我来たり、我見たり、我勝利せりのレビュー・感想・評価
全25件中、21~25件目を表示
飽きさせない故に胸糞。でもそれだけではないかも…
登場人物ろくでもないやつしかいない。でもこの世の中そんなもんか、と直ぐ気付く。
終盤、マイナート(父)の絶叫は心からの「俺のことに気付けよ!捜査して逮捕しろよ!興味ねぇのかよ!」という慟哭にみえた。だから「まだ続けるよ、当然家族と一緒にね。」となるのは自然だ。つまり簡単に言えば人間切羽詰まっても動けない、それは自分が死ぬまで気付けない。ってことなのか。それを映画で突きつけるのはあまりにも悲しくないか?
でも、陰謀論でもなんでもなく「世の中金持ちで動いてるし、俺が出来ることも大して無いし、明日も仕事めんどくせぇなあ。」という考えを「今を生きることで精一杯なんだ。」と言い換えて言い訳してるのは事実だし、かなりの人に当てはまると私は思う。だからこそ興味深いという視点で集中して観てしまったのかもしれない。そんな、なんでも難しく考えることが得意な単純な人ばかりでもないのか?
90分足らずということで見やすいのはストレス低減に一役かっている。でもそのせいで中盤からは嘘だろ…このまま終わるんか…家族全員爆破して木っ端微塵にでもならんとスッキリしないぞ…。とヒヤヒヤしつつ観ることになった。まぁ胸糞映画ではあると思うのでスッキリなんてするわけないんですけどね。
一見すると"中身も大して無い駄作"にはなってしまいかねない作品なので少しでも意味を見出そうとするのは私の癖なのかも知れませんが、観る意味のある映画ではあると思う。胸糞悪くはあるものの、胸糞映画の代名詞である諸作品と比べると"冷たさ"はあまり感じない不思議な映画だ。もちろん暖かみも微塵も感じないけれど。
心がザワザワするのが好きな方は是非。
胸糞映画が好きな人にはいいかも
タイトル通りに進んでいくストーリー
監督は本作のどこに興味を抱いたのかが気になっているようでした。
ヒューマントラスト渋谷にて行われた試写会に行ってきました。
何をしても罪に問われない胸糞悪い「金持ち」を題材にしながらも、常に良き父親、良き家族を描写。
殺人を描いているのに画面には白を基調としたシーンが多くグロテスクな印象すらありません。
上映後、ダニエル・ヘースル監督は「ウィン・ウィン」の撮影時、金持ちの邸宅にリサーチへ行き、そこで「猟銃をナミビアへと持ち出す」という話を聞き、銃さえも国境を越えて自由に持ち出せてしまう「金持ち」に驚いて本作を思い付いたと語っておりました。
それゆえに
何をしても全てが許される「金持ち」を、
何をしても家庭が上手くいく「金持ち」を、
何をしても思うように事が運ぶ「金持ち」を、
ひたすら鑑賞する事となります。
ヘースル監督はミヒャエル・ハネケ監督の「ファニー・ゲーム」についても語っていましたが、作品から受ける印象は別物でした。
またユリア・ニーマン監督の方も、語り部でもある「金持ち」の娘を演じたオリヴィア・ゴシュラーにハネケ監督の「ベニーズ・ビデオ」を観るように言い、演技の参考にさせたそうですが、ハネケ色はあまり感じませんでした。
監督たちの話だけ聞いているとなんだかハネケ作品に近い印象を受けてしまうかもしれませんが、いつも子供たちに優しく接し、家庭が第一と考える「金持ち」の父親の描写を見ている限り、ハネケ作品のような鬱展開は微塵も感じられません。
酷い事をしているシーンよりも明らかに養子と分かる小さい2人の娘が執事に対して紙吹雪を浴びせかけて遊んでいるシーンの方が頭に残るほどです。
それでも鑑賞後のモヤモヤしたわだかまりは尋常じゃありませんでした。
ヘースル監督は、罪を犯そうが握り潰せると豪語するドナルド・トランプや人前では戯けてみせておきながら裏では人の首を簡単に切るようなイーロン・マスクを引き合いに出していましたが、彼らの名前が出た途端、映画が絵空事に思えなくなり背筋が凍り付きました。
監督たちは物語の顛末や、「金持ち」に対する考え方を観客に投げているのは明らかでした。
「金持ち」を否定しながらも「金持ち」になりたいという人々がどのように本作を受け取るのか、非常に興味が沸いてくる作品でした。
余談ですが、上映後、映画館のエスカレーター前でヘースル監督から「どうして本作を観たいと思ったのか」と尋ねられました。
監督は本作の何に惹かれたのかが気になっている様子でした。
怖い、怖い、怖すぎる
全25件中、21~25件目を表示




