十一人の賊軍のレビュー・感想・評価
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役者さんは良いがあまりに冗長、2時間以内にまとめたら或いは面白かったかも
好きになれない映画はあるが、久し振りに金と時間を返せレベルでがっかりした。
良い役者と予算をふんだんに使った駄作。
仲野太賀さんのお芝居は好きだった。
兎に角冗長に過ぎる。
プロット自体は多分つまらないものではないのだと思う。
恐らく脚本段階の問題だ。
諸々の無駄なエピソードを切り捨てて
誰が主人公なのかはっきりさせて2時間弱にまとめたら
もしかしたら化けたかも知れない。
正義や信念がある人間が辛うじて鷲尾くらいで誰にも感情移入できず
気分良く見ることもできない。
鷲尾、加奈、なつは好きではあった。
山田孝之さん演じる政が主人公かと思いきや、
復讐までは良し、妻のさだの元に戻りたくて脱獄という訳でもなく
武士に従いたくないだけで、何度も脱走を試みるのが情けない。
なつがびしっと言ってくれて少し気分が良かったが、
その後も脱走を繰り返すしまともな台詞も大して無いのに
薩長軍に裏切られたと思ったら急にやる気になって戦う。
結局大事な妻はひとり残され幸せな生活を送れそうには見えない訳で、
独りよがりで何がしたかったのかわからない。
時間稼ぎに藩士を使いたくないから罪人まではわからなくもないが、
女を入れてたった10人、罪人に武器をもたせてたった3人の藩士で押さえられるわけもないだろうし
たった13人で短時間とは言え砦を守れる訳がない。
設定から効果音からなにもかもにリアリティが無さすぎる。
慶応四年の段階で尊王攘夷などと言っていた人間などいないだろうに、攘夷の言葉を言わせているのが鼻持ちならない。
双方見張りもまともに立てていないし、味方が死ぬシーンも
なぜ橋を落とすのに橋の真ん中で焙烙玉に直に火をつける必要があったのか
手の火傷で夢を諦める局面なのか、
味方を逃がすでもなく隠れ場所から這い出したのはなぜなのか、
疑問だらけ。
取り敢えず鷲尾が自分が十一人目と言い出すタイミングはもっと早くて良かっただろう。
言い出した時は既に半分ほど死んでいてもう十人もいないではないか。
せめて鷲尾と政の絆が深まるエピソードでも入れるなりできなかったのか。
史実上新発田藩は裏切者だと自分は思っている。
同盟に参加はしておいて出兵せず、裏で薩長と話し合って指示を仰いでいたら
裏切者の誹りは免れまい。
同盟に参加を迫られて困っているならまだわからなくもないが。
藩士が暗躍して領民を蜂起させるところも卑怯極まりない。
そんな中にも新発田藩にも事情があった、というような内容が描かれるのかと思った。
実際史実にあった、あちこちから金や米を貸せと言われて窮したり、
民たちが出兵を邪魔してどうか薩長軍と戦わないでくれと言ったとか
柵を作って竹槍まで作ったとか
田畑が今荒らされたら困るとか、尺を使うならそのエピソードを持ってきて
折角育っている稲を前に嘆願される溝口が
なんとか国内で戦が起こるのは防がねばならないと思うであるとか
そんな作りでは駄目だったのか。
この映画だと、結局やっぱり新発田はクズでしかなく、
家老が一番クズ、藩主もクソガキ、まともな藩士もいなくはなかったが
総じて全体的にクズ、でしかなかった。
地元の協力があってこの描かれ方というのは、
地元の方々はこれで納得しているのだろうか。
あまりに酷くて吃驚してしまった。
芸人さんの多いキャスティングも、芸人さん本人が悪い訳ではないが
画面に映る度現実に返ってしまいノイズになった。
時代を生きた人々
何度も訪れる戦闘シーンは盛り上がりがあった。誰にもスポットが当たっていない気がして、見終わった後に気づきました。これは起こった出来事を見せたいだけでは?と。観る側が中立でいるため?皆それぞれに正義とか守らなくてはならないものがあったり、何もなかったり。幕末の混乱期に戦った人間が国のひとつを救った事。家老は民に崇められが手を汚している事は知られない。(鷲尾との戦いインデージョーンズかと思った)しかし彼が悪なのか?武士とは面倒な仕事だ。特に幕末の武士の必死さは胸に刺さる。仲野太賀の殺陣シーンは迫力があった。白髪老人の立回りはシビれた。
今後が楽しみなエンタメ作品
「碁盤斬り」に続いて、白石和彌監督の時代もの作品。
集団抗争劇として世に出なかった作品を見事に再現。
上映時間の長さは感じざるを得ませんが、最後はしっかり盛り上げてくれるので、気持ちよく劇場を後にしました。
岡本喜八「斬る」へのオマージュか。
とても面白く楽しませてもらいました。白石和彌監督の良い点でもありましょうが、生真面目過ぎてちょっと固苦しい感じがした。戊辰戦争での官軍と旧幕勢力との狭間で揺れ動く弱小藩の苦悩という設定がされているが、大まかなプロットは岡本喜八監督の「斬る」に良く似ている。あの作品は岡本喜八監督独特の軽やかさと反骨精神が程良い調和で娯楽作品として絶品でした。仲野太賀は岸田森を彷彿とさせ、立て籠もる砦に駆けつける武家の良女の木竜麻生は星由里子を思わせた。山田孝之は高橋悦史と、これまた岡本喜八監督が幕末の奥羽列藩を取り上げた「吶喊」の伊藤孝敏、それにメキシコ革命に巻き込まれ知らぬ間にヒーローに祭り上げられたセルジオ・レオーネ監督「夕陽のギャングたち」のロッド・スタイガーを足して三で割ったようなキャラクターだった。十分に面白い作品だったが、カラッとしたカタルシスがあれば満点だったと思う。やはり時代劇は自由な設定が出来て、活劇には持ってこいの舞台、もっともっとこのような活劇調の時代劇を作って欲しい。後は余計な心配だが、コンプライアンスが叫ばれるこのご時世、差別用語だらけの台詞で、はなから後々のテレビ放送は眼中に無いのかな。とてもじゃないが無理だろうなと思って見ていた。
勧善懲悪は物語の中だけなのだ
戊辰戦争の最中、小さな藩が藩と民を無事に守る為にどう渡り合えば良いか善も悪も無い、正解も答えも無い極限の選択
そりゃあそうなるわ。
奥羽越列藩同盟の圧が強すぎるだろ。主義主張は認められない周りに合わせる村社会。
罪人を捨て駒に、疫病の人を道具にしてまでも藩の立場を護る。
こうして御先祖様達は我が国日本を故郷を護り続けてきたのでしょう。
ラストに城下の民達が戦が無くて良かったと感謝し殿様のおかげだと家老が答える。
そう、知らなくて済むこともある。
若い役者達が時代劇で懸命に演じている姿を観て時代劇映画はまだまだ健在で先は明るいと安心しました。
エンドロールで丹波篠山の文字を見つけました。少なからず縁の有る土地なので嬉しかったです。
私的、共感し辛い映画だと思われました
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、私的共感し辛い映画だと思われました。
主人公・政(山田孝之さん)は、ろう者の妻・さだ(長井恵里さん)を寝取った新発田藩士・仙石善右エ門(音尾琢真さん)を妻の敵討ちとして殺害します。
その藩士の殺害の罪で主人公・政は死罪となるのですが、新政府軍(官軍)を同盟軍(旧幕府軍)が城を立ち去るまで砦で足止めするために、新発田藩が決死隊を編成し、主人公・政はその決死隊に選ばれ死罪を直前で免れます。
しかし主人公・政は、妻・さだを寝取った新発田藩士のいた新発田藩を許さず、新発田藩のために砦を守る気はありません。
と、ここまでは、主人公・政に1観客の私も共感出来ていたのですが、主人公・政は関係性が深まった花火師の息子・ノロ(佐久本宝さん)をも見捨てて官軍側に寝返ろうとしたりします。
また、主人公・政が、新発田藩のために砦を守る気はないのは理解出来るのですが、一方で、妻・さだの元に帰るために決死隊から逃げ出したいのか、それとも自暴自棄に無気力や死を受け入れるのか、それとも一旦は新発田藩の求めに応じて砦を守り代わりに無罪放免を勝ち取るのか、その方向性も作品を通じて一貫性なく判然としません。
さらに、映画の中では主人公・政の妻・さだへの想いは具体的シーンで描写されていないので、主人公・政の進む妻・さだへの想い含めた動機(≒映画の物語の推進目的)も強くは観客に迫って来ません。
他の登場人物にしても、決死隊のほとんどの罪人に対してもその罪状などからそこまで共感は出来ず、花火師の息子・ノロにしても自身の不注意からノロの家族を花火事故で死なせていると伝えられ共感はし辛くなっています。
決死隊に帯同している、新発田藩士・入江数馬(野村周平さん)、荒井万之助(田中俊介さん)、小暮総七(松尾諭さん)にしても、決死隊を騙したり足蹴にしたりしていて全く共感できません。
新発田藩の家老・溝口内匠(阿部サダヲさん)にしても、同盟軍を城から追い払うためにコレラ患者とはいえ何人も斬首していますし、ラストは決死隊を皆殺しにまでしていますので全く共感は出来ません。
決死隊の1人のなつ(鞘師里保さん)や家老の娘・溝口加奈(木竜麻生さん)などには共感は出来る側面はあるものの、時代背景もあり、女性の彼女らが映画の中心として共感を引っ張る存在としては、そう描かれてもおらず、難しさはあったと思われます。
唯一の例外は新発田藩士・鷲尾兵士郎(仲野太賀さん)で、鷲尾兵士郎だけは強い新発田藩への想いや、決死隊への約束を守ろうとする一貫性があり、観客としては映画の中心になり得る共感性ある人物だったと思われます。
ただしかしながら、共感と映画の中心になり得た新発田藩士・鷲尾兵士郎は、今作の描写の仕方としては中心になりそこなっていたと思われました。
一方で、映画のタイトルにもなっていた「十一人の賊軍」に関しては、新発田藩士・鷲尾兵士郎こそが十一人目の賊軍であることがラストで明かされます。
つまりこの映画は、新発田藩士・鷲尾兵士郎こそが『十一人の賊軍』のタイトルからも主人公として想定されていたと推察されるのです。
仮に、新発田藩士・鷲尾兵士郎が初めから主人公であれば、今作は共感度の高い傑作映画になっていた可能性が高いと思われました。
ところで、今作の映画『十一人の賊軍』は、悪人的に官軍を描写し、天皇家の菊花紋を印象的に悪の官軍と結び付けて映し出しています。
もちろん(本人は否定しているようですが)左翼的考えの印象もある若松孝二 監督の、弟子筋の今作の白石和彌 監督が、天皇制に対して否定的な印象を残したい想いは別に驚きはしません。
しかし一方で、幕末のこの時代に、天皇を推していた官軍側と、旧幕府軍とで、どちらが正しかったかは双方に功罪があり決められないと思われるのです。
つまり、映画において様々功罪ある人物を描く時に、一方の側を極端に善に描いたり悪に描いたりした場合に、本来の功罪あるそれぞれの人間の深みを描く映画作品から、一側面だけを際立たせる偏った(右派左派関わらずの)浅いプロパガンダに、今作が転落してしまっていると感じられたのです。
今作の映画『十一人の賊軍』は、理念的な主張にとりつかれていて、浅いプロパガンダの主張が(露骨ではないですが)見え隠れする作品になっていた印象を持ちました。
今作は新発田藩士・鷲尾兵士郎を主人公にした方が良かったのでは?との疑念は鑑賞後に自然に湧き上がってくると思われます。
そしてなぜ新発田藩士・鷲尾兵士郎を主人公にしなかったかというと、白石和彌 監督の表層の理念が先行することによって、映画の自然な設定描写が歪まされてしまった結果が理由ではと、1観客の私には思われました。
人間を描くのではなく、理念が先行しその主張を描こうとしてしまったのが、今作が共感し辛い作品に歪んでしまった深い要因だと、私には思われました。
(逆を言えば、悪の罪をもまとった共感し辛い決死隊の賊軍の人々を肯定したいのであれば、官軍や、賊軍を利用しようとした新発田藩の家老・溝口内匠をも、深い地点で同様に人間の深淵として肯定する必要があったと思われるのです。)
これまで数々の優れた作品を作って来た白石和彌 監督は、(右派的だろうが左派的だろうが)理念的な表層の考えはまず頭の中から蹴散らして、複雑矛盾重層に満ちた人間の深みを描く映画の本来の場所に、再び戻って来て欲しいと、今作を観て僭越ながら思われました。
あんにゃとのらとくれぇ水
アクション時代劇
くっれい水
期待…どおり、いな、ほどでは…う〜ん微妙
先にめんつゆちゃん、最高にハマってました!めんつゆちゃんの時のゆるゆるとは打って変わって、芯のある凛立ち振る舞い!全然ラクしていないwwwこれはうれしい新たな発見(๑˃̵ᴗ˂̵)
長い、グロイ、おっしゃる通りですね。
砦の攻防と家老の政治とのバランス、エンタメとドラマとのバランスですよね。砦の攻防は迫力も見応えもあり「十一人目の賊軍だー」のラストの殺陣、それぞれの生き様と散り際、仲野大賀さんの進む演技と山田孝之さんの逃げの演技など見どころがたくさんありました。家老の政治も藩がドタバタする中での阿部サダヲさんの静の演技、そして因果応報と盛りだくさん。もう少し絞っても良かったかな。
十人じゃないの?いや、十一人だ!
殺陣カッコ良すぎた。過去一ハマった時代モノ。
楽しみすぎて久々に公開後すぐの土曜日に観に行った。
ここ最近で1番良かった。今のところ下半期1番。
ちょっとグロいのが大丈夫な人にはぜひお勧めしたい。
何よりも仲野太賀さんカッコ良すぎた。
自分は虎に翼の優三さんかなり大好きだった人で、自分の中で仲野太賀さんかなりきてるから贔屓目があるかもだけど、それでもよかった。
どうなるのかドキドキする展開にずっと前のめりで見ていたし、賊軍たちそれぞれのキャラがよくてみんな憎めなくて、活躍も胸熱で面白かった。
かなりハードなのにところどころポップなシーンが挟まってて見やすかったのも良かった。
時代モノでここまで気に入ったのは初めてな気がする。みんなに見て欲しい。
個性的な面々が団結する流れがいい
時代劇はあまり得意ではない。武士たちの考え方に共感ができないから。主君のために命を投げ出したり、理不尽と感じてもお上の命を守るメンタリティが受け付けない。それでも面白い時代劇はあるのでたまに劇場に足を運ぶことになる。本作を観ることにしたのは、山田孝之と仲野太賀が主演していたから。様々なタイプの人間が協力しながら敵と戦うって話は、使い古されているのにワクワクしてしまう。これは長い映画鑑賞の中で沁みついてしまったもの。
実際、死罪になる者たちが砦の防衛に駆り出されるという流れや、集められた面々が個性的なのがいい。詐欺師や放火犯だけでなく、ちゃんと辻斬りとかの犯罪者も入ってたりする。そして医者になるためにロシアに渡ろうとして捕まった者なんかも。今の感覚からすると、それで死罪?と驚く。
そんな彼らが無罪放免というエサで徐々に団結していく。もちろん各自思惑もあって簡単には団結しない。でもいつの間にか協力し合っていく流れがいい。ひどいことされた相手には力を合わせないと立ち向かえない。ある程度ご都合主義な設定もあったりするが、そこらへんは大きな問題じゃない。必死に戦う彼らの姿に感動した。その対極で、犠牲を出してでも新発田の地と領民を守ろうとする家老の姿も印象に残る。「賊軍」たちの立場だけでなく、新発田藩の立場もきちんと見せていく脚本がよかった。あの状況の新発田藩に何ができたのか、考えてしまう。
やはり山田孝之と仲野太賀が図抜けて印象的だったが、なつを演じた鞘師里保も存在感があった。地味な子だけどいいなと思っていたら、元モー娘。と判明。これはオファーが増えるに違いない。あと、芸人数名が出演していたのも驚いた。演技が下手というほどではなかったが、ナダルは話し方や声を聞いただけで「ナダル」と思ってしまう。シリアスな映画だけにもったいない。
名もなき訳あり賊(おとこ)たちに奮えろ
時代劇は失われゆくジャンル…と言われて久しいが、その都度その都度心掴まれる時代劇は生まれている。
今年なんてまさにそう。言うまでもなく、あのドラマとあの映画。
時代劇は決して失われたりしない。
この二つはちとイレギュラー。片やハリウッド製作、片やSFコメディ。
ここいらで、大和魂震えるような本格時代劇活劇が見たい…。
一本の“幻”が掘り起こされた。
戊辰戦争最中。藩の為に命を懸けて闘うも、藩の寝返りや裏切りによって、葬り去られた男たち。
驚く事に、実話…! いや、歴史の激動時、こういう秘話は他にもあったかもしれない。
アウトローたちの生きざま、権力への抗い…。
この史実を基に脚本を書き上げたのが、『仁義なき戦い』で知られる笠原和夫。
が、ラストを巡って脚本は却下された。
激怒した笠原は脚本を破り捨てたという…。
それから半世紀の時を経て。遺されたプロットを掘り起こした者がいた。
白石和彌。
何と言う奇遇だろう。笠原脚本の『仁義なき戦い』を彷彿させる東映やくざ映画『孤狼の血』の監督。
いや、奇遇でも偶然でもない。必然であり、運命だったのだ。
俺の夢は叶わなかった。いつか誰か、叶えてくれ。
あなたの思いを受け継ぎます。
男たちの熱き思いと数奇な巡り合わせ。それは作品にも。
新たな時代を切り拓こうとする新政府軍と徳川幕府存続にしがみつく旧幕府軍との間で勃発した戊辰戦争。
その争いは各地で起き、新潟湊・新発田藩にも選択迫られるが、家老の溝口はどちらに付くか決めかねていた。
藩は旧幕府軍の同盟軍に加わり、出兵を求められていたが、溝口は密かに新政府軍への寝返りを企てていた。
そんな時、新政府軍が藩への進軍の報。同盟軍と鉢合わせてしまう。
進軍の心の臓とも言える砦で新政府軍を食い止めよ。
作戦の命を受けたのは、使い手武士と、十人の罪人たち…。
歴史というのは分からない。
その時の非となりそうな選択が、後年どういう結果をもたらしたか。
映画的に見れば、溝口は寝返った裏切り者だ。
作戦を命じるも、新政府軍の先発隊が藩に現れるや否や、目論見通り寝返り、忠誠を見せる為に十一人の決死隊を逆賊として討つ…。
劇中でも揶揄されていた“猿芝居”。非道な斬り捨て。阿部サダヲが巧い。
権力に与した許し難い奴だが、結果的に彼の選択が新発田の藩と民は守られた。
結果的には選択は間違ってなかったと言えるが…、
葬り去られた男たちの無念は…?
利用され、弄ばれ…。しかし、男たちの中にあった熱き思い、声…。
笠原和夫と白石和彌が吠えるほど代弁する。
確かに男たちは揃いも揃って悪人たちばかり。
殺し、イカサマ、放火、姦通、密航…。
が、望んでそうなった訳じゃない。社会の不条理やそうなってしまった事態。
人足の政。耳の不自由な妻を手篭めにした新発田藩士を殺害。
犯した罪は許されない。が、元凶である藩士の罪は…? 藩士なら身分の低い者への仕打ちを許されるというのか…?
権力の横暴は昔も今も同じ。そんな権力に抗うアウトローたちの姿を、笠原和夫は一貫して描き続ける。
にしても不条理だ。
政は新発田を許せない。藩がどうなろうと知ったこっちゃない。
なのに、その藩の為に決死の闘いに参加する。
勝てば無罪放免。ほとんどがそれに釣られて。
政もそうであろうが、ちょっと訳が違う。
妻の元に帰る。
それと、闘いを通じて、誰とも関わろうとせず、寧ろ逃げ出そうとすらしていた男が、やがて仲間意識を…。
山田孝之が野性味たっぷりに。
しかし大金星は、仲野太賀だろう。
終盤、討ちに来た溝口一派。共に闘った仲間が無慈悲に殺され、剣を手に抗う。見事な殺陣も披露。
もう一人。初老の罪人。死闘の中で、目を引く剣術を見せる。演じた本山力は東映剣会の殺陣師。是非、『侍タイムスリッパー』ともお手合わせを。
壮大なオープンセット。泥臭さとバイオレンスにまみれた迫力のアクション。
特筆すべきは、大音響。是非、音響設備のいい劇場で。
ハリウッドならオスカー録音賞もの。日本バカデミーなら無視されるけど…。
第一級の大活劇だが、不満点・難点も多い。
罪人十人、個性的だが…、全員に平等に見せ場が設けられていない。キャラ描写が薄っぺらかったり、もっとくっきり色分けが欲しかった。
導入部やクライマックスは盛り上がる。が、中盤中弛み感も…。2時間半、長さを感じてしまった。
しっかり整理すれば混乱する事はない。が、各派閥や名称、地名などが飛び交い、時々こんがらがったりも…。
暗い画面も多く、例え明るい場面でも泥埃浴び、誰が誰やら分からなくもなってくる。
台詞の聞き取りづらさは本作に限った事じゃないが、聞き慣れない時代劇ではちとキツい。
大活劇時代劇にしたかったのか、権力に抗う硬派な訴えをしたかったのか、どっち付かずの声も。
でも、大和魂には触れる。
どうしてもこういう設定が好きなのだ。仲間を集い、少人数で立ち向かう。
『七人の侍』『十三人の刺客』『三匹の侍』…漢数字の付く娯楽時代劇の例に漏れず。
そして、それらの作品では必ず描かれる。
アウトロー、はみ出し者、寄せ集め…。
そんな賊(おれ)たちにだって、譲れないものはある。
名もなき訳あり漢たちの武勇伝。目に、心に、焼き付けよ。
仲野太賀は私の見た中で過去一カッコ良かった。こんな役もできるんだな...
なんじゃあの煙は
「碁盤斬り」が記憶に新しい、白石和彌監督の時代劇。あの作品は落語演劇だったため、ドラマがメインの完全なるエンターテインメント作品だったわけだが、本作は戊辰戦争と実際にあったものをモチーフにしたアクション大作であるため、白石色がより濃く出た作品になっている。まさに、幕末版「孤狼の血」といったところ。旧幕府軍vs新政府軍という構図は「ソウルの春」と似た部分もある。
キャストもキャストだから、かなり期待値高かったんだけど、んもうやばかった。ラスト20分がとんでもなくて心の中で大騒ぎ。「福田村事件」の時に味わった感覚と酷似。いやぁ...すごいなぁ...。
旧幕府軍vs新政府軍という時代を変化させた大きな戦いにもかかわらず、今回スポットが当たったのは両者からの板挟み状態に苦しむ新発田藩の罪人たち。こんだけのスケールでメインとなるのは武士ではなく、ただの落ちぶれた平民というそのギャップが既にたまらなく面白い。
ボロッボロの山田孝之は想像通り最高。昨年公開された「六人の唄う女」の時からさらに磨きをかけた感じ。すごく筋の通った人物で、周囲は苦しみを共にした仲間をも大切にしたいと考える一方で、彼は妻を助けたい、妻に会いたいとその一心。協調性のない人物と片付けることも出来るが、戦乱の世でこう考えれるのは最もらしいし、こういう人物こそ武士になるべきじゃないかとも思った。
一般的な時代劇よりも淡々とし、物静かでジメッとしているのも特徴のひとつ。本来、失われるはずだった命。いま、生きていることが彼らにとっては奇跡も同然で、おかげで死ぬことに対しての恐怖心はまるでない。恐れを知らず猪突猛進で敵に立ち向かう姿は、すごく生々しくて人間臭い。しかし、徐々に生を実感し、生きることに喜びを覚えていく11人。いつもの時代劇なら不死身のように感じてしまう戦士たちも、本作では残機1しかなく、たった1回の人生を必死に生きているんだということを強く感じる。命を軽く扱われている人々が主人公だからこそ、命の重さを訴えかける作品になっている。
155分と邦画にしてはかなりの長さだが、全くもって感じさせず、終始前のめりになってしまうほど没頭できた。豪華キャスト、と言いながらも、若手・新人の俳優をかなり起用しており、若干地味に映ってしまっているがとても臨場感溢れるリアリティに特化した作品にもなっている。キャスト全員の魂の叫びが聞こえる、最高のアンサンブル。チョイ役の人達もしっかりと爪痕を残していて、邦画好きとしては画面を眺めるだけですっごく楽しかった。柴崎楓雅の佇まいには驚いた。玉木宏の使い所もいい。佐野岳とナダルが兄弟役はめっちゃ笑った笑笑 最初全くわからんかったし笑笑
罪人たちの罪を互いに報告し合うところとか、両軍が新発田藩に迫ってくるところとか、シンプルに聞き取りずらかったり画面が暗いせいか分かりにくい部分が多く、大きな動きがあると毎度粗があってそれがかなり悪目立ちしていたけれども、中盤に山を作るのではなく終盤にドンッと一撃爆発させる構成はあっぱれで、次第に面白くなっていく右肩上がりの映画だったから夢中になって見ることが出来た。もうひとつ、何かぶっ飛んだものが欲しかった気もするが、インパクトはバツグンだし、これで十分大成功していると思う。やっぱ白石和彌はやめらんねぇ....。
個人的に仲野太賀という俳優があまり好きではなく、「今日から俺は」の今井は愛おしいほど好きだけど、それ以降も以前も彼にハマったことはなかった。今回もいつも通り、特に期待もせず見に行ったんだけど...これがビックリ。ラストで一気にぶち壊し、今後のキャリアに響くと思われる想像を絶するほどの最高の演技を見せてくれた。全身が沸きあがる。セリフでも声でもない。凄まじい目の演技。なにかに憑依されたようなその表情に、とんでもなく惹かれてしまった。身体が硬直してしまったもんね...。最後の最後に、全てを食ってしまっていた。素晴らしかったです。
白石和彌が撮った時代劇はどんな形であろうと好きになっていたと思うけど、この時代にこんなにも真正面からぶつかってくれる、昔懐かしい東映時代劇が見れて大満足だった。やっぱ時代劇はいいなぁ。作品の持つメッセージの重さが段違い。白石監督の愛が日々強まるばかり...☺️
史実を知ってたらもっと面白かったんじゃないかなぁとかって思った。
・元々の前提である歴史の史実を良く知らないまま観たので所々わからないままだった。おおまかな所は理解できたけれど、砦を守るために決死隊を結成して官軍が同盟軍とがバッティングしないようにという事だったけれど、まずは伝令係が来るだけだから何で決死隊を結成してまで?とかっていう疑問が最初に沸いてからぼんやりとしてしまった。改めて史実とかをググって理解が徐々にできてきた気がする。元々、新発田藩が官軍寄りの状況下で同盟軍が新発田に押し掛けてきた。そこに官軍が伝令?で来るっていう形でもかち合うと町が戦火になってしまうのを避けるにはっていう事だと思うのだけど、そこへ官軍が来るのを妨げるために罪人を通り道の砦にあてがったというところが最初わからず、藩主が何か別の方法で止めればいいんじゃ?とかと思いつつ、何で罪人をあてがったのだろうと疑問がわいて話が入りにくくなった。とはいえ最初から攻め入るっていう話だとしたら、思いっきり誤解したまま観ていた事になるけど、伝令?って言ってたと思うのだけど。
とはいえ殺す以外に止める手立てがないっていう判断の溝口と攻め込んでくるから止めなければならないと思っている罪人たちっていう構図で長岡藩の残党の振りをさせて殺させるという算段だったのかな、とか、わかった感じとわからない感じの間という感触。推理ドラマとかで犯人が動機とかをペラペラしゃべるけど、あれって嘘くさいなぁとかって思ったけどこういう策謀がややこしい話だと是非説明してほしいと思った。単純に自分の無能のせいだけれど。官軍が最後、新発田藩に到着して長岡藩の旗を持ってきて新発田藩の策謀だったよな?って話になって首を持って行って許されてたっぽいけど、どんな理由で許されたのだろうと思った。どう見ても新発田藩が城下を守るために官軍を殺したっていうことになるだろうと思ったしそれをどうやったら回避できるもんなんだろう。彼らが勝手にしたことでしてとかだろうか。
正直、理解できてない事のモヤモヤもありつつも新発田藩や官軍、奥羽越列島同盟ってこういう感じだったんだ(かもしれない)!と物凄く勉強になったし、殺陣や大砲の威力の感じとかがとても良かった。素人の寄せ集めが切りあったら即死な気もするけど、当時みんなが持ち合わせた能力だったのかな、とかと思ったり。最後の最後で逃げようとしたものの戻ってきて自爆した政がそのまま逃げて、ずっと後悔しつづけるっていうのもありだったんじゃないかとかって思った。
正義とはナニか。を問われる映画。
登場人物の誰もが、それぞれの正義のために戦い、誰も幸せになれない結末は、納得感◎
奥羽越列藩同盟の主軸である長岡藩のお隣、新発田藩の家老溝口(阿部サダヲ)の、神経をすり減らしながらのタヌキっぷりもヨシ。
山田のクズっぷりも良い。
仲野の最期は見応えあった。
ナダルは(賛否あるものの)キレキャラとしては、ハマり役かな。
ゆりあんはナンで出て来たのか、よくわからなかった。
スカッと行くぜ、賊軍!!
絶対観ようと思って、鑑賞しました。
全く長さを感じさせないくらい、引き込まれて一気にラストまで突っ走って見てしまった。
それぞれブレない人物のそれぞれの生き様が気持ち良かった。勿論、黒澤明の時代とは違うので、女性の扱いなど表現を制限したんだろうなという感じもあったが、それでも、これぞ時代劇という骨太な愉快さを堪能させてもらって満足でした。途中からあれ?モノクロだったか?というほど色が無くなったのも時代劇の雰囲気。
仲野太賀、山田孝之はじめクセ強の賊軍に対して、直接対決する官軍の現地指揮官が印象が薄い。玉木宏や阿部サダヲくらいそっちでも良かったような…特に玉木宏、ほとんどナニもして無いし。
コレでもかと斬り合って、スカッとしました✨
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