我来たり、我見たり、我勝利せりのレビュー・感想・評価
全24件中、1~20件目を表示
リアリティラインの位置
地方の大富豪が地元の警察・政治家・マスコミをも抱き込んで秘かに人間狩りをレジャーとして楽しむというゾワゾワを予感させる物語です。
こうしたお話こそ、どこまでを作り話として「あり」とし、どこから現実のお話とするかというリアリティ・ラインの引き方が非常に大切なのに、それが余りに杜撰でした。金持ちによる人間狩りという設定は現代の格差社会の寓話なのでしょうが、そのラインの曖昧さのせいで、社会風刺としても胸糞映画としても喜劇としても全て中途半端で、映像がちっとも胸の内に入って来ませんでした。
よくよく考えて作り込んだ完成度の高い「作品」
一言でいうと巧みな映画。
胸糞なモチーフも、映像の美しさとヨハンシュトラウスで、鑑賞に耐えられるものに変わる「映画の魔法」は、ちょっとした驚きだった。
ストーリーが公式サイトであらかた示されていることからも分かる通り、今作は、展開の妙や、ドンデン返しの意外性で魅せる映画ではない。
サイコパスもしくはソシオパス(不勉強で違いがよくわかってないが)の登場人物たちが、大資本や政治的な力を持つとどうなるのかを、ある意味淡々と描いているようにみせかけて、細部までよくよく考えて作り込んだ、完成度の高い「作品」だと思った。
観終わってから色々と振り返ることで、様々な味わい(もちろん気持ちのよいものは、ほぼないけれど)が楽しめる。
<ここから少し内容に触れての感想>
・「みんな知っている」のに、捕まらないことで連想されたのは、自分は、ジャニーズ問題。この映画で描かれていることは、全然フィクションやファンタジーではないと思った。
・血縁にこだわらず、養子の子や連れ子を含めた家族を溺愛しているはずの主人公が、妻を泣かせてまで、妻との子を熱望し、結果的に願いを叶えているところがゾワゾワと背筋が凍る。
・ある意味、「関心領域」と同タイプの映画。全ての登場人物たちに対して、自分の関心領域を問いかけられる。
・2世のイカれっぷりで思い出したのは、「満ち足りた家族」の子どもたちと、「本心」の妻夫木の娘。金で解決できてしまうことの恐ろしさと、金がある中での子育ての難しさ。
・トマ・ピケティと哲学書に親しむ「まとも」な感覚を持ってる彼氏みたいな子も、カッコよく見える「ルール無視の結果至上主義者」に惹かれてしまうんだなぁ…と。ただ、現実社会でも、そうした人物たちが結果を出していることをどう考えればいいのか。
・映画の中で「生まれた時の貧富の差は選べないが、死ぬ時の貧富の差は本人の責任」という、まことしやかな言説を、あえて娘に語らせることの納得感。自分が元々有利な状況にある者は、その有利さを、自分の努力の結果ととらえ、相手の不利さを相手の努力不足と感じるという研究結果は、枚挙にいとまがないのだが、娘が語るような自己責任論の根深さはどこからくるのだろうか。
狂った家族に深い風刺
起業家として成功し、莫大な財産を築き、何不自由の無い生活を送ってた上級国民のマイナート家。家族を愛する父アマンは趣味の狩りに情熱を注いでいたが、狩りの対象は動物ではなく人間だった。上級国民である一家は誰を狩っても許されていて、アマンは何カ月にもわたって無差別に人間を射殺し続けていた。時にはその様子を目撃される事もあったが、警察や政治家に顔がきく彼を誰も止めることはできなかった。娘のポーラはそんな父の姿を目の当たりにしながら、万引きしても金で解決したりと、上級国民としてのふるまいを着実に身につけていった。そしてある日、ついにポーラは誘惑に負け使用人に対し狩りをしてしまったが、13歳のためにお咎めなし。そして、湖で泳ぐ夫婦と子どもを・・・そんな話。
オーストリア映画ってあまり観た記憶無い。ドイツ映画では無い作品でのドイツ語(たぶん)が新鮮に感じた。
これ、狂った家族の話であり、何の迷惑もかけてないのに突然狙われ殺されるなんて理不尽すぎる。ミッドサマーのような不気味さを感じた。
題はドイツ語?と調べたら、ラテン語みたい。
13歳の娘、末恐ろしい。
追記
後で考えてみたんだけど、例えばロシアのプーチンとか北の金正恩が自分の意に沿わない人をすぐに殺すのもこれと同じような事なんだろう。
また、大企業が政治家への賄賂で法律を曲げる事例は資本主義社会ではある意味常識ともなっている。
そう考えると、狂った家族、は現代の風刺で有り、笑えない現実なんだと思った。
評価を➕0.5の4へ修正します。
ヤマなし、オチなし、意味なし
人間狩りという大風呂敷広げて何も終宵しきれずに終わっている。
まぁ主人公が「ダーティーハリー」の狙撃犯サソリみたく一般市民撃ちまくり、しれっとしてる。それの繰り返しで単調すぎる。
殺人以外やってる事が、ほぼバカッター(迷惑系ユーチューバ)の日常(笑)反則でしか勝てないクリケット、車のナンバープレート偽装、万引き、夜店での射撃ゲーム(景品本気い狙い)・・・なんか貧乏くさい。
この映画の解説には世界の格差を描いてるとあるが他の方たちは優雅に暮らしてるのに、この家族だけ歪んでいる。奥さんや養女(?)たちには罪が無いが・・・
優雅な家族につきものの食卓シーンが無いのも気になる。唯一出てきたのがプロテインて・・・
この監督はクラシック音楽をブルジョアの音楽だと勘違いしてるような気がする。ましてや自国の音楽家へのリスペクトがあれば殺戮のBGMにJ・シュトラウスII「美しき青きドナウ」を流さない。ヨーロッパの人にとっては、この曲とベートーヴェンの第九は特別な思いが込められている。(第九はナチスのプロバガンダに利用された苦い記憶がありますが)
終盤、娘と執事(ニ代目)が水浴してるふうに見えて、やっと話が進みかけたかのように思えたが全然違う人でガッカリ😞
最初から最後までドヤ顔で観ててホトホト疲れた。
打楽器と人の声をオーバーラップさせた効果音が意味もなく挟まれイラッとした。
それにオープニングのクリケットのスローモーション(いつまでやってるんだ・・・)
最後の娘の場面ありきたりな構図そしてフィナーレ。クソ真面目な制作者が犯罪物に手を染めてはいけないという例を見せていただきました🙇♂️
皮肉な映画
最悪な遊び。
欺瞞に満ち満ちたこの世界に改めてゾッとする
我来たり、我見たり、我勝利せり(映画の記憶2025/6/15)
エレガントな大富豪の優雅なる冷酷
えー、私ことアモン•マイナートはバッテリーの開発•製造•販売をやってる会社のオーナー兼CEOです。最近、ウチは次世代バッテリーの開発に成功してお陰様で株価も上がり、このたび、欧州一というバッテリー工場を立ち上げる運びとなりました。いつの間にやら、政界にも顔がきくようになりましてね。仕事は楽しいし、家族は私の宝ですわ。私、最近はやりの多様性って言うんですか、それにも配慮して、アフリカ系、アジア系、それぞれ一人ずつの養女を育てています。実の娘はもう13歳になりました。最近、その娘が私の趣味に興味を持ち始めましてね。え、どんな趣味かって? 狩猟を少々……
と(ドイツ語で)語る大富豪のアモン•マイナート氏の狩猟の標的はなんと人間。明るく美しい風景を背景に人が淡々と狩られてゆきます。彼の邸宅や街の様子は清潔感があふれ、未来都市か、パラレル•ワールド下の別世界の都市のようです。そして、さすが音楽の都ウィーンを首都に擁するオーストリアの作品、締めにヨハン•シュトラウスのワルツなんぞが流れてきて、はて、今日はいったい何を見たのだろうか、という気分になります。そんな感じのブラックユーモアあふれる不条理ホラー、私はそんなに嫌いじゃないです。これでもか、これでもかと迫ってくる『サブスタンス』なんかより、現代社会の怖さみたいなものを極端な形にして淡々としかも美しく見せてくれる こっちのほうが好みです。こういうの、日本でリメイクしてくれないかな。邦画のイメージを変える画期的な一作になると思うのですが。でも、韓国に先を越されそう……
黒澤っぽい
シュール 胸クソ A24っぽい
ハイ、分かって観に行ったけど 今年一番の胸糞映画頂きましたー。 世...
モーツァルト、ピケティ、ポルシェ、弾倉
残虐な内容なのに、思い出すのは明るい景色
雨の降る中、朝一番の上映回を鑑賞。
明るい景色(暖かな陽射しと緑の森、真っ白な邸宅)が印象に残る映画でした。
そのため今日は晴れだったと錯覚するくらいです。
でも、この映画は金持ちが殺人を楽しむ残虐な物語です。
被害者を延々と痛めつける描写が続く映画「ファニーゲーム」とは異なり、
狙撃殺人の描写は淡泊で、突然銃声がして被害者があっさり倒れるだけでした。
殺人者であるはずの主人公が、銃を撃つシーンも構えるシーンもありません。
射殺した直後も、主人公は普段通りの様子で、その場を通りかかるだけのように去っていき、被害者には何の興味も無い様で一瞥もくれません。
被害者の様子も淡泊で、カメラが寄っても苦悶の表情や大量の出血等、悲惨さを感じさせる描写がほぼありません。
それらの淡泊な描写のせいか、本来は胸糞悪い行為にもあまり衝撃を感じず、物語も常に穏やかな陽光の中で進んでいき、家族を思いやる主人公や幼い養女達の楽し気な笑顔のせいで、観終わった後に思い出してもなぜか明るく優雅なイメージが強く残っています。
終盤、私の予想を超えた展開に、これまでの殺人描写の淡泊さは、このためだったか!
と妙に納得しましたが、結局タイトル通りに金と権力を持った悪人が勝利する結末なので、モヤモヤしたまま劇場を後にしました。
予想するストーリーを全て裏切る展開・今回・超難解(トホホ)
「ポク・ポク・ポク」木魚を叩くみたいな音や「フッフーン♪」みたいなコーラスが聞こえるとシーンが切り替わる。
そうか、演劇の舞台のように、音を合図に暗転・明転するのだな!と、それはそれでテンポよく観られたのだが、大臣が登場し、会社の吸収合併あたりから頭の中に「?」マークが行列を作り始め、ポッカーンと半開きの口のままエンディングを迎えてしまった。
この感覚はやはり舞台鑑賞後のあれだ。しかも制作側の高尚な発想に自分の理解力が追い付かない時の奴だ。
という訳で、敗北感満載で、しょんぼりとスクリーンを後にしたのでした。
それにしても動機の無い狩り(殺人)や、その売り上げ分の利益を得るためにどれほど苦労しなければいけないかを想像できないで行う万引きなどには全く理解できず、そんな上級民でもなければおべっか遣いにもならず平々凡々と暮らしてきた自分を褒めたくなりました。
話しは作品から逸れますが、上映中(予告編上映中も)ずぅっとメモを片手に、熱心に何かを書き込みながら鑑賞している方を初めて目にしました。
映画への向き合い方って様々なんだなぁと改めて感じました。
25-072
誠実なのは自分の欲望に対して…かな
銃をコレクションし人間を狙撃する趣味を上流階級の男と、それをみて育った13歳の娘と家族たちの話。
欧州最大のバッテリー工場等を手掛けるマイナートと有能な弁護士の妻をみせつつ、娘のモノローグで展開して行くけれど、狙撃が公に認められている訳では無く、ルール違反もみつからなければ…という理屈の設定。
タイトルの通りVeni Vidi Viciの3部構成で進行していき、胸クソ悪さ全開だけれど、マイナートのピンチも…。
タイトルのViciが何を持ってというところはあるけれど、早い段階で大凡の終わり方は数通りぐらいには想像できる訳で、そういう意味では全体的に捻くれてはいるけれど、意外性がなくて盛り上がらなかったかな。
飽きさせない故に胸糞。でもそれだけではないかも…
登場人物ろくでもないやつしかいない。でもこの世の中そんなもんか、と直ぐ気付く。
終盤、マイナート(父)の絶叫は心からの「俺のことに気付けよ!捜査して逮捕しろよ!興味ねぇのかよ!」という慟哭にみえた。だから「まだ続けるよ、当然家族と一緒にね。」となるのは自然だ。つまり簡単に言えば人間切羽詰まっても動けない、それは自分が死ぬまで気付けない。ってことなのか。それを映画で突きつけるのはあまりにも悲しくないか?
でも、陰謀論でもなんでもなく「世の中金持ちで動いてるし、俺が出来ることも大して無いし、明日も仕事めんどくせぇなあ。」という考えを「今を生きることで精一杯なんだ。」と言い換えて言い訳してるのは事実だし、かなりの人に当てはまると私は思う。だからこそ興味深いという視点で集中して観てしまったのかもしれない。そんな、なんでも難しく考えることが得意な単純な人ばかりでもないのか?
90分足らずということで見やすいのはストレス低減に一役かっている。でもそのせいで中盤からは嘘だろ…このまま終わるんか…家族全員爆破して木っ端微塵にでもならんとスッキリしないぞ…。とヒヤヒヤしつつ観ることになった。まぁ胸糞映画ではあると思うのでスッキリなんてするわけないんですけどね。
一見すると"中身も大して無い駄作"にはなってしまいかねない作品なので少しでも意味を見出そうとするのは私の癖なのかも知れませんが、観る意味のある映画ではあると思う。胸糞悪くはあるものの、胸糞映画の代名詞である諸作品と比べると"冷たさ"はあまり感じない不思議な映画だ。もちろん暖かみも微塵も感じないけれど。
心がザワザワするのが好きな方は是非。
全24件中、1~20件目を表示