宝島のレビュー・感想・評価
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期待していただけに、、
原作を先に読んでしまったのがよくなかった。
期待していた分、どの人物も掘り下げが浅く感じてしまい、感情が動くことはなかった。
沖縄が孕んでいる悲哀や神聖、風土の熱や湿度などが全く画面から伝わってこなかった。
センシティブなテーマなだけに、過度な演出や劇伴に頼らず、役者たちの演技で沖縄が抱える痛みに向き合ってほしかった。
セットやエキストラの数などを売り文句にしていたが、セット感が強すぎて世界が広がっていかなかった。閉じられたセットの中でたくさんのエキストラが騒いでいるだけ。アクションシーンもあそこまで必要なのだろうか。
事前の評判が良いのを見るに、おそらく監督の演出が自分の肌に合わないのだろう。
国宝の際にも感じたが、素晴らしい原作を先に読んでいると、映画がどうしても物足りなく感じてしまう。
先に映画を観ていたらまた違ったのだろうか。
コザの英雄
原作が大好きだったので
原作のユーモアで引っ張っていく感じが好きだったが、映画は大友監督テイストのシリアスな感じで、原作を読みつつ胸を熱くして作り上げた脳内の映像が邪魔して映画に入っていけなかった。原作を読む際は、前向きでエネルギッシュな主人公3人にまた会いたくて本を開くのが楽しみだったのだけれど、映画はどのキャラも薄まっている気がした。特にヤマコは、本では小学校での事故は自身の戦争体験とオーバーラップさせながら子供たちを守るためにもっと動いていた印象で、映画はその辺はしょって立ち尽くし泣き叫ぶという演出で残念に感じた。グスクも、もっと色々なことに追われて巻き込まれて酷い目にあって、それでもふてぶてしく忙しなく動き回っている原作のコメディ的な要素を見たかった。レイも、もっと抜けた奴で良かったのでは?と思う。ウタの出番が少ないのはラストに影響するので残念だったが、他にも本当は濃いキャラがたくさん出てくるので、群像劇チックにやってクライマックスの暴動シーンに繋げて欲しかった。あの辺も全然違ったものになってたし、自分の脳内映像と格闘しながら観た190分でした。
⭐︎4.0 / 5.0
戦後から日本返還に至る時代の「沖縄」を描いた映画を初めて観ました。
・沖縄を描いた映画と言えば、「ひめゆりの塔」「島守の塔」「木の上の軍隊」などの太平洋戦争中のものか、「涙そうそう」などの現代のものがほとんどだが、戦後の「アメリカ統治時代」の沖縄を描いた映画はこれまで観たことがなく、スクリーンに映される沖縄の風景・街並み・人々の生活風景などはどれも新鮮なものであり、食い入るように拝見しました。
・ストーリーとしては、グスク(妻夫木聡)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)、リーダーのオン(永山瑛太)が米軍基地から物資を奪い住民らに分け与える「戦果アギヤー」という若者のギャング活動をしていたが、ある日の襲撃の夜、オンは消息を絶ってしまう。オンの行方を残されたメンバーが探していくという流れになります。オンの消息はどうなるのかはネタバレになるので詳述はしませんが、「米軍占領の沖縄」だから起こりえた出来事であるといえます。
・この映画では、米軍占領下の沖縄の様子について、史実をよく調査しており、「アメリカ軍人が犯罪を犯しても不問にされてしまう」「沖縄が日本に返還になっても米軍基地はそのまま居座る」などの不満に住民が爆発し「祖国復帰のデモ行進」「コザ暴動の勃発」などが起こる時代背景もよく描かれています。
・上映時間が191分であり、かなり歯を食いしばって映画を観る必要があります。
・沖縄住民同士の会話は、地元沖縄言葉であり、会話内容が聞き取りにくいと思います。日本標準語の字幕があると助かります。
・この映画は若者の成長を描く「青春もの」の映画であるとともに、現在の沖縄が抱える未解決の「米軍基地問題」に至る時代背景を描いた「社会派エンターテイメント映画」であると言えます。
ないがしろにされ続けた沖縄の歴史を、今こそ振り返るとき‼️
沖縄にまかり通る、理不尽‼️
私が一番に考える理不尽は、
沖縄の少女が暴行された上に殺された事件。
加害者の米兵は日本警察に引き渡されることなく、
基地内の簡易裁判で微罪になり釈放される。
もっとひどい時は米兵はさっさと逃げるように帰国してしまう。
轢き逃げ事件の場合も同じで米兵は罪を償わない。
このことについては、私も昔から激しい理不尽と憤りを感じてきた。
沖縄は多数の基地を押し付けられ、犠牲を強いられてきたことは
疑いようのない事実です。
この映画『宝島』を見ることで、
1952年~1959年〜1969年。
そして本土復帰の1972年までの沖縄の立ち位置、歴史を垣間見ることが
出来ました。
沖縄出身の芸能人、アスリートなどの有名人は、皆さん明るく
人懐っこくて好感の持てる人ばかりで、私も大好きです。
彼らや彼らの家族そして第二次大戦における多大な犠牲。
先の第二次世界大戦では沖縄人民の4人に1人が犠牲なった。
驚くべきことです。
本映画の原作は直木賞を受賞した真藤順丈の同名小説。
監督はこの映画に並々なら覚悟で挑む大友啓史。
1952年の沖縄に、米軍基地の物資を強奪して住民に分配している
「戦果アギヤー」と呼ばれた若者たちがいた。
リーダーのオン(永山瑛太)、
親友のニイニと呼ばれるグスク(妻夫木聡)
オンを慕うヤマコ(広瀬すず)
オンの弟で武闘派のレイ(窪田正孝)たちがいる。
基地に強奪に行ったある日、米軍の激しい追撃を受ける。
逃げる時、オンが“あるもの“を手に入れて、
そのまま行方不明になってしまう。
だからその先17年に渡る物語は、
①オンの消息・・・行方不明を探す。
②オン見つけて隠した“大変なもの“・・・とは何か?
この二つの謎を解くのがこの映画の骨子なのです。
グスクやヤマコそしてレイが年を重ねる上で、
グスクは刑事になり、
ヤマコは教師になり、
レイはヤクザになります。
小学校教師になったヤマコ。
1959年6月30日。
ヤマコの務める小学校に、米軍機が墜落した。
児童11人を含む18人が犠牲になり、多数の負傷者が出た。
(それに対して米軍はわずかな補償金を支払ったに過ぎない。)
コザ暴動(1970年12月20日未明)
この事件の描写は後半のハイライトになっており、
直接の原因はアメリカ軍人が沖縄の一般人を轢いた交通事故。
そのため決起した住民が放火・投石・火炎瓶を使い、
放火・破壊した米軍車両は80台にのぼった。
そして2000人のエキストラの熱気と爆破シーン。
凄まじいスペクトルシーンに仕上がっている。
妻夫木聡の渾身の演技、広瀬すずの生徒思いの教師、
そして誰よりも破壊力のあった窪田正孝のレイの心の爆発。
空気を変える稀有な俳優です。
日常にオバアチャンたちの知恵があり、
家屋や葬式の丁寧な描写。
沖縄らしさにも惹かれました。
この映画で沖縄の犠牲を知り、彼らの犠牲に報いる政治がなされること。
美しいだけでない沖縄を知ること。
それが映画の一つの視点であり使命だと思いました。
情報量が多い作品
沖縄出身者としては、公開初日に観ないとダメでしょう!ということで鑑賞しました。
ウチナンチュにとってセンシティブな沖縄の米軍基地の問題を取り扱った『宝島』映像化が実現して、関係者各位の思いの深さを実感する作品でした。
感想としては、正直なところ「ウチナンチュの怒りを消費して終わらせないでほしい」という「危惧感」で胸が満たされてしまいました。
なんでだろうと自己分析してみたのですが、ウチナーンチュは戦果アギヤーだったり、米兵相手の売春婦だったり、暴動を起こしてみたりバイオレンスや犯罪に直接的に手を染めている描写があるんです。でも、ヤマトンチュと米兵は「悪」として直接的に描かれてないんです。セリフでチョロッと出てくる程度。悪いことしてるのは、基本的にウチナーンチュ。怒ってるのもウチナンチュ。
米兵が悪いことしたことに対して怒って暴動が起きてるんだから、「悪いことした」場面を描かないので、なんか(沖縄の人だけが怒って暴動を起こして三線弾いてる)みたいな変な感じがしました。
コザ暴動を私は実際にみてませんが、本当に三線弾いてる人いたのかな。反戦運動の政治集会で、三線を弾く人はいるけど、暴動の現場で三線を弾くか? 怒った時に指笛は出るかもしれないけど、本気で怒ってる時に三線を弾くとか、沖縄の人って、そんなメンタリティじゃないと思うよ? 「武器を捨てて三線を!」というスローガンがあるけど、暴力を止めなさい!という意味で「非暴力として楽器を持て」なのに、暴動してる側でイエーイ!みたいなノリで三線弾いてるの? なんで、ああなるの?
でもでも、役者陣は素晴らしい。
窪田正孝さん、千葉すずさん、妻夫木聡さんと、ストーリーが進むごとに、本当にウチナンチュにしか見えなくなりました。
沖縄の人は彫りが深くて、印象的な二重の目を持ち、俳優さんのような美男美女が多いです。日にやけたのか実力派の俳優さんたちのビジュアルが完璧にウチナンチュ化して、訛りもナチュラルになってゆき、深みのある演技で、特に後半戦は話にグイグイ引き込まれていきました。さすが!です。
没頭できました。
あと、原作が原作だけに、映画にしては情報量が多すぎるなあ、と感じました。
私は沖縄出身なので、話が進むごとにエピソードの一つ一つ(宮森小米軍機墜落事件、コザ暴動、与那国の闇貿易の話、沖縄ヤクザ抗争)が即座に理解出来ましたが、本作は沖縄問題を知らない人には情報量が多くて、処理できないというか、焦点がぼやけてしまうのではないでしょうか。沖縄問題をヤマトンチュが取り上げる場合、丁寧に扱われることが多いと思います。それで、律儀にてんこ盛りにされたんだろうなあという印象を持ちました。
が、これは映画なので、エピソードの数を減らして、すっきりさせて、じっくり話を
掘り下げた方が心に刺さっただろうし、一般のお客様には理解しやすいんじゃないかと思いました。
「ウチナンチュの思い」にガチガチに寄り添いすぎて、(エンターテイメントとしてのドラマに必要な余白)の部分が減らされてしまったようにお見受けしました。
この作品、エピソードを絞れば、あと30分短くできると思いました。
もしくは、5時間くらいにのばした方がいいと思います(長い方がいいなあ)。
原作者の真藤先生がこの作品の取材をしていた当時、お目にかかったことがありますが、新崎盛輝先生が全面協力で取材に同行されていらしゃいました。新崎先生の情熱を真藤先生が全身全霊で受け止めて、作品にされたようにお見受けしていました。「沖縄の不条理」を世界に伝えたいという思いのバトンは確実に引き継がれていると思います。新崎盛輝先生の本でも今日は読んでみようかと思います。
前評判も高くて期待したのに疑問の残る「宝物」で、そうなの~って感じでした。
原作は読んでいませんが、直木賞を受賞した真藤順丈の小説「宝島」を映画化したそうです。
戦後、沖縄の米軍基地に侵入して物資を盗んで島民に分け与える若い者達戦果アギヤーと言っていたそうです。
その戦果アギヤーのリーダーが思いもよらないもの(宝物)を基地から運び出し、その後リーダーが行方をくらまし、仲間がそのリーダーを探しつつ最後に宝物を突き止めると云うストーリーです。
沖縄は戦後アメリカの統治下にあり1972年に日本に返還されますが、米軍基地は今も残ったままです。この映画では基地返還の端緒となった1970年に起きたコザ騒動も描かれています。
私は1957年生まれなので、コザ騒動も沖縄返還も記憶にあります。昨年三度目の沖縄旅行で戦争の傷痕とも言えるところにも行ってきました。それ丈に期待してました。
今の沖縄は観光地で当時の事は忘れられつつありますが、やはり日本人であるからには、沖縄の惨禍を忘れてはいけないと改めて思いました。
出演者としては主役の妻夫木聡、戦果アギヤーのリーダー永山瑛太、弟役の窪田正孝は存在感ありました。なにげにピエール瀧が復活してました。
いまだ絶える事のない沖縄の苦しみ。
戦後から返還直前までの沖縄を描きながらも、いまだ絶える事のない沖縄の怒りや悔しさ、悲しみや苦しさを訴え掛けてくる傑作!
沖縄の人々からしたら映画で描かれている事などは一部の事象にしか過ぎず生温いと感じるかも知れませんが、彼らの気持ちを推し量る術さえない私のような者にとっては途轍もなく重厚で貴重な作品となりました。
沖縄の人々の怒りや我慢をごく僅かな一部だけでも映画を通して感じる事が出来たのは良かったと思います。
ド派手な導入の後、スローな展開となり沖縄の人に見えない役者も手伝って、作品におとなしい印象を抱いて観ていたのですが、後半になってからの役者陣の変貌ぶり、そして物凄い勢いで盛り上がっていく展開が尋常じゃなかったです。
大通りに大量投入されたエキストラの数に呼応するかのようにこちらのボルテージもマックスに。
我慢の限界を一緒になって突破していました。
そして明かされる衝撃的な真実。
全く予想していなかった展開にひたすら唖然とし、心を涙で濡らしました。
エンドロールは沖縄の人々を写した白黒写真が流れます。
何気ない日常の一幕の中に「戦争」と「死」が混在する物凄い写真です。
席を立たず目に焼き付けてきたので、写真を踏まえた上でもう一度最初から鑑賞しに行こうと思います。
「宝」って人の事かもしれない。
うーん、面白かったけど少し長いかな。
特に最後の瑛太オンちゃん謎解きパートはもっと端折る、感じさせるだけで良かったと思う。あそこでテンポがガクッと落ちるのがもったいなかった。
話は実際にあった騒動をクライマックスに構築したフィクションです。が戦後からの沖縄の歴史を追体験するような型になってますから、四人の人生を追いながら色んな考えや、国の思惑などあんまり楽しくない話も時系列を追って見て行く事に成功しています。
沖縄というものを多角的に理解する上で非常に重要。しかし反面役自体が少し分かりやす過ぎて深みが足りなかったかもしれない、、群像劇だから役割分担がね、しょうがないかな。コロナで2度の撮影中止になり制作費ふくらんで興行的には苦戦している模様だが日本人なら沖縄という土地の知識として見といて損しない映画だと思う。
前半沖縄方言に耳がなれるまで時間かかってしまったが、これもしょうがないね。
海は見てる。
1952年米軍統治下の沖縄の嘉手納基地、基地から物資を奪っては町住人達へ配る「戦果アギャー」達と孤児ウタの話。
盗みがバレ米軍から追われたある夜に行方不明になってしまった「戦果アギャー」のリーダー・オン、戦果アギャーのメンバー達でもあるオンの親友・グスク、オンの彼女・ヤマコ、オンの弟・レイ、…行方不明なってから数年それぞれにオン探しながらもグスクは刑事、ヤマコは教師、レイはヤクザとなっていくが…。
原作未読、全体的なストーリーは消息を絶った絶対的リーダーでもありずっと心にいるオンを探し続けてる仲間、家族、恋人、…米軍に支配されてる沖縄を取り戻そうと反対運動する住人、平和を願い求めを絡めながらも。
上映時間191分と行く前は正直しんどっと思いながらも観始めれば意外と時間は感じず…かといって面白い?と聞かれたらそうでもない、それぞれの仕事に就きながら、それぞれオンの影を追う姿に観いってしまう。
孤児のウタに何か影を感じながらも成長しての伏線で分かるオンに起きたこと、したことに涙。人に対して情が厚いオンの姿、小学校に墜落する米軍飛行機、負傷した子供を呆然としながら抱き抱え出てくるヤマコ、オンの身に付けてたネックレスを手にした時のヤマコ、その演技をするヤマコを演じた広瀬すずの演技には瞬間的に泣かされてしまって。
191分飽きずに観れたって意味では面白いってことなのかな!?
ごめんなさい、退屈でした。脚本のせいだと思う
ほぼ三時間ですが 長くは感じませんでした。
戦後沖縄の実相を知るノンフィクションかと。
原作は良いのに
ラストから逆算しての話の取捨選択と尺の構成が良くないので、結局何この映画って後味になってしまった。
原作もオンちゃんの救った命が失われるのは同じなんだけど、ウタと3人の関わりがしっかり描かれていたから、受け止めは変わる。
ウタとヤマコの接点雑すぎるし、レイとグスクに至っては知り合いだったんだっていう。ワンシーンから読み取れは乱暴すぎる。
コザ暴動からカデナでのグスクとレイの掛け合いも、グスクがコザ暴動を肯定してるから二人で武器持てっていう感想になってしまう。
ラスト付近のオンちゃんの回想もそうだけど、オリジナル要素が悉くダメ。
それでも原作のプロットはなぞってるからコザ暴動のエモさはあった。名作になれたはずの凡作。
忘れられていた沖縄。でも原作を読んだ後に観て…
原作を読んでの鑑賞。語り部(ユンター)のいない映画をどう運ぶのか興味があったが、やはりグスク、ヤマコ、レイの三人で見せてくる。
沖縄県の高校球児が甲子園に行くためにパスポートが必要だった時代。甲子園の砂を持ち帰ることが許されなかった時代。異国の土という理由で。
映画化する際に避けて欲しいと願ったのは、グスク、ヤマコ、レイを類型的なヒーロー、ヒロイン、アウトローにしないこと。だからグスクに支えられて号泣するヤマコの描き方は残念。ヤマコは戦果アギヤーにさえなれるかもという筋金入りの女性だと思っていたし、原作でもグスクが近寄れないほどの慟哭を上げる場面だったから。
クライマックスのコザ暴動の時のグスクとレイのやり取りは圧巻。これはさすがと言うべき。
ただ問題なのはレイが言った人物。原作では活動している人物の名を出し、ああレイもちゃんと世の中を見ているんだな、となるのだが…それは雑談でのことだったよ。グスクに大笑いされても仕方がないし、レイがやっていることが一気に子供っぽくなってしまったよ…。
ウタがどうなったのか…恐らく…だけれど原作ほどはっきりと描かれていないので少し疑問符が。もしかしたら入院したのかと混乱している。
迫力満点のコザ暴動。でも原作にある沖縄島民の怒りの爆発「たっくるせ」の大合唱がなかったのは悔しさすら感じた。あの声こそ入れて欲しかった。
蛇足だが前半番宣の「製作費25億円」はちょっとしつこくてうるさかった。数字を出されると私は少し白けてしまうものだから。
ギリギリで原作のテンションは保たれた。
原作は1952年から1972年までの沖縄を舞台とした700ページにわたる大長編である。この期間はいわゆる「アメリカ世(ゆ)」がすっぽり収まるアメリカ統治時代(途中で軍政から民政に代わるが)。
原作者の真藤順丈は1977年生まれでこの時代を直接的には経験していない。だから、原作を一読すれば分かるけど、疑似体験としての映画の影響が大きい。祖国復帰協議会の市民運動については東洋一の「沖縄列島」、アシバー(ごろつき)たちの抗争については傑作「沖縄やくざ戦争」、義賊は「ウンタマギルー」、特飲街は崔洋一「Aサインデイズ」、兄弟や兄妹関係については「オキナワの少年」や「夏の妹」。具体的に引用をしているというよりも血脈上にあると言って良い。だからこの小説は極めて映画的でどこを切り出しても脳内でシーン化することが容易にできる。
それだけにこの原作を映画化することはかえって難しいのではないかと思ったのである。どこも切れないし、どこかを変更しても収拾がつかなくなる。特にグスクとレイの立場は刻一刻と変わっていくので整合性を持たせるのは難しかったのではと思う。
であるのでこの脚本はほんとによくできている。ギリギリの線で主要登場人物たち(オン、グスク、レイ、ヤマコ、ウタ)のテンションを描き、彼らの関係性、距離感も原作のベースを維持できている。
撮影、編集についても、最初のコザの昼間の街なか、例によってグリーンバックのSFXによる表現(三丁目の夕日風の)にはガッカリさせられるがコザ暴動のシーンは夜だからなのか安っぽさが目立たず素晴らしく緊迫感がある。
実は、映画化されるのにあたって一番、嫌だったのは、これが青春群像として一般化されることだった。原作を読めばすぐ気づくが、この物語の語り部は登場人物の誰かではない。視点人物はグスク、レイ、ヤマコ3人が入れ替わるが、語り部はその外にいる別の何かである。最終盤になってそれはユンター(地霊)であることが明かされる。島で今、生きているもの、かって生きていたものの総体がこの地霊であり、それがグスクたちオキナワの子たちの命の動きを見守っているという構造なのである。映画でもそこはキープされ一人一人に立場が寄ることはない。だから、観客である我々としても、一人一人の愛だの欲望だの暴力だの感情などに必要以上に目を奪われることなく、オキナワの子らを襲う不条理な運命を見据えるべきなのである。
映画(原作)は悲劇的な終わりを遂げる。英雄は死に、英雄が最後まで守ろうとした新しい命も奪われる。オキナワは米軍と日本本土(ヤマト)との二重支配の軛の下にいる。両者は嘘とペテンでオキナワを翻弄し利益を収めてきた。そしてその構造は、この映画の時代が終わって50年が経つ現在まで変わっていない。それは驚くべきことである。
あとひとつ原作と映画の唯一のといってよい違いは、最後の嘉手納基地内でのアーヴィングとグスクの対決。映画では二人の信頼関係によってアーヴィングが銃を収めることとなるがそのような部分は原作にはなく、米軍とオキナワの実際の関係においてもあり得ない。欺瞞としか言いようがない原作の改悪でありここはかなりがっかりした。
とはいえ、この作品が、オキナワの思いをある程度は拾えていることは確かだと思う。考えてみれば大友啓史は「ちゅらさん」の演出家だった。オキナワとの付き合いは長いということだろう。
全625件中、581~600件目を表示
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