「人として死ぬか、鬼として生きるか、その選択の外にいるのがアウトローかもしれません」十一人の賊軍 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
人として死ぬか、鬼として生きるか、その選択の外にいるのがアウトローかもしれません
2024.11.6 イオンシネマ高の原
2024年の日本映画(155分、PG12)
戊辰戦争下の新発田藩にて、砦を護るために遣わされた罪人と藩士を描いた時代劇
監督は白石和彌
脚本は池上純哉
物語の舞台は、1868年の新発田藩
戊辰戦争にて、新政府軍と旧幕府軍の対立を見守ってきた家老・溝口内匠(阿部サダヲ)は決断の時を迫られていた
同盟軍への恩義と時代の潮流を考えた結果、同盟軍につくフリをして、官軍に寝返ろうと考える
内匠は鷲尾(仲野太賀)にアイデアを募り、彼は「決死隊」にて峠の砦を封鎖し、官軍が藩に入るのを食いとめ、その間に同盟軍とともに偽の出撃をさせようと考えた
そこで鷲尾は、「死罪寸前の罪人」を10人集め、自身を含めた藩士4人で砦へと向かうことになった
同盟軍が藩から出るまでの時間稼ぎをする手筈だったが、一向に狼煙(合図)が上がる気配もない
そんな中、新発田藩のために死にたくない罪人の政(山田孝之)は勝手な行動を取り始める
そして、そこに予定よりも早く、官軍の先発隊が到着してしまうのである
映画は、そこでいきなり戦いが勃発し、数人の罪人が命を落としていく様子が描かれる
相手は戦の用意をしてこなかったが、立て直しの第二陣には砲撃隊まで加わり、さらに罪人たちの命が失われていく
そんな中、政の弟分のノロ(佐久本宝)は、砦にあった爆薬に油水を塗って殺傷能力を強化させ、反撃を果たしていく
物語は、純粋な侍である鷲尾が内匠の掌でで踊らされる様子が描かれ、その落とし前がラストで行われる
実質的な主人公は鷲尾であり、組織のために戦った者が裏切られ、無惨に命を落とす様子が描かれていく
侍の時代の終わりでもあり、武士道を嘲笑うかのような内匠の銃弾は象徴的であり、刀から銃へと戦い方が変わる瞬間だったように思えた
映画は、戊辰戦争自体を知らなくてもわかるように解説され、戊辰戦争が新発田藩を巻き込む過程も説明してくれる
策を弄した内匠が足元を掬われるものの、それを非道で切り抜けるのだが、その代償はあまりにも大きかった
とは言え、そこまできっちりと描いてしまったことで、155分の大作になってしまった感がある
アクションシーンが多くて、展開が早いと思うものの、政が抜け駆けしてピンチという流れが多すぎるようにも思う
また音声が非常に聞き取りづらいので、何を喋っているかわからないシーンが多いので、いつか上映されるかもしれない字幕版かノベライズで単語を補完するより他がない
動きだけ見ていても話の内容はわかるので、聞き取りづらさがストレスにならない人ならOKなのかもしれない
いずれにせよ、組織のトップの非道さと末端の言いなりの悲哀という構図があって、アウトローはその危険性をいち早く勘付いているという構成になっていた
それゆえに構図がわかりやすいので混乱することはないのだが、罪人の数人はあまり出番がないので、ふと見失ってしまうかもしれない
決死隊の侍の見分けはそこまで難易度が高くないが、新発田藩の藩士もろもろとか、先発隊の側近クラスになると意味不明な感じになってくるので、公式パンフレットの相関図を頭に入れて置いた方が楽かもしれません