「この映画こそが戦果アギヤーだ。」宝島 田中さんの映画レビュー(感想・評価)
この映画こそが戦果アギヤーだ。
沖縄がアメリカの植民地だった時代。
アメリカの支配に立ち向かった伝説の「戦果アギヤー」の「オン」と、
その3人の後継者「グスク.ヤマコ.レイ」の物語。
3人には三様のスタイルが割り振られる。
主人公のグスクは、統治に従いながら立ち向かう「非暴力」。
ヤマコは、デモや政治で立ち向かう「非暴力」。
レイは、「武闘派」。
非暴力と暴力の間の葛藤は、
イギリスからインドを解放した、
ガンジー(非暴力)とバガト・シンやボース(武闘派)あたりでも、
そして、アメリカの黒人解放運動の、
キング牧師(非暴力)とマルコムX(武闘派)あたりでも起きた。
弱者が強者に立ち向かう時、
非暴力と暴力のさまざまなコンビネーションが現れる。
この映画は、見終わった後に謎の高揚感とハッピーエンド感があるが、
実際のところ、この映画にハッピーエンドの要素はない。
つまり、「失敗の物語」だ。だからモヤモヤする。
史実に準拠している以上、ハッピーエンドにはできない。
沖縄と日本の現実がハッピーエンドを許さない。
しかし、ハッピーエンドは我々に託されている。
この不完全な映画は、
我々が「回収」するための「伏線」として作られている。
「伏線」を「回収」し、この映画を完成させるのは「我々」だ。
謎の高揚感は、この映画が完成するはずの未来から「我々」に届けられたものだ。
だから、この映画の「伏線」を読み解いて「回収」の方法を考える。
つまり、この「失敗の物語」の失敗の原因と対策を考える。
(plan-A)
まず、失敗の根本的な原因と対策
※日本は、政治の中枢がアメリカに支配されていた。
この映画では、アメリカのダニのようなエージェントに、
「ダニー岸」という名前が与えられている。わかりやすい 。
安倍晋三の祖父の岸信介は、CIAのエージェントだったから、
「ダニー岸」の「岸」は、岸信介の「岸」を借用したものだ。
岸信介は、CIAに忠誠を誓うことで、
CIAに支えられ吉田茂らと自民党を作り首相になった男だ。
日本は、CIAのエージェントが首相になる国だった。
自民党は、いまだに日本を韓国系のカルトに委ねた分割統治にも、
中国との対立を煽ったアジアの分割統治にも加担し続けている。
最も根本的な失敗の原因がこれだ。
自民党には基地問題を解決する気はない。
我々は、まず自民党を日本から排除しなければならない。
※マスメディアはもちろん、ネットも支配されている。
アマゾンのインチキ外国商品を絶賛するレビュアーが、
インチキ外国メーカーに雇われたサクラであることは周知の事実だが、
「基地問題」の周辺にも雇われたサクラが放し飼いにされている。
日本人が米兵にレイプされて平気な「ニセ愛国者」がいたら、
それは雇われたサクラだ。
中国との対立を過剰に煽り、
アジアの分割統治に加担する「ニセ愛国者」がいたら、
それは雇われたサクラだ。
我々は、雇われたサクラを排除しなければならない。
次に、失敗の直接的な原因と対策
弱者が強者に立ち向かう時、非暴力と暴力のさまざまなコンビネーションが現れる。
宝島の、非暴力と暴力のコンビネーションは失敗した。
しかし、インドの、非暴力と暴力のコンビネーションは成功している。
アメリカの黒人解放運動の、非暴力と暴力のコンビネーションも成功している。
違いは明白だ。レイ(暴力)の有無しかない。
宝島の、米軍基地を震撼させるレベルの暴力はコザ暴動だけだった。
同じ植民地解放の物語の、インド映画「RRR」のレイは大活躍しているが、
「宝島」のレイは何もしていない。
レイが活躍する必要がある。
弱者が強者に立ち向かう時、
グスクが言うように、
「暴力」だけでは「暴力」で押しつぶされる。
その一方で、レイが言うように、
「非暴力」だけでは相手にされない。
だから、「暴力」と「非暴力」の「共存と分業」が必要になる。
これは、ホウキとチリトリの関係に似ている。
ホウキだけ持ってゴミを掃いてもゴミは片付かない。
チリトリだけ持って待っていてもゴミは片付かない。
ホウキでゴミを動かして、チリトリで回収して、初めてゴミは片付く。
つまり、まず「暴力」と「非暴力」を分離する。
そのうえで、「暴力」で脅して、「非暴力」で回収する。
これが、弱者が強者に勝つ方法だ。
ヤマコだけが、何十年「座り込み」を続けても、
県民投票で民意を明確にしても無力だった。
チリトリだけ持って待っていてもゴミは片付かない。
(plan-B)
plan-Aの「我々」は、ひとまず「我々」を「ウチナーンチュ又は日本人」に限定している。
plan-Bの「我々」は、「我々」を「アメリカ人を含む人類」に拡張する。
ちなみに、フランス語の「オン(on)」は、「我々」の意味を持つ。
映画は、まず「我々」を沖縄から日本に拡張するために作られた。
失敗の原因は、「我々」が沖縄に限定されていて無力だったからだ。
しかし、そこに留まっていては暴力を肯定することになる。
「我々」を全ての日本人に拡張し、
さらに「アメリカ人を含む人類」に拡張することが出来ればグスクの勝利だ。
映画だって人を感動させ動かすことが出来る。暴力が全てではない。
つまり、グスクもヤマコもレイもまだ失敗していない。
ハッピーエンドが託されているのは「ウチナーンチュ又は日本人」だけではない。
「アメリカ人を含む人類」にも託していい。
この映画の関係者は、この映画をアメリカで公開するつもりだと思う。
この映画は、アメリカ公開を想定して作られているように感じた。
アメリカ人にも配慮した物語になっている。
最初、アメリカへの配慮を、アメリカへの卑屈な忖度かと思っていたが、
「我々」を世界に拡張するためには必要な配慮だった。
アメリカを動かせれば基地問題は解決に動き出す。
グスクは、今度は全米キャラバンに出発するだろうと思う。
映画の力を侮ってはいけない。
これから少しずつ、三人が望んだ本当の物語が始まるに違いない。
エンディングのオンの言葉のとおりだ。
グスクもヤマコもレイもまだ失敗していない。
これからだ。
この映画こそが戦果アギヤーだ。
(知らんけど)
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