「巨額の製作費と豪華俳優陣で紡ぎ出された、大赤字(予定)作品」宝島 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
巨額の製作費と豪華俳優陣で紡ぎ出された、大赤字(予定)作品
【イントロダクション】
真藤順丈(しんどうじゅんじょう)による直木賞受賞の同名原作の映画化。戦後沖縄を舞台に幼馴染達の運命が交錯していく。
出演に妻夫木聡、広瀬すず、窪田正孝、永山瑛太ら。
監督・脚本は、『るろうに剣心』シリーズ(2012、14、21)の大友啓史。その他脚本に、高田亮、大浦光太。
【ストーリー】
1952年、アメリカ統治下時代の沖縄。孤児のグスク(妻夫木聡)は、幼馴染でありグループのリーダー格・オンちゃん(永山瑛太)を中心に、オンちゃんの弟レイ(窪田正孝)らと共に米軍基地に忍び込んで物資を盗む“戦果アギヤー”として活動していた。
オンちゃんはグループの紅一点ヤマコ(広瀬すず)と付き合っており、いずれ戦果を元手に学校を建てる事を夢見ていた。
ある日、極東最大の米軍基地「キャンプ・カデナ」に侵入した際、米軍兵に見つかってしまい逃亡を余儀なくされる。グループはバラバラとなって逃げまどい、レイは逮捕されてしまう。グスクは辛うじて帰還を果たすが、その日以降、オンちゃんは消息不明となってしまう。
時は経ち、1959年。グスクは警官となってオンちゃんの行方を探していた。ヤマコは猛勉強の末に夢であった教師として働く事になる。一方、レイは収容所時代に舐められまいと看守を暴行して凶暴性を発揮し、出所後は地元のヤクザの下で働いていた。
米軍兵による娼婦の暴行事件が社会問題となる中、グスクは捜査の過程で米民政府官僚のアーヴィン(デリック・ドーバー)と通訳の小松(中村蒼)と知り合う。
ヤマコは地元の小学校で教師として勤務し始めるが、米軍機の小学校への墜落事故(宮森小学校米軍機墜落事故)により多数の死傷者が出てしまう。アメリカ側がパイロットを無罪とした事で、住民達の反米感情はより一層強まっていった。事件をキッカケに、ヤマコも地元民と共に抗議デモに参加するようになる。
一方のレイは、ヤクザを辞めて米軍兵をターゲットにした襲撃事件を起こすテロリストのグループに加入していた。
【感想】
原作未読。
元々、本作の鑑賞は公開時期の情報がアナウンスされた時点から決めていたが、他の話題作と同時期に上映され、また本作の上映時間が191分という破格の長尺な事もあり、劇場に足を運ぶのが他作品より後になってしまった。
その間に、製作費25億円という邦画では珍しい規模の莫大な予算が投じられた事、それに対して他の話題作の影に埋もれて厳しいスタートを切った事、賛否両論である事から監督の大友啓史氏自らXにて批判ポストにリプライを飛ばしているという事を目にしてしまい、少々身構えての鑑賞となった。
特に、監督自ら批判ポストに片っ端からリプライを飛ばしに行くというのは、マーケティングとしても完全なる悪手であると思われ、今後、とても製作費の25億円を回収出来るとは思えず、東映にとっては大きな赤字となってしまう事だろう。
公開時期も運が悪く、他の話題作に観客を持って行かれてしまい、興行成績1億5600万円で週末興収7位スタートという厳しい出足となってしまった。
話題性も観客反応も抜群で、日本映画界トップクラスのロケットスタートを切った『劇場版 チェンソーマン レゼ篇』は勿論、歴史的特大ヒット爆進中の『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』といったアニメ作品。実写作品としても、話題性十分で粘り強い集客を見せる『8番出口』、東野圭吾原作&福山雅治主演として前週から引き続き安定した集客を見せる『ブラック・ショーマン』、未だ脅威の集客力を見せ、邦画史上歴代2位の興行収入を積み上げている『国宝』等の作品が強く、そんな中で上映時間191分の大作である本作はあまりにも条件が悪かったと言えるだろう。
本来、興行収入1億5000万円超えでスタートというのは、邦画実写において決して悪くない数字であるにも拘らず、7位スタートというのは、やはり強豪作ひしめく中での公開となってしまった事も無関係ではないだろう。
そんな本作に、まず声を大にして言いたいのは、《たとえ悲痛な史実を基にしていようと、作品として伝えたいメッセージがどんなに政治的・倫理的に正しいものだとしても、それが作品の「面白さ」を担保するものではない》という事だ。
米軍兵による婦女暴行、宮森小学校米軍機墜落事故、ラストのコザ暴動と、沖縄が辿ってきた悲しい歴史は、本作を鑑賞するまで何も知らなかった自分にとって強烈なインパクトを残した。
クライマックスでグスクとレイが「キャンプ・カデナ」で繰り広げる、「暴力に暴力で返しても何も変わらない」「こうでもしないと何も変えらない」「こんな野蛮な事が長続きするようなら、人間は終わりだ」という問答の痛烈なメッセージ性、グスクの言葉を信頼するアーヴィンの姿に「同じ人間なんだから、歩み寄る事だって出来るはずだ」という希望を託して見せているのは理解出来る。しかし、そうした正しい主張や願いも、作品自体に興味を惹かれなければ、単なる綺麗事の羅列に終わってしまうのだ。
また、ラストでレイはオンちゃんの遺骨を葬儀で供養した様子を遠くから眺めて姿を消したが、度々米軍兵を襲撃し、ヤクザとはいえ人を数人殺め、米軍基地に侵入してテロを画策した首謀者が、何のお咎めもなしに野放しというのは不味くはないだろうか?彼の行いを列挙すると、理不尽な対応ばかりしていたアメリカ側と同じ、いやそれ以上に悪質な行いばかりしており、クライマックスでの彼の訴えも「どの面下げて言っているんだ?」となってしまうではないか。
そもそも、本作の物語は皆が皆何年経ってもオンちゃんを中心に行動し続けているのだが、オンちゃんの人間的な魅力がこちらに十分に提示されていないので、皆が彼を諦め切れずにいる姿に共感しづらかった。だからこそ、レイがオンちゃんの行方を追って人生を狂わせていく様子も滑稽に映る。これが、オンちゃんは腕っぷしが強いだとか、仲間思いで自分を犠牲にしてでも仲間を守るだとかのシーンの一つでもあれば、彼のカリスマ性が伝わったかもしれないが。
さらに言えば、そんなオンちゃんが命を賭けて守り抜いたウタは、“新時代への希望”だったと思うのだが、レイを庇って撃たれて死亡してしまって良かったのだろうか。オチに至るまで、とにかくこの作品に乗れないままだった。
ところで、本作の製作費は邦画においては破格である25億円の予算が投じられたそうだが、一体何処にそれほどの費用が掛かったのだろうか。いや、恐らくクライマックスのコザ暴動に予算が掛かったであろう事は想像に難くはない。実際、あのシーンの迫力は本作の盛り上がりとして見応えがあった。ただ、仮にもしあの大通りを背景の奥行き等をCG処理などにせず、実際にセットを組んで撮影したのだとすると、それを前半から活かせたのではないかと思ってしまう。
というのも、前半での街並み描写は街のごく一部しか映されない為に空間的な広がりに乏しく、“凝った美術なのが分かるのに安っぽく見える”という状況を引き起こしてしまっていると感じたからだ。これがもし、グスクが事件の調査の過程で大通りを行き来していたり、遠景から街並みを捉えたシーンを挟んだりして、空間的な広がりを観客に植え付けていたのならば、より豪華で気合いの入った印象を持てたと思うのだが。
予算が感じられないもう一つの要因は、グスクがオンちゃんとの思い出を回想する際、皆で路地を走るシーンもそうだ。路地を走り抜けるオンちゃん達の背後に映る電柱のデザインや、遠方に見える白い建物の様子が現代のそれにしか見えなかったのだが、あれは当時を再現したセット内で撮影したものだったのだろうか?私には、当時の様子に見えそうなそれっぽい風景を探してきて、やっつけで撮影した風にしか見えなかった。そうした細部の描写からも、とても巨額の製作費が投じられたようには感じられなかったのだ。
そんな本作において、それでも尚私を最後までスクリーンに釘付けにさせた要因は、ひとえに俳優陣の熱演に他ならない。本作は、俳優陣の熱演によって持っていると言っても過言ではないだろう。
特に、主演の妻夫木聡が素晴らしく、粗暴ながら優しさに溢れるグスクの実直さを見事に演じ切っている。ヤマコ役の広瀬すずも好演しており、「こんな表情が出来るのか」と感心させられた。窪田正孝はいつも通りな気もするが、狂気を滲ませた役柄とは相性が良く、存在感を放っていた。
そして、キャラクター描写が乏しいにも拘らず、皆の中心人物として描かれていたオンちゃんを演じた永山瑛太の「それらしく見える」ハマりっぷりも賞賛したい。あんなに描写不足にも拘らず、彼がスクリーンに映し出されると、その瞬間だけは「らしく」成立するのだから、キャスティングの優秀さは間違いないだろう。
ただし、穿った見方をすれば、本作はそうした俳優陣の演技力やキャラクターとの親和性に依存して、足りない描写を補ってもらった、足りない部分への説得力を丸投げしたようにも見える。実際、俳優陣の熱演でパッと見は「らしく」成立している。しかし、やはりキャラクターを魅力的に映す描写力や構成力が不足していると、そう見えるのは最初だけであり、徐々にメッキが剥がれてこちらの疑問が増えていく事になるのだ。
【総評】
直木賞受賞原作、大ヒットシリーズの監督、豪華俳優陣、巨額の制作費と、「勝てる要素」は十分揃っていたが、公開時期と監督による悪手、何より作品としての料理の仕方を間違えた結果、邦画史に残る赤字を残しかねない作品となってしまった。
グスクの言う「こんな野蛮な事が長続きするようなら、人間は終わりだ」という台詞が、人間の蛮行がまかり通り続けている現代社会を痛烈に皮肉っているだけに、そのメッセージ性を十分に発揮出来る作品に仕上がってほしかったのは残念でならない。
ひなさん、コメントありがとうございます。作品を巡る詳細な背景、大変勉強になりました。
監督のXでの発言については、映画好きアカウントの方が本作にやや否定的な感想をポストしており、それに監督が噛み付いている姿を目にして、他の方にも同じような姿勢で噛み付きに行っている姿を見て、残念に思った次第です。それがネットニュースになったのでしょうが、私はネットニュースでどう取り上げられたかは存じておりません。
ストッパーとなる人が居ないと傲慢になる人というのは、何処にでも居るものですね。
高額な製作費の背景には、そのような理由があったのですね。ハリウッド大作でも似た事例を耳にした事があります。
本作での損失を他作品で回収出来ているのなら良いと思います。
緋里阿純さま、初めまして。
映画の買付・配給・宣伝をしていた者です。コメント迷いましたが、失礼いたします。
大友監督のXの件は、ネットニュースの記事が情報源ではないでしょうか?
大友監督は15年前からずっと変わらず、作品が当たってもコケてもSNSで言いたい放題なので、本作のマーケティングもプロモーションも無関係です。
私の知る限りですが、“映画監督”というのは、そういうある意味ブレない自己主張の人です。
問題なのは、監督のSNSでの発信を止められる人=多くの場合はプロデューサーが、そばにいないことだと思います。
『国宝』も公開前後は、吉沢亮さんの一件をネットニュースがネチネチと記事にして、オープニングで3位だった時は、鬼の首を取ったように叩いていましたが、記録的な興収を記録した途端、掌を返したように絶賛しています。
『国宝』のラスト近くの、主人公へのマスコミ取材の「順風満帆」という台詞は、李相日監督のマスコミへの痛烈な皮肉です。
『宝島』の製作費の高騰理由ですが、コロナ禍で2度に渡る撮影中止と公開が3年遅れたこと、述べ2000人のエキストラ、海外から輸送したヴィンテージのアメ車50台など…
私は『国宝』の撮影にエキストラ参加しましたが、劇場に見える場所が実は丸ごとセットだったり、丸1日かけて撮影したテイクも本編では数秒のシーンだったり…
今年はコロナ禍前より劇場動員が多い見込みで、閑散期の2月や6月でさえ例年より人が入っています。
年間約600本以上の劇場公開作品は、公開日がいつであっても、初動に強いジャンル作品かどうかもあり、オープニングのランキングや数字以外に大きな意味が無いと思われます。
劇場ブッキングは配給と興行の役割ですが、劇場数の多い東宝の一人勝ちで、興収ランキング10位のうち6作品が東宝配給というのが日本の興行の現状です。
実際『鬼滅』にスクリーンを奪われなかった作品は、洋画邦画で唯一『国宝』だけです。
東映は『レジェバタ』に続く誤算でしたが、その分SONYがグループで『国宝』と『鬼滅』から回収しているので、コンテンツビジネスとしての採算は取れているかと考えられます。
らいむさん、コメントありがとうございます。
大友監督は、監督として1番やってはいけない事をしてしまったなと思います。気合いを入れて製作したが故だとしても、あれでは却って作品の評価を貶める事にしかならないと思うので残念です。
賛否があるのは仕方ない。どんな作品もそういうものだから。だが監督のあの行動は、演者とスタッフの努力を踏みにじる行為に等しい。この監督の他作品、いいものもたくさんあると思うが、全体的な完成度を見ると、もう少し何とか出来る事があったのかなあ。まだ公開中なのでどう推移してくか分からないが、もし大失敗となるならば、役者やスタッフではなく監督の責任かな。監督が責任を負うのは当たり前だけど、それだけ演者達は素晴らしい仕事をしていたということです。
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