「折角の題材なのに中途半端の極み」ボレロ 永遠の旋律 クニオさんの映画レビュー(感想・評価)
折角の題材なのに中途半端の極み
あの名曲「ボレロ」の出来るまで、って思ったら、そうでもなくほぼモーリス・ラベルの半生を描いて中止半端なのが致命的。確かに本作は冒頭の工場の響き、そして徹底した「音」にフォーカスし、ボレロに収斂するスタンスだったのに。
著名なバレーダンサーからの依頼、しかも官能と言うテーマをストレートに与えられての作曲依頼。しかし、当然に閃きは訪れず難航する辺りが映画の柱のはず。そこで描かれるのが、スペインに近いバスク地方の出身と言う事、恋人との奇妙な付き合い方、ローマ大賞なる顕彰に落選続きだった意味、全米ツアーでの大成功、そこで接した黒人のジャズの衝撃、スイスの時計職人と呼ばれる意味、怪しげな娼婦の館でのプラトニック、扇子の音、旋律よりリズムだと声高に叫ぶ、そして母との追憶、戦地での体験、友人との交流などなど、エピソードは多数用意されてます。しかし、それがどうした、同一のリズムが保たれ、2種類の旋律のみが繰り返されるという特徴的なボレロの構成に辿り着くまで、映像的に何にも伝わらないのです。
それを言うなら、冒頭の大型機械の繰り返し繰り返す多様な騒音で十分でしょ。何故開巻早々に彼女を工場に呼び寄せたのか、それこそを描くべきではなかったか。なにより熟練のダンサーであるイダ・ルビンシュタインの過激なセクシュアリティにほぼ答えは出ていたのではないか。メンタルよりもフィジカル、その肉体の反応と言えば避けようがない程に性的な悦楽にとどめ刺すはず。だから、娼婦にサテンの手袋を着けさす微音をもっと発展させ、連れ添った彼女とのベッドシーンをも描いて欲しかった。
にも関わらず、パリ・オペラ座での初演の大成功以降のボレロフィーバーに皮肉にも苛まれ、さらに認知症に至るまでをも描いて、これがモーリスですって、面白くも何ともありませんね。残念なことにラベルに扮したイケメン役者さん、まるで色気がありゃしない、生の発露がゼロの酷さ、官能の「か」の字も感じさせない。さらに彼のミューズとなったミシアに扮した女優さん、実際があんなだったのかも知れませんが、とんとミューズに相応しくなく気持ちがどんどんスクリーンから遠ざかってしまう有様。
ひょっとすると生家も含めて、実際の建物を撮影し、ベルエポック的な極楽を背景から衣装に染み込ませた、流石のフランス映画の芳香だけはスクリーンが溢れ出しているのに。米国のレストランを出た2人がタクシーから降りたらセーヌ河を散策するってシーンがあります。似たような女の服装だから、いきなりフランスに帰ってきたの? 多分これは本国バージョンではなく何かしらカットを施し無謀な繋ぎを施した結果かと。他にも、暗いシーンからいきなり明るいシーンに、普通はあり得ないモンタージュの個所もそんなコトだと推測出来ます。
なんだかんだ言っても、あのリズムが響き渡れば観客は否応なく引き込まれてしまいます。ことにもタイトルバックあたりで、多様な楽器を使っての旋律の演奏が次々と登場し実に素晴らしい。だから、ラストには改めて演奏されると予測したら、その通りにスタジオでのオーケストラを指揮するシーンが登場しましたが。なんとツマラナイ映像に成り下がったのか、本作の安っぽさを象徴するかのようでした。