「ラヴェルの鼓動」ボレロ 永遠の旋律 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
ラヴェルの鼓動
遠い日の僕の思い出。
あれは冬の夜だったけれど、
ポケットに手を入れて、
夜ふけの、道路工事を傍らで立って見ていたら
あの「アスファルトを砕く削岩機の音」の中からひとつの音楽が聴こえてきたので・・
僕はあの「リズム」につられて 誘われるままに ふらりと西国行きのブルトレに乗ったのでした。
すべてが嫌になり、生きることの限界に耐えられず、学生寮を出て夜道をさまよっていた時です。
機械の発する無機質、かつどこまでも単調な騒音から新しい拍動が。
そう、誰も知らなかったリズムとメロディーが生まれる瞬間。
若き日の家出少年?の思い出です。
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モーリス・ラヴェルの「ボレロ」の本領は
「ステージ上の演奏はあくまでも冷静なのに」
「客席はアクメのパニックになる」という=作曲者も意図しなかった反応。二律背反の現象です。
《リズムの反復が生むこのトランス状態》は
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のセルマや
「モダンタイムス」のチャップリンも、発端は同じでした。
そのアイデア斬新にして、奔放な、この世紀の傑作「ボレロ」が、
①実は頑なにメトロノームを見つめ、ひとつのリズムマシーンの“タガ"に自らを終始縛り付けた代物だったのであり、
②遊びや脱線を恐れる自らへの防御作品でもあり、
③時計と規則大好き、
という四角四面な構造であること。
その事が、
モーリス・ラヴェル自身のガードの固い精神とクソ神経質な生き様を、実はよく表している。
⇔ かたや観衆の側に沸き起こる熱狂とアドレナリンの爆発は
作曲者の預かり知らぬところだ ー
という この主客の「ズレ」がたいへんに面白いのです。
長すぎず、短すぎることもなく、
1分間の主題フレーズを17回。
聴衆は結末を当然知っていつつも、何度でもこの管弦楽の渦を、我が身に求めたくなる。興奮の昂まりに身を委ねて、もみくちゃにされたくなる。
結果を知っていても“中毒”のように惹き込まれてしまう。これは古典落語のオチに酔いしれる「名演」と同じですね。
太鼓の拍動や手拍子は、人間の原始の記憶の想起。
あるいは原生動物時代のクラゲやクリオネに始まる赤い心臓の点滅。
野生に戻り、自分の鼓動を感じること。
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作曲家の伝記物語として、その中でも「ボレロ」という一曲に集中して作られたコアな作品でした。
モーリス・ラヴェルが、スランプに苦しみながらも委嘱に応えなければならない、締め切り前の七転八倒の姿です。
機械工場、
無機質な繰り返し、
5回も繰り返して落選したコンクール、
半音を撤廃し四つの音を基本に、
20分では長いから15分にしようかとおもったが 間を取って17分、
アメリカで聴いたJAZZのテナー・サックスのあの気だるいフレーズ、
気分転換に歩く浜辺の、波の寄せ引き、
家政婦が愛唱するスペインの歌謡曲「ヴァレンシア」の、独特のダンスリズム、
娼館での赤いサテンの手袋のフェティシズム、
ラヴェル自身は一貫して女の前でも服を脱ぐこと、裸になることから逃げている。
しかし、
最後は火山の噴火で終息に。
こういう劇中に去来し 交わされる「キーワード」の積み重ねが、鑑賞する我々にも、波のように繰り返し繰り返し 提示されていて
「我々の知るあのボレロ」の完成に向けての「プロセス」を共に感じることが出来るのです。
そこがこの映画を退屈させない実に上手い作りですね。
つまり、誰もが答えを知っている有名な楽曲であるからこそ、観ている側がそのヒントを拾いながら壮絶なコーダを迎えられるように出来ている。
(逆に言えば「ボレロ」を知らない人間はこの映画の作りの面白さが分からずに全然乗ってこれないということになりますね) 。
それにしても、
無から有を呼び起こす作曲家たちこの産みの苦しみの、なんと辛いことよ!
曲の完成を待ちわびる何人もの女たち=
モーリスの母親、
ロシア人舞踏家のイダ、
モーリスを愛するサポーターのミシャ、
いつも靴の忘れ物を届けてくれる陽気な家政婦のルヴロさん、
そして影にひなたにモーリスの面倒をみたマルグリード。
・・この全員が、ボレロの完成を諦めずに待った訳です。
モーリスの弱さと脆さが、女性たちの母性本能と愛玩行動を引きだすのかも知れません。みんな年上タイプ。
監督も女性=アンヌ・フォンテーヌでした。
こうしてたくさんの女性が登場しますが、全員が独特の風貌と身長と性格でキャスティングされているため、混乱は皆無です。お見事。
絶体絶命で、口からでまかせで、半ば破れかぶれで生まれた「名曲の誕生秘話」。
ひょうたんから駒でした。
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ラストは
本人の指揮風景で終わります。
若年性認知症なのでしょうか?
燃え尽き症候群なのでしょうか?
脳腫瘍の手術あとにも見えます。
頭真っ白の状態になっての、ハレーショ゙ンのモノクロ映像です。
娼館での性行為を思わせる熱情のリズムは、まんまベッドシーン。
イダが評した通りの、ラヴェルの音楽の「官能」「陶酔」「エロチシズム」の極致でした。
誰にも気付かれずに微かな小太鼓で「抑制的」に「理知的」に開始され、繰り返す拍動。
重ねられ、徐々にクレッシェンドされ、昂まる緊張と興奮。
そしてつまりラストは頭真っ白で、怒涛のオルガスムス。
まさしく!フランス人はラテン民族だったのでした。
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【 おまけ情報 ①②】
①5人のダンサーによる「ボレロ」の見比べ動画と解説
[ バレエ「ボレロ」はダンサーによって全く違う作品に!?|NOAバレエスクール ]
◆シルヴィ・ギエム、
◆上野水香、
◆マヤ・プリセツカヤ、
◆首藤康之、
◆ジョルジュ・ドン
②「ボレロ」の演奏会形式録音の変り種としては
楽団員たちが、練習演奏で、フィナーレで叫んだ録音ですね。指揮者をびっくりさせて。
結局面白いからと、そのままでCD発売に相なったというお遊びの一枚でもあります。
⇒クラウディオ・アバドのボレロで動画検索して下さい。
( ※ コメント欄 )
レビューを拝読して、鑑賞したくなりました。
別件ですが、音楽映画つながりで、オススメしたいドキュメンタリーがあります。
「ビバ・マエストロ! 指揮者ドゥダメルの挑戦」です。12月28日から、東座で上映されるようなので、よろしかったらご覧ください。レビューもアップしてますので、ご高覧ください。
きりんさん
ロンドン・フィルハーモニー演奏による『 クラウディオ・アバド 』( 14分28秒 )無事聴くことが出来ました (^^)
ご丁寧に教えて頂き有難うございます。
指揮者との関係性もまた素晴らしいですね ♬
指揮なんてとても出来ませんが、指揮者となって指揮棒を振ってみたい、そう思わせる魅力が、名曲「 ボレロ 」にはありますよね。
もともと「ボレロ」とは、「ゆっくりな三拍子の、スペインの大衆民謡のダンスリズム」のことです。(「ワルツ」とか「タンゴ」のように)。
酒場で、テーブルの上に登って、酔っ払いの男たちが大騒ぎではやし立てる中で踊る女給をイメージして、ダンスの振り付けが始まったので、イダの「ベリーダンス風の解釈」はあながち間違っていないかも知れません。
以来、バレエの振り付けの歴史は
①女と多数の男。
②女だけの輪舞バージョン。
そしてモーリス・ベジャールの決定版⇒
③男たちだけの踊り
になった変遷があります。
それを更にいじってシルヴィ・ギエムがベジャールの振り付けのままで女と男衆の配役に戻したものもある。
どれもこれも、エロさにおいては相当のモノだと思いますね。
ラヴェル自身はそれを嫌ったとしても、このリズム自体が、作者の意向を許さない、パッションへの誘惑を醸してしまったのだと思います。
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こころさんこんばんは
ショート動画ではなく、フル動画のほうです。
Ravel: Borélo, M.81 で検索して、
「ロンドン・フィルハーモニー
クラウディオ・アバド」の動画を選択して下さい。
14分28秒あります。
最後に楽団員の雄叫びが聞こえますよ!
管楽器の人たちは楽器を吹きながらは叫べないので、弦楽パートと打楽器奏者たちの声ですね(笑)
きりんさん
きりんさんにとって、若き日の記憶が甦る名曲なのですね。
徐々に熱を帯びていく楽曲が、癖になる魅惑の名曲ですよね。
名曲「 ボレロ 」の作られた背景や当時どう演奏されていたかを、本作で初めて知りました。「 ボレロ 」を耳にする度に、ステージで妖艶に踊る踊り子の姿を思い浮かべそうです。
クラウディオ・アバドの「 ボレロ 」、フィナーレ迄は聴けませんでした。。
おはようございます😃
勤務中なのですが、この時間皆様のレビューを拝読するのが楽しみなんですね。きりんさんのレビューは、詩的であり、ノスタルジックに溢れ、且つ勉強になるので大好きです。では。
コメントありがとうございます。
リカちゃんボレロはあの両手首をくっつける感じをうまく表現してますね。AI作画技術を駆使したら大谷翔平選手が踊る動画作成も可能なのでしょうが誰かやってくれんかな?
今回、映画見ながら不覚にも泣いてしまいました。
うまく行かない自分の人生とモーリスの下手くそな生き方が重なり、
演奏会の成功で滂沱の涙です・・
ジョルジュ・ドンの生の舞台を観た 一生の経験については
「愛と哀しみのボレロ」レビューを覗いてください。