十一人の賊軍のレビュー・感想・評価
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だんだんと映画になっていく
どんな映画とも知らずに飛び込んでみました。タイトルの「十一人の賊軍」を見れば、「七人の侍」「十三人の刺客」等々、個性的な少人数で大群と戦う、伝統の映画であることは明白なのですが、それを感じさせないほど、最初はどうなるのか、さっぱり判らなかった。
妻を手込めにされ、残された家紋から逆恨みの人情に及び、そこからいつ断罪に処されてもおかしくない変転振りで、主役に明日があるなんてまったく感じない。そこから十人の似たような罪人が集まり、無茶振りを言い付けられるあたりから、ああ、成る程。遂に「映画」に至ったかと得心がいきました。
他のなんとかの「侍」や「刺客」に比べ、なんと危うい戦いであることか。武士だというのに礼儀も誇りもへったくれも無い。ワザとでしょうか。後ろから斬りかかるアクションを何回みせられたことか。幕末・倒幕の時代で武士道など末期の時代、銃の集中砲火は当たり前だからそういうものなんだろうけど、かえって戦いのリアリズムが凄まじい。
どんどん犠牲者が増えていき、生き残りも仲間割れすれば、まず斬る撃つの脅しのない本気の喧嘩。何度も例に挙げますが、「侍」「刺客」からずいぶんと荒々しさ・リアリズムに磨きがかかっているように思う。ああ、もっと例えるなら、スピルバーグの「プライベート・ライアン」を忘れてはいけなかった。あれのリアリズムも凄かったけど、かくも映画監督はリアリズムを追い求めなければならないのか。
その戦い振りは、斬り合いのアクションから作戦の立て方、「焙烙玉?」といった爆薬のアイテムまで面白さ満載でした。賊軍の戦い振りに加えて、阿部サダヲさんの演ずる家老?の策術権謀も良いですね。斬り合うと見せて拳銃でケリを付けるあたり。そうです。あなたのキャラはそれで良いんです。卑怯で結構。そういう役だから。
舞台の隅から隅まで変転する情勢。勧善懲悪などと型にはまった対立関係では収まらず、結果の読めない展開にワクワクが収まらない。
物語の終焉、先にも挙げましたが、後ろから斬りかかるような斬り合いだったからこそ、槍の使い手の老人剣士の誇り高き武士の振るまいが素晴らしい。ざんぎり頭の官軍将校にちゃんと名乗りを上げるあたり、武士としての思いの丈を込めて戦いに死ぬつもりだったのでしょう。そして賊軍の十一人目を最後に名乗った剣士に、この映画での数少ない誠意ある姿を見た気がする。指一本を立てる独特の構え、前半で敷いた伏線だったのですね。
そして生き残るべき人はちゃんと生き残り、幸せになる人はちゃんと幸せに。なんか「弟君」が生き残ったのに「CUBE」に通じるものがあるなあ。これも映画の伝統なんでしょうか。
それと比べて、策術権謀の御家老と言えば、大切な物を失われたまま生きていかなければならない。生きてさえいれば人は幸せなのでしょうか。ちょっと考えさせられるところ。
他にもそれぞれの個性に生きて、そして散っていった、ちゃんと「侍」「刺客」「ライアン」に通じる伝統ある娯楽映画だったと思います。
迫力の「爆発」活劇で実感する仲野太賀の凄み
シビアなストーリーと爆発シーンの迫力、そして仲野太賀最高。たまたまドルビーシネマで観たがそれが大正解。そう思えるような、まさに活劇だった。
舞台は戊辰戦争さなかの新発田藩。城に押しかけた旧幕府軍の滞在中、彼らと鉢合わせしないよう砦で新政府軍を足止めする任務に駆り出された10人の罪人と数名の武士たち。歴史的にはダイナミックなシチュエーションだが、物語はこの砦を軸とした3日間の出来事というコンパクトな設定だ。
新政府軍も旧幕府軍も、あまりよい印象の描き方はされない。大きな対立軸の上での勝つ側の正義も、負ける側の悲哀も本作にはない。そこにあるのは、社会的ヒエラルキー上位の人間たちの思惑に命ごとひたすら翻弄され、それでも無罪放免を勝ち得るため、生きるために闘う賊軍たちの姿だ。
特に山田孝之の演じた政は、聾者の妻のもとに帰るために砦から逃亡してでも生き延びようとする(ただこれは、後でなつに指摘されたように独りよがりな判断ではあるのだが)。そんな彼が賊軍での共闘を経て、最後には一度放免されたのに、兵士郎を救うため砦に戻る。その心情の変化が、古典的な展開ではあるが心を打つ。
そんな政と対照的に描かれるのが、藩への誠を尽くそうとする兵士郎だ。任務を共にした入江たちと違い、溝口がはなから賊軍を放免にする気がないと知らされないまま、彼らと行動を共にする。そして溝口の真意を知り彼と対峙した時、11人目の賊軍になった。
仲野太賀はいわゆる二枚目に分類される俳優ではない(と私は思っていた)が、兵士郎になった彼は本当にかっこいい。まっすぐな人間である兵士郎としてのかっこよさはもちろん、俳優としても発声や滑舌、表情、殺陣などどこを取っても素晴らしく、あの適材適所のキャストたちの中で一際輝いていた。終盤のタイトル回収シーンでは鳥肌が立った。
(映画.comの作品紹介文では「11人の罪人たちが〜」と書かれていますが、違うんです罪人は10人なんです、罪人でない兵士郎が最後に賊軍を名乗って11人になるからアツいんです、ネタバレを避けたのかもしれないけどそこ大事)
彼ら賊軍のドラマを際立たせるのが、溝口という人間だ。
彼には家老として藩を守るために現実的な選択をするという彼なりの正義があるのだが、罪人たちには当然のように嘘の約束をするし、旧幕府軍を殿様に御目通りさせないために多数の民を切り捨てるなど、そのやり方はエグい。
しかし一方で彼は、一人娘を思う父親であり、殿様の扱いに苦労する管理職でもある。そんな、身近に感じる側面を持った人間が、一見理があるようにも思える信念のもとに顔色ひとつ変えず領民を殺し、刀で向かってくる兵士郎を銃殺する酷薄さを見せるから怖いのだ。
溝口は、阿部サダヲが演じるそんな多面性への、白石監督の信頼が伝わってくる役柄だった。薄寒い怖さを見せつけた後で、切腹し損ねる場面はちょっとコミカル。これぞ阿部サダヲ、という感じだ。
その他のキャストも、それぞれについて書けば切りがないほどよかった。
なつ役の鞘師里保のかっこよさにびっくり。ノロの佐久本宝、朝ドラ「エール」裕一の闇堕ちした弟! 印象変わりすぎ、俳優はすごい。爺っつぁんの本山力はすごい殺陣だと思ったら、東映剣会所属の方ということで納得。「侍タイムスリッパー」「碁盤斬り」「せかいのおきく」「仕掛人 藤枝梅安」などに出演歴あり。彼の殺陣で作品の雰囲気がかなり締まった。
松尾諭や駿河太郎、浅香航大など脇も贅沢。白石作品常連の音尾琢真を見つけた時の謎の安心感。玉木宏が演じたのは教科書的には山縣有朋だが、この頃は吉田松陰の「諸君、狂いたまえ」という教えに影響されて狂介と名乗っていたそうだ。ちょっと厨二……傾(かぶ)いてる感じでかっこいい。
演出面では、迫力の爆破シーンに圧倒された。映画館で見るべき臨場感ある音響。
官軍への痛快な一撃、仲間の劇的な死など、手に汗握るダイナミックな展開。犯罪者集団とはいえ、官軍の「投降すれば官軍に入れてやる」という言葉をあっさり信じてしまう素直さが悲しい。
溝口の不誠実さに怒った兵士郎は死に物狂いで数十人を斬り倒し彼と対峙するが、溝口は拳銃で勝負をつける。彼の冷酷さだけでなく、刀に刀で応える武士の倫理が重んじられる時代の終わりを象徴するようだ。
不誠実さの報いを娘の死という最もつらい形で受ける溝口だが、領民(ころりの病人以外)を守ったという事実は残った。ただしその平安の下には、無数の骸が転がっている。
ケレン味たっぷりのエンターテインメント活劇の骨格部分にある、ヒエラルキー上位のものに下位の人間の人生や命が翻弄され、足場にされる社会の構造。切羽詰まった状況でむきだしになる人間性。そこにはリアリティと普遍性がある。それが物語の深みを生み、私たちは賊軍に魅了されるのだ。
余談
白石監督のネトフリドラマ「極悪女王」で主役のダンプ松本を演じたゆりやんの演技は予想以上に(失礼)よかった。監督が本作で彼女をチラ見せしたかった気持ちもわかる。
家老の血
十人の罪人と、橋を死守する侍の物語
同盟軍と新政府軍との狭間で、いかに立ち回るか…家老役の阿部サダヲの演技がとても良かった
自分の領土で戦火を起こさないように、まさに風見鶏のように🐓
山田孝之、仲野太賀他の実力派俳優陣も、鬼気迫る演技が凄かった
国を守る為とはいえ先遣隊の口封じが、娘の自害に繋がって、まさに因果応報だと感じた
斬り合い闘いに凄く迫力があって予想以上に良かった。前作イマイチも、白石監督凄いジャンと唸らされた
白石和彌 監督による2024年製作(155分/PG12)の日本映画。
配給:東映、劇場公開日:2024年11月1日。
戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の一員ながら新政府軍に寝返った新発田藩を舞台に、虫ケラの様にあつかわれる罪人等庶民たちによる権力者との死闘を描いていて、物語のつくりがお見事。流石、笠原和夫の原案、そして今の時代にしっかりとフィットしていると思わされた。
戦い・斬り合いの迫力もすごく感じられ、刀がぶつかりあう音響もバッチリ。貴重な兵器となった手作り爆弾も、随分と派手な爆発で、絵的にも効果抜群に思えた。ただ、真っ暗でとても見にくいシーンが存在することには、剣捌きの拙さのカバーの様にも思え、少し抵抗感を覚えた。
ダブル主演の罪人役山田孝之も、剣術道場主で藩士ながら共闘した仲野太賀も共にとても良かった。演出も含めてだが、二人の超絶的戦いのアクションそして壮絶な最後も素晴らしく、俳優として大きな魅力を感じた。
新発田藩の重臣溝口内匠(阿部サダヲ)の描かれ方も、とても気に入った。主人公たちを無罪にすると騙して新政府軍と戦わせた悪役なのだが、かたや相手の強大さを認識し家臣や領民たちの命を守った恩人でもあり、藩の政治を司った人間としては評価もできる両面を示した脚本(池上純哉)は、最愛の娘を無くしてしまう展開も含めて、とても秀逸に思えた。
また主人公以外の罪人たちも個性的で良かった。特に紅一点のなつ役鞘師里保は、お姐さん的存在感も有り、印象に残った。元モーニング娘(9期)とは知らなかったが、今後も映画女優として期待できそう。
監督白石和彌、原案笠原和夫、脚本池上純哉、企画紀伊宗之、プロデュース紀伊宗之、プロデューサー高橋大典、ラインプロデューサー鈴木嘉弘、キャスティングプロデューサー田端利江、音楽プロデューサー津島玄一、撮影池田直矢、照明舘野秀樹、録音浦田和治、音響効果柴崎憲治、美術沖原正純、装飾郷原慶太、小道具松永一太、衣装大塚満、メイク床山
山下みどり、特殊メイク中田彰輝、編集加藤ひとみ、音楽松隈ケンタ、アクションコーディネーター吉田浩之、操演宇田川幸夫、ガンエフェクト早川光、シニアVFXスーパーバイザー
尾上克郎、特撮VFXスーパーバイザー神谷誠、監督補松尾浩道、助監督藤江儀全、制作担当
松村隆司。
出演
政山田孝之、鷲尾兵士郎仲野太賀、赤丹尾上右近、なつ鞘師里保、ノロ佐久本宝、引導千原せいじ、おろしや岡山天音、三途松浦祐也、二枚目一ノ瀬颯、辻斬小柳亮太、爺っつぁん本山力、入江数馬野村周平、田中俊介、松尾諭、仙石善右エ門音尾琢真、柴崎楓雅、佐藤五郎
吉沢悠、駿河太郎、松角洋平、浅香航大、佐野和真、安藤ヒロキオ、佐野岳、ナダル、木竜麻生、長井恵里、西田尚美、山縣狂介玉木宏、溝口内匠阿部サダヲ、村娘ゆりやんレトリィバァ。
わが町でも
幕末、旧幕府側に立つ奥羽越列藩同盟と新政府軍(官軍)の間で右往左往した新発田藩。若き藩主は列藩同盟に参加せず新政府側につきたいと。しかしまわりをぐるりと同盟側に囲まれた新発田にはそれを選択することが難しい…
そんなことから身内をも欺く非道な作戦が実行される。
これは歴史に名の残らない作戦、名の残らない人々の物語。
私の住む町(新政府側についた)にも戊辰戦争の大きな爪痕がある。辻には石碑が、寺々には墓地や供養塔が、土方歳三や大鳥圭介に関する逸話も残っている。
京都から函館に至るあちこちでこのように名も残らぬ人々が無残に散ったのだ。身近に起きたことのようにじっくりと受け止めた。
仲野太賀さんの時代劇は初めてだったが剣術家らしく猛々しく戦う姿が良き、さらに「ちはやふる」以来の野村周平さんのイケメンぶりも良き、若き藩主の意向に悪事をおかしてでも応えようとする家老、阿部サダヲさんの奮闘ぶりも見事だった。
伝統の時代劇
七人の侍から伝統の、少数で多勢の悪と戦うという時代劇。
10人の罪人が時間稼ぎするために砦を守るという流れ。
よくある展開。
色んな罪で囚われているが罪人は思ったより悪い奴らではない。
山田孝之のやさぐれ感がなかなかいい。
今回の罪人達は個性があるようでその辺りの話は割愛されており、感情移入も特に出来ず、11人全員の見せ場もある訳ではない。
活躍する者しない者の差が激しくアクションシーンも悪くなかったがその点はずっと気になる。
せっかくの150分超えの上映時間なのに勿体無い。
それぞれ強みを活かした個性ある戦いを見せてくれたら尚よかった。
今回は悪役という悪役はいないが阿部サダヲがその役回り。
全編通して役者陣が素晴らしいが言うまでもなくMVPは仲野太賀。
最後の殺陣の迫力がすごかった。
重いですね…
生々しい戦いのシーンが多く、「ずっとこんなシーンが続くのか…?」と少し心配になりましたが
ラストに向け、怒涛のような、ありとあらゆる感情の波が押し寄せてきて、大変なことになりました。思い出しても、目頭が熱くなります…
そして阿部サダヲを、本気で恨みました…笑
そのくらい入り込んでしまいました。
そういう時代もあったんだよね…とか
生まれる時代が違ったら…とか
貧富のさとか、生きるとはとか いろいろ考えさせられました。
罪人たちの背景をもっと知りたくなりました。
山田くんにイラっとしながら、太賀いいやつと思いながら、両人あっぱれ♪
官軍と賊軍、どっちがどっちなのか良くわからないまま進行しました。注目はやはり山田君と太賀と時々野村周平かな?ストーリーは簡単ですが、展開が面白いです。
エグイ場面もあり、ビート・タケシの作品かと思わされる感じが自分は否めません。
でもでも、面白かったです。最後に阿部サダが殺されるかと思いきや、娘が自殺するとダメージで…。もう一度いいます。太賀いいねぇ~
輝かしい明治維新にこんな非道なことがあったのだろうか
奇しくも旅行先で戊辰戦争に関するところに行った一年。
戊辰戦争や、明治維新が人気なのようやくわかった。
この時代が激動で大きく変わったということもあるんだろうけど。
九州から北海道まで日本を北上し、戦いや出兵をしているので、
日本のどこかしらに史伝が残っている。
函館戦争ってすごいものだったんだな…。
新発田での裏切りなんて知らなかった…。
十一人が無双する話かと思いきや、
普通に戦って、勝つときは勝つし、負けるときは負ける。
剣術すばらしかった。
白髪の老人はとんでもない剣豪なのでは?と思うほどの迫力。
きれいごと無し、人間の戦いだった。
阿部サダヲ、演技うますぎ…。
良い人から悪い人まで、ひとつの作品でこなしている…。
きれいごとばかりではない、歴史のひとつを垣間見ました。
おもしろかったけど、家で見たら寝そうな映画。
24.11.23 映画
存在感
新発田での攻防というテーマ。笠原和夫の遺したプロット。白石和彌の演出。山田孝之、仲野太賀という主役陣。そして、どことなく黒澤作品を思わせる事前公開映像。
今期の邦画では上位の期待値な作品。
実際に観てみて、確かに、面白い作品でした。2時間半強の大作ですが、冒頭からエンドロールまで飽きずに観ることができました。
こういう性質の作品では、主役よりもむしろ脇を固める役者の魅力が大切だと感じますが、『罪人』が皆良かったですね。
他のレビューでもありましたが、爺っつあんを演じる俳優さん(剣劇が本職らしい)がカッコ良い。
あと、駿河太郎さんは相変わらず、嫌なヤツを演じさせると絶品です。本作でもいい感じに嫌なヤツ。
さらにいえば、音尾琢真さんとか松尾諭さんとか松角洋平さんとか、他作品で活躍されている俳優を『贅沢使い』しているのも、個人的には面白かった。
題材が題材なだけに、女性を出しにくいかと思ったけど、鞘師里保さんは、なんというか、ちょうど良かったです。
(たとえばアノ役を、同世代のほかの女優、、、広瀬すずとか齋藤飛鳥とかだったら浮いてしまう気が)
ナダルは、、、不思議な存在感がありましたね。あと元、豊山関も。
折角良いあらすじなのに残念
予告編から七人の侍を彷彿させるとメチャ期待して観たけども!
さらに、孤狼の血、碁盤切りも良かったから期待しましたけども!
白石監督、しっかりせぇよ。
折角の史実と脚色で、面白い脚本描けたはず。なのに展開鈍い。
第一、山田孝之の無駄遣い。要ります?あの主人公。死刑免れて、タイガに出会い活躍すんのかと思ったら、なんもせんし。
ラストでタイガが切られたあと、花火持って逃げて一発かましてくれると思ったら、あっさりジエンド。
白石監督、出直しや❗️
画がきれいに見えました
最後盛り上がりました。アクション良かった。
「七人の侍」や「用心棒」と比べてしまうのですが、こういう黒澤作品にあった土や汗のにおいが伝わらなかった。俳優の肌や歯がきれいだなあと気になり、そういう意味でリアルじゃなかった。社会の最底辺の人たちが出てるから、体臭でむせるようなくささでしょうね、真夏だし。でも黒澤明がそこまで考えてなくても、画質が悪いから良い意味で汚らしさが画に出てたのでは。逆に今はくっきり映っちゃうから大変。
黒澤作品だと、「お前のためにがんばる」みたいなセリフはなかろうし、あったとしても「ココ、山場だよ」っていかにもなBGMは絶対につけない。そういう点でハードボイルドか感動作品か方向がよく分からなかった。
「弧狼の血」とも共通する感想でした。
『役者ナダル』を観ようと出かけた。
映画自体は一言で表すならば、‘思想のない’(注.悪口ではない)、『七人の侍』だと感じた。
肝心のナダルの演技だが、予想に反し、官軍の参謀役(しかも赤熊[しゃぐま]を被っている!)だが役不足。千原せいじ演じる「破戒僧」こそ相応しいと思った。怪力を生かし獅子奮迅の活躍をした挙句、壮烈な最後を遂げさせたかった-まぁ役者としての実績は、ほぼないので仕方ないが、いずれあのキャラクターを十分に発揮した演技がみたい。
以下、野暮を承知で、いつものごとく‘粗さがし’(順不動)。
・牢屋-普通に侍とその他の身分は分けるだろう、ましてや男女雑居など考えられない。
・磔-日本式(脇腹を槍で突く)と西洋式(放置して衰弱死させる)が混交。
・家老の娘-一人で砦までたどりつけるのか。少なくとも一人は従者がつくはず。
・砦からの脱出方法-普通に家老の娘が来た道を逆にたどればいいのにと思った(笑)。
・腹の傷の縫合-医師は、常に針や糸を持ち歩いているのか(牢内でも)?
・銃創-当時は腹部を撃たれ内臓を負傷すれば、まず致命傷だろう。
・花火-長期間放置して湿気てないのか。
・石油-あのような山の中腹からは産出しないと思われる。
・橋の破壊-焙烙玉を門のあたりから投げればいい(何度でも)。
・家老の切腹-当時の作法では小刀を取り上げた(または腹にあてた)と同時に介錯されるはず。
・大砲-数門で一斉に砲撃すれば数分~数十分以内に攻略出来るはず。
・籠政(山田孝之)-数度にわたる‘無意味で稚拙な’裏切り(脱走)。「ユダ」の役回りか?
ps.各役者さんたちの殺陣シーンには迫力があった。
見応えあった
正直そんなに期待してなかったのだが、最初のシーンから疾走感があり、のめり込んだ。
闘いのシーンでは、老剣士に圧倒された。戦争なのだから、後ろからの攻撃もリアルだった。
花火師のノロは、足手纏いと思われながらも実は闘いのヒントを与えてくれる者であり、それを支える女性もまた必要な存在。ラストにすべきことを終えまた疾走するシーンは、明日への希望を感じた。
山田孝之、仲野太賀、阿部サダヲ…どの役もそうざるを得ない立場や思いを演じてきったと思う。
いやー面白かったと大満足で映画館を後にした。
官軍に挑んだ多士済々の11人の激闘群像劇
幕末から明治維新にかけて、新政府軍(官軍)と旧幕府軍が繰り広げた戊辰戦争。この戦争で旧幕府軍側の奥羽越列藩同盟に加盟していた新発田藩が生き残るため官軍に寝返る奇策を実行した11人の壮絶な激闘を圧倒的な迫力で描いた群像劇である。
新発田藩・家老・溝口内匠(阿部サダヲ)は、官軍への寝返りを画策していた。折しも同盟軍は新発田城に赴き参戦を要求してきた。官軍も新発田城目前まで迫っていた。両軍の衝突を回避するため、溝口は官軍の進路にある砦に長岡藩を装った死罪が確定した多士済々の罪人達を送り込み赦免を成功報酬にして官軍と戦わせる。罪人達は奮闘するが、大砲を使った圧倒的な戦力の官軍に苦戦を強いられる・・・。
大砲の爆音が強烈。敢えて強烈にしたのは観客への意識付けでありラストへの布石だと推察できる。頭の弱い花火師の息子罪人ノロが黒い水を見つけるシーンも同様である。黒い水が何かは推察できる。罪人達が望遠鏡で見つける官軍布陣背後の山の中腹にある横穴も同様。布石を打つのは大切だが、布石なので観客にもっと考えさせて欲しかった。
序盤で煙幕を張り砦の門を利用して官軍勢を分断して倒す方法は七人の侍を彷彿とさせる。しかし大砲があるなら、門、物見櫓を真っ先に破壊するのが定石ではとの疑問が沸く。
戦力の優劣に関わらず理詰め、緻密さが戦いの必勝条件だろう。
溝口が同盟軍の疑いを払拭するため、罪なき市井の人々を次々と斬首していくシーンが出色である。画面に映るのは彼の血染めの顔と斬首された首のみ。彼の表情に喜怒哀楽はない。彼もまた戦争の被害者であることが画面から伝わって胸を打つ。名演技だった。
罪人達はそれぞれの事情を抱えているが、キーパーソンを絞って深堀すれば、もっと重厚な人間ドラマになっていただろう。罪人達を束ねる11人の賊軍リーダ鷲尾平士郎役の仲野太賀の殺陣が見事。剣捌き、姿勢が決まっている。とても時代劇初出演とは思えない。
観終わって“戦争の理不尽と不条理”という言葉が心に強く刻まれた。
和製スーサイドスクワッド
物語の構成とか面白かったなあ。
この砦を守る云々ってのは付属品みたいなもので、新発田藩的な大問題は、同盟軍を如何にして出立させるかって事である。
砦はどうでといいとまでは言わないが、目の前に大問題が居座っている状態なのである。
で、本来ならば忠義の徒とかが、砦を守り、家老連中が「今、しばらく!しばらく持ち堪えてくれっ」と、唇を噛み締め血の一つも流すもんなんだけど、砦を守ってるのは罪人なわけだ。
藩としては死んでくれても一向に構わず、なんならどうせ死ぬなら役に立てと言わんばかりだ。
で、まぁ、罪人達が奮闘するわけなんだけれど…どうにも感情移入しにくい。
なぜだかわからない。
10人もいるんだから、誰か1人くらいは居そうなもんなんだけれどそうならない。
なんか魅力的なキャラがいない。
中野氏は奮闘してた。体つきが侍のようであった。
そんなもんだから、決死隊が順次死んでいく時もあまり感情が動かない。
全員の腹が決まり反撃だって時もテンションはあがらない…真ん中にいる歌舞伎俳優が軽口を叩くからだ。
この人は抜群に上手いのだけど、なんか、上手すぎる。指先まで神経が行き届いているような芝居に見える。上手すぎて違和感ってちょっと珍しい感想だ。
まぁ、なんせ、やってる事やってんのにイマイチ盛り上がらないのだ!
なんでだ!?
結構好きなタイプの話だよ!
なぜ、俺のテンションは上がらんのだ!!
謎だ…。
俳優陣は山田氏筆頭に皆様、熱演でした。
難ありな人も居るにはいたけど…。
なんか分割されてんのが良くなかったのかなあ…。
砦と城内の繋がりが薄かったとか、砦の人間達と市井の人々との繋がりが少なかったのかな?
なんか原動力の源がピンと来なかったのかも。
中野氏が叫ぶ「城下を火の海にするわけにはいかない」って決意が刺さるような連中じゃないはずだし、中野氏の為に生命を賭けるような間柄でもない。
舐められてたまるか、死んだ方がマシだってタイプでもない…となると、キャラ立ちの方向性が違ってたのかなあと訝しむ。
老兵が言う「義によって助太刀いたす!」が全然響いてこないんだもの…お前、何に感化されたのさ?って問いかけてみたい。
あの砦って、最重要拠点なわけで…アレを通過されたら敵対する軍が城下で鉢合わせする事になり、町は戦場と化すは、両軍から卑怯者と罵られ武家の面目は潰れるわで、藩としては瀬戸際の分水嶺なわけで…。
あそこにダミー部隊を送り込んだ家老はかなりな切れ物で、起死回生の妙案でもあったと思う。
なのだが…あまりにおざなりというか、軽視しすぎというか。背負わなすぎというか…。まあ、城内は城内でそれどころではなかったのだけど。そう新発田藩としては内側と外側から絶大な圧力をかけられてる状態で、崖っ淵もいいとこなんだけれど…と状況は理解するも、イマイチ入り込めないもどかしさ。
白石和彌監督とは相性が良かったんだけど、今作だけはなんだかズレてた。
油田に火をつけたんだから、崖の一つも吹き飛ばせやって思う。
おもしろかった。
けど中身は無かった。
役者も時間も、名作と云われる映画のための全てが揃っているのに役者さんが演じる役に個性がない。
魅力的な役者11人の無駄遣い。
湧き出す油について。仮に揮発性が高かったとしても密閉されてなかったら引火はしても爆発することはない。
星2.5かな?
慶応4(1868)年。 鳥羽・伏見の戦いからはじまった戊辰戦争。 ...
慶応4(1868)年。
鳥羽・伏見の戦いからはじまった戊辰戦争。
薩摩・長州を中心とした新政府軍と旧幕府軍は越後の地へと進んでいた。
奥羽越列藩同盟の中心・長岡は、日和見の新発田に「同盟に加わり、挙兵せねば攻め入る」と最後通牒を突きつけた。
新発田の家老・溝口(阿部サダヲ)は、同盟軍去りし後、無血開城して新政府軍に加わる謀略を立てた。
しかし、新発田の城内には旧幕府軍がい、このままでは到着する新政府軍と鉢合わせし、城下で戦乱は必至。
郷境の砦で新政府軍を足止めするしかないが、新発田の旗印で新政府軍と戦うわけにはいかない。
そこで、砦の守備は新発田の反乱分子・鷲尾(仲野太賀)を筆頭にして、部下に武家殺しの政(山田孝之)など十人の罪人を充てることにした・・・
といったところからはじまる物語。
笠原和夫による60年前のプロットに基づいて『孤狼の血』チームが映画化したわけだが、同チームは『孤狼の血』で東映ヤクザ映画を再構築・再生させ、今回は集団抗争時代劇を再構築・再生を試みた。
笠原和夫自身が書いた脚本は、当時の東映京都撮影所所長・岡田茂によって却下されたため、残っていない。
そのため、どこまでの精神が残っているかは不明だが、精神的な部分はかなり残されていると思料する。
真の主役は、謀略を尽くす新発田の家老・溝口だが、その謀略は新潟湊を中心にした民草を守るためであり、戦争回避である。
戦争回避のために、砦での戦いという小規模抗争の謀略絵図を引く。
このあたりは、かなりの恐ろしさなのだが、笑わない目をした阿部サダヲが演じることでリアリティを得た。
見かけ上の主役は、十人の罪人たちを率いる政なのだが、彼は彼で、新発田の武士に妻を手籠めにされた遺恨から新発田に手を貸す気など毛頭なく、生き延びて、妻のもとに帰ることだけを考えている(妻は耳が聞こえないというハンデを背負っており、民のなかでも一段下の立場だ)。
結果、戦闘がはじまると現場から逃げ出そう逃げ出そうとする。
いわば、「卑怯者」なのだ。
この「くにのため」ではない、自分自身のための逃げ回る行動がリアリティを生んでいる。
とにかく、政演じる山田孝之の逃げ足が速い。
そして、もうひとりは鷲尾だが、彼は「くにのため」と思って行動するが、結果的には、くにに裏切られてしまう。
矜持だけでは生きていけない。
ここにもリアリティがある。
この三者三様は、現代的なリアリティなのかもしれないが、60年の時を経ての再構築・再生なので、成功といえるでしょう。
アクションについての詳細は割愛するが、いやぁ、これも凄いです。
アクションファンにも楽しめると思います。
仲野大賀さん
戊辰戦争で新政府と奥羽越列藩同盟
の間で揺れ動く新発田藩を舞台とした作品。
官軍の進撃を止める為に11人の罪人が
集められ、生き残れば無罪放免に。
爆発シーン、刀や弓、鉄砲など
迫力満載。
仲野大賀さんが狂気過ぎて良かった。
剣術も素晴らしい。
人間模様に渦巻く怪しい悪者集団が団結して
自由と夢をかけた死闘。
面白い映画でした。
潔さは正義なのか?
権力者の利の為に正直者が死んだり損する展開は時代劇あるある。「十三人の刺客」の様に復讐が果たされれば痛快だが、「樅ノ木は残った」の様な不条理な終劇こそトラウマとして記憶に残る。本作も泥臭い殺陣に痛快さは無くはないが、入り組んだ状況設定が象徴する正義なき闘いと結末はやはりトラウマものでした。
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1. 正義なき闘い
主人公・政(山田孝之)の武士殺しは、罪は免れぬとも妻を手籠めにされた事情を慮ると切ない。ただ砦を護れれば無罪放免にするが、抜け駆けしたら皆殺しすると言われても、逃走や寝返りを試みる主人公に正義は感じにくい。新発田藩もそもそも新政府軍に寝返るつもりなので、砦の防衛も形だけで、藩ではなく列藩同盟の旗を掲げさせている時点で、最初から罪人は口止めに殺すつもり。最初に出食わした新政府軍も伝令にすぎず闘うつもりはなかったのだから、主人公が逃走しようとしていなかったら、お互い門の前で無防備に殺し合う必要はなかった。
ただ、新政府軍が大砲を持ち込んだ時点で橋の有無も関係なくなり、発破(花火?)と油田での抵抗で殺し合いはより派手に。爺っつぁん(本山力)の殺陣に醍醐味はあるが、新発田藩も新政府軍も上の方は闘うつもりが無いと分かっているど、何で殺し合いされているのか虚しい。
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2. 不条理過ぎる結末、
そして賊軍が砦を護り切った頃、新発田藩は新政府軍に平伏す。ただ決死隊が新発田藩だと主人公がバラしてしまったので、新政府軍に説明を求められ、新発田藩は自ら派遣した決死隊の首を差し出さざる得なくなる。家老の溝口(阿部サダヲ)は、罪人は最初から殺すつもりでも、部下の藩士は口止めで済ませたかもしれない。しかし、砦の防衛に死闘を繰り広げた罪人に仲間意識が芽生えていた鷲尾(仲野太賀)は、義憤に駆られ老中率いる静粛隊に斬りつける。多勢に善戦するも1人はやはり無勢、家老の銃弾も受け無惨に死ぬ。主人公も最期は逃げずにノロ( 佐久本宝)も逃がすが、発破の準備に手間取り、藩士を道連れに爆死。
主人公は罪人であるばかりか、決死隊を新政府軍に鉢合わせさせたり、新発田藩から派遣された事もバラした事から、無惨な爆死は自業自得かもしれない。ただ、家老の企みにも気づいていなかった鷲尾の運命は不条理。コロリ(コラレ)患者とは言え、領民の首を次々落とした鷲尾がほぼ無傷なのもやり切らない。
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3. 潔さは正義か?
ただ、鷲尾(太賀)は本当に潔く散るべきだったか? 義憤に駆られて彼が斬った藩士も、家老の命に従っただけ。恐らく皆顔見知りで、同じ釜の飯を食った同僚。本当に罰したいのは家老だけなら、反旗を翻すのはあの瞬間じゃない。家老が一人きりの時を狙って暗殺すべき。鷲尾がどんなに剣豪でも、多勢に命を賭すべきじゃない。
溝口の娘(木竜麻生)も自害すべきだったか? 父に復讐したいなら、利用された入江(野村周平)の子供を溝口家に育てさせるべきではなかったか。
何より2人とも、生きて賊軍が如何に闘ったか秘密裏にでも語り継ぐべきだったのでは。生き残ったなつ(鞘師里保)とノロが、砦の死闘を語り継いではくれるだろう。
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4. 夫の想いも、死に様すらも知り得ない妻
本作で一番可哀想なのが、主人公の妻・さだ(長井恵里)。藩士に手籠めにされ、それがキッカケで夫が罪人になり、女郎に身を売る。生き残った2人が文字を読み書きできる節がないので、聾者の彼女に夫がどんな想いで砦で闘い、如何に壮絶な最期を遂げたのか、伝わる事は無さそう。せめて、なつが渡した大金で、末永く生き延びてほしい。
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