「「アレ」と「アレ」の合わせ技一本(笑)。ネタ自体は丸パクリだけど、その心意気や良し。」あの人が消えた じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
「アレ」と「アレ」の合わせ技一本(笑)。ネタ自体は丸パクリだけど、その心意気や良し。
最初に言っておくと、俺、こういう映画は大好きですよ!!
でも、たいがいの映画好きならだれでも知っている、超有名どんでん返し映画のメイン・ネタを立て続けに二連発!! それも、ほぼ無加工で!!
これが許せるラインかどうかは、しょうじき人によるだろうなあ。
(元ネタの映画をどちらも観ていない人のために、タイトルは伏せます。わかりにくい書き方になってすみません)
まず、どっちも知らなかったってお客さんは僥倖かと。
ただし、きっと将来何かのタイミングで元ネタのほうの映画を観て、びっくりするんだろうね。
「あああああ! まるで一緒じゃんかあああ!!」って。
そっちが先で、こっちが後ですから。
しかもカブったんじゃなくて、意図的にパクってるんですから(笑)。
(パンフを観ると、元ネタの映画を出演者に見せて、演出まで真似させてる!)
大半の「両方元ネタを知っている」人は、かなり複雑な気持ちに襲われるはずだ。
ここまでそのまんま、同じネタを使って、果たして許されるものなのだろうか?
これはもしかして、神をも恐れぬ所業なのではないか?
人によっては、アウトだと思うだろうし、
人によっては、セーフだと思うだろう。
断りもなく、有名どんでん返し映画のオチをパクるのは許せないっていう「全否定派」も、一定数はいるはずだ。
一方で、すでにどちらのネタも「古典」であって、当然「再利用」して構わないと考える人もいると思う。本格ミステリーにおける「犯人=探偵」とか「犯人=記述者」とか「犯人=子供」とかと一緒で、ヴァリエーションさえつけてやれば問題ない、と。
少なくとも、その2ネタにたどり着くまでの「手順」において、十分に新しい作りになっているからそれでいいじゃないか、という意見も当然あるだろう。
あと、登場人物名で、ちゃんと「これはオマージュです!」って仁義を切ってるんだから、なんの問題もないっていう考え方もあるでしょう(笑)。
僕個人の意見は、基本的にはOKだろう、と。
自分は本格ミステリーマニアでもあるので、著名なトリックを無断で再利用すること自体には大いに抵抗があるんだけど、この展開で、あのネタを2連発でかまして来ると、こちらが全く予期できていなかったのは確かで、それだけでも十分「どんでん」としては機能しているのではないか、とも思う。
ネタ自体は既知のものでも、「ああ、ここでそういう使い方もできるのか?」という驚きを観客に与えられれば、それで十分なのではないか。
とはいえ、ここまで「そのまんま」しかも「2連発」で援用するとか、監督ホントに面の皮が厚いなあ、とも思う。いい根性してる。いい性格してる。
「つべこべ言いたい奴は言えばいい。俺は『●●●』と『●●●』が大好きで、いつか自分の映画でもこのネタを使ってみたかったんだよ! オマージュなんだよ! だから役名も◉◉◉にしたんだから無粋な文句とかいうな」ってところなんだろうなあ。
じゃあ、ついでにもう一つの元ネタ映画の主人公の名前も出せばよかったのに、と思ってよく見たら、ラストにでてくる●●の名前にそっちがまさに使われてるのか……(笑)。
まあ、あの『金田一少年の事件簿』にパクられた島田荘司先生だって、高木彬光の『人形はなぜ殺される』と全くおんなじトリックの小説書いてて、後から指摘されたら、あれはリスペクトだみたいなこと言ってたし。荒木飛呂彦先生だって『薬菜飯店』とかシュヴァンクマイエルとかパクりまくってるし。
こうやって「再利用」されながら、いつしか「誰でも使っていい」ような「みんなのネタ」になっていくというのなら、それはそれでいいことなのでは?
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設定として、宅配屋を「探偵役」に持ってきたのは、なかなかの慧眼だと思う。
たしかに、とある地域の個人情報を細かく知っていて、モノの出入りを把握していて、しかもインターホンを押しても「あなた誰ですか?」って追い返されずに相手にドアを開けさせることが出来るというのは、宅配の配達員ならではの特殊スキルである。
これだけ「探偵役」として「ふさわしい」職種の人間が、いままでなんで小説や映画で探偵役を与えられてこなかったかというと、「こんな宅配屋は嫌だ!」と観客に嫌悪感と恐怖感を引き起こして、ドン引きさせるとヤバいという判断が、制作側にあったのではないか?
正直、偽依頼をでっちあげてインターホン鳴らしてくる配達員とか、
ドアを開けたとたんにいろいろ根掘り葉掘り訊いてくる配達員とか、
どこに何を配送したか覚えてて休憩中に情報交換してる配達員とか、
自分の仕事や趣味を知っててファンですとか告白してくる配達員とか、
マジで超こわいんですけど……(笑)
まあ本作に出て来る丸子くんは善良そうだし、害もなさそうではあるけれど、やってることはかなり犯罪すれすれというか、実際にこんなのが来たら絶対ビビるというか、こんな宅配屋は嫌だ!
でも、この「根源的な恐怖感」をいったん棚上げにすることが出来るなら、「宅配の配達員が事件を探る」という導入はとても機能的だし、いろいろ拡張できる素晴らしい設定だと思う。
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この映画の場合、第一部、第二部のちょっとテレビ感のある探索編があって、そのあと第三部で最初の転調があって(おばかスパイ風味)、終盤でさらに前出の二段落ちが仕掛けられる。
中盤で展開するコミカルなおバカスパイ話は、「誰が」「なんのために」語っているのかを考えれば、いかにも彼女の創作内容と通底する内容だし、そもそも相手に「まともに取り合われては困る」わけで、結構「理詰め」でこういうバカバカしい内容になっているのがよくわかる。そもそも、何をやっていたか一般人にぺらぺら話す公安なんて存在しない(笑)。元ネタ映画では「相手を騙す」ために用いられる語りが、本作では「相手に気付いてもらう」ために弄されるというのも、気が利いている。
ただ、うまくいってるか、滑ってるかと言われると、明らかに滑りまくっているので、結構ここは観ていて辛かった……(笑)。
自分は福田雄一の映画とか寒すぎて凍死しかねないタイプなので、梅沢富美男のくだりは本気で滑りすぎてて、正視に堪えないくらいだった。
あと、試みられている叙述的な仕掛けや、二転三転するどんでん返しは実に小気味いいし、こういう映画を撮ろうという意気込み自体、大好物なので大いに買いたいところだが、作品のリアリティ・レヴェル自体はあまり高いとはいえない。
一番ひっかかるのは、203号室にある死体の存在がバレない理由で、あんな建てつけのマンションならすぐに臭気がもれてしまいそうだし、ふつうに働いていそうな様子の女性が唐突に失踪して、部屋(家主や大家)に調査が入らないのは、会社員の僕からするとちょっと信じられない。この映画が始まる前に起きた事件というのも考えたが、丸子くんが何回か携帯で男性とやり取りしていたから、それはなさそうだし。
あと、駐在さんが配達員の話を真に受けない理由も結局よくわからない。不審者情報が入ったら、警察はまず大家に連絡を取って入居者を確認すると思うけど。てか、部屋に盗聴器と住民の写真があったと通報が入って、立ち入っての確認を求めない警官はさすがにいないのでは。
小宮さんの語ったスパイ話に、「島崎さんしか経験していないはず」のネタ(小宮さんが一緒に経験しておらず、かつ島崎さんが小宮さんと情報共有しているとは思えないエピソード)が満載なのもかなり気になる。あれって荒川さんが急に入ってきたから、その場しのぎに始まった話で、口裏を合わせる時間なんかなかったと思うんだけど。
たとえば、警官が島崎さんから直接訊いてきた以上、「自分は芸人で事故物件を調べている」というネタは、間違いなく「島崎さん自身の持ちネタ」だが、なぜか小宮さんのスパイ話にもこの話は何回も組み込まれている。
引っ越してきたばかりの小宮さんが、「巻坂さんが何かと鉄をゴミに混ぜて捨てている」(丸子くんくらいしか知らない)ネタを知っていて、話に盛り込んでいるのもかなり怪しい。まあ同じフロアだから、知っていてもおかしくはないが、総じて小宮さんは「このマンションの内情に詳しすぎる」。
有り得る可能性としては、もとから島崎さんと小宮さんは「知り合い」で、いろんな情報を映画が始まる前から共有していて、島崎さんが盗聴して手に入れたマンション内部の情報も耳にしていて、常態的に島崎さんは小宮さんの部屋に出入りしていた……即ち二人は「共犯だった」くらいしか、僕には思いつかないが(笑)。
その他、巻坂さんのゴミの分別の話は結局どうなったのかとか、同じマンション内でこんなことやってたら実際は一発で捕まるだろうとか、ストーカーはドアをガチャガチャなんかしないだろうとか(即通報されてジ・エンドになると思う)、いろいろと気になる点は多い。
そもそも、住人に「逃げろ」ってお手紙まで渡すくらいなら、もう少し警察に食い下がればよかったのに……。
とまあ、探しだしたらいろいろと粗はある映画だとも思うが、このトリッキーなオリジナル脚本を映画化にまでこぎ着け、スマッシュヒットにつなげている監督の熱意は本物だ。
あと、二段落ちの「後」に待ち受けている「スパイ転生」ネタは、本当に良く出来ていると思う。
あれだけ『ゾンビ転生』だ『スパイ転生』だと「ネタふり」を怠らず、ちゃんと明快な伏線すら張ったうえで、あの多幸感のあるエンディングにつなげた手腕は素晴らしい。
ちょっと、『未来世紀ブラジル』みたいだよね、こういう終わり方。
最悪のバッド・エンドなんだけど、最良のグッド・エンドでもある。
まして、直前の「本」を使ったやりとりで、「霊は存在する」ことが映画内ロジックとしてはきちんと証明されているので、もちろん「異世界転生」だって「本当に」起こり得るわけだ。
現代日本の創作文化の核心とも言える「小説家になろう」を、重要アイテムとしてさくっと作品に絡めて来るところとか、終盤の「女の子を助けるために犠牲になることをいとわない」鍵ゲーや『ひぐらし』みたいな騎士道精神とか(本作は『Reゼロ』や『僕だけがいない街』や『シュタゲ』の精神的な同胞でもある)、この監督さんは若い世代向けのラノベやなろうの良いところを、しっかり享受して自らの創作の血肉と化している。
そして、それが最大限に生かされたのが、ラストの「異世界転生」だ。
いやあ、いいアイディアだよなあ。
いきなりステータス画面が出るとか、悪役令嬢がどうとか、ほんとわかってらっしゃる(笑)。
その他、どうでもいいことを箇条書きで。
●クレマチス多摩、ロケ地としては最高。とくに一番奥の部屋だけ一段右手にあるせいで、様子が廊下を曲がってみるまでわからないのが良い。
●これって「失敗する名探偵」がいて「真の名探偵」が乗り込んで来るパターンなのね。
●主人公が現世よりも携帯内の小説世界に幸せを見出してるのも、『未来世紀ブラジル』っぽい。ていうか、振り返って考えると、『ブラジル』自体が「異世界転生」願望の塊みたいな映画だったんだよな。
●タイトルや、「次々と人が消える」というクロユリ団地みたいなフリも、ミスディレクションとして秀逸。
●キャストは若干貧乏くさいが、深夜ドラマ感があって、作品のテイストにはあっているかも。北香奈は、作家感ゼロ、公安感ゼロなのが逆に良かったかも。
●総じて、笑いの要素は単純に寒かった。明らかに作品にとってはマイナスだと思う。
●パンフを読んで、監督の現場づくりで、「怒鳴ったり、リスペクトを感じない言動をしたり、セクハラ・パワハラ系のことをやっている人がいたらどんな立場であろうが即退場!というのを徹底しています」という部分に感心。昔は、単純に「空気を温める」「ピリッとさせる」ために現場でキレまくるPとか一杯いたことを考えると隔世の感がある。
●これは冗談でもなんでもなく、ずっと猫おばさんのことを手塚理美だと思い込んで観ていて、エンドクレジットで坂井真紀だと知って仰天した。
コメディはやはり好みが分かれますね…
強引ながら伏線を効かせた無理矢理ハッピーエンドは斬新で新感覚でした。
個人的に、車が一台も無い駐車場と、何故かそこに振られた番号が50番台だったのが気になりました。
(多分まったく意味などないんでしょうけど)
〇〇〇運輸の友人の弁
あんな配達員いません。部屋を覗きこんだだけでクレーム。3件もやったらマンション出禁。エリア交替せず、そこだけ別人が行くことになるのでチョー大変。 203号の荷物は長期不在で出し人へ返品されます。