劇場公開日 2024年8月9日

「ボレロが完成するまではそれなりに面白い展開でしたが、完成後のラベェルが病気になっていく展開では、フランス映画ならではの「ヤマナシ・オチナシ」展開に」ボレロ 永遠の旋律 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0ボレロが完成するまではそれなりに面白い展開でしたが、完成後のラベェルが病気になっていく展開では、フランス映画ならではの「ヤマナシ・オチナシ」展開に

2024年8月15日
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鑑賞方法:映画館

難しい

 本作は、フランスの作曲家ラヴェルによる不朽の名曲「ボレロ」の誕生秘話を描いた音楽映画です。

●ストーリー
 1928年のパリ。スランプに陥っている作曲家のモーリス・ラベル(ラファエル・ペルソナ)は、ダンサーのイダ・ルビンシュタイン(ジャンヌ・バリバール)から、新作バレエの音楽を依頼されます。しかし一音も書けずにいたのです。
 彼は失った閃きを追い求めるかのように、過ぎ去った人生のページをめくっていきます。戦争の痛み、叶わない美しい愛、最愛の母との別れ。引き裂かれた魂に深く潜り、試行錯誤の日々を経て、傑作「ボレロ」を作り上げます。しかし自身のすべてを注ぎ込んで作り上げたこの曲に、彼の人生は侵食されていくのでした。

●解説
 来年で生誕150周年を迎えるフランスの作曲家、モーリス・ラヴェル。彼の音楽には、たとえば同じフランスで1800年代後半から1900年代初頭の日々を先輩格として活躍したクロード・ドビュッシーと比較しても、どこか機械的な性格がきわだちます。曲が機械的なだけではありません。演奏者もまた、下手に個人的情感を込めるより、譜面通り機械的に演奏することで、立派なラヴェル・サウンドを奏でることができるのです。劇中のラベェルも、自身の作品を演奏するオーケストラに対して、ピッチの正確さを神経質に求めていたのが印象的でした。
 このラヴェルの音楽の機械的性格に着目して作られたのが、「ココ・アヴアン・シャネル」など実話を基にした作品を手がけてきたアンヌ・フォンテーヌ監督による本作です。ジャンルとしては伝記映画。しかしラヴェルの生い立ちを順序だてて史実に忠実に語ることには、ほとんど関心を示していません。時系列をパズルのように組み替えながら、ラベルの人生と苦しみのもとともなった創作の秘密に迫っていくのです。
 映画が始まるやすぐ、映し出されるのは機械音が反復して鳴り響く大きな工場。既に人気作曲家の地位を確立したラヴェルが、そこで工場が奏でる「音楽」の解釈について語るのです。そして本作がラヴェル作品のなかでも特に光を当てる「ボレロ」こそ、そのリズムやメロディーの反復性において、機械的な性格を最も露わにしたものといえます。
 工場の規則的な機械音が、反復するリズムのインスピレーションの源になったエピソードばかりではなく、当時の反復リズムの流行歌を、家政婦に歌わせたり、ラベェルのアメリカ公演でニューヨークで演奏が終わった後、ファンの誘いでジャズライブを聴きに行ったとき、「ボレロ」を連想させるジャズの曲にラベェルが聞き惚れるという意外だが納得の誕生秘話を伏線として描いています。
 監督はラベルを禁欲的な人としてではなく、性的に他者にひかれないアンセクシュアルと捉え、エロチックな振り付けで踊ったイダとの衝突と和解も描き出しました。イダの振付は完成した曲に合わせて艶めかしく人間的な振り付けでした。イダに機械工場を連想させる演出を厳命していた、ラヴェルは失望を隠せません。
 その後世界中でボレロの人気が高まるほど、その成功がラベェルを苦しめ、やがては脳の病気である失語症を引き起こす要因となっていったのでした。
 繰り返されるドラムのリズムと二つの旋律がもたらす陶酔感は、モーリス・ベジャールら多くの振付家にインスピレーションを与えてきましたが、曲や踊りのイメージが強すぎた側面も。但し最愛の母やピアノ奏者、それに終生結ばれることなく愛した女性の存在など情感たっぷりなエピソードがこの物語をより豊かなものにしています。
 それに加えて、フォンテーヌ監督はラベルの人物像とともに、「亡き王女のためのパヴァーヌ」「ピアノ協奏曲ト長調」など、ボレロ以外の作品の美しさにも光を当てています。
 ちなみに演奏は「ボレロ」がブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団によるものに加え、ピアノ曲では、ヨーロッパを代表するピアニストの1人であるアレクサンドル・タローがラベルの名曲の数々を演奏しています。
 ラヴェルを演じるのは、ラファエル・ペルソナ。終始抑制されたその演技は、監督のコンセプトの具現化であると共に、終生音楽にのめり込み、音楽と結婚していたといわれたラヴェル自身の思想の具現化であるようにも見えます。
 また監督の熱意で、モンフォール・ラモーリーにあるラヴェルの実家、ル・ベルヴェデールでの撮影が許可されたことも特筆すべき点です。

●感想
 イダのボレロの振付けは、まるで娼館にいる娼婦のようなエロチックなものでした。曲想とは似ても似つかない踊りに、ラベェルが卒倒し、やがては脳の病気にまでなってしまうというくらいの強い心労を負ってしまったのも頷けます。
 なのに終盤唐突にラベェル自身にボレロには官能的表現が含まれていた、イダには曲の側面を教えられたと感謝してしまうのです。もう少し丁寧に説明してくれないと、本作の言うボレロの官能的側面がよく分かりませんでした。
 そしてボレロが完成するまではそれなりに面白い展開でしたが、完成後のラベェルが病気になっていく展開では、フランス映画ならではの「ヤマナシ・オチナシ」展開となり、母の死や戦争体験などの過去の時系列をアットランダムに描いて行くだけの盛り上がりに欠けるラストになってしまいました。

●《参考までに》『ボレロ』Wikiより抜粋
 この曲は、バレエ演者のイダ・ルビンシュタインの依頼により、スペイン人役のためのバレエ曲として制作された。当初、ラヴェルはイサーク・アルベニスのピアノ曲集『イベリア』から6曲をオーケストラ編曲することでルビンシュタインと合意していたが、『イベリア』には既にアルベニスの友人であるエンリケ・フェルナンデス・アルボスの編曲が存在した。ラヴェルの意図を知ったアルボスは「望むなら権利を譲りましょう」と打診したが、ラヴェルはそれを断って一から書き起こすこととした。(映画では権利を拒否されたことになっていました。)

 作曲は1928年の7月から10月頃にかけて行われた。同年の夏、アメリカへの演奏旅行から帰ってきたラヴェルは、海水浴に訪れていたサン=ジャン=ド=リュズの別荘で友人ギュスターヴ・サマズイユにこの曲の主題をピアノで弾いてみせ、単一の主題をオーケストレーションを変更しながら何度も繰り返す着想を披露した。当初は『ファンダンゴ』という題名が予定されていたが、まもなく『ボレロ』に変更した。

 初演は1928年11月22日にパリ・オペラ座において、ヴァルテール・ストララム(フランス語版)の指揮、イダ・ルビンシュタインのバレエ団(振付: ブロニスラヴァ・ニジンスカ)によって行われた。翌年、イダ・ルビンシュタインが持っていた演奏会場における1年間の独占権がなくなると、『ボレロ』は各地のオーケストラによって取り上げられる人気曲となり、世界の一流オーケストラが『ボレロ』の演奏を拒否するだろうと考えていたラヴェルをおおいに驚かせた。1930年1月にラヴェルはコンセール・ラムルー管弦楽団を指揮し、同曲の録音を行った。(映画ではラヴェル自身がボレロのレコードを聴くシーンがあります。きっと自身の収録を聞いていたのでしょう。)

流山の小地蔵