しています。
ラヴェルを演じるのは、ラファエル・ペルソナ。終始抑制されたその演技は、監督のコンセプトの具現化であると共に、終生音楽にのめり込み、音楽と結婚していたといわれたラヴェル自身の思想の具現化であるようにも見えます。
また監督の熱意で、モンフォール・ラモーリーにあるラヴェルの実家、ル・ベルヴェデールでの撮影が許可されたことも特筆すべき点です。
●感想
イダのボレロの振付けは、まるで娼館にいる娼婦のようなエロチックなものでした。曲想とは似ても似つかない踊りに、ラベェルが卒倒し、やがては脳の病気にまでなってしまうというくらいの強い心労を負ってしまったのも頷けます。
なのに終盤唐突にラベェル自身にボレロには官能的表現が含まれていた、イダには曲の側面を教えられたと感謝してしまうのです。もう少し丁寧に説明してくれないと、本作の言うボレロの官能的側面がよく分かりませんでした。
そしてボレロが完成するまではそれなりに面白い展開でしたが、完成後のラベェルが病気になっていく展開では、フランス映画ならではの「ヤマナシ・オチナシ」展開となり、母の死や戦争体験などの過去の時系列をアットランダムに描いて行くだけの盛り上がりに欠けるラストになってしまいました。
●《参考までに》『ボレロ』Wikiより抜粋
この曲は、バレエ演者のイダ・ルビンシュタインの依頼により、スペイン人役のためのバレエ曲として制作された。当初、ラヴェルはイサーク・アルベニスのピアノ曲集『イベリア』から6曲をオーケストラ編曲することでルビンシュタインと合意していたが、『イベリア』には既にアルベニスの友人であるエンリケ・フェルナンデス・アルボスの編曲が存在した。ラヴェルの意図を知ったアルボスは「望むなら権利を譲りましょう」と打診したが、ラヴェルはそれを断って一から書き起こすこととした。(映画では権利を拒否されたことになっていました。)
作曲は1928年の7月から10月頃にかけて行われた。同年の夏、アメリカへの演奏旅行から帰ってきたラヴェルは、海水浴に訪れていたサン=ジャン=ド=リュズの別荘で友人ギュスターヴ・サマズイユにこの曲の主題をピアノで弾いてみせ、単一の主題をオーケストレーションを変更しながら何度も繰り返す着想を披露した。当初は『ファンダンゴ』という題名が予定されていたが、まもなく『ボレロ』に変更した。
初演は1928年11月22日にパリ・オペラ座において、ヴァルテール・ストララム(フランス語版)の指揮、イダ・ルビンシュタインのバレエ団(振付: ブロニスラヴァ・ニジンスカ)によって行われた。翌年、イダ・ルビンシュタインが持っていた演奏会場における1年間の独占権がなくなると、『ボレロ』は各地のオーケストラによって取り上げられる人気曲となり、世界の一流オーケストラが『ボレロ』の演奏を拒否するだろうと考えていたラヴェルをおおいに驚かせた。1930年1月にラヴェルはコンセール・ラムルー管弦楽団を指揮し、同曲の録音を行った。(映画ではラヴェル自身がボレロのレコードを聴くシーンがあります。きっと自身の収録を聞いていたのでしょう。)
ボレロのバレエが好き過ぎて鑑賞
数年前、フリーデマン・フォーゲルのボレロを生で観賞したときから、私はボレロ中毒。まさに、映画で言ってるように中毒。モーリス・ベジャール振り付けのバレエのね。
上野水香のバレエも見に行ったなぁ…。
ほかには演劇でもボレロと名のつく舞台は見に行ってるくらい好き。
そんなだから、ボレロの作家の映画を見ないではいられない。しかし…映画の前半私は「寝息をたてて」「寝ていた」!
後半はしっかと見た。そして…(寝てて理解できなかった部分を解明したいと)迷わずパンフを即購入。私は滅多にパンフを買わないので、連れは(寝てたのにパンフ買った!)とびっくりしたらしい。
これは私には音楽の授業の一コマ。パンフは教科書。教養が深まった気がします。
映画がつまらないわけでは決してない。最後の指揮シーンの美しさは圧巻!
いまひとつピンとこない
美しい情景、壮厳な音楽
伝記読む感じでなんとなく行っただけなのに なんか予想外にすっごく良...
伝記読む感じでなんとなく行っただけなのに
なんか予想外にすっごく良かった
失礼この上ないけど
そんなに期待はしてなかった
前半は
ここまで主人公と共鳴したことあったかと思うほど入り込み
最後の方では
モーリスがなんだか愛おしくて仕方がなかった
いまになって思えば
初っ端の、パッチワーク的なボレロを聞いた時から
きっともう心を持って行かれてた
予想外過ぎたので、甘めに5
あと、これ、書くか迷ったんですけど
ミシアがたまにラウールに見えたのは私だけですか?
顔がとかじゃなくて、なんか全体像っていうか
情熱的であり、官能的であり、機械的である
曲と同調する音と気配
折角の題材なのに中途半端の極み
あの名曲「ボレロ」の出来るまで、って思ったら、そうでもなくほぼモーリス・ラベルの半生を描いて中止半端なのが致命的。確かに本作は冒頭の工場の響き、そして徹底した「音」にフォーカスし、ボレロに収斂するスタンスだったのに。
著名なバレーダンサーからの依頼、しかも官能と言うテーマをストレートに与えられての作曲依頼。しかし、当然に閃きは訪れず難航する辺りが映画の柱のはず。そこで描かれるのが、スペインに近いバスク地方の出身と言う事、恋人との奇妙な付き合い方、ローマ大賞なる顕彰に落選続きだった意味、全米ツアーでの大成功、そこで接した黒人のジャズの衝撃、スイスの時計職人と呼ばれる意味、怪しげな娼婦の館でのプラトニック、扇子の音、旋律よりリズムだと声高に叫ぶ、そして母との追憶、戦地での体験、友人との交流などなど、エピソードは多数用意されてます。しかし、それがどうした、同一のリズムが保たれ、2種類の旋律のみが繰り返されるという特徴的なボレロの構成に辿り着くまで、映像的に何にも伝わらないのです。
それを言うなら、冒頭の大型機械の繰り返し繰り返す多様な騒音で十分でしょ。何故開巻早々に彼女を工場に呼び寄せたのか、それこそを描くべきではなかったか。なにより熟練のダンサーであるイダ・ルビンシュタインの過激なセクシュアリティにほぼ答えは出ていたのではないか。メンタルよりもフィジカル、その肉体の反応と言えば避けようがない程に性的な悦楽にとどめ刺すはず。だから、娼婦にサテンの手袋を着けさす微音をもっと発展させ、連れ添った彼女とのベッドシーンをも描いて欲しかった。
にも関わらず、パリ・オペラ座での初演の大成功以降のボレロフィーバーに皮肉にも苛まれ、さらに認知症に至るまでをも描いて、これがモーリスですって、面白くも何ともありませんね。残念なことにラベルに扮したイケメン役者さん、まるで色気がありゃしない、生の発露がゼロの酷さ、官能の「か」の字も感じさせない。さらに彼のミューズとなったミシアに扮した女優さん、実際があんなだったのかも知れませんが、とんとミューズに相応しくなく気持ちがどんどんスクリーンから遠ざかってしまう有様。
ひょっとすると生家も含めて、実際の建物を撮影し、ベルエポック的な極楽を背景から衣装に染み込ませた、流石のフランス映画の芳香だけはスクリーンが溢れ出しているのに。米国のレストランを出た2人がタクシーから降りたらセーヌ河を散策するってシーンがあります。似たような女の服装だから、いきなりフランスに帰ってきたの? 多分これは本国バージョンではなく何かしらカットを施し無謀な繋ぎを施した結果かと。他にも、暗いシーンからいきなり明るいシーンに、普通はあり得ないモンタージュの個所もそんなコトだと推測出来ます。
なんだかんだ言っても、あのリズムが響き渡れば観客は否応なく引き込まれてしまいます。ことにもタイトルバックあたりで、多様な楽器を使っての旋律の演奏が次々と登場し実に素晴らしい。だから、ラストには改めて演奏されると予測したら、その通りにスタジオでのオーケストラを指揮するシーンが登場しましたが。なんとツマラナイ映像に成り下がったのか、本作の安っぽさを象徴するかのようでした。
まさかの流行歌!?
モーリス・ラヴェルのポレロ作曲秘話。
オペラやクラッシクに明るくない自分でも名前ぐらい知っているラベルが、1927年にロシア人バレエダンサーに次のバレエの曲作りを依頼され巻き起こっていくストーリー。
ホント全然知らんかったけれど、作曲家でありピアノ奏者だったんですね。
イベリアを編曲すると述べてアメリカツアーに出かけ、戻ってきても手をつけず、そしてなんと今度は権利がうんたら。
と思ったらバレンシア?全然気にしたことなかったけれど確かにこれって…。
ボレロの作曲秘話と言いつつも、常に寂しさや報われない想いに生きたラベルの半生が主という感じで、観賞後に調べて補完したけれど、劇中では描かれないタクシーでの事故がどうとかいうエピソードもあったんですね。
半分時間潰し的に観賞したけれど、哀しく儚い物語でなかなか面白かった。
クリエーターの悲哀
優れた芸術家であっても、評価されない時期があったり、依頼者の無茶振りに応えなければならないときもある。期待に応えるために心血を注ぎ込んで傑作をつくり上げたとしても、その使われ方が自分の好みに合わないことも多い。
突出した作品を産み出すクリエーターは狂気にも近い集中力を備えているが、リソースのほとんどを作品を産み出すことに費やす彼らの人生を映画にすると、展開がやや単調な映画になるのかもしれない。
作中の時系列が入れ替わっていたり、各シーンで凝った演出を組み込んでいたりと、単調な展開を回避するための工夫は随所に見られる。しかし、ひねりが効きすぎているためか監督が何を伝えたいのかがわかりづらく、「スタイリッシュだがよくわからない映画」といった印象が残る作品だった。
YMOと
星はいつも三つです。
アンヌ・フォンテーヌ監督『ボレロ 永遠の旋律』
ラヴェルの生涯を追った伝記映画ではなく、『ボレロ』を作曲した1928年にフォーカスし時系列や場所をけっこう自在に行き来させた構成。晩年には脳の疾患によって記憶や現実認識が困難になっていったというラヴェルの意識を映像にした趣がある。
Aフォンテーヌ監督、なかなかです。
パリの住居というと装飾過剰気味な狭苦しい部屋をイメージします。少々埃っぽいが整然とした物置、といった雰囲気があります。映画で描かれる様々な部屋、住まいからはパリの匂いが立ちのぼってくるようです。
私が初めてお小遣いで買ったレコードは『ボレ
ロ』でした。
ピエール・デルヴォー指揮コロンヌ管弦楽団、EMIのセラフィム盤です。安かったからです。「クラシック名盤ガイド」の類では絶ッ対に推薦されるディスクではありませんが、今となると「よくぞこのレコードを買った」と十三歳の私を誉めてやりたい。なまくらなオーケストラの音は、ラヴェルが生きていたころのパリの空気をよみがえらせてくれているかのようです。
映画でも触れられていますが、ラヴェルは第一次世界大戦で心に大きな傷を負ったといわれています。戦争はどの時代でも悲惨なものに違いありませんが、第一次世界大戦は例えばナポレオン時代の戦争のイメージから
ガラッと変わり、科学技術を駆使しての殺戮の応酬という現代の戦争。当時のヨーロッパの人たちに大きな衝撃を与えたといいます。芸術と第一世界大戦という切り口はこの映画では深くは掘り下げられてはいませんがまた調べてみようと思いました。
また映画ではラヴェルは『ボレロ』の委嘱者、イダ
・ルービンシュタインの振り付けを気に入らなかったと表現されています。
そのあたり、どうだったのか。いろいろ知りたいことが出てきたのでラヴェルの伝記、読んでみようと思いました。
ストーリーは中途半端。ボレロの楽曲の取り扱いにも疑義あり。
ラヴェルの伝記的映画なのか、ボレロの作曲〜初演の裏話を取り上げたバックステージもの?なのか、それともラヴェルのミューズ的存在だったミシアとの恋が中心の人間ドラマなのか、最後まで判然とせず。というか万事、中途半端でどの角度からもこの大作曲家の姿には迫れていない。主演のラファエル・ペルソナ(凄い名前だね)もはっきり言ってメリハリがない大根演技。というかこの人、ローワン・アトキンソンに似てませんか?
出演者は多くないけど時系が前後することもあって誰が誰やらよく分からず。ラヴェルと一緒に住んでいるらしいアルグリット(あき竹城に似てる)って誰?姉?ラヴェルは生涯結婚しなかったのだけど。
百歩譲ってこれはボレロという音楽そのものの話だとしてみても。オペラ座の初演は、確かにバレエの部分はラヴェルの言う通りひどい出来だけど、演奏自体はそう悪くないんじゃない?テンポも強弱も。ラヴェルが我慢できない、って言うとおりであるならばそれらしい演奏レベルで映画化しないと。あと、病床のラヴェルが夢の中で自分で指揮している「ボレロ」ですが、モーリス・べジャール風の黒人ダンサーのダンスが入ってきます。べジャールがボレロを振り付けたのはラヴェルの死の25年後だよ。
ラヴェルはボレロをオーケストラで演奏してもらうことを希望していて、一方でオケ側から拒否されないか常に恐れていた。だからラヴェルが望んでいたボレロの演奏を考察して再現しないと映画にならないんじゃない?名曲にあぐらかいてサボんなよ。
あのリズムは、機械の旋律だった! 機械の未来を見ていたラヴェル
あの有名なラヴェルの「ボレロ」創作の舞台裏。
延々と繰り返すリズムは、まさか巨大な機械の駆動音だったとは!
機械による革命の未来を思い描いていたとは思いもよりませんでした。
非常に興味深く観ました。
母親の存在が大きく、他にも女性たちとの特別な結びつき。
ボレロの発表が53歳。
評価されたせいで常にボレロがついて回る。
しかし、その後わずか10年で亡くなったラヴェル。
脳腫瘍の混乱の中で綴じる人生はあまりにも悲しい。
ラスト、幻想の真っ白な空間で指揮を執るラヴェル。
ダンサーの扮装が現代風だったのが気になった。
時系列がわからなかった
モーリス・ラヴェルを知らない人には、良いかもしれない。
ラヴェルは私が好きな作曲家の1人。もしかすると一番好きかもしれない。
エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団のラヴェル管弦楽曲集を聞いて、虜になった。
ラヴェルの生涯については、ひと通り知っているので、復習みたいな感じだった。
さて、肝心の映画だが私には退屈だった。ボレロ初演の成功で映画は終わりだと思ったら、ラヴェルの死まで描かれていた。ラヴェル晩年の悲劇は、交通事故をきっかけに精神的変調をきたし、頭の中では音楽が奏でているのに、譜面に落とすことが出来なくなってしまった。この映画で描かれているように、若年性痴呆症かもしれない。無謀な脳手術をして、呆気なく死んでしまった。
伝記映画なので、表題に書いた通り初心者には良いだろう。だが、私には退屈極まりなかった。しかし、流れるラヴェル作品の素晴らしさには感嘆する。出来れば「ダフネスとクロエ」も流して欲しかった。ラヴェルの音楽に0,5点加点した。
全般には
あまりにも有名なラヴェルの『ボレロ』誕生の内幕…といいながら、かなーり変わった愛情と性癖のラヴェルの人生を描く。
ストーリーとしては、冒頭からほぼ20年空けて、時々過去に戻りながら描くんだけど、その戻り方の意図が分からなかった…そこ?どう関わってんの…?ってなった。
撮影・音響・音楽、演技は素晴らしかった。特に音響は、鳥の声や人々のざわめきなど、我々に聞こえているのとはまた違った響きを表現していて新鮮だった。
残念だったのは最後の『ボレロ』演奏シーン。演奏も指揮も良かったんだろうと思うけど、踊り(バレエ?)のコンテンポラリーっぽいの(それともモーリス・ベジャールのってこんなんだっけ?)を唐突に入れてくるし、それをスローにしたりテンポ変えてきてたこと。あんなに本人が「テンポが大事」って言ってたのに…
とはいえ全般には素晴らしい映画だったと思いますよ。『愛と哀しみのボレロ』にはさすがに及ばないけど…
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