宝島のレビュー・感想・評価
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観てよかった。観てほしい。
3時間越えの長さに、寝不足の私は、眠くなるのではないかと心配していた。でもそんなことは杞憂だった。妻夫木聡のグスク、窪田正孝のレイ、そして行方不明になるオン、永山瑛太の3人を含む戦果アギヤーの逃避行から始まるこの映画は、私を眠らせてはくれなかった。行方不明になったオンの恋人ヤマコ、広瀬すずを入れて3人がオンの行方をそれぞれのやり方で探してゆくが、沖縄の混沌の中に巻き込まれていく。
あったことは変えられないけれど、復讐するか、前を見るかで全然違う。レイとグスクがまさにそうだ。この対決のシーンはとても見ていてつらかった。今の沖縄の現状を知ってしまっているからだ。
みなさん本当に熱演だったが、私は窪田正孝の演技に目が離せなかった。新境地、といった感じかと思う。
私は沖縄返還のニュースを見た記憶があり、基地問題を追ってきたつもりだった。けれど何もわかっていなかった。この映画はフィクションかもしれないけれど、事実を検証して作られていて勉強になった。
観てよかった。
広瀬すずちゃんがかわいいです。
長い上映時間&暴力的なシーンが辛い
決して駄作という映画ではないのだと思う。心に刺さる人もいるのだと思う。
だが万人受けする映画ではないと思った。
冒頭からなかなか映画の物語の世界に溶け込むことができず、若干ストレスを感じた。さらに暴力的なシーンが多く目を伏せてしまうことも多々あり、内容もわかりづらく長くも感じ…つい時計を見てしまった(そのときは終わりまでまだ2時間もあった)。
最後のオンちゃんの真相も弱い感じだったし、そこまで感動もせず。
終わった後はスッキリした気持ちにはなれず、疲れたという感じになり別の映画を観て上書きしたくなった。
予告を観てかなり期待していたが、私はあまり好きな映画ではなかった。
同じ3時間の『国宝』はあっという間だったのに、、『宝島』はとにかく長く感じた。『国宝』は何度も観たくなったが、『宝島』はもう一度観ろと言われたらかなり苦痛かも。
上映前に『国宝』を超える映画との記事も観たが…申し訳ないがそれは難しいのではと思ってしまった。
制作費は25億かけたとのこと。
ただ、妻夫木聡を始めとする役者の演技はすばらしいと思った。また、砂浜や海の映像は綺麗だった。
魂を揺さぶる演技
とにかく俳優陣の演技の熱量が高くて、どんどん物語の中に引きずり込まれていくような3時間。
中だるみも一切感じられず、程よい緊張感と胸を刺す痛みが続いていて、最後は涙が自然とあふれ出してしまった。
戦果アギヤーのリーダー・オンちゃんの行方を探すために刑事になった親友のグスクを演じる妻夫木聡を視点に、ヤクザになった弟のレイ(窪田正孝)、教師になった恋人のヤマコ(広瀬すず)、それぞれの思いもふんだんに描かれる。
インタビューにもあったが、オンを先頭にグスクとレイが路地裏を駆けていくシーン、たったそれだけの映像でグスクたちにとってオンがどれだけ特別で、眩しくて、英雄だったのかがすんなりと理解できる。
背景となる戦後沖縄の数々の事件が、この時代を生き抜いてきたグスク・レイ・ヤマコの行動や考え方に強い影響を与えていることも、画面を通じて痛いほど伝わってくる。
映画の中ではほとんどの登場人物が沖縄の言葉とイントネーションで喋り、人によってはセリフの半分くらい何と言ったか分からない(アメリカ政府官僚であるアーヴィンの英語の方が聞き取りやすいくらい)のだが、それでも全く問題なく、何を言いたかったのかがわかるのは俳優陣の演技と監督の演出によるところが大きいと思う。
クライマックス、グスクの感情が爆発し叫んで走り出したあたりから、それぞれの思いがさらけ出されていき、オンの失踪の謎も紐解かれていく。
オンという英雄が見すえていたもの、「宝島」というタイトルの「宝」とは一体何なのか。
残されたグスクや、レイや、ヤマコがオンから受け取ったオンの思いとその形はそれぞれ微妙に違うけれど、結局のところ心から笑えるその時が来るまでたくましく生きていくことでしか、オンの思いを引き受けることは出来ないのだと気づかされる。
もう一つ、グスクは作中でアーヴィンと彼の通訳である本土の人間・小松と協力関係を築くのだが、すれ違いが起きて彼らの協力体制は崩壊する。
小松はコザ暴動の最中にグスクに詰め寄る。
アメリカ・本土・沖縄をそれぞれ代表する3人の関係が良好に続いていれば、こんなことにはならなかったのだと。
小松の主張はよく理解出来る。私も小松と同じく、沖縄にゆかりのない人間だから、本当の意味でグスクたち沖縄の立場に立つのは無理だ。結局我慢に我慢を重ねて、一番つらい立場に身を置き続けるのは自分ではない。どれだけ耐えれば報われるのかと聞かれれば、何の保証もできないのだから。
個人の思惑を超えたところで大事なことが決められてしまう状況で、それでも目指すものは同じだと信じたい気持ちに共感しつつ、うまくいかないもどかしさ。短いシーンだったし、オンを追いかける物語の中で小松はそこまで重要な役回りではないが、それでも彼にその思いを吐露させることで、オンの思いは立場を超えて受け継がれる可能性があるのだ、という小さな希望につながる良い場面だったと思う。
繰り返しになるが、登場人物それぞれの思いがスクリーン越しに自分の中に染みわたって、魂を揺さぶられる素晴らしい映画だった。
日本でしか撮れない題材の、骨太の作品。
映像の持つ力で熱量に打たれ、そのメッセージを理解より先に体で感じられる素晴らしい映画だ。
【”命どぅ宝。故に、なんくるないさあ、何て言ってられるか!”今作は太平洋戦争末期から現代まで、米軍及びやまとんちゅうに理不尽な行いをされ続ける沖縄の民の悲しみと怒りと命が炸裂する作品である。】
ー ”命どぅ宝” 沖縄で今でも頻繁に使われる言葉である。大和言葉で言えば、”命こそ宝”と言う意味であろう。今作を観ていて思い出した言葉である。-
■1952年の或る夜。困窮する沖縄の民に、米軍倉庫から物資を盗み分け与える”戦果アギヤー”のリーダーのオン(永山瑛太)、グスク(妻夫木聡)、オンの弟レイ(窪田正孝)はいつもように、嘉手納基地に忍び込むが米軍に見つかりオンが行方不明になる。
その事件の後に、グスクは刑事に、レイはやくざに、オンの恋人ヤマコ(広瀬すず)は小学校の教師になる。三人はリーダーを失った後に、沖縄の米国統治と基地問題に対し異なる接し方をして行くのである。
◆感想
・冒頭、グスクにより語られるが、大日本帝国は敗戦濃厚な中、米軍との本土決戦を避けようと戦場を沖縄にした。結果として沖縄の民の4人に1人が戦死したのである。
劇中、グスクたちがしゃれこうべを売ろうとした、多くの日本人女性を殺害した男の捜査でガマを訪れるシーンがあるが、沖縄戦末期には民間人の多くはガマ(洞窟)に隠れたが、米軍の火炎放射や、場合によっては赤子の泣き声で敵に見つかると言って自分達を守る筈の日本軍に殺された方も多いという記録を映画(「沖縄スパイ戦史」「生きろ 島田叡」etc.)や数冊の書物で読んだ事がある。
・今作中で、ヤマコが新任教師として赴任した小学校に米軍機が墜落するシーンがあるが、これは今でも同じである。
オスプレイという防衛省がアメリカに忖度して一機100億円で購入したアメリカ製の欠陥機が何度墜落した事か。けれども日本政府は米国に忖度し、”遺憾である。”と言う声明を発表するだけである。全く、何をやってんだか。
序に言えば、基地の傍に宿を取ると、夜間でもバンバン飛んでくる軍用機の轟音の煩い事と言ったら。現地に住む方々はあの音を昼夜聴いているのである。
だが、日本政府は沖縄の米軍基地撤廃に本腰を入れない。
ある政治家が且つて”基地がいざという時に、沖縄を守る。”と言った事があるが、馬鹿じゃなかろうかと思ったモノである。戦時に何処が敵に狙われるかと言えば、基地に決まってるだろうが。
・米国が沖縄の基地を手放さないのは今作でも描かれているように、ベトナム戦争時に活用した事と、描かれないが朝鮮戦争時にも重要な役割を果たしたからである。
現代で言えば、小太りとっちゃんが支配する国や、プーさんが統べる国へも射程距離だからである。
■今作では、グスクは刑事になり米軍諜報部と通じて、オンの行方を探し、ヤマコはデモ隊として米軍基地反対や本土返還を訴え、レイは暴力的に沖縄問題に対峙していく。その三者三様の戦後の沖縄問題に取り組む姿の描き方が、観ていて心に響くし、沖縄の民の長年に亘るアメリカ軍と大和民族(やまとんちゅう)への怒りや悲しみが伝わってくるのである。
それが、最も迫力を持って描かれるのが、米軍兵士の犯罪が見逃される事に対し、沖縄の民の怒りが炸裂したコザ暴動のシーンである。
・グスクとレイとヤマコが、オンの骨を偶然見つけるシーンは印象的である。オンは嘉手納基地から逃げる時に、米軍将校の子供を宿した女が産み落とした赤子(ウタ:栄莉弥)の命を助け、彼を育て、共に暮らし死んでいったのである。
そして、オンが命懸けで助けたウタは、撃たれた事でオンの遺骨の前で、命を落とすのである。
故に、オンの葬式のシーンでの、グスクとレイとヤマコの空虚な表情が、何とも言えない余韻が残るのである。特にレイが一人で海を見ている姿・・。
<今作は太平洋戦争末期から現代まで、米軍及びやまとんちゅうに理不尽な行いをされ続ける沖縄の民の悲しみと怒りと命が炸裂する作品なのである。
そして、本土復帰後53年が経つ現在、沖縄はオンやグスクやレイが望んだ”宝島”になったのかを、苦い気持ちで考えた映画でもあるのである。>
『国宝』と較べて圧倒的に長く感じた理由(加えて電通が気持ち悪い)
『国宝』ではフィクションの力が濃密に作用していたため、長さを意識する暇もなく没入できた。
それに比べ『宝島』は、沖縄という差別や抑圧の歴史を避けては通れない題材を扱いながらも、その重みを真正面から描くのではなく、イエス・キリストの復活をなぞるような物語の装置として“ダシ”にしているように見えてしまう。
そのため、当事者からすると上っ面だけをすくった印象を与えてしまうのではないだろうか。
さらに、冒頭にスポンサーとして電通の名が表示された瞬間、しらけや気持ち悪さを覚えた。
そうした要素が積み重なり、世界観が十分に構築されず、「必要以上に引き延ばされた場面を見せられている」という感覚が強まり、体感時間が長くなったのではないか。
イヤな予感が当たってしまった
沖縄を知る入口に
熱が伝わってくる迫力
決して長くは感じさせない、戦後沖縄史の映画化
HEROたち
あまり調べてから映画館に行くタイプではないので、あとから3時間以上あったと気づいて驚きました。最近長い映画が多くなって知らずに鍛えられたのかもしれないけど‥
72年は生まれ年なので、中国国交回復や沖縄返還などのトピックは気にしていたほうですが、知らなければならないことがもっともっとある、とあらためて思う映画でした。
今まで深く知ろうとしていなかった自分にショックをうけています。なのでストーリーについては何も言えません。それが正直な感想。もっと学ばなくては。
役者さん方の熱量に圧倒されました。すずちゃんは最近文学色の強い作品に続けて挑戦していて、とても応援しています。
瑛太さんは、福田村事件のときに似たカリスマ性のあるリーダーを演ると右に出る人はいません。全然違う、エルピスでちょっとだけ出てきた影のある役、オリバーのときのキレキレの役、それでも生きていくの暗くて不器用な役、のだめちゃんの明るいロック少年、数えきれないバリエーションがあるけれど、共通してすごいオーラを放ってると思います。少し怖いくらいです。
今回いちばん目が離せなかったのが窪田くん。優しい役柄も多く演ってる中、ヒリヒリした哀しいテロリストが新鮮で、ポスト瑛太なのではと思って見てました。いえ、タイプも違うから同じではないのですが。
それから、あっ♪と嬉しい登場してくれたのが奥野さんと、塚本さん、ピエール瀧さん笑 奥野さんは坊主のイメージが強かったので最初きづけませんでした。あと、どの作品でも中村蒼さんのポジションが凄く好き‥何故いつもここなんだ笑
コザ暴動のシーンは迫力があるだけでなく時間も長くて、それに耐える妻夫木くんの表情の変化も圧倒されました。それにしても凄いエキストラにセット、ゴッサムシティかと‥
これは映画ではなく、今と地続きの歴史なんだと、学び直そうと思います。
あらゆる近現代の物語は”沖縄”に通じている
原作者・真藤順丈は表題のように述べているという。(パンフレットより)
沖縄でどのような悲劇が繰り返されたのか
知ったつもりでいたけれど、それは教科書で教わる内容に過ぎなかったことを
この映画(と原作小説)で思い知らされた。
クライマックスは、ある最終目的を持って基地に潜入するレイ(窪田正孝)と
それを阻止するために追跡するグスク(妻夫木聡)の死闘のシーンである。
究極兵器で武装して闘うしか道はないと言うレイと
非暴力こそが人間を人間たらしめると訴えるグスクの対立は
いま世界を覆っている空気そのものを写し取っているようだった。
妻夫木聡と窪田正孝の魂の底からの演技に震えた。
コザ暴動や宮森小学校への米軍機墜落事故など、圧巻の再現シーンには思わず「これ、セットですよね?」とパンフレットを読み返したほど。素晴らしかった。
惜しいと思ったのは、瀧内公美が演じたチバナである。
原作では、謝花ジョーの情婦という設定だったと思ったが、
本作ではその関係が語られないままで、せっかくのディープな水商売テイストに人物像の裏付けがなく上滑りしてしまったか。謎めいた存在感があっただけに残念。
原作で感動的に描かれる「想定外の戦果」の顛末は、
思いがけない形で明かされていて、これは映像ならではの演出でよかった。
オン(瑛太)の包容力のある無言のまなざしがよき。
ともあれ、戦後80年の節目の年に、本土決戦阻止のために盾となることを運命づけられた沖縄のことを想う映画を公開していただけたことに、改めて感謝したい。
「そろそろ本気で」とエンドロール前に亡きオンちゃんの声が聞こえてくる。
80年もの間、沖縄の人たちの痛みに知らぬふりを決め込んだ日本人のひとりとして
どう立ち上がるべきなのか。考えなくちゃ。
平和なんて一度も見たことがない!
悔しい思いがして追記をアタマに!
ヤマコの台詞で『金網の外じゃ戦えんの?』がありました。
その金網の外で米軍将校の子を産み落とした母親。この『抗議と抵抗』は小さなものではない。 評価の低い方々は主題を軽視している!この“戦果”を守ろうとしたオン、母親の叫びを聴いたグスク。その後20年も“抵抗の証”を探し続けるも、象徴的な存在であるウタ(証)は米兵に撃たれ、オンも亡くなり、魂の証は虚しく消えてしまい、オキナワの声なき声は踏みにじられる。オンの名は『怨』なのだ。
終映…打ちのめされた。いつまでも消えない濃密な苦さを感じていて、今回ばかりは普段、長々と書いているレビューの端緒も浮かばない。外に出て、ふと気付いたのは、ここ六本木シネマズの高台から眼下数百メートル先に米軍基地があるということ。政府は首都圏のド真ん中に存在するこの基地をあらゆる地図から消し去り、毎年恒例の麻布米軍ヘリ基地撤去抗議集会の報道も過熱させないように各メディアを抑え、沖縄のような問題化を避けるのに腐心している。だが、もし
“有事”
となれば、全国の基地を統括管理するこの施設は真っ先に攻撃対象となる。
冒頭、戦後の沖縄の猥雑さがよく出ている映像はさすが。
“義賊”を待望する人々に英雄などと祭り上げられると、いつの間にかその行動に
使命感が伴うもの。戦果アギヤーの下敷きになる事柄が、実は戦中にある。
日本軍の戦闘機に撃沈させら れた米艦船から流れ出した漂着物が浜にあがるのだ。海風が沈んだ船の重油の臭いを運んで来ると、兵隊達は一斉に浜にくり出す。日用品、食料品、米軍の物資は、まさにお宝、兵隊達はこれをルーズベルト給与と呼んだ。
“おいしい米軍物資”義賊気取りで犯行をかさねるも、米軍に追われて散り散りになった戦果アギヤー。後に刑事となったグスクが沖縄の現状の“やるせなさ”を熱く訴える『平和なんて一度も見たことがねぇ!』暴動の中で不敵に笑い続ける彼。これに激しく感情移入した。
映画の熱量と現実の重さを受け止めきれない自分はここで、はたと考えこんでしまう。今も続く、米軍の横暴、本土の無情。返還前はパスポートが無ければ行けなかった“外国”オキナワ。自分は未だに彼の地で起こる事件を“外国”の事象のように見過ごしているのではないか?他人ごとだと思っていないか?同胞意識がうすいのでは?と自省の念がたえない。
だから、映画と云えども上から目線で登場人物をむやみに批判できない。沖縄の人々の慟哭は深く、重く、我が身に突き刺さる。自分は沖縄に対して軽々にものは言えないと悟りました。
厳しい映画体験でした。
演技は皆素晴らしかったが、自分は窪田正孝の方言使いと屈折した心の有り様、やさぐれ感が気に入りました。
相当入れ込んでいた妻夫木聡は、かの賞レースで、先行独走する『彼』をまくりきるつもりだろうか?
戦後の沖縄の歴史を知るには良い作品
原作は未読で、何の話か知らずに観ました。戦後の沖縄の歴史を知るには良い作品だと思いますが、物語自体にあまり面白みは感じなかったです。
アメリカに対する沖縄県民のデモシーンが何度かありましたが、後半の暴動シーンは、おとなしい日本人がここまでするのか、と強く印象に残りました。妻夫木聡さんも高らかな笑みを浮かべて、まさにカオス状態で、ここが一番の見所かなと思います。
やはり上映時間の長さは感じて、少し首が痛くなりました。
熱量を感じる作品
沖縄弁のセリフが多く、叫ぶようにセリフが発せられるシーンやBGMが大きすぎるシーンなど、意味が取りづらいシーンがあった。
展開が上手く作り込まれているため、3時間を超える超大作であるにも関わらず中弛みをほとんど感じられず、最後まで緊張感を持って観ることができた。
敢えて伏線を回収せずに観客に判断を委ねる作品もある中、本作は作中で張った伏線を終盤できちんと回収している。観客にモヤモヤを残さない作風からは制作者側の誠実さを感じる。
「遠い山なみの光」を観た後なので、こっちはちょっと弱くて、響かない
同じ広瀬すずさん主演で、戦後の苦労を描いた映画なんだけど、
「遠い山なみの光」の完成度と比べると、こっちは、ちょっと弱いと感じました。
もちろん、あちらは一人の女性の物語、
こっちは沖縄県民の物語と違いはあるんだけど、
歴史を振り返る内容なのに、ドキュメント的なところは少し控えめにして、
エンタメ要素を加えた結果、どっちもつかず、中途半端になってしまった感じです。
最後のネタばらしも、「遠い山なみの光」は、すごく考えてると感心しましたが、
こちらは、えっ??? それだけ?と驚くほど、映画全体のテーマに響いてこない。
その結末を迎えるために、3時間観ていたの?と、ちょっとガッカリです。
しかも、ネタばらしした後、延々と説明しないとわからないのは、減点です。
3時間の超大作だけど、ドキュメントにするのか、エンタメにするのか、
もうちょっと、どちらかに絞ったほうが良かったかも。
★追記です。何が、物足りないのかを考えてみました。
失踪した主人公の足取りが最後に明らかになりますが、
彼が何故、そのような行動を取ったのかが、全く描かれていない。
どうして、彼は、その子を守ろうとしたのか?
戦争で多くの方が犠牲になった。だからこそ、生きることの大切さ。
本当は、それが、この物語の一番大事なテーマじゃないの?と思います。
日本語字幕が欲しい
タイトルなし(ネタバレ)
長く生きていますので沖縄の苦悩、声はそれなりに見聞きしています。が、それをこの映画は伝えたかったのか、それともそれに振り回され、反逆した若者の姿を描きたかったのか、私は後者のつもりで観に行きました。が、オープニングの米軍からの逃走シーンがこれはコメディ?と思う演出。物語の鍵となるウタについても米軍の高官らしき実父が映像で出てこないので重要感が薄く、ウタの出産も「基地内」ですが施設外。また、オンが襲われるシーンもヘリの音だけで、ヘリ自体の映像が無い。など、史実に無い話は米軍、米兵の映像を「濁す」というお約束でもあったのか、演出に違和感を覚えました。(原作は文字で書き表せますが)
コザ騒動が自然勃発ではなく、実は計画的に実行されたものであり、基地から物資を盗むことで恨みを果たしていた若者たちが、やがてはその首謀者だったという話だったら面白かったのですが、それも史実の捻じ曲げですものね。出演者それぞれの演技は見入ってしまう好演でしたが、オンという英雄を三人の仲間が探し求めるという、史実に影響しない範囲のシナリオにおいて、オンが英雄視される前日譚が薄かったからか感情移入ができず、沖縄という地を「借景」で留めてしまった印象が残ります。
戦果アギヤーはONE PIECEである
9月19日(金)、公開初日@TOHOシネマズ渋谷。
原作は直木賞受賞作品。実はもう7年も前に、原作の単行本の初版が出た直後、買って積ん読したまま読まず、ブックオフに出してしまっていた。映画を観て改めて読んでみようと思いAmazonでポチ。
沖縄での戦闘を舞台にした映画というと、何故かどうしても、少々身構えてしまう。
『ひめゆりの塔』に同時代性を感じてしまうほどの年齢ではないし、誤解を恐れずに言うならば、戦争体験の映像表現にちょっとイデオロギーのステロタイプな匂いを感じてしまっていたからだろうか。
もちろん、決して沖縄戦の悲惨さや不条理や帝国陸軍の悪辣さを否定するつもりではない。
ただ、そういう歴史的事実を映画として描く時に、エンタテインメントとしてのクリエイティビティが感じられるものが少なかった、ということだ。
余談だが、その意味で『木の上の軍隊』は画期的だったと言える。これは井上ひさしのアイデアが秀逸だったこともあるが、優れた脚本がそれを膨らまし、芸達者な役者が見事に演じたからこそだ。
そして『宝島』である。
ここで描かれる米軍統治下の社会的不正義や民族的差別への怒りといった諸々の歴史的背景については、他の優れたレビュワーさんたちが言及しているのでここで繰り返すつもりはない。
小生が伊佐千尋のノンフィクション『逆転』で返還前の沖縄社会の不条理を垣間見たのは、すでに40年ほども前のことだ。『宝島』を観て(読んで)初めて驚く声が多いのも、恐らく世代的なことだろう。
ただし、その泣き寝入りが常態化した日常への抵抗と爆発を、戦後日本でここまで映像として描いた映画は、確かに今までになかったように思う。
正直に言って、コザ暴動のシーンはワクワクして仕方がなかった。
恐らく権力者や保守右派の人びとは眉をひそめるだろうし、左派の人びとはかつて夢見た日本革命の映像化に快哉を叫ぶだろう。しかもチラチラ写っているヘルメット姿の活動家にノスタルジックな思いも重ねるかもしれない。
しかし小生にとっては、そんな55年体制的な、昭和な保革の思い出話はどうでも良い。
単純に「やりきれない話」の積み重ねと、踏まれても踏まれても飼い犬にならない根性が痛快なのである。
最初は「やめてー!」と叫んでいたスナックのママ、チバナ(演:瀧内公美)が突然ひっくり返されたクルマの上に飛び乗って「やっちまえ!」的な雄叫びを上げた瞬間などは声をあげて笑ってしまった。
そりゃその感情の爆発は誰だって当たり前だろうと納得し、心のなかで「もっとやったれ」と北叟笑んでいた。
しかし、それでも歴史的事実として、米軍関係の黄色ナンバー以外の自動車、つまり沖縄人のクルマは1台も襲わなかったし、そこらの商店のガラスを割って略奪もしなかった。
これが欧米や他国の暴動と違うところで、ウチナンチュの同朋意識や慎ましさやモラルを感じるのだ。
政治的なフィルターを廃して観ると、この物語の「背骨」は、戦果アギヤーの"英雄"とその仲間の後日譚であり、一種の『スタンド・バイ・ミー』的な郷愁と『ONE PIECE』的な海賊冒険物語の要素がおもしろいのだ。
もちろん物語の途中からラストに到る”予定にない戦果”のエピソードは荒唐無稽である。しかしここでも「あったとは言えないが、なかったとも言えないお話」を如何に上手く語ることができるかが物語の勝負であり、返還前の沖縄を舞台としたある種の異世界物語として成立している。
街や村、学校、基地、ガマや密林、離島は、膨大な数のエキストラとともに、視覚的な厚みを持たせてくれる。
また、細かな点で考証が行き届いている。
例えば、レンによる殺人が行われたスナックのママ、チバナが語るバーカウンターの背景に「本土復帰反対」のビラが貼ってある。
そうか。復帰に反対するという勢力もあったのだ。
また、復帰を願う側が「祖国復帰」と言っているのも、当時のままの表現だろう。しかし今の感覚からすると極めて違和感がある。
ウチナンチュはヤマトを「祖国」と思っていたのか? グスクが「本土の奴らに何がわかる」と吠えたではないか。
このあたりの矛盾や交錯は実際に存在していたのだろう。
画作りで欲を言えば、海と海岸以外にも、当時の街や村の空中からのショットをCGでもいいから見せてほしかった。それがないと、どうしても空間的な狭さを脱することが出来ない。
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